で

第 30号
立 本 庄 高 校 岡 窓 会 報
1月
1日 県
(1)平成12年
同窓会 長
﹁
い中 し上げ ます
さ て、本年度 よ り新 た に取
り組 みます 事業 と いた しま し
、
て 来 年 五月発刊予定 の平 成
十 二年度版会 崇名簿 の製 作 が
新 年 明 けま し て御 目出 度 う
←r
ござ います i
年振 り の改定
仙 党﹂ に障整画をご泰 納 なさ
.
れ てお られます 本年 度 は記
念誌事 業 にも本格的 に取 り組
む所存 でござ います .
、
一
十 ■打 !■ 一
■,
キ一一
下
十一
■ 卜 ︻ ギ楽“汁4■
一■ “
i月 i■ 田 ︵
田︶於 五州園
、
一 支部長会 議 午後 i時
、
二 記念音凍 会 午後 四時半
ギ ター独奏 久保博久
、
二 新年会 午後 五時
﹁
︿ム
費 一一
千円
日︶
六月 上十 五日 ︵
i千田
︿ム 費 一
於 埼 玉 グ ランドホ テ ル本庄
、
十 総 ︿五
午後 三時
、
二 恐純会 午後 五時
卓裳卓.
Q卓卓報車.
載宅卓卓QQ韓
本 部 役 員
めわ尊わ弗尊め島島わめわめめ鈴
︿ム 長 戸 谷 全 克 一
品1
劇 本パ 長 立 川 大 作 中 9
幹事 等 お世 話統 き の方 には ク
中 十 四回卒︶ の
森 谷茂 行氏 ︵
、
ご尽力 によ り 高名 な東 山魁
八十 周年記念誌﹂ の
次に ﹁
、
事 でござ います が 市内 の小
中 し上げます
A長︵
劇︵
保 共 出良
教如︶
l
i
ム授︵
l︿
教賦︶
小峰 理介
劇 △ム 長 竹 並 栄 一郎 併中 2
4
劇 ︿ム 長 戸 谷 洋 一部 一
高1
劇 会 長 琢越
劇 会 長 清水 賛
劇 △A 長 高 木 敏 r 女 S
9
中1
ラ ス又 は学年 の不明者等 の問
夷 劇伯 の 一番 弟 子 であ る聞 日
ま した我 が回 の経済も や っと
一
内2
6
︿ム 計 内 野 ヨ ンヱ 女 1
︿A 計 浦 水 正 一
品6
キ
寿衛
劇 ︿ム 長 古 阻 建 治 一
凸2
中 しよげ ます
中 十 四田卒 ︶ に表
雄揮 闘 伯 ︵
に鴨 いト ンネ ルに入 っており
前 日 に引 き続 き今 回も参考
、
資料 と致 しま し て 全終身会
こ のよ う に故率 の時 に遭 遇
し、私達 と いた しま し ても同
に進 むも のと思わ れ ます ≡
顧 閣 岡 祐 孝 や 9
す
監 事 竹内 恵 美 子 一
内6
品4
一
顧問 ︵
校 長 ︶郷 原 康 一
治十
紙絵 を ご依頼中 し上げ ており
、
ま した処 こ の程作 品をご恵
l
.
r
は
送戴 けま した 困 みに両l
、
い昨年 も みじ の水観堂 で締
られ る京 都 ・洛東 の明刑浄上
監 事 江原
れ た方 で緩 込 用紙 が間対 され
、
ておりま した な らば 奮 って
宗西 山神林守 派総本 的 の 精
画
せ て戴 く予定 にな っておりま
っ
この会 親を お読 みにな ら
窓公 活動 をよ り活 発 に行 って
ご協力 下さ います よ うお願 い
い合 わ せなど あろ う かと思 い
、
ます が 対応方転 しくお願 い
.
明る い兆 しが見 え始 め てき た
、
よう でござ います し インタ
ーネ ットなど社会 の仕組 みを
には皆様方 のご協力を お願 い
!
し て採 る件 を 二月 の支 部長会
、
回 に講 り 承 認 が得 られた晩
発行 の可否 に ついて ﹁アンケ
ート﹂ を ﹁
調査 カード﹂を通
んが
対策 と いう訳 でもご ざ いま せ
、
﹁
職 業 別会 員名 持 ﹂ の
うお願 い中 じiげます そ の
ぐれもご 注意 くださ いますよ
高額 で内容 のとば し い名簿 の
、
勧 誘 がござ います の で くれ
必ず 岡窓会 ・母校 に関係 な い
、
業者 により 職業 別を 題 い文
i
句に 一
間窓会名 鑑﹂ と称 して
.
申 し上げ ます
、
ま た 毎日ご注意申 し上げ
、
てお り ます が 新名簿 が発行
、
そ の半年 以内 に
され ます と
事務所 本庄市Cp央1-7-21
戸 谷 A 内
配
10495(22)2008
変 えるような技 術革 新 が急速
.
でござ います ま た
すぐ に投内 し て頂 ければ幸 い
、
クラ ス
お迎 え の事 と心よ り お陛び中 及び 新会 員 の追 加等 に は会 輿
し上げ ま ≡
す
ご
の
輩
様
協 力 が肝要 でござ い
.
特 に本年 は督頭 にも お書 き ます ﹁
調査 カ ー ド﹂ が隅 き
しま した よう に新千年紀 を迎 ま した ら、正確 にご 記入 の上 、
、
え た わ け でご ざ います の で
例年 以上 に心を新 た に して何
県 立本 圧高 校 同 窓 会
会長 戸 谷 全 売
費納 入者名を 学年 別 に掲載 さ
事 たも東 剣 に取 り組 ん で いこ
う ではござ いま せん か.ヤ い
発 行
参 りた いと念 願致 しておりま
平成 11年 度 埼 玉県立本庄高等学校同窓会総会
新 千 年 紀 を迎 え て
!Bl
ござ います 会 員 の☆様方 に
⋮
1
!健 にて新 し い年を
は益 々ご︱
一
戸
こ克
、
す ので 一留 のご協 力を お願
喬全
(2)
第30号
県 立 本 度 高 校 岡 窓 会 報
平成 12年 1月 ‖日
郷
原
康
新 し い教育 を求 め て
学蟹
た教 育 を横 断的 にしよ うと い
うも の です 例 えば 、環 境 、
、
、
橋統
業 の育成 滋業 化
機
繊
、
、
ボ ランテ ィア 生
会を 知 る
仕 事 の歌
だと言 って いいのかも しれ な
ぃ
い 石灰措 と いえば何 と声 っ
、
代 ﹂ なども なく 生徒 は幼 い
感 じ で入学 じ卒 紫時 には かな
にして いる風はな か った■数
そ考 えられ な か った ことだけ
4
れ ど⋮
高校時代 と いえば 一年 の時
︱
、
︱
に︲
殺待 の職典室 校 長 年 の
員 にな ってから の幅 で見 ると
り生態気 にな って救典を頼 り
前 に広 が って いた芝 生 に担 任
そ のとき は何 がな んだ かさ っ
ど 学 生 にな って ﹁と も しぴ﹂
など と いう歌 声喫茶 で こ の歌
、
を聞 き なんとなく納 得 した .
デ カ ンシ ョなどと いう歌 もあ
り中 身 は別 と し てデ カ ルト 、
、
カ ント シ ョー ペン ハウ エル
など何 の振れ も なく受 け入れ
られ た時代 で、今 のよう な漫
画 や雑誌類 など は何も な か っ
.
開 の丸﹂﹁
た もち ろん ﹁
岩が
,
! !!
一
!!
■
一・
■ ,一 ■ 一
i r
≡ ,
約 五十 年 前 の母校 の
バ スケ の コート︶
風景 ︵
当 時 は屋 外
稲ち ゃん﹂ に引 っ張 り出 ﹁
の ﹁
教育 に専な でき る﹂時代 だ っ
され てホ ーム ルー ムで ﹁
仕事 た のかと思 える■ !
t
聞 いて いる そ の姿を実路 に
、
行 って見 てきた いし 世 界 の
ぱ り訳が分 からな か った けれ
の雑事 の合 間を継 って時 間を
事 を 考 え な が ら 一炊 事 。洗
濯 ・捕除 一を中 心 と した家 庭
の統 ﹂ の歌 明縮 導 を 受 け た
珊朝 の状態 も是非見 ておきた
五割 が生 き残 って いる のみと
化 現象 はあ の差 し い沖縄 の珊
、
瑚も容 紋 なく舞 い 今 や っと
末 温上 井 に起囲す る珊期 の白
中 里 敬
高九 回卒 ︶ ても珊期石灰岩 であろう 海
︵
私 の年論 は石焚 紀 から ヘル
気 のあ る本高 で学 んだ ≡当時
、
か ら服装 が自由 など 来 し い
、
高校生 活 であ った
、
野球 部 に所属 し ﹃
甲F囲一
を夢 児 た 当時 は熊由 ・深商
、
が強 い時代 でした ので こ の 体育館 、部室 の配匿 が変わ り、 役 輿の さ ん が 子供 のた め 、
皆
i校 に追 い つけ逸 い越 せ、絶 旧校合 の跡地 に新武 道鯨 が で 学校 のた めと 一生 命
懸 活動 し
高 橋 克 彦
、
︵
高 二十九 回卒 ︶ 対 に負 けな いぞと いう意気込 きま した が 高影 は当時 のま て いる姿 に は 頑 が さ が り ま
≡
みで練 諄 しま した い つし か ま で非常 に懐 かしく 思 いま し す .OB の方 も多 く、投爵さ
練 習 が終わ ると マウンド に集 た.
まと の交流 憲と ても い い勉強
、
まり ,
精 の様いを歌 いま した
幸 いに部長 と して野球部 に にな ります .これ からもよ ろ
、
、
悩 んだ 時 期 も あ りま した が
携わ れ 監督 のも と部 員選 と しく お願 いいた します .
一緒 に
仲 間 に恵 まれ好 き な野球 を続
に励 ん で いま す .
辞
練
岡窓公拙 当 と じて いろ いる
、
ける こと が できま した ′甲子 練 習後 の 一
柚 の様れ は 格 郷 な会 に参 加 しま した ,活動 を
、
.
田 は夢
″で終 わ りま した が 県 です 秋季県大会 で久 々に 一 通 し て一問窓貧 活動 に関 心 の
、
.
、
昭 和 四十 九年 か ら 年 間
北大会 初陵 勝 と いう程跡 は城 勝 ︵
対浦 和市 立 延 長十 四回 な か った ことを反裕さ せられ
、
1
︱
ま
主性を 歌 ん じ 自由 の雰畑 せま した 意 気込 み は後輩逮 サ ヨナ ラ勝ち︶ す る こと がで ま した,今後 は、多 く の同窓
、
に受 け継 がれ 翌年 の始 玉県 きま した .OBの皆様 、応援 生 が語り合 い、交流 でき るよ
大会 で妊手 ベスト 4と いう成 よ ろ しく お願 いいた します 草 う努力 した いと思 います i周
!
、
績 を唆 し てくれま した
渉外部 に所属 し PT A活 窓生 の皆様 にも 岡窓会 活動 に
、
二十分年 の時を経 て、本年 動 と同窓公活 のお手 伝 いを
動
関 心をも たれ ご 支援 くださ
PT A活動 では、 るよ うお糠 いいた します
度 け校 に若 任 いた しま した す して います !
母校 に着任 して
と の関係 でかな り深 い研究も
近年 では石灰岩と決酸 ガ ス
職 し てからも 石灰岩 と は つき
i
合 って いこうと思 って いる
ム紀 の石灰狩 であ った ので選
成 され てき て いるよ う である
、
から 地球 温暖化 が問題 にな
やりく り しながら勉強 し て い
対す る い っそう のご 指導ご鞭
い 間 はとも あれ自分 の日 で
.
確 認 し てお ま た いの であ る
、
そ の上 で な にかでき る こと
、
がある のか 運動 を し て いる
、
人 や組織 も知 りた い そ んな
きる力 など様 々な テー マが取
り扱 われ る こと にな りま しょ
一で ま る 年
t
始
代 が 終 わ っ う これ らを 課題研究的 に取
、
、
て 二で始 ま る年代 が や って り組 んだ り デ ィベートを取
.
、
参 りま した これ から 一千年 り 入れ たり グ ルーブ 別 に体
、
と いう長 い間 これ が続 くと 験学 報を した りと、 いろ いろ
、
思 う と 気 の速 くな るよ うな な方 法 が考 えられ ます ≡
︵
本 高 では白 芭実 現を 四指 じ
って いる今 用 にお いては石灰
身礎 いを感 じます
た進 路 学召 と いう点 からも大
る 高校時 代 の自 分 ではおよ
と いわ れ
頓 の■校 に対 す るご支 援 に心
、
よ り感謝中 し上げ ます
、 i
⋮の教育改革
教育 は今 第 !
、
日 まぐ るしく変転
てお め でと うご ざ います =
、
明けま し
いに期待 され るも のがあ りま 岩 は時代 の脚光を 洛ぴ る猪 石
.
す 具体 的 には今後 の検 討 に
、
作 つこと になります が 二 一
、
世 紀 を担 い 社会 の要講 にな
、
え 有 な人 を 成す ると
意
材
育
、
これ か らの
問窓 生 の特 さ ん
す る社 会 の波 の中 で大 きく揺
高校 教 育 の来 たす 役飢 はます
私 ど も も新 し い世 紀 の日本 の
、
衆 たす役割 に思 いを 数 し そ
︱
⋮え ま し よう ●
ま す 大 き いと 言
i
いう観点 からも
れ動 いております 木 庄 高校
もそ のうね り のただ中 にあ っ
、
て 新 たな教育 への模索 がな
され ております ,平成 一弘午
からは学習指 導要領 が金 面的 の職賛 を 果 たす べく 、 い っそ
、
新た に ﹁
惜 縦 ﹂ う の精進 を した いと考 え てお
に改 定 さ れ
槌を 賜 ります よ うお願 い中 し
t
﹁
総合 的な学 留 の時間﹂など の ります
‘
、
時 閣 が設 け られ ます 一
間窓生 の常様 には ます ま
惜親 ﹂
は今 期 の コンピ ュー タ社会 へ
、
の対 応 を 図 った も の です が
.
中
総合 的 な学 習 の時 間﹂は社会
、
の変化 に伴 い これま で の教
上げ る次第 です .
すご 鯉勝 にてご 活躍 され ます
、
よ うお折 り し 併 せ て母校 に
料 の枠 の中 ではな し得 な か っ
演 劇部
部長 松 岡 知 美
、
のi試合 で自分 たち のチー ム
成功
カ ラーが少 しず つ分 か ってき
ま した ,それ が は っきり見 え
で の公 瀬 で学 ん で き ま し た . た のが県大会 一回戦 、浦 和市
私 たち の ¨年 開 の活動 と し 立高校 と の試合 です ′試合 は
、
、
ては 春 に春季演劇 察地区 発 六四奏 中押 し の四点 目を取
られ 三点 差 とされま した sそ
、
の翼 連 打 で五対 四と逆転 に
.
八阿表 に再び逆転を辞
表公 ﹁GREEN G RA S
っ 、
S
あ
この
が
て
は
三
年
生
﹂
キ
六月
公演 で引退 となります
の方 々から受 け継 がれ てきた
これ はおそ らく本庭高校野
一
球 部 の伝統 な のでし ょう や
、
はり これ は今 のチー ムのカ
、
、
だ け ではなく 先☆方 OB
、
いうも のが見 られま した
の四試合 す べてに ﹁
粘 り﹂ と
は十 一対 四 と欺選 した が
した ↓ i期戦襲望学圏高校 に
、
こ
を取 リ サ ヨナ ラ勝ちを 取 めま
、
に は 一年 生 i 体 の校 内 公演 ﹁ し 五対 六︵ しかし、た口疑
十 月 は、 二死 か ら 一点を もぎ取 り延長
九月 には文化 察 公演 ,
、
ぃ
ぃ
前述 した ﹁
紅葉﹂ そして
戦 へ 六対 六 の均衡状態 が統
、
き 十 四回 の英 、 ついに 一点
野球部
年 業 生 の先 輩 方 こん にち 今 私 たち は 一月 の校 内公演 に
≡
、
.
ま
け て 練 留 に励 ん で います
向
、
私 た ち演劇 部 の最近 の活動
農 い舞台を作 るた め 私 た
、
状況 です が 十月 二爵 に埼 玉 ち は日 々精進 して いく つも り
、
県高等 学校演劇 祭 地区 発表会 な ので 機会 があれ ば 、ぜ ひ
︲
、
一
紅 策 ﹂ が あ り な ん と 私 た 私 たち の舞台を見 に来 て下さ
ち は制 作 制 を 上 演 しま した ぃ い.
正蔵 つら いこと や大変 な こと
制作劇 と いう のは初 め て の雑
、
,
験 で 試 行 鉛 誤 の連続 でした
部長 村 田 俊 裕
も のだ と思 います
この ﹁
粘 り﹂ をよ り自分た
これ から始 ま る冬 の練習
ち の確 か な も の にす る た め
、
に
を 頑 張 って い こ う と 思 いま
、
4
す そ し て 米年 の春存 大会
、
我 が本焼高校 野球 部 は 部 に はさ ら に良 い結果を報告 い
、
輿 二r
祐 マネ ージ ャー 一 た します ﹁
十二五
圏議寄 贈 を
よ うし く
お願 い
しま す
火 見櫓 の発 見
小渕 沙 八香
、
わ が社会科研 究部 では 毎
、
年 テー マを決 め て 本庄 周 辺
の民族学を中 心 に活動 し て い
.
ます
、
いる い ろ な 発 見 が あ り ま
した ,
等
、
今年 の文化 祭 は 部 最 が出
払 ってしま うなど の反雀 の喰
、
る文化祭 でした が それを 踏
、
ま え て 来年 の予︱ マととも
に新 し い部 員 に託 した いと思
,
います
女 子 バ ス ケ ット
ボ ー ル部
部長 奥原叶絵
繰 召 が中 心 でした
やは
十 一用 下旬 に行わ れた新人
、
県北大会 では 順 当 に勝 ち進
大会 のシード権 を獲得 す る こ
一
とが でき ました ヽ
八用下句 に行 われた媒北大
、
、
会 では 上位 に入賛 し 新 人
大学生 チ ー ムと の練 辞訳 合 が
,
中 心 でした 大 学生 のブ レー
、
を見 る事 ができ 大変 参考 に
、
、
なりま した ま た チ ー ム ワ
ークも形成されていきました“
に は大 東 文化 大 学 で の合 補 ≡
今年 のテー マは ﹁
火 の見鶴﹂
.
で した 火 の見構 は知 って の
、
、
通 り 江 戸時代 からあ る 火
、
事を発見 し そ の方向 や距難
︼
を る
見
た
め
い
の
で
高
建
す
物
、
、
しかしそ の役 日は 今 や防災
私たち バスケ ット締 は 部
本 庄 の放 送 に 取 って代 わ ら 員十人 に マネ ージ ャー 一人を
、
れ ほとんど使わ れ て いな い 加 え総勢十 一人 で活動 して い
.
過去 の時代 の遺物 とな ってお ます
、
り ます ぃ現 に金田 的 にも取 り
要休 み中 合 密を i確 実施
、
、
しま した .七月下句 に新潟大
環 し が進 ん でお り 今 閥 は
、
そ の点 に注目 し 本比 ,本 庄 学 での︵ 徳 ≡大 学生 と の合 胴
!
八用上旬
、
周辺 の火 の見楢 の把据 と保存
i
ィ
実際 に調 べてみると
に努 めま した
り火 の兄 は本庄 の町中 など取
り壊 され てしま ったも のが多
、
、
く 町 の外 でも 放縦 され て
いて取 り線 され ても誰も気 づ
かな いようなも のさ えあ る事
、
に気 づきま した
、
また 大 の兄 の魅根 の形 や
風兄 の形 が何種類 かに分 かれ
、
興味 深 いことにい地
ており
域 に よ って特 徴 が あ る こ と
■
む ことが できま した 県 で ど
スト8 の実力を 持 つ児 玉高校
︱
に敗れ は したも の の 見事第
■位 と いう成績 を残す こと が
ヵ
、
.
できま した そ して 来年 の
一月 に行 われ る新 人県大会 へ
の出場権 と シード権を獲 得 じ
ま したに
!
、
内藤 先 生 のご指導 の
現在
も と県大 会 へ向 け ての練 沼 に
一
、
︹
県 大会 で は
励 ん で います
よ い成績 が残 せるよう頑張 り
.
た いと思 います
二十 年 振 り の母校 訪 簡
新 武 遺館 にて
ゑ
勢一
警 黛
もあ りま した ち源も あ りま し
、
”
た でも み ん な で色 々な困
、
難を乗 り越 え 本庄高校 演例
部作願 岡補作 ﹁
遠 くま で行 く
、
んだ﹂ が でき た のです 肖 日
、
、
は 密 査 員 の先 生方 にも お
、
策 めの苫策を いただ き 私 た
ち の成 果 は認 め ても らえま し
、
、
た しかし残 念 ながら 中央
﹁
の県大 会を 果 た しま した こ
大会 出 場権 は得 られ ま せん で 名 の総勢 二十 二名 で活 動 して
.
した .
います
、
、
舞 台 を 作 って いく 上 で
今 年 の秋 新 人大 会 が行 わ
、
,
れ ま した そ の予遂 で 熊谷
、
商 業 高校 行綱工業 高校 を共
、
に逆転 で下 し 見事 二年 ぶり
これ で いい﹂と思 ってしま っ
﹁
、
たら それ よ り農 い舞台 は で
きま せ ん,演劇 とは、興 深 い
、
今ま
も のであ ると いう事を
魯
第30号
立 本 庄 高 校 岡 窓 会 報
1月
1日 県
得)平 成12年
親 愛 な 社会 員 の旨 様
、
私 達 は 母校 への寄 与
ヽ
一
■
”
貢 献 と 会 員相 互 の親 睦 向 上 を 念 願 に努 力 も て
壱 千 円 ︶又 は ↓
︵
中
織 期無 郵 那 軒練鞠 翔鞠郎賠 繋 堪
中
未撤 0方 の御協力をお願 い,←上げ る次第 一
”
、
、
大 触美樹 小島 な つ奨
、
、
稲 田直 子 金井 避弥
、
、
川松 亜紀 子 黒澤愛 業
、
、
小林 かん な 後藤 雅 浩
、
、
塩 原邦 夫 篠 崎直 希
、
、
瀬 曲紫 保 子 蔦木 希
、
、
国 母紳 工昇 中 田幸宏
、
、
綱 中 一裕 原 有機
、
、
福 島祭 兄
、
、
密 原 純
福 島英 剛
古 屋香織
出 下 雅率
定 3︼高 橋槻茂
︻
6
定1
︻
︼丸 出 博
0 金
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︻
︼ 井 笑
︲ .販 ,0
Hl
3
、
︲
高 3︼
古川千恵美 並木王浩
一
2 大沢隆 一、高 雄 一
高3
︻
︼
橋
3 鳥 武 、小松 一彰
高3
︻
︼
飯
支 部 役 員
、
、
、
,
竹 内俊哉 角 田 理映 子
業 里 春 山 一〓一 厳 伊
確
α
Q
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卓
卓
報
Q
確
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α
殺
伐
母
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、
2
逸 見窓 子 渡 辺 愛
神 用 金井 久蔽 中 2
、
、
︲
勢
高5
荒
めめめめ蜂め蜂鈴蜂めめ鼻尊島 神 泉 秋 山 欣彦 二島舞
井裏 理子 小林 尚 史
︻
︼
、
、
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1
新井 代
英
田
性
手
康
宮
部
≡
弘
本
一
町
品
義
典
里
神
保
村
土
原
森
億
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率
、
、
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井 古 蹴恵 伸 田村 患 胡 泉 町 竹 並栄 一部併 中 2 上 豊賀 美 小 野 英 彦 一
1
闘,
、
、
4
伊 島 さ や か 中 野逮 也 上 町 境 野 登 一
品2 上畳七本木斎 藤 !勝次 闘 ︲
、
、
.
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大 次保 政 洋 中 野宗 春 照 岩 町 岩本 英 人 中 2
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里長幡 小柳 !
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、
、
4
栗 原 明 日香 貫井 健 一 七 軒 町 町 阻 一徳 一
局5 岡 部 茂 木 肇 中 1
、
、
.
5
橋 本 和哉 船越 盤 矢 子 伸 町 飯 塚 能 成 一
角2
寄 器 松 本 恭 二 高 2
!
、
9
細 測 敷 本産 寛 史
本 町 矢 代 和 正 一
高6 深 谷 清 水 賛 申 1
!
2
3
除 終 身会 費 納 入者 南 本 町 村 鯛敬次 郎 中 2
谷
熊
粟 療 健 舜 輝 1
0
台 町 松 本 敬 一
定 1 県 庁県 南
小
池
出1
一
久
1
高1
高6
寄付 者芳名
1
一
品1
4
角︲
一
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求 広 町 野枝 直 治 高 5 伊勢 崎 吉澤 唯 意
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川井富美子 紳 英子
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加入者名 埼玉県立本産話等学校同窓会 砕
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第 30号
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1田
平成12年