〔 書評 と 紹 介 〕 小口雅史編 『海峡と古代蝦夷』 伊藤 武士 近年、地 域の歴史と文 化の究明を 通し、多様 かつ豊かな日 本史のあり 方、新 たな日本史像 の提示を目指 した研究 が活発である 。本書は、そ う いっ た中でも注目 度の高い古 代北日本、 津軽海峡を挟 んだ北東北 と北海 北上。それ ら時代により 変化する交 流の実態把 握という、複 雑な課題に 取り組ん でいる。 さらに、本書の対象とする時期には、「蝦夷」だけではなく、阿倍比 羅夫 北征に関する 史料上には 「粛慎」の 存在が記され ている。ま た「蝦 夷 」に限って みても津軽蝦 夷と渡島蝦 夷などとい う異なる地域 集団の存 在が記され ている。北方 世界で交差 する複数の 民族的集団と 地域集団の 存在、そ の把握という 複雑な課題に 取り組ん でいる点でも 、注目される 部「海峡以北の世界と東北北部」、 部「海峡以 南の世界と 北海道」か らなる。 本書 は三部構成で あり、総論 、第 一冊と なっている。 第 部に所 収される て「海峡」が 交流と交易 を深化させ る時期、また は、境界と しての役割 に一体性を持つ社会を形成していた訳ではない。「蝦夷」を担い手とし ・竹内孝氏の「奥尻島出土のオホーツク式土器をめぐる試論 」、小野裕 瀬川拓郎氏の「古代北海道の民族的世界と阿部比羅夫遠征 」、中村和之 天 野 哲也 氏・ 小野 裕子氏 の「オ ホー ツク集 団と 続縄文 集団の 交流 」 、 - 102 - 道 地域を対象と した論集で ある。 部 と第 各論考の見解が 、「オホーツク文化と続縄文文化の接触」、「粛慎とはだ 編者である 小口雅史氏に よる総論で は、第 を挟んだ「交流と交易 」、さらにはその担い手であった「蝦夷」をキー れか」、 「北海道から本州への接触」、「擦文文化と北海道式古墳」、「さま 本書は、主として四世紀から一〇世紀を対象に、「津軽海峡」とそれ ワード として、文献 史学と考古学 の協業に より、北緯四 〇度以北の史 的 史料上で把握 される地域 集団やその 動向と対比 する試みなど もなされ、 れ ている。その 中では、各 論文の考古 学的検討から 導きだされ た成果を、 学研究費補助 金による共 同研究『交 易と交流の 深化と断絶過 程からみた 、 部は、北海 道とそれ以北 の世界の 中での交流、 それを前提と 論点ごと に一定の見解 が示されてい る。 次に第 を果たし た断絶の時期 があったとさ れ、本書 の各論文でも 土器類を中心 子氏の 「続縄文後半 期の道央地域 の位置に ついて」が所 収されている 。 した 東北北部との 交流の検討な どを行っ た四本の考古 論文からなる 。 1 にその 具体的検討が 行われている 。本書は 、交流の深化 と断絶。南下 と その 共同研究テー マに象徴され るように 、津軽海峡を 挟んだ南北は 常 り込ま れている。 津軽海峡 を挟む古代北 方世界の実態 的研究』 であり、その 研究成果が盛 本 書が執筆され る契機とな ったのは、 平成二十年度 ~同二十二 年度科 ざな 東北北部の南 北交流ルート 」などの 論点ごとに整 理され、まと めら 2 1 実態 、その具体像 を描き出すこ とを目的 としている。 1 2 及され、 オホーツク集 団=粛慎説、 続縄文集 団=渡嶋蝦夷 が共通見解と 葉に入 りに出羽側と 道央部との関 係が強く なり、その背 景に律令国 家に 東北から 北海道へ与え た影響を積極 的に評価 している。ま た、八世紀中 言及してい る。宇部氏論 文は、須恵 器流通や沈 線文土器の成 立から、北 なって いる。天野・ 小野・中村・ 竹内各氏 の論文は、土 器の文様や 施文 よる 秋田城(出羽 柵)の造営 ・設置があ るという見解 は、秋田城 跡の調 部を通 じて、オホー ツク集団 と続縄文集団 接触の実相に ついて言 方法 、胎土分析な どの詳細な 分析や検討 からそれを指 摘している 。一方、 査 担当者であ る私には、秋 田城の造営 意図や朝貢 交易の実態を 考える上 第 瀬 川氏の論文 では、土器以 外の遺物の 検討も加え 、古代から中 世にかけ 東北北部の 蝦夷文化圏 で大変興味 深い。 濃 密を紡ぎ出す という方法 をとってい る。第 部の 小野論文と 合わせ、 県南 地域)を把握 し、その様 相の差異か ら広域的な北 海道側との 交流の の中の 小さな文化圏 の存在(陸奥 湾周辺域 ・岩木川・米 代川流域・青 森 また、斎 藤氏の論文は 、緻密な土 器分析から て各時期ご とに俯瞰的に 各集団の動 向がまとめ られている。 阿倍比羅夫 北征期に 史料上に見え る民族集団や 地名の同 定などを積極 的に展開して 部は、北東北 と古代国家 「日本国」 との関係や、 北東北地域 内で おり、 北征が古代北 方史の転換点 となると いう見解が示 されている。 第 の 交流、それを 前提とした 北海道との 交流の検討な どを行った 四本の考 本書の 主眼である南 北交流に関し て言えば 、全体を通し て、続縄文文 広域の地域 間交流を論ず るにあたり 、各地域で 行わなければ ならない考 斎藤淳氏の「古代北奥・北海道の地域間交流」、宇部則保氏の「蝦夷 2 化 の後 北C ・ D期に おける 南下、 擦文 期にお ける土 師器 集団の 北上な 古論文と、 文献史学の見 地から秋田 城・律令国 家との関係を 軸に北方蝦 社会の須恵器受容と地域性」、八木光則氏の「古代東北における移動・ ど といった、津 軽海峡を挟 んた交流の 大きな動向に ついて掴む ことがで 古学的プ ロセスの必要 性を再認識さ せられる 内容となって いる。 移民」 、 伊藤博幸氏の「 東北北部にお ける沈線 文土器につい て」 、 熊谷公 たな見解 を示している 。しかし、そ れらを統 合して北方史 の全体像の提 きる。また、 各考古論文 は、その動 向に関係す る個別事象に ついて、新 部で は、北東北の 蝦夷社会を 考古学の見 地から検討し 、北海道と 器・ 移民などの要 素やテーマが 取り上げ られている。 総体的には、 北東 マ について、現 時点の考古学 的検討が どこまで可能 かを示し、 その課題 本書 では、津軽海 峡を挟む古代 北方世界 の実態把握と いう大きなテ ー 示をす るにはまだ至 っていないと 編者の小 口氏も述べて いる。 北 の土器様相を 中心として蝦 夷社会に おける地域性 や交流ルー トなどの り、今 後、文献史学 との協業によ り古代北 方史研究を進 めていく上で も、 類を中心 とした研究の 現状、最新情 報を知る 上で最適な内 容となってお とポイントを 浮かび上が らせた点が 重要といえる 。その意味 では、土器 の交流 を把握するた めに研究者が 注目する 擦文土器・須 恵器・沈線文 土 第 男の「秋田城 下の蝦夷と 津軽・渡嶋 の蝦夷」が 所収されてい る。 夷社会の 検討を行った 熊谷公男氏の 論文から なる。 1 把握に、重き が置かれる 内容となっ ている。 北海道と の交流につい て、宇部氏 と八木氏の 論文は、擦文 期における 本州の 土師器集団の 北海道への進 出・影響 について、度 合い差はある が - 103 - 1 2 2 その土台と して押さえて おきたい一 冊となって いる。 本書で語 られる古代北 方世界を大 きく北から 南へのベクト ルで見れば 、 2 五 世紀 以降 のオホ ーツク 文化集 団の 南下や 後北C ・ D 期にお ける 続縄 文文 化の南下など 、民族的集 団の動きが 指摘されてお り、それら は新た な 日本史像の 提示という観 点で注目さ れる。その 一方で、南か ら北へ向 部を通じても 十分な検 討がなされて いないと思わ けた人と物 の動き、特に 七世紀以降 に南から北 へのベクトル を生み出す 背景につ いては、第 れる。 それ を知るために は、やはり 、蝦夷社会 の南に接する 律令国家の 存在 が 無視できない といえる。 海峡を挟ん だ南北交流と 北方社会の 実相に迫 るためにも 、律令国家の 北方支配の 考古学的な 実態把握、史 料上から読 み取る律 令国家の北方 施策と蝦夷社 会との関 係把握、それ らを統合する 考古学 と文献史学と の協業的研究 が、やは り重要となっ てくる。 部 の最後に 編者 の小口氏によ れば、律令国 家の北限 支配という視 点から、すで に 継 続的研究がス タートして いると述べ られている。 本書第 を試み た上で望む、 律令国家によ る北限支 配の実態把握 という新たな テ 複雑性を 帯びる古代北 方社会の実 態について 、最新かつ具 体的な検討 を再認識する こととなっ た。 問 題意識を新た にするととも に、秋田 城の北方支配 の実体解明 の重要性 代城 柵秋田城の調 査担当者であ る筆者は 、古代北方社 会の実態につ いて 本書を 通じ、律令国 家の対北方交 流・支配 の拠点とされ る、最北の古 もいえる 。 所収される熊 谷氏の論考 は、次なる テーマへの 橋渡しを果た していると 2 ーマ。それ が語られる本 書の続編に も期待する 次第である。 秋田市教育委 員会秋田 城跡調査事務 所) (高志書 院、A5判、 二九九頁、二 〇一一年 十月、六〇〇 〇円) (いと う・たけし - 104 - 2
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