11MB - 中四国ブロック広島大会2015

■フィールドワーク
平成24年夏に尾道で開催した『 歩いて さがそう 未来の おのみち 』をベースにした、街歩き。
尾道の昔ながらの風景と新しい風景を、体で感じながら地図を片手に散策します。
未来の
歩いて
さがそう
戦前に建てられ
た鉄筋コンクリート造の現役小
学校です。
(戦前RC現役建物は県
内に2校、そのうちの1校です。)林
芙美子も通いまし
た。玄関を中心に簡
潔なデザインなが
ら、3階のアーチ
型窓の装飾が特
徴的です。
おのみち
1
い 土堂小学校(2-D)
2
3
4
米酢は尾道の特産の一つです。北前船
に積まれて上方はもちろん、北陸信越
地方や北海道まで運ばれていました。
この石垣は使用済みの酢瓶を利用して
作られた全国でも珍しい石垣です。
A
坂道で疲れたらここで休憩
「西土堂ポケットパーク」
津留邸
ろ 商業会議所記念館(3-D)
二階井戸
小
小路
呂
路
築島小
風
路
海
蔵
寺
小
解説:10:00〜
(要予約)
路
小
路
尾道市
教育会館
ち 久保小学校(6-B)
路
路
小
小
ラ
グ
マ
路
小
川
小
次
イ
芝守稲荷神社
西山本館
尾道市役所
① 8:30~
② 9:00~
築
シ
ダ
キ
路
小
拡大図
小
姫
り 新開エリア(5-B)
路
路
木造3階建ての商家
を再生したギャラ
リーとガラス工房
「Bottega」
昔の船着場
「元勧商場」
日本一古いマン
ホール蓋あり
浄土寺境内にあっ
た住吉神社をこの
住吉浜に移して港
の守護神としまし
た。境内には
「力石」
には見事持ち上げ
た者の名前が刻ま
れています。
水祭りと水尾町の
由来となった井戸
「水尾井」
尾道から島根県の出
雲を結んだ「出雲街
道」
。出雲大社を目
指す旅人の起点で
す。また、石見銀山
からの銀を大阪に運
び出す動脈ともなり
「銀山街道」とも呼
ばれています。
爽籟軒
(そうらいけん)
ポプラ
り
尾道造酢
村一番
八坂神社
解説:10:00〜( 八坂神社集合)
(要予約)
ぬ 浄土寺(6-B)
り
尾道市
公会堂別館
と
野口孫市設計
「旧住友銀行尾道支店」 尾道映画
資料館
現在の久保3丁目あた
りをさし、古来より歓楽街と
して賑わっていました。遊郭跡
や木造3階建ての建物なども残っ
ています。遊女・芸妓が通った
という八坂神社や芝居小屋「階
楽座」に縁ある芝守稲荷神社を
めぐりながら街を歩き、豪商
橋本家別邸の一部である「爽
籟軒」を目指します。
尾道市
教育会館
明治に建てられた
蔵を再生
「今川玉香園」
西山本館
り
「芝守稲荷神社」
芝居小屋「偕
楽館」( 現在
の教育会の場
所)を出入り
した芸人も
通った神社
境内には国宝の本堂、
多宝塔をはじめほとんど
の建築物が重要文化財で
す。平成20年〜26年に、
庫裏及び客殿や方丈等、平成
の大修理が行われました。工
事を務めた大工自らの解説
で、ご案内します。
大会HP
http://den2015.com/
解説:10:00〜
(要予約)
尾道市役所
4
こんなバスだよ!
解説:10:00〜
(要予約)
「漁船食堂」
志賀直哉も通ったとい
われる、明治末期に建
てられた銭湯。現在は
お土産屋さんとして使
われており、当時のタ
イルや脱衣棚がそのま
ま見ることができます。
ぼくは
「つたふじ派」
C
尾道市
公会堂別館
改修後は博物館
「旧尾道銀行本店」
「レトロバス」
(巡回中)
昭和8年に建てられ
た、戦前の鉄筋コンク
リート造の現役校舎です。
(県内には尾道に2校のみ)
表現主義を残す学校建築で
あり、当時の防火設備や木
製建具、ダストシュートな
ど改造がほとんどなく
残っています。
り
住吉神社
大和湯
「つたふじ」
(5-C)
B
ぬ
大正時代に建てられた
木造 3 階で吹き抜けを持つ
建物です。複雑な外観だけでなく、
丁寧な細工や施工が
見られる内装も特徴
的です。平成26
年に登録有形文化
財に指定されま
した。
八坂神社
路
小
三
ツ
路
路
門小
海を見ながら
牡蠣が食べれる!
解説:10:00〜(みはらし亭集合)
(要予約)
と 西山本館(5-C)
浄土寺
つたふじ
路
大正10年に建てられたみはら
し亭は平成25年に登録有形文化
財に登録されました。懸造りの外
観や扇垂木などを見ることができ
ます。あるあなごのねどこは、ゲ
ストハウスとして利用されてお
り、尾道にも京町屋のような建
物が建ち並んでいたことを今に
伝えています。
A
スタート会場 2
やまねこ
カフェ
エ衛
水を汲み揚げられる
井戸が近くにあるよ
と
路
小
弥左
おいしいベーグル
食べれるよ
師
堂
尾
堂
北前船の
マークが目印
「尾道帆布」
3
「尾道 WHARF」
(2-E)
本気でレトロな
銭湯
「大宮湯」
昭和2年生まれ
爽籟軒
(そうらいけん)
尾道造酢
水
小
小
かわいい!
おいしい!
お土産に!
薬
ノ
小
ヤ
ハ
路
小 路
間
八 イ小
ナ
カ
ヤ
場
線路のレールで
つくった
「とろとろ坂」
優れた石工の多かった
尾道では、長大で優美
な石積みの雁木が築か
れました。現在は改修
されたものですが、当
時の面影を伝える風景
の一つです。
林芙美子が少女期
(大正6~7)を過
ごした木造 2 階建て
の家です。無料休憩
所の奥にあります。
2
「おやつのやまねこ」
(2-D)
ハ
マ
出雲街道標
林芙美子旧居
「二階井戸」
(3-D)
へ みはらし亭 (3-C)
あなごのねどこ(4-C)
り
旧宮邊海産
神
再建された映画館
「シネマ尾道」
」へ
7
り
雁木
E
「空猫カフェ」
(3-C)
路
路
10:00 ~スタッフが解説を行います。
(要予約)
9:00 ~ 12:00 の間、スタッフが常
駐し、随時解説を行っています。
ち
ナ
路
小
念
ギ
渡
尾道商業
会議所記念館
しまなみ交流館
1
小
ン
路
路
路
小
ヤ
堂小
桂馬蒲鉾
商店
フェリー
乗場桟橋
路
荒
路
尾道 WHARF
アルファーワン
2
「U
小
レ
小
スタッフの
お気に入り!
屋
尾道駅
小
路
胡
小
ヤ
小
尾道
路
浪漫珈琲
朱華園
本店
あなごの
ねどこ へ
寺
川
研
踏切
おやつと
やまねこ
ほ 多門亭(3-C)
解説:10:00〜
(要予約)
光明寺会館
「air cafe」
ろ
うず潮橋
は
解説:10:00〜
(要予約)
観光客もよく回遊する
ルートに接する場所に
建っています。居住者が不
在となった元料亭ですが、
広島県建築士会をはじめ、
他団体や多くの協力を得て
修復されました。現在、
具体的な活用に向けて準
備が進んでいます。
持光寺
メ
ア
土堂小学校
石
ベッチャー祭の
出発地点
「一宮神社」
9:00~
旧和泉家別邸
休
尾道
郵便局
ネコノテパン工場
い
D
ヌ
リ
一本の石から
作られた
「艮神社の鳥居」
浮御
福井家より尾道市が借り尾
道市立文学記念室となって
いるこの建物は、国の有形文
化財として登録されています。
鉄刀木の床柱など、小さな取手
にまで職人の手間とお金のか
けられた、しつらえを見るこ
とができます。
梟の館・SAKEBar
みはらし亭 天寧寺三重塔
ほ
に
多門亭
旧福井邸
空猫カフェ
井戸
「水尾井」
丹花小路
ロープウェイ
へ
尾道市立
美術館
土堂公民館
に 旧福井邸(3-C)
N
「姿三四郎」のモデルとなった
西郷四郎逝去の地の碑
旧畳表同業
組合の洋館
線路下の
トンネル
レンガと石
積の部分は
明治期
石井耳鼻科
NPO 法人尾道空き家再生
プロジェクトによって生
まれ変わったものづくり
拠点。カフェ、雑貨、
ギャラリー、卓球?
「三軒家アパートメント」
U
6
溝川小路と長江の道標
スタート会場 1
解説:10:00〜
(要予約)
S
日
久保小学校
小
日本のまちやを思
わせる通り庭や中
廊下式の平面と成
洋のルネサンス様
式を近代化した外
観で、和洋の長所
が取り入れられて
います。
月
4
久保八幡神社への参道を
電車と国道が横切る
大きな川の無い尾道では井戸が
重宝されましたが、山側斜面地
では水を運ぶのは大変な作業で
す。高い位置に設けた滑車と長
い綱で、坂道を降りることなく
直接水を汲み上げる仕組みに
なっており、尾道ならではの生
活の知恵をみることができます。
尾道といえば
「千光寺」
C
1
昔のまま残って
いる尾道東高校
のレンガ塀
5mの1本石が連なる階段
「御袖天満宮」
映画「転校生」で主人公が
転がったところ
長江小学校
守
鎮
洋風建築か和風
建築か?いつしかガウ
ディハウスと呼ばれるよ
うになりました。
NPO法
人尾道空き家再生プロ
ジェクトの活動拠点であ
り、平成25年に登録有
形文化財に指定。
年
長江通り畳問屋街
解説:10:00〜
(要予約)
は 旧和泉家別邸(2-D)
6
山手には珍しく
名前の付いた坂
「レンガ坂」
テラ
ニシ
B
洋館群が現存するエ
リアは全国的にも珍
しく、その中で最も
大きな正面ボリュー
ムを持つ洋館付住宅
(洋風長屋)が津留邸
です。左右対称でド
イツ壁、ハーフティ
ンバー等のデザイン
が施された外観を
もっています。
5
5
長江小学校の
大階段を登る
と長江の街が
見渡せる絶景
大パノラマ
酢瓶の石垣
解説:10:00〜
(要予約)
大正 12 年に建設され商
業会議所として使用されて
いたものを、平成 18 年に修復・
復元。現在記念館として公開されて
います。階段状の
本格的な議場を備え
ており市民利用が
可能です。200
4年に市の重要
文化財に指定
されました。
地図の中にあるマーク
い ~ ぬ
2 0 1
5
「尾道帆布」
(4−C)
工場で実際に
使っていた織り
の道具が展示!
「とろとろ坂」
(3−D)
バイクもトラック
もゆっくりのんびり
「旧宮邊海産」
(4−C)
尾道の
「まちなみ形
成事業補助
金」の適応
第1号
「村一番」
(3−D)
元遊郭の建物で、
現在、焼き鳥屋さん。
おいしいよ!
「梟の館」
(3−C)
大正時代の
古民家を改修
したカフェ
「SAKABar」
(3−C)
「陸橋からみる電車」
(陸橋あちこち)
公開中
廃墟になってい
た古民家を改修
した Bar
とろとろ坂やうず潮橋
(2-D)からは電車を上
から間近にみれる!
●出発地(①or②)に集合します。※1
・尾道の歴史についてのレクチャーを受ける
・フィールドワーク用の地図を受け取る※2
●地図を片手に、自由にまちを歩きます。
●予約ポイント「い~ぬ」へ到着します。
(予約をされていない人は自由散策を続けてください。)
・
「い~ぬ」で解説案内を受ける(1時間程度)
●予約ポイント「い~ぬ」での解説が終了します。
●地図を片手に、自由にまちを歩きます。
●フィールドワーク終了です。
(自由解散)
※1:希望される「い~ぬ」のポイントによって、出発地とスタート時間が変動します。
※2:当日にお渡ししますが、事前にホームページ等で公開しています。
************************************ 予約ポイント
い 土堂小学校<大林宣彦監督も通った小学校>
広島県で、戦前に建てられた鉄筋コンクリート造の学校建築
のうち現役で使われている二つの建物のうちの一つであり、東
校舎は、昭和 11 年に新築されました。
(築 79 年)
昭和 12 年に日中戦争が始まり資金・資材統制等、鉄筋コン
クリート造の学校を建築する事がほぼできなくなり、学校建築
は、再度木造が主流となっていきます。再び鉄筋コンクリート
造の学校が建てられ始めるのは、昭和 30 年代以降の学校不
燃化を待たねばなりません。当校東校舎は、昭和戦前期の鉄
筋コンクリート造校舎の最終例の一つとして貴重な事例です。
意匠的にも木製の間仕切、アーチを持つ縦長の開口、腰ま
で人造石研出し仕上げの木製階段、ステンドグラスの入った丸
窓等、歴史を感じさせますが現在も丁寧に使われており、映画
(転校生・ふたり等)ドラマ(連続テレビ小説てっぱん等)アニ
メ(かみちゅ!等)など、たびたび映像作品に登場する魅力あ
ふれる建物です。著名な出身者としては、林芙美子 ( 小説家 )
や大林宣彦 ( 監督 ) が通っていました。
ろ 尾道商業会議所記念館<大正ロマンを感じる建物>
室 町 時 代 より貿易港として栄 えた 尾 道に、
1892年尾道商業会議所が創立されました。
1923年10月商業会議所創立30周年を記念し
てこの建物は建てられ使用されていましたが、後
に市へ寄贈され、2006年より記念館として公
開されています。
当時としては最も進歩的な鉄筋コンクリート造
であり、大正ロマンを感じさせるモダンな外観に
加え、2階には大正期には珍しい階段式の議場、
3階レベルには傍聴席も設けられています。外観
正面は古典主義を取り入れ左右対称とし、1階エ
ントランスの装飾や外壁には石工で名高い尾道ら
しくふんだんに石材を使用しています。
商業会議所建築としては、日本に現存する最
古のものであり、2004年には尾道市重要文化
財に指定されています。
は 旧和泉家別邸<通称ガウディハウス>
昭和8年に建てられた和泉家の別邸という個人住宅
でした。一人の大工が3年をかけて建てたといわれるこ
の建物は、洋風か和風か、どう表現したらよいのか分
からない異形の建物であることから、いつしかガウディ
ハウスと呼ばれるようになりました。
数段に重なる飾り屋根、地形に合わせた複雑な形状、
黒い南京下見板張りといった特徴ある外観となっていま
す。
内部においては、踏板の平面形状が個々に違うとい
う階段があり「階段だけで2年はかけた」といわれます。
台所には防空壕を兼ねた地下倉庫なども残っています。
25年間空き家であったものを2007年から、NPO
法人尾道空き家再生プロジェクトの活動拠点として再生
事業がスタートし、平成25年には登録有形文化財に指
定されました。現在、洋館部分が改修中となっています。
に 尾道市立文学記念室(旧福井邸)<茶室趣味を物語る建物>
国の有形文化財として登録されている尾道市文学記念室 ( 旧福
井邸 ) は木造平屋建ての邸宅です。建物は東棟、西棟、茶室
が有機的に配置されたもので、東棟と西棟は跳ね上げ式となっ
ている巧みな廊下を挟んで接続されています。
内部は檜を中心として楓、松、鉄刀木(タガヤサン)等の木
材が用いられます。
茶室の名称は「光月庵」で、裏千家に出入りしていた当代随
一の棟梁と言われた数寄屋大工、木村清兵衛の設計。切り妻
屋根の草庵茶室で、間取りは四畳半の座敷と台目の床、天井
は矢羽根網代に竹で打ち上げた竿縁の平天井と屋根裏を天井
に見立てた掛込み天井になっている。附属する庭(露地)は日
常性を越えた山居の趣を醸し出すように、長い山道をイメージ
した自然石の平石を使って曲線状に造られています。
各所に職人の手間とお金のかかった上品さを感じると共に、
どこか田舎のおじいちゃん家のような懐かしい落ち着いた雰囲
気を併せ持った尾道らしい建物です。
ほ 多門亭<建築士会が関わった空き家再生>
1920 年に尾道市東土堂町の千光寺山南斜面に建てられ、観
光客もよく回遊するルートに接し、尾道水道を一望できる場所
にあります。
木造 2 階建てで切妻瓦葺の建物は 40 年ほど前まで料亭や
土産物店としてにぎわいましたが、長く空き家となっていました。
所有者により尾道市と広島県建築士会(尾道支部)に相談をさ
れ、調査の結果、今では入手の難しい天然杉など貴重な建材
が用いられ、大正時代の建築の凝った作りであることがわかり
ました。内部においては踏み天井や数寄屋風の大座敷・茶屋等
の大正時代の建築様式を残しており、外観においては、崖と柱
の支持による多くの張出部分が見られます。
これらのことから、歴史的建築物の保存、景観保存に加え、
空き家再生、地域活性化活動など多くの課題と目的とが関連し
たモデル事業として修復が行われることになりました。道が狭く車が入れないような斜面にあり、資材
の運搬が困難なため、小さく切った木材をつなぎ合わせたり、軽量化した耐震金物を使用して耐震補
強を行い、古い瓦を現地で砕きコンクリートの骨材に使用するなど施工にも工夫がされています。また、
大工・左官などの職人が古民家の技術を学ぶために無償での参加がありました。建築士会でなく、大学
や他団体、地元企業多くの工法工夫・活動などの協力を得て実現したプロジェクトです。現在は具体的
な活用に向けて準備が進められています。
へ みはらし亭・あなごのねどこ<宿泊施設の再生事例>
みはらし亭は、大正10年に建てられた木造2階建ての建物です。
昭和44年から旅館として営業していましたが、その後空き家となっ
ていました。石垣から張り出した懸造りの外観、扇垂木や菊間瓦の
屋根などを見ることができます。和室は、後に修復されたと思われ
る繊維壁やシンプルな竿縁天井、床は「ちょうな」や「よき」といっ
た道具を使用した畳下の荒床が残っています。平成25年に登録有
形文化財に指定されました。
あなごのねどこは、尾道に残る細長い京町屋のような建物が建ち
並んでいたことを今に伝える建物です。現在ゲストハウスとして活用
されており、再生、デザイン、運営にいたる一連の活動が、多くの
人に支持されています。
みはらし亭とあなごのねどこ、どちらもNPO法人尾道空き家再
生プロジェクトによって手がけられています。
と 西山本館<木三老舗旅館>
大正時代に建てられた建物で、昭和5年から旅館業を開始、大林映
画にも使用されました。敷地内には、入母屋桟瓦葺きモルタル塗り木造
三階建ての主屋、入母屋本瓦葺き黒漆喰塗り木造二階建ての客室のあ
る棟など、複数の棟が複雑に連結しています。入母屋や切妻など多様な
屋根が見られ、洋室のある棟は、モルタル塗りの洋風な外観に改装して
あります。
一階の各客室は全て庭に接しており、二階の客室からも庭を眺められ
る配置になっています。入口の門や玄関に敷かれた大きな敷石、玄関ロ
ビーは大きな松の床板が3枚敷かれ、上部は吹き抜けとなっています。
11の客室で構成された二階は、三室が洋室です。木製で造られた上げ
下げ窓やカーテン用の飾り枠、1つの部屋の天井仕上げを、漆喰の左官
仕上げと木製の飾り天井とすることで、異なる空間に仕立てています。
二階客室の「竹の間」は、床柱等が竹で構成されており、南東面にある
床の間に書院窓を、天井は網代天井で中央部分の板天井に竹が組まれています。三階の大広間「紅葉
の間」は大小の畳で構成されており、北面と西面に床の間があります。西面の床の間は畳を一枚敷く
ほどに広く、北面の床の間は、半畳の畳を敷き、筆返しのついた本式の違い棚がつく床脇につながります。
外観だけでなく、丁寧な細工や施工がされている内装も特徴的であり、尾道を代表する近代和風建
築の一つとして、平成26年に登録有形文化財に指定されました。
ち 久保小学校(今に残る現役戦前RC校舎)
広島県に残る、現役戦前鉄筋コンクリート校舎の二つのうちの1つであ
り、昭和 8 年に建てられました。
建築当初の防火設備が残存しており、水栓カランの残る防火水栓や防火
区画シャッターなどが実際に設置された状態で残る貴重な事例です。また
作法室として和室が存在する点、また表現派の影響を受けたファサードな
どに時代性が現れており、桁行1スパンを 15 尺という狭いものにする点も
昭和戦前期の特色です。教室・廊下境は、上部に回転式ガラス窓四連を備
えた引き違いガラス窓二連と腰付きガラス戸引き違い、いずれも木製で当
初のものです。黒板、チョーク箱や鉄製扉付きのダストシュート、通気口、
建具なども戦前教育の一端を示しています。
体育館から校舎に連絡する木造の渡り廊下は大正 14 年に竣工したもの
です。
基本的に改造がほとんどなく、当初の木製建具や設備も良く残していて、
学校建築の変遷を辿る上で貴重な事例です。
り 新開エリア<尾道を支えた歓楽街>
新開エリアは、古来より港町として栄えた尾道を支えた歓楽街の通称
で、尾道市久保3丁目あたりをさします。近接する新地エリアが、主に旦
那衆などの接待を目的とした上級歓楽街であったのと対照に、長年庶民の
よりどころとなっていました。現在、時代と共に衰退していく歓楽街ですが、
幾多の火災にあいつつも遊郭跡や木造3階建ての建物など、歴史的な要素
を随所に残しており、再生を願う住民たちの心の声と共に、まちなみを紹
介します。
新開の中心部に建つ「厳島神社(通称:明神さん)・八坂神社(通称:祇
園さん)」(二社合祀形態)は、遊女・芸妓を始め、新開に生きる人々が多
く参詣したと伝える神社で、芸術性の高いかんざし灯籠や尾道型と言われ
る狛犬の姿は、多くの石工を支えた尾道の独自性と技術の高さを伝えてい
ます。拝殿に納められる三体神輿は、俗に「けんかみこし」と称される勇
壮な神輿で、夏を彩る尾道祇園祭で担ぎ出されます。
また、かつて偕楽座という大きな芝居小屋(現教育会館)の脇には、芸
人たちが通った芝守稲荷神社がいまもひっそりと佇んでいます。
そして、商人のまちでもあった尾道において、江戸時代の豪商橋本家別
邸の一部である「爽籟軒庭園」(2007 年尾道市重文)が、新開エリアの近
くにあります。庭園は四季折々の樹花があり、かつては潮の満ち引きまで
も庭園内に取り込んでいました。庭園内に建つ「明喜庵(1850 建築)」は
京都・山崎に建つ千利休「妙喜庵待庵」の写しで、現存する貴重な遺構です。
ぬ 浄土寺<大工が語る平成の大修理>
浄土寺は聖徳太子の開基と伝えられ、鎌倉時代末期の大
火災後、尾道の人々の手によって再建されました。その後一
度も災禍に遭わず700年近く経った今も変わらない姿で尾
道のまちを見守っています。
境内には国宝の本堂、多宝塔をはじめ殆どの建築物が重
要文化財であり、奉納されている石造物や仏像、書物等の
多くが文化財の指定を受けています。
平成20~26年に、国の重要文化財である庫裏及び客殿、
方丈等の半解体の工事を伴う平成の大修理がありました。そ
の工事をつとめた大工自らの解説で建物の変遷や文化財建
築の保存と改修をテーマにご案内します。
ドワーク
*********************************** 予約ポイント地図
ち
ぬ
り
り
へ
に
ほ
り
と
へ
い
は
ろ
出発地②
尾道市公会堂別館
出発地①
土堂公民館
お願いと注意事項
「い~ぬ」の各ポイントは事前予約となっています。
下記のお願いと注意事項をご了承いただきますよう、よろしくお願いいたします。
1.希望されるポイントで、出発地(① or ②)とスタート時間を決めさせていただきます。
2.空き家の改修物件等多く取り上げております。現場の工事状況によっては内部に入れないポイ
ントもございます。
3.各ポイントの解説時間は1時間程度と設定しておりますが、ポイントごとに変動する可能性が
ございます。
4.各ポイント毎に見学可能な人数設定をしております。お申込みの早い順に締め切らせていただ
きます。
5.予約をされていないポイントでも、外観は自由に見ていただくことができます。近隣に迷惑の
ないよう見学をお願いします。
6.歩きたばこの禁止や写真撮影、あいさつ等、
マナーを守って気持ちのよい町歩きをお願いします。