時事フランス語 和文仏訳の約束事 第 6 回 話し言葉と書き言葉は違う(1

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 6 回 話し言葉と書き言葉は違う(1)
彌永康夫
最近は留学その他の形でフランスに長期滞在する日本人がますます増えている。そのために,
和文仏訳やフランス語による作文の場で目立つ現象がある。「書き言葉」と「話し言葉」の混同
である。これを難しい言葉で言うと,「言語レベル niveau de langage」の問題ということになる。
もちろん,言語レベルの問題には,多くの異なる側面がある。日本語で最も難しいとされる丁寧
語や謙譲語の問題も,ある意味ではこの範疇に入るだろう。そして,俗語や隠語,あるいは特定
の職業や学問の分野でのみ通用する「専門語 jargon」などの問題もある。時として,意図的に崩
した文体を使ったり,あるいは伝法な調子で話すという,一種のスノビズムをひけらかす人もい
る。しかし,とりあえずここで覚えておくべきことは,日本でフランス語を学ぶわれわれは,外
国語としての言語レベルの区別が難しいだけになおのこと,この問題に関する関心を強く持たな
ければいけないということである。
言語レベルに関連する問題点は多く,多岐にわたっている。単語の選び方から,文章の組み立
て方,さらには文法上の規則の尊重まで,できる限り実例に即して考えてみたい。とはいえ,母
国語でないフランス語についてあまり細かいニュアンスを云々されても困る,という反応があっ
てもおかしくはない。とりあえず「書き言葉」と「話し言葉」の違いに限って,とくに気になる
問題を取り上げてみよう。
不定代名詞の on,3 人称複数の ils
日本語では,主語をはっきり書かなくてもそれなりにわかる文は多い。それに対してフランス
語では,よほどのことがない限り,主語のない文はあり得ない。とはいえ,とくに日常会話には,
漠然とした主語の文があふれている。そうしたときにしばしば on とか ils が使われているのであ
る。もちろん,どちらの語も立派なフランス語だし,頭から常にその使用を排除しようという考
えはない。なかでも不定代名詞の on は,普遍的な真理や知識を客観的に記述する学術書や教科書
では多用される。また,マスコミでも書き手の主観を表に出さない方法として,on が便利に使わ
れている。しかし,次のような on の使い方は書き言葉にはなじまない。
-「地球の反対側で,大地震がすさまじい被害をもたらした。中米カリブ海の島国ハイチを,マ
グニチュード 7・0 の地震が襲った。死者は数万人とも,10 万人を超える,とも報じられている。」
(『朝日新聞』)
この第 3 文を On parle de plusieurs dizaines de milliers de morts, ou même plus de 100.000. と訳した
例を見たことがある。これは on の書き言葉的な用法として典型的なものである。すなわち,「報
じられている」という原文では,「…られている」と受身形のように見えるとしても,実際には
「報じている」主語が明示されていないと理解できる。その漠然とした主語を不定代名詞 on で済
まそうとしているのである。しかし,フランスのマスコミが同じ内容の報道をするとすれば,お
そらく les victimes s’élèveraient (se chiffreraient) à plusieurs dizaines de milliers, voire à plus de 100.000
と書くだろう。原文に明らかな主語が示されていないとき,それを on で置き換えるのは,ある意
味では楽なことだろう。つまり,はっきりした主語を用いるためには,原文の内容を変えずに,
それを書き換える必要があるので,翻訳者がなすべき作業が複雑になるのだ。上の例文では,「犠
牲者」を主語にして,動詞も「数えられる」とするかたわら,「報じられている」のニュアンス
を条件法を用いることで出しているのである。なお,この条件法の使い方は,断定を避けたり,
伝聞を伝えたりするもので,慣れるときわめて便利な用法である。
もう一つだけ,不定代名詞 on の使用が書き言葉としてはいかにもイージーゴーイングに見える
例を挙げよう。
-「麻生氏は「喧騒にまぎれて十分な国民的議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げ
た」と弁明しているが,だとすれば言葉を伝える能力自体に疑問を抱く。」(『毎日新聞』)
この例文を授業で取り上げたときに提出された答案の一つが次のものである。
“D’après M.Aso, il s’est justifié qu’il a cité les changements réalisés par les nazis comme un mauvais
exemple de modifications effectuées sans débat substantiel ni inclusion des citoyens. Même si l’on l’admet,
on doit dire que sa capacité de s’exprimer verbalement est très douteuse.”
2013 年の夏,当時の麻生副総理が憲法改定について,かつての「ナチスのやり方を参考に」と
いう趣旨の発言をして,物議をかもした。上の例文はこの問題を扱った『毎日新聞』の社説から
引用した例文である。同じ例文の次の試訳と比べてみてほしい。
Certes, le vice-premier ministre s’est expliqué par la suite en affirmant qu’il avait cité le cas allemand
comme un “mauvais exemple de révisions constitutionnelles intervenues en l’absence de discussions
suffisantes au niveau national en raison de circonstances tumultueuses”. Si c’est bien le cas, c’est sa
capacité à se faire comprendre qui doit être mise en question.
すでに書いたように,不定代名詞 on の使用は必ず排斥されるものではない。と言うよりもむし
ろ,それがその他のどの書き方よりも良い選択である場合もある。
それに対して,3 人称複数の ils については事情が異なる。いうまでもなく,その使用が当然の
文脈は多いが,主語が漠然としているのを隠すために ils を使うのは,話し言葉ならとがめる必要
もないかもしれないが,書き言葉では避けなければならない。一つだけ,典型的な例を挙げよう。
-「強権支配が横行する中東で,この動きは止めることができない。」(『朝日新聞』)
“Au Moyen-Orient où l’autoritarisme est prédominant, ils ne peuvent plus freiner ce mouvement.”
この ils の使い方はまさに避けるべきものである。確かに,原文の曖昧さに対処するには漠然と
ils で済ますのは便利かもしれない。
その誘惑に負けないためには,
可能ならば主語を逆転させて,
動詞を代名動詞にするか,不定代名詞 on を主語にするか,あるいは非人称代名詞 il を用いる,さ
らには別の主語を見つけるか(たとえば rien とか personne など)であろう。逆にフランス語の代
名動詞や不定代名詞 on などを日本語に訳すときにも,主語の選択に苦労させられるものである。
この例文の試訳としては次を見てほしい。
Rien ne pourra le stopper au Moyen-Orient, où nombre d’Etats sont soumis à des régimes autocratiques.
前の文から続いているので,「この動き」を人称代名詞 le で受けているが,もとは le mouvement
démocratique である。
Alors-話し言葉と書き言葉
副詞という品詞は名詞とか動詞,形容詞よりは馴染みのないものではないだろうか。たとえば,
日常会話でも,かなり形式ばった文書の中でもしばしば見かける alors が副詞だと言われて,驚く
方もあるかもしれない。実際,それほどこの語は「使い勝手がよい」ものの一つである。とくに,
会話の中では特別な意味を持たせるというよりも,二つの文の間に一種の「間」を作る,つなぎ
の語として使われている。『ロワイヤル仏和』にも,わざわざ「話」と断って,ça alors とか alors,
ça ne finit pas !などの用例を出している。
書き言葉の中で alors をこのような形で使うと,まさに「言語レベル」の差が顕著に感じられる
ことになる。たとえば次の例を見てほしい。
“Alors chaque pays devrait agir en respectant sa constitution en fonction de son contexte historique.”
これは 2014 年にスコットランドで行われた,イギリスからの独立を問う住民投票に関する論
評の一節である。原文は,「各国の歴史を踏まえた制度の尊重が前提となろう」(『東京新聞』)
であり,これを訳すのに alors を使う必要はどこにもない。強いて言えば,前文からの続きでこの
文の主語が明示されていないのを補おうとして,alors を使ったと想像できなくもないが,もしそ
うならば,alors を置く位置を devrait と agir の間にしなければならない。文頭にあると,話し言葉
的な用法になる。なお,原文の試訳としては,次を挙げておこう。
La procédure référendaire devrait être utilisée en respectant au préalable les institutions qui sont ancrées
dans l’histoire propre à chaque nation.
もう一つだけ,同じような例を挙げておきたい。この例では,alors を使うこと自体には問題が
ないのだが,それを使う場所が間違っているために,書き言葉としては違和感を呼ぶのである。
“Alors, pourquoi je me préoccupe de la droitisation ?”
原文は「ではなぜ,右傾化を心配するのか。」である。これだけではいささか説明不足だろう。
この文は 2013 年 4 月 7 日付『東京新聞』に「保守と右翼の境界線」と題して掲載された署名入り
評論の一節である。引用文の前には,「日本の保守を名乗る政治家や知識人は「保守」と,いわ
ゆる世間を騒がせる「右翼団体」とを,右傾化という一語で一括りにすることに異論を呈する。
日本人の大多数は良識的な意見の持ち主で,右翼的な声に容易に流されるといった心配は無用で
あるという認識だ。」と書かれている。これを見れば,「なぜ右翼化を心配するのか」という疑
問は,原文筆者個人が抱くものではなく,より一般的な問いとして,読者に提起していることが
わかるはずである。そうだとすれば,上に挙げたフランス語訳の例で,疑問を筆者個人のものと
する,1 人称単数の主語を使っていることがまず問題だということがわかるだろう。しかしそれ
はそれとして,ここで問題となっている alors は,位置を変えて Pourquoi, alors, faut-il s’inquiéter de
la droitisation du Japon ?とするだけで,読む者の印象はまったく違うはずである。
ここで私は,
alors という語自体が文語体になじまないと言っているのではない。
それどころか,
この語はたとえば alors que という従属節を導く接続句として,同時性ないし(どちらかと言えば)
軽い対立関係を表すときなどにはきわめて便利であり,それだけに頻繁に用いられる語となって
いる。また,alors は「その時の,当時の」という時間関係を一語で示すことを可能にする,スマ
ートな語でもある。たとえば「当時首相であった X 氏」とか「X 首相(当時)」を M. X, alors premier
ministre と訳せば,M. X, premier ministre de l’époque よりはるかに簡単なことがわかるだろう。
書き言葉と話し言葉の違いについては,なお書いておきたいことが多い。たとえば beaucoup de
+名詞という言い回しとか,est-ce que で始める疑問文,cela(ça)とか très などの単語,間接疑問
文にすべきところを直接疑問文で済ます文章構造など,数えだすと切りがない。次回も引き続き
このテーマについて考えることにしたい。
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