「正しいフランス語」を守る

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 9 回「正しいフランス語」を守る (1)
彌永康夫
フランス語でも日本語でも,言語は生き物である。そして,生き物である以上,時代とともに
変化する。ただ,一口に変化と言っても,一時的な流行にすぎず,いつの間にか消え去ってだれ
も覚えていないものと,広く受け入れられて,いつの間にか「正統的なもの」として定着するも
のとがある。それゆえ,生きた言葉を否定することはできないし,新しい単語を使わなければ話
ができないことさえある。言葉の変化をどこまで受け入れるのか,人それぞれの考えに違いがあ
って当然だろう。それに,新しい単語や以前からある単語でも新しい意味を持つものを使う,あ
るいは単語自体は新しくないがその組み合わせや使う状況が新しいものを用いるとしても,それ
が友人同士の会話なのか,職業上の付き合いの場なのか,あるいは外部に出す文書の中なのかで,
使用が適切かどうかの判断も違ってくるだろう。
問題は単に新しい単語や言い回しだけにかかわることではない。日本語がそうであるように,
フランス語にも状況によって話し方や,用いる単語に違いが出てくる。俗語とか隠語は問題外と
しても,フランスの辞書では familier という註がついている単語や,業界用語,仲間内の用語など
を使うのはどのような状況なのかを理解していないと,意図しない誤解を生むことになる。その
上,「話し言葉と書き言葉」の項でも述べたように,一種のスノビスムに基づく「くだけた」言
葉遣いなど,外国人には言葉としての意味は分かっても,それが含意するものを本当に理解する
のは難しいところもある。
そうした種々の留保を付けたうえであえて強調したいのは,日本人として和文仏訳をするとき,
文学作品など特別な場合は除いて,できる限り「正統的な」フランス語を尊重するべきである,
ということである。たとえフランス人が当たり前のように使っている単語や言い回しであっても,
言語学者などの専門家が「正しくない」,あるいは「使用は避けるべき」としているものは使わ
ないほうが賢明である。何もそこまで煩く言うことはないではないか,という疑問を持たれるか
もしれない。しかし,外国人が書いたフランス語として評価されるとき,正統的でない単語や言
い回しの使用が,知識不足ゆえとみなされる可能性が大きいのである。そのような理由で不当に
低い評価を受けては損だと思うがために,あえて「正しいフランス語」の重要性を強調するので
ある。
何が「正しくないフランス語」か
日本でもフランスでも辞書の編纂に携わる学者(lexicologue という)は新しい単語や言い回し
に寛容である。辞書というものが生きた言葉を相手にしている限り,それは当然のことだろう。
とはいえ,一般にはもはや定着したとみられるような言い回しでも,いつになっても違和感を覚
え続ける人もいる。日本語でいえば「ら抜き言葉」をはじめとして,「...的には」,「...とか」な
どはその典型だろう。
フランス語でも全体的な状況に大きな違いはない。ただし,おそらく日本よりは少しだけ,「正
しい」,「伝統的な」フランス語を擁護しなければいけないと信じる人が多いのではなかろうか。
フランスの主要な新聞や週刊誌にはかつて,必ず言葉の問題を専門に扱う定期コラムが掲載され
ていた。最近では必ずしも紙面上にそうした記事が見つからないが,たとえば『ル・モンド』で
は ウ ェ ブ ・ サ イ ト 上 に 「 辛 口 言 葉 Langue sauce piquante 」 と い う ブ ロ グ を 載 せ て い る
(http://correcteurs.blog.lemonde.fr/)。また,「フランス語の番人」であるアカデミー・フランセーズ
のサイト http://www.academie-francaise.fr/ にも「専門語,新語 terminologie et néologie」,
「言える,
言えない dire, ne pas dire」,「言葉の問題 questions de langue」などと題する多くの記事が出てい
る。
そこで取り上げられるテーマには,単語や文法にかかわる問題が多い。また,『ル・モンド』
のブログでは,新聞の校閲に携わる人が日常的に遭遇する誤植や誤字に関する種々の挿話が多く
紹介されている。単語に関しては英語の影響と新語,そしてとくに都市郊外の団地住民が用いる
独特の俗語(la langue de la cité と呼ばれる)が主要な話題である。一方,文法の分野では,動詞
や形容詞に関する性数一致や接続法の使用がしばしば取り上げられている。たとえば,動詞の接
続法という,フランス語を学ぶすべての人にとって厄介な問題について,一般にはその使用を避
けるための努力をしたり,文法上の規則を無視してその使用を怠ったりするのだが,特殊な言い
回しについては必要のないのに接続法を用いる傾向がある,などという問題である。さらに,綴
りについても大文字と小文字の使い分けとか,アクセント記号の使用など,こちらも話題に事欠
かない。
このように取り上げるべき問題は数えきれないほどあるのだが,ここではエコール・プリモの
通信講座で実際に扱ったいくつかの問題点を主にみていくことにしたい。
英語の影響 -
表記の問題
最初は言葉そのものと言うよりは,表記にかかわる問題を取り上げる。もちろん,この関係で
も多岐にわたって,重要度が異なる問題が生じているのだが,今回は明らかに英語の影響のため,
伝統的なフランス語の規則がゆがめられている例を一つ上げておきたい。それは人名と役職の表
記にかかわることである。次の例を見てほしい。
-「来日したオランド大統領と安部首相が会談し、「原子力発電が重要である」との共同声明を
出した。」(『朝日新聞』)
“Le président français François Hollande, qui s’est rendu au Japon, a négocié avec le premier ministre
japonais Shinzo Abe. Ils ont déclaré aussitôt après un communiqué commun, «Les centrales nucléaires sont
importantes » ”
定冠詞+役職+人名を,間に一切の区切りもおかずに連記するのは,明らかに英語の影響である。
もちろん,最近のフランスではこの表記法が広く用いられているし,それが間違いだと決めつけ
るつもりはない。しかし伝統的なフランス語という観点に立てば,これは勧められる表記法では
ない。「正しい」フランス語では人名を最初に出し,コンマを置いたのちに定冠詞を付けずに役
職を記すべきなのである。実際,フランス政府の公式文書ではそのようになっている。
この例に限らず,英語の影響はフランス語でもますます色濃く表れていて,日常の会話にはあ
ふれている。とはいえ,最初から anglicisme とわかっているものをわざわざ使うのは,フランス
人同士ならば一種の洒落とか衒いとして通用しても,外国人に対しては許容されない可能性もあ
る。
例文の試訳
Le président de la République française, M. François Hollande, en visite au Japon, a rendu public hier,
à l’issue de son entretien avec M. Abe, premier ministre, un communiqué conjoint pour souligner
l’importance que les deux hommes d’Etat attachent à la production électrique d’origine nucléaire.
「純粋主義者」の意見
次に挙げる例も,今や全く何の違和感もなく使われているには違いないのだが,言語学者や文
法学者の一部からは相変わらず「不適切な用法 emploi impropre」とみなされているものである。
一つは「それに反して」とか「反面」を意味する par contre,もう一つは「他方で」にあたる par ailleurs
である。
どちらもきわめて使用頻度の高い言い回しである。しかしいずれについても,文法問題だけで
なく,語学上の種々の疑問が生じたときにまず参照される本 Le Bon Usage では,「純粋主義者
puriste」がその使用に警告を発しているとして,「en compensation あるいは en revanche の意味で
用いられる par contre は,商業文に発しているようであり,それ以外の性格の文書には用いるべき
ではない。...この言い回しは純粋主義者が何と言おうとも,現在ではすぐれた作家によっても受
け入れられている」と説明している1。
Le Bon Usage ではさらに,par contre と en compensation, en revanche が必ずしも同じ意味とは言
えないとして,言い換えとしてはむしろ mais d’autre part か mais d’un autre côté のほうが正確だと
付け加えている2。
次は par ailleurs である。これについても Le Bon Usage を調べてみると,「リトレはこの言い回
しの意味として「別途」のみを認めている。しかし現代では「他方,一方」などの意味でも用い
られている。そうだとすれば,次の例をとくに問題視する必要がないと言ってもよいのかもしれ
ない3。
-「一方、リスクを取る姿勢が経済の原動力になってきたのも確か。」(『日本経済新聞』)
“Mais par ailleurs, une attitude permettant d’accepter des risques jouait, certes, le rôle de locomotive
pour la croissance économique.”
それでもあえて par ailleurs を使わない訳を考えてみると,Il n’en reste pas moins vrai que, sans prise
de risques, l’activité économique fera du surplace.とできることがわかる。
このように,どちらの言い回しも現代では完全に定着していると言ってよいだろう。それなら
ばその使用に過度に神経質になる必要はないのかもしれない。しかし,たとえそうだとしても、「純
粋主義者」からであれ間違いだと指摘されかねない表現は、外国人としては避けるに越したことは
ない。そのかわりに使える言い回しとしては,d’autre part か d’un autre côté が最初に頭に浮かぶだ
ろう。さらに d’un autre point de vue も考えられる。
フランス人でも犯す間違い
日本人だからと言って「正しい日本語」を書いたり話したりできる保障がないように,フラン
ス人でもフランス語の間違いを犯す。しかし,いくら多くの人が同じ間違いをしても,それが間
違いだということに変わりがないし,いつの間にか「正しい」フランス語として認められる見通
しもない—そうした種類の間違いもある。二つだけ例を出そう。
一つは après que に続く動詞を接続法にすることである。確かにこの間違いは新聞でもテレビで
も頻繁に目にするし,フランス人同士の会話でも日常的に犯されている。あまりにも頻繁に繰り
返されると,一部にはもはや間違いではないと主張する人が出てくる。しかし,少なくとも現在
のところ,après que + subj.という構造を「正しい」と認める人のほうが少数派にとどまっている。
この間違いが犯される原因は明らかである。意味としては逆になるとはいえ非常に近い言い回し
avant que の場合には,続く動詞を接続法におくのが正しいので,それとの類似で après que にも接
続法を使うのである。しかし,論理的に考えれば,après que は現実に起こった事柄とか,行われ
た行為を述べるものであり,疑問や不確実性を表す接続法を使ういわれはないのである。もう一
つ,この間違いを説明しうる理由がある。すなわち,本来 après que に続くのは直説法の前過去で
なければならないのだが,これは現在ではめったに用いられない単純過去と過去分詞を組み合わ
せるというもので,フランス人でさえなじみが薄いのである。そうは言っても,接続法を使うと
いう間違いは犯したくないときには,前過去の代わりに複合過去にするのも一つの方法である。
なお,après que に続けて将来起こりうることが述べられることも考えられるが,その場合に用い
られるべきは条件法であって,接続法ではない。
第 2 に挙げるのは,après que よりは使用頻度が低いとはいえ,とくに話し言葉ではしばしば
登場する malgré que + subj.という言い回しである。これは特定の意味で用いられるとき(「私の
意志に反して」を意味する malgré que j’en aie)には,伝統的なフランス語として認められている
のだが,「...にもかかわらず」という意味では多くの学者によって間違いだとされている。たと
えば Le Bon Usage は次のように書いている。
Malgré que, au sens de “bien que, quoique”, est proscrit par Littré, par Faguet, par Ab. Hermant et par les
puristes. — Cette locution, très fréquente dans la langue familière, pénètre de plus en plus dans l’usage
littéraire.
このように,単に話し言葉で頻繁に用いられているばかりでなく,文学作品にも登場するよう
になったと認められているとはいえ,この言い回しの使用は避けたほうがよいと思うのは,すで
に述べたように,外国人ゆえの間違いとみなされる可能性があるからだが,それだけでもない。
すなわち,この言い回しはいかにも「重く」,読むものに決して好印象を残さないのである。次
の例を見てほしい。
-「自分たちが選んだわけでもない EU の官僚組織に大事な政策が決められている、との不満も
膨らむ。」
“S’accentuent les mécontentements de ceux qui contestent que les décisions politiques importantes soient
prises par le régime des élites européennes, malgré que ce ne soient pas ceux-là qui aient élu celles-ci.”
ここでは 3 回も接続法が用いられている。確かに文法上はそれが正しいのだが,いかにも読み
にくい。もっと簡単に同じことを述べることは十分に可能のはずである。そのための試訳を示そ
う。
Le mécontentement ne cesse de s’amplifier parmi les Européens face au fait que les décisions politiques
importantes sont prises par les bureaucrates bruxellois, alors que ces derniers ne sont issus d’aucun scrutin
populaire.
「正しいフランス語」というテーマについては,まだまだ書いておきたいことが多い。次回も
続けて扱うことにしたい。
1
Par contre, dans le sens de “en compensation, en revanche”, paraît provenir, dit Littré, du langage
commercial et “il convient … de ne transporter cette locution hors du langage commercial dans aucun style”.
L’Académie ne donne pas par contre. Le Dictionnaire général l’accueille : S’il est laid, par contre, il est
intelligent. — L’expression en cause est aujourd’hui, en dépit des puristes, reçue par le meilleur usage. (Le Bon
Usage, p. 1018)
2
Il ne faudrait pas croire que en compensation ou en revanche pussent, dans tous les cas, suffire pour exprimer
l’idée qu’on rendrait au moyen de par contre ; en compensation ou en revanche ajoutent à l’idée d’opposition
une idée particulière d’équilibre heureusement rétabli ; par contre exprime, d’une façon toute générale, la simple
opposition et a le sens nu de “mais d’autre part”, “mais d’un autre côté”. — Gide le fait très justement
remarquer : “Trouveriez-vous décent qu’une femme vous dise : “Oui, mon frère et mon mari sont revenus saufs
de la guerre, en revanche j’y ai perdu mes deux fils” ? ou : “La moisson n’a pas été mauvaise, mais en
compensation toute les pommes de terre ont pourri” ?” (Le Bon Usage, pp. 1018-1019)
3
Par ailleurs peut signifier « par une autre voie » (c’est le seul sens signalé par Littré : Il faut faire venir vos
lettres par ailleurs (Littré). — La langue moderne, quoi qu’en disent les puristes, lui fait aussi signifier « d’un
autre côté , d’autre part, pour un autre motif, par un autre moyen, pour le reste ». (Le Bon Usage, pp. 1017 1018)
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