345 昭 和29年10月20日 原 著 及 綜 説 流 行 性 肝 炎 岡 山 大 學 醫 學 部 山 岡 内科 教 室 助 教 授 I.緒 小 言 坂 淳 夫 第1表 岡 山醫 大 受 診 肝 炎 患 者 數 本疾 患 の流 行 の歴 史 は古 く,そ の文 献 も亦 診 び た ゞ しい數 に の ぼ つ て い るが,特 定 疾 患 と して世 入 の注 目を あ び る様 に な つ た の は,今 界 大 職 の前 後 か らで あ る.我 も亦 この頃 よ りで,先 る こ とが 出來 る.私 次第 二 次世 國 の この方 面 の喚 心 輩 諸 家 の業 績 も多數 を墨 げ は本 席 の機 會 を え て,主 とし て 岡 山縣 の流 行 を 中心 と して 本 疾 患 の 概 要 を述 べ てみ た い. II.最 近 の 岡 山地 方 の 流 行 略 々確 實 に本 疾 患 と思 われ る流 行 の初 めは,昭 和9年 岡 山地 方 の大 水 害 の後,主 と し て昭和9年 岡 厨病 院 看 護 婦 宿 舎 に お い て,流 山市 にお ける小 流 行 で あ ろ う.村 上 ・三 木 ・阿 部 確 實 で あ る.私 等 は 一種 熱 黄 疸 病 と して,作 瓦 る本 疾 患 の流 行 を,岡 州熱 乃至 秋 疫 等 の類 似 疾 患 な らん か と も 考 え た が,断 定 す る に至 ら す,北 山教 授 も後 に 當時 の 臨 床 並 に諸 検 査 成 績 を 槍 討 し,流 行 性 肝 炎 の流 行 と推 定 され た.高 昭 和11,12年 城は 繰 返 し高 松 市 に本 流 行 の起 つ た こ と を述 べ,流 行 性 黄 疸 と名 付 け た.倉 重 は 昭和17年 徳 画市 に お ける流 行 を経 験 し,流 行 性 肝 臓 炎 と名 付 け た.昭 和19年 不木 教 授 は姫 路 市 にお け る流 行 を経 験 した.絡 職 後 の流 行 は岡 山醫 科 大 學 第 一, 第 二内 科 にお け る 受診 患 者 の統 計 よ り略 々窺 うこ とが 出來 る.即 ち第1表 の通 り,絡 職 後 一時 増 加 した後,昭 和27年 よ り再 び急 激 の増 加,即 の 行 わ れ て い る こ とを知 り うる.所 疸 と流 行 性 肝 炎 との異 同 は,教 論 す る と して,雨 ば な らぬ し,加 ち流 行 謂 カ タル性 黄 室 瀬 戸 講 師 が別 に 者 の緊 密 な關 係 は肯 定 しな けれ えて 昭和21年11∼12月 岡 山醫 大 附 行 性肝炎の小流行 を確 認 して い る所 か ら,絡 職 後昭 和21年 の 流 行 は 達 は 昭和27年 よ り岡 山縣 下全 般 に 山縣 衛 生 部,保 健 断,開 業 醫 家 等 の協 力 に よ り調 査 した結 果,第1圖 の通 り の結 果 を え た.自Pち 今 同 の岡 山縣 の流 行 は 昭和26 第1圖 岡 山縣 下 患者 發 生状 況 (昭和26,27,28年) 日本 傳 染 病 學 會 雑 誌 346 年 よ りで,縣 の東 部 並 に西 部 に始 ま り,次 第 に縣 第3圖 例2 第4圖 例3 第5圖 例4 第28巻 第6-7號 の 中央 部 並 に 山間部 に振 り,あ る地 域 で は 緩 慢 に あ る地 域 で は急 速 で,現 あ る.而 今全 縣 下 に蔓 延 の歌 態 で も流 行 の あ る所 必 す 死 亡 者 を發 見 し,特 に赤 磐 郡 熊 山 町(奮 豊 田,小 郡 熊 山村)で 野 田,可 眞 村,和 氣 は最 も多數 の 死 亡 者 を 出 して い る. これ らの結 果 は 上 記 の 岡 山醫 科 大 學 附 驕病 院 受診 患 者 の浩 長 を裏 書 きす る もの で あ り,文 献 に み ら れ る臭 市 の流 行(前 野),三 原 市 の流 行(器 野,西 信)と 關 聯 あ る もの と考 え られ る. 以 上 岡 山地 方 の流 行 は 一定 の時 期 を劃 し,波 歌 的 に潰 長 し てお る もの ゝ様 で,Siede, ns,W.P.天 W., Have- 野 等 の 考 え と 一 致 す るが,何 年 目毎 に流 行 す る か は現 今未 確 定 で あ る. III.流 行 の 形 式 連 鎖 傳 播(propagated 染(common epidemic)と vehicl eepidemic)に 共通経路感 分 け られ る.而 し て前 者 が 最 も普 通 の型 で,我 々 の詳 細 に検 索 し えた.6ヵ 所 迄 は前 者 に 驕 す 所 の流 行 の 中パ5ヵ る. Gauld,R.は 典 型 的 な最 も屡 女み られ る流 行 の 形 式 は爆 發 的 な もの で な く,一 定 の 人 口中 で2∼ 3月 の間 に ゆ つ く り 損 る型 で あ る と述 べ て い る. 1)連 鎮傳播形式 最 も典 型 的 な形 式 を 赤 磐 郡 豊 田 ・小 野 田 ・可 眞 村,和 氣 郡 熊 山村(現 在 赤 磐郡 熊 山町 と して 合 併 され た.以 上 赤 磐 地 域 と呼 ぶ)一の流 行 中 よ り摘 發 して匠 分 す る と略 よ次 の4種 に分 け られ る.. 第2圖 例1 i)家 族 感 染 を含 む隣 家 へ の逐 次 感 染 例 (第2圖) ii)比 較 的 短 期 間 中 に逐 次 隣 家 に流 行 した例 (第3圖) iii)各 隣 家 間 に流 行 の波 は み られ る が,一 家 族 中 で は 同時 發 病 の もの もあ れ ば,可 成 り發 病 時期 に す れ の あ る もの もあ る例(第4圖), iv)各 家族 中 の發 病 は略 麦同 時 か,逐 次 で あ る 昭 和29年10月20目 が,隣 347 家間 の發 病 時 期 に は著 しいす れ のあ る例 第8圖 この際i)茸)が iv)例 赤 磐 郡 豊 田村(人 口2249名) 患 者 數86名 (第5圖) 最 も普 通 な形 式 で あ る が,iii) も詳 細 に検 討 す る と稀 だ と云 わ れ な い. 所 で これ らの形 式 が織 り混 る こ とに よ り,普 通 の あ る地 域 の流 行 様 式 が 出來 上 る.そ の例 を圖 示 す る と, i)小 野 田村(第6圖),琴 浦 町(第7圖),全 域 に ポ ツポ ツ と連 鎖 式 に傳 播 した後,そ の患 者 の 周 邊 に蒸 返 す様 に流 行 の現 れ て くる例 で,綾 第6圖 村 慢な 赤 磐 郡 小 野 田村(人 目1571人) 患 者 數48名 流 行 で あ る. iD豊 田 村(第8圖) i)の 形 式 で あ るが,未 感 染 地 域 へ 逐 次流 行 の 進 む 状 態 が最 もよ く現 れ て い る例 で あ る. iii)久 米 郡 吉 岡村(第9圖) i)と 同様 で あ るが,短 時 間 に多發 の徴 が み られ る. iv)上 第9圖 第7圖 兒 島 郡 琴 浦 町(調 査80名)患 者95名 房 郡 吉 川 村(第10圖) 吉 岡村 藤 原 患 者246名,當 部 落76名 日本 傳 染 病學 會雑 誌 348 第10圖 吉川村東刈尾部落 第28巻 漕 在 性 肝 炎 例 が 介 在 し ておb,注 第6-7號 ミ 目 され る.詳 細 は第11圖 に譲 り,省 略 す る. 第11圖 (例2)岡 山醫 大 附 驕 病 院 に於 て 取 扱 わ れ た傍 (1)第2表,第1例 共 通 経 路 感 染 を含 むが,蓮 鎖 傳 播 が 主 で あ り, iii)同 様 短 期 間 に爆 發 的 に進 行 した 例 で あ る. 以 上 の如 く蓮 鎮 傳 播 は普 通 緩 慢 に 進 行 す る ので では 炎 に て入 院 後 死 亡 した が,そ が 電撃性肝 の傳 染 経 路 を糾 した 結 果,家 族 内 にお い て は,妻,次 男,長 男 と罹 患 した こ とが剣 明 す る と共 に,更 に隣 家 は あ る が,特 に吉 川 村 の如 く,爆 發 的 な様 相 を示 す それ以 前 に電 撃 性肝 炎 に て死 亡 して お り,患 者 間 こ とす らあ る.Van の交 流 は認 め られ,流 R.;Cameron, Rooyen,C.E.& J.D. S.;Dixon, Kirk, G. H.B.F.等 は第 二 行 を確 認 した. (2)第2表,第2例 では 次 世 界 大 職 の職 線 に お ける経 験 か ら,病 毒 浸 潤地 縮 症 の 下 に入 院 死 亡 した が)そ に お け る流 行 は散 發 的 で あ る が,當 下宿 に て起 居 した,絶 地 に進 駐 した 謂 わ ば虎 女 集 圍 に お け る 流 行 は 爆 發 的 で あ る と し,發 病 と冤 疫 との 關 係 を論 じた が,我 々の 例 に お け る既 往 の 流 行 と現 在 の夫 れ との間 には 一 定 の 1)(附)散 が入 院 加 療 を受 け, の友 入 も次 で 入 院 し,そ 第2表 第1例 妻 第2例28.2初 旬 ∼2.28死 28.1.15發 の 例 を學 げ,本 疾 患 の 磐 地 域 の流 行 の 初 期 にみ られ た を中 心 と した 一族16名 の感 染 例. この 一族 は 隣i村各 地 に散 在 的 に 居 佳 してお り, 2.共 發 ∼5.30治 28.2初 旬 發 病5.29入 28.5末 發病 & Stokes, に 依 る(Read, & Parker, 療 院 通経路感染形式 の 地 域 の流 行 源 とな つ て い る.而 素 槍 索 す る と,不 顯 性感 染 と思 わ れ る もの,及 び 亡 亡 病∼一時輕快 4.19再 文 献 的 に は水 に依 る (Gauld, 彼 等 が 患 家 を 訪 れ,看 護 に當 り,逐 次 感 染 して そ して この際 詳 細 快 病 長 男(13歳)27.12.17〃 27.11.5∼27.11.14死 流 行 を探 る参 考 とす る。 (例1)赤 亡 27.11.30∼27.12.15輕 次 男(5歳)27.12.15發 所 謂 加 答 兜性 黄 疸 と して 取 扱 わ れ る例 で あ り, 傳 播 で あ る こ とが 多 い.そ 散發例 28.1.6∼28.1.16死 發例 し詳 細 に そQ感 染 経 路 を探 索 す る と,i連 鎖 の流 行 を確 認 した. 本 疾 患 の初 期 及 び市 街 地 等 に み ら れ る こ とが 多 い.然 の後 友 人特 に 同 一 えす 飲 食 を共 に す る 機會 のあつた 關 係 が な く,從 つ て冤 疫 との關 係 の み を以 て律 す る こ とは 困 難 で あつ た. が亜 急 性 肝 萎 J.; Hallgren, R.; Fraser, M.R., Bancroft, P.F.; Mac R.; Callum,, Neefe. J. R. R.), 食物 H., Doull, F.O.; Havens, 349 昭 和29年10月20日 W.P.; Norton; by, W.J.; Hahn, H.), W.N.; 牛 乳 に依 る(Murp Van Rooyen, C.E. & Rhodes, 感 染 が 夫 々報 告 され て い る が,Mac A.J.) Callum,F.O. Molner, H. & Rewerts.; J.G, & Meyer, Gauld, R.), もの (Evans, P.; Van Rooyen, C.E.; Findlay, G.M. & Willcox. R.P.; Kirk, R.; Mac Callum, も謂 う如 く稀 な もの で あ る. 我 々は 先 す某 工 場 寄 宿 舎 の 例 を基 げ る 。 本 工 場 F.O. & Bradley, W.H.; Neefe, J.R. & Stokes, の 寄宿 舎 は481名 を牧 審 して お り,昭 和28年8月 J.J.; Paul, J.R. & Havens, 上 旬 よ り,第12圍 の通 り2,3の S.S.; てい た が,15日 患 者 の 發 生 をみ 盆 踊 り以 來 爆 發 的 な流 行 を始 あ, 略 き8月 末 迄115名(23.9%)の 患 者 の發 生 を み た. 本 流 行 源 は私 設 水 道 貯 水 槽 と推 定 され た. 第12圖 R.F.; Kramer, 経 口感 染 を唱 え る Lilienfeld,; 人 々),鼠 W.P.; に 依 る もの (Viskovsky, oyen,C.E.),蝿 Lichtmann, その他共通経路感染 を主張 する S.V.; Van Ro- に依 る もの(KirkR.)等 の読 が あ る が,私 は以 下 の理 由 か ら所 謂"fecal-oralrou- 某 工 場 患 者 發 生 と季 節 te"(Lilienfeld,A.M.et al.)乃 至"intestina- oral route"(Lichtman,S.S.)を 最 も安 當 と考 え る。 部 ち病 原體 を有 す る 糞 便 に 汚 染 され た 飲食 物,食 器,手 指 その他 を介 し 経 口感 染 す る と考 え る。 その 論篠 と し て次 の事 項 を學 げ る.. (1)赤 磐 地 域 の 石 蓮 寺,稗 田,松 集 團 槍 診 を實施 し,潜 木 の各 部 落 の 在 性 肝 炎 及 び不 顯 性 感 染 を 思 わ せ る症 例 を摘 發 した.集 團 槍 診 要 領 を簡 單 に 述 べ る と,部 落 全 員 の集 合 を願 る,問 炎 と思 わ れ る訴 えの 有 無),全 次 に共 通 経 路 感染 の狭 義 な もの に,家 例 が あ る.例 感 染 中1,吉 族 感染 の 巴球 の變 動),尿 川村 での62家 族 中8は 家族 感 染 中同 か に この範 疇 に 入 る もの と思 わ IV病 原 體 詳 細 は共 同 研 究 村 上 教 授 の 發 表(本 年 度 ビー ル W.G. & Okell, C.C.; Mac Callum, R; Edwards, A.M.; Findlay, J.; Meinert, Viguier, に反 封 を唱 え る もの (Spooner, R. & Havens, F.O.; Wit- H.C. & Feemster, G.M. & Martin, A.; W.P.), 定)を 行 い綜 合 同血 清 に就 て異 種 血球 凝 集 反 應 應)を も併 せ行 い参 考 と した.そ い る と認 め る もの を漕 在 性 肝 炎 例,明 L.R.L.; Getty, R.W.; Mc Farlan, F.; Kathe, 化 の際 明 らか に肝 機 能 障 碍 が あ り,本 症 に罹 患 して 氣 道 感 染 乃 至 泡 沫 感染 を 主 張 す る もの(Booth ts, L. J.; Gauld, R.; Hardy, 判 定 を下 した.又 (Paul-Bunnell反 染経路 白質 等), 濁,Cephalin-Cholestero1反 應 並 に血 清 総 並 に直 接Bilirubin測 ス 學會 特 別 講 演 豫 定)に ま ちた い. V傳 楡 査(Urobilinogen,蛋 血 清 膠 質 反 應 即 ち高 田,Weltmann,Gros,臨 Cobalt,Thymol洞 Wallgren, 身検 診(特 に肝,脾 腫 の 有 無),血 液 像(特 に單球 乃至 類 形 質 細胞,淋 肝 機 能 槍 査 法(負 荷 試 験 は 不 可 能 で あ つた の で, れ る. II.; に肝 えば赤 磐 地 域 の 流 行 に お け る30家 族 日發 病 の例 で,明 rmann, 診(特 E.; し,肝 障 碍 の疑 あ る もの を要 注意 例,血 清 反 應 並 に問 診 等 を綜 合 し,感 定 に は 所謂 向 淋 巴性Virus病(特 E.; William, に 細 心 の 注意 を 彿 い,不 れ E.T.C.; Paul, J. 接 燭 感 染 を 唱 える もの (Siede, W.; Kligler, I.J., Btesh, D.S. & Koch; W.; Kunkel, H.G. & Hoagland, C.C.; Pickles, 液 像,血 染 を受 けた と思 わ れ る例 を不顯 性 感染 例 と定 珍 た.こ N.H.; v. Bo北 岡 等),そ らか に罹 患f の際血液像剣 に泉 熱 等)の 流 行 確實 な もの は 極 力 除 外 した 。 その結 果 石蓮 寺 部 落 で は患 者 の發 生 が 一 見 散發 的 に み え るが,集 圍 槍 診 の 結 果 で は 第13圖 の 如 く,部 落 全 般 にま ん えん して お り,家 族 内 多數 罹 患 の 状態 が 目立 つ.而 して死 亡 者,發 病 者 家族 乃至 それ と井 戸 を共 有 した家 屋 で は 罹 患 者 も多 い 350 日本 傳 染 病 學 會雑 誌 第13圖(其 の1)石 蓮寺部落患者 第14圖(其 稗 田 部 落 患 者(其 第13圖(其 の2)石 蓮寺部落感染状況 し,又 同 じ親 族 間 イ,ロ,ハ,ニ,ト 死 亡者 の 出 た爲 集合,會 等 ではイに れ に も拘 ら 患 者 を み な い こと は,會 食の 機 會 が感 染 経 路 に重 大 な もの で あ る と共 に,飛 沫 感 染,鼠 等 に依 る感 染 は否 定 出來 る。 更 に ホ,へ の家 屋 が他 の家 屋 よ り高 位 置 に あ り,容 易 に井 戸 水,下 水 等 が他 の家 の夫 れ と 交 流 し難 い點 も注 目 と井 戸 を共 有 す る1群 に も夫 々 罹 患 者 を褒 見 して お り,井 戸水 を介 して の流 行 も ず亦 考 慮 すべ きで あ ろ う .斯 くて 本 部 落 の 流 行 で は 集 團検 診 前 散 磯 的 に 他 部 落 よ り流 行 し た か の 印 象 を受 け た け れ ど も,集 團槍 診 の成 績 よ りみ れ ば,部 落 内 の流 行 が 第 一 義 的 で,、一 見 隔 れ 隔 れ に み え る家 屋 問 の流 行 に も 不 顯 性 感 染(肝 障 碍 例 も含 み)が 介 在 し,逐 田 上,下. 第14圖(其 の2) 稗 田部 落 感染 状 況(其 の1)稗 田 上,下 す,朝 夕 顔 を合 せ近 所 に住 み なが ら,會 食 の機 會 す べ き こ とで,ト 次流 行 を お こ した もの と考 え られ,そ の傳 染 経路 に は會 食,井 第6-7號 の1) の1)稗 食 す る機 倉 の 多 か つ た 爲 か,何 れ に も罹 患 者 を認 め て い る.そ の た い へ,ホ に は 第28巻 戸 水等 の経 口 第14圖(其 の3) 稗 田部 落 患者.蒲(其 の2) 351 昭 和29年10月20日 第15圖(其 第14圖(其 の4) 稗 田部 落 感 染 状 況(其 の2)蒲 第15圖(其 の1)豊 の2)豊 田村 松 木 患 者 田村 杉 木 部 落 感 染 状 況 感 染 を 示 唆 す る もの が有 力 で あ る. 稗 田 部 落 で も右 蓮 寺 部 落 と同 様 で,患 的 に磯 生 して い るが,集 者は散磯 團検 診 で は第14圖 の如 タ 掴 み えな い が,詳 細 に 検 索 す れば,死 亡 者,重 患 者 を出 した 家 との交 流 や,各 症 戸 に井 戸 を持 ちな 全 部 落 に及 ん でお り,個 々 の流 行 も可 成 り明 か で が ら使 用 不 能 の場 合 が 多 く,一 つ の井 戸 を共 同使 あ る.こ の際 目立 つ こ とは,共 用 して い る等 が 明 か とな り,前2部 同井 戸 使 用 者 の何 れ か に罹 患 者 を み る際 は 略 女確 實 に全 使 用 家 屋 に 罹 患 者 を み る こ と ∼,親 族 間 の 流 行 が 明 らか な こ 落 同様 の 感染 経 路 が 考 え られ た(第15圖). 2)上 房 郡 吉 川 村 の流 行 で は 第10圖 の如 くイ の とで,特 に 口に死 亡 者 を 出 した 一族 郎 蕪 ノー,ニ, 水 源 を利 用 す る家 屋 は殆 ん ど 相 前 後 して 多数 の患 ホ,へ で は住 居 の遠 近 に拘 らす凡 て 罹 患 して お り 者 を 出 してお り,水 源 感 染 が考 え られ た.而 (こ の ことは 死 亡 前 後 相 集 つ て 田舎 の風 習 に從 い (1)の 赤 磐 地 域 の井 戸 並 に吉 川村 の夫 れ で は,何 患 者 の枕 下 に近 く會 合 した こ とが 最 も問 題 とな る れ も大 腸菌 を謹 明 し て お り,そ の 施 設 の 不 完全 が),井 戸 と親 族 間の 會 食 に依 り流 行 が 濃 密 に行 わ で,下 水,流 れ た こ とば箭 部 落 以上 に 明瞭 と思 わ れ る.こ た。 のこ とは近 所 間 の 交 際 が繁 くな く,井 戸 を別 個 に して して し 水 の 流 入 の お それ が 多 分 に あつ (3)久 米 郡 吉 岡村 の流 行 は第9圖 の通 り,當 初 い る家 屋 で は罹 患者 をみ て い な い こ とで も 裏 付 け 散 叢 的 に磯 生 した後,急 られ る.例 をば ト,チ の 家 屋 は 罹 患 者 家 屋 に 近 接 で あ り,施 設 水道 を利用 しな い 部 落 で も同様 に流 し,鼠 等 の 交通 は 自 由で あ るが,同 一倉食を行つ 行 して 萄 り,水 道 に依 る 感染 は考 え られ な か つ た 戸 の交 流 は 認 め られ な い.チ の 如 き が,社 宅 の一 部 を劃 した 集 團検 診 で は 第16圖 の通 て お らす,井 は 何 故 か遠 所 か ら態 々鐵 管 を 以 て 井 戸 水 を使 用 し て い るの は偶 然 とは 云 い な が ら興 味 が あ る. 松 木 部 落 で は前2部 落 程 一 見 明 瞭 な 傳 染 経 路 を 激 に その数 を増 した もの り多歎 の罹 患 者 が考 え られ た.而 も爾 相 隣 ゆ の宿 舎 に起 居 しな が ら罹 患 者 を 出 してい な い宿 舎 もあ っ て,泡 沫 感 染,鼠.等 に よ る感 染 は 考 え られ な か 352 曰本 傳 染 病 學 會 雑 誌 赤 磐 郡 可 眞 村 一 部落 の井 戸 同 第28審 赤 磐 郡 豊 田村 一 部落 の井 戸 上 上 房 郡 吉 川 村 共 有水 源 第16圖 藤 原 杜 宅 の一 部 集 團検 診 成 績 つた 又 仕 事 場 に お け る感 染 も誰 明 出 來 な か つ た.唯 これ ら杜 宅 と密 接 な關 係 に あ る。 附 近 の魚 屋,八 百 屋,飲 食 店 に は獲 病 者,潜 確 認 してお り,こ 赤 磐 郡 豊 田村 一 部 落 の井 戸 第6-7號 た. 在 性 肝炎 例 を れ ら と の關 聯 性 が有 力覗 きれ 昭 和29年10月20日 353 (4)眞 庭 郡 美 和 村 の一 山聞 部 落 の流 行 は昭 和28 年8月 及 び9月 に行 わ れ た が,こ の部 落 は飲 料 水 た 経1験 か ら 推 せ ば"fecal-oralroute,,或 は "intestinal -oralroute,,に 登 場 する 凡 て の 機愈 そ の他 の一 切 の水 を この 谷 川 の 水 か ら利 用 して い は こ の 際 考 慮 され な け れ ば な らぬ こ と で,從 た が,第17圖 Nikoiaysen,L.が の通 り,同 じ谷 川(イ)の 水 を利 用 し た 家 屋 で は 略 女同 時 に8月 に,(ロ)の 水 を利 用 し Gutzeit,K.が 手 紙,Blumer,ゴG.が 玩 具,Hoeschが つて 掛 布 團, 黄 疸 患 者 の毛 を 旋 家 屋 で は9月 に 同様 同 時 に 嚢 病 してお り,明 か 夫 々 経 路 と し て 纂 げ た こ と も うな す け な い こ と は な 水 源 感 染 を示 した. あ る まい. 第17圖 VI潜 眞 庭 郡 美 知 村(矢 谷 氏) 伏 期 諸 家 の 報 告 が マ チ マ チ で あ り,そ の報 告 は お び た コ しい 。 例 え ばHastiegan,J.は2∼5日, Glover,J.A。&Wilson,J.は4日,Molner,J. G.&Kasper,J.A.は2∼3週,Wallgren,A.; 1,indstedt,R;Kathe,J.;Bloch,W.等 は21∼ 28日;Flaum,A.,Malmros,H:&Persoon,E. は30∼-6oEl,Cameron,J.D.S.は1∼6月 等 と し,更 同一 にHardy,H.L.&Feemster,R,は 家 族 に お け る 潜 伏 期 に 廣 い 差 異 が あ り,2∼21日 は 恐 く同 一 源 か ら の 感 染 で あ り,2ヵ 月 と い う長 い も の は 第 二 次 の 患 者 の 漕 伏 期 を 示 す もの と考 え (5)某 工 場 寄 宿 含 の 流 行 の 例 は 上 蓮 の 通 り水 源 感 染 で あ つ た. (6)集 讐 師 は 當 教 室 で は36名 を算 え る が,之 が,現 等 は現 地 に 沸 水 以 外 口に しな い こ と,手 指 沿 毒 を 嚴 重 に す る こ と,及 し な い こ と ゝ し,槍 は17∼28日,MacCallum,J-0.&Bradley,W. H.は27∼31日 (1)患 以上 を 経 過 す る 人 で,そ こ と は 泡 沫 感 染 乃 至 氣 道 感 染,或 の は接 鯛 感染 を否 定 し う る に 有 力 な 根 隷 と考 え られ る. 以 上 の 論 結1は"feca1・oralroute"を を 學 げ て い る.こ 異 を 糾 す た あ,次 び マ ス クは全 然 着 用 診 開 始1年 在 全 員 に 感 染 の 徴 候 す らみ ら れ な い.こ に は,爾 燈 接 種 實.験 で はHavens,W.P.は16∼85 日平 均25日,Findlay,G.M.&Mitchell,JB. 團 槍 診 並 に流 行 地 の 現 地 調 査 に 關 與 し た お い て手 持 辮 當,煮 た.人 の 様 な 検 索 を 行 つ た. 者 よ り明 か に感 染 を 受 け た と 考 え られ る の 患 者 と の 接 燭 期 間 が 短 く,他 病 原 髄 が 糞 便 よ り排 泄 さ れ る と い う事 實 を 訣 い で お り不 完 全 で あ り,Findlay,G.M.& Willcox,R.R.;Kirk,R.;MacCallum,EO.& り感 染 す る 機 會 が前 後 期 間 全 然 な か つ た 例 に 就 て か,特 殊 環 境 で な い 限 り,仲 行の初撰 々 完 全 な 例 を抽 出 す る こ と は 困 難 で あ る.幸 に赤 磐 地 域 の 流 行 の 初 期 で そ の1例 を 抽 出 した.鄙 ち 患 者 小 ○ 豊 は 昭 和27年 工2月ユ6日獲 病,18日 が の患 者 よ 計 算 す る 場 合. 本 法 が 最 も 自 然 で 信 頼 性 が あ る が,流 論明 する Bradley,W.H.;Neefe,J.R.&Stokes,J.等 れ ら潜 伏 期 の 業 下 に イトれ た が,自 午 後 入 院,21日 電 撃 性 肝 炎O 宅 に て 加 療 中 看 護 に 當 つ た 花C 患 者 の 血 液 及 び 糞 便 を志 願 者 に 経 口的 に 投 與 し, 妙 ○ は 看 護 前 及 び 入 院 後 肝 炎 患 者 に 接 し,或 獲 病 させ た 實 験 事 實 を 借 る 必 要 が あ る.我 染 の 可 能 性 あ る 機 會 に は 全 然 接 しな か つ た が,そ 々 は現 在 取 扱 つ た本 疾 患 が從 來 の報 告 例 よ り 重 篤 で あ る れ に も拘 らす 昭 和28年1月10日 場 合 の 多 か つ た こ と よ り,叉 花 ○ 妙 ○ の 潜 伏 期 は24∼26日 つ た こ と も手 傳 つ て,こ 志 願 者 を え られ な か れ ら諸 家 の 實 験 を追 試 出 來 な か つ た こ と を 遺 憾 と す る.尚 以上 の我 々の え 褒 病 した.從 は感 つて の 間 と 計 算 出 來 る. こ れ ら に 似 た 例 はSeyfarth,S.がLeipzlgO小 兜 科 で 隔 離 した 小 供 が 潜 伏 期 の 人 と僅 か な 期 間 接 354 目本 傳 染 病 學 會 雑 誌 第4表 鯛 し叢 病 した 例 よ り潜 伏 期 を23日 と した例,及 び Selander,P.が 同様 似 た例 よ り15∼18日 と計算 し 第28巻 第6-7號 潜 伏 期 の検 討(家 族 感 染 例) た 例 が あ る. (2)集 團槍 診 に依 り獲 見 された 漕 在 性 肝炎 乃至 所謂 不 顯 性 感 染 例 よ りの議 病 一 過 性 に流 行 の行 わ れた 赤 磐 地 域 の5部 落 ,及 び 久米 郡 吉 岡 村 の藤 原 社 宅 の 一 部 及 び周 邊 部 落 に お い て,流 行 後 上 記 の如 く集 團検 診 に依 り,潜 在 性 肝 炎 及 び所 謂 不 顯 性 感 染 例 を標 示 し,爾 後 これ らの部 落 にお け る薪 患 螢 生 歌 態 を 觀 察 し て 行 く と,そ れ らの地 域 の新 患 者 は第3表 の 如 く多 く標 示 者 で あつ た.而 も赤 磐 地 域 で 特 に顯 著 で あつ た の は,桃 の 袋 掛 け,萎 刈 り,田 植,,田 の草 採 り等 の 重 勢 働 が誘 因 と な る場 合 が 多 か つた こと で あ る。 この 事 實 は 本 症 では 病 原 艦 擁 取 後 規 則 正 し く 一 定 の漕 伏 期 後 に磯 病 す る と は限 らす ,謂 わば 磯 病 準 備 歌 態 の ま ゝ遷 延 し,何 らか め機 會 に獲 病 す る場 合 が可 成 りあ る こと を示 唆 す.る もの で あ る。 第3表 備 考A赤 B吉 磐 地 域30家 族(同 時1)一 川 村62家 族(同 時8)一 勘 くと も20∼30日 は赤 磐 地 域 で は36例 中5例,吉 川 村 で は73例 中6例 に しか過 ぎぬ こ と ゝな り,叉 赤 磐 地 域 で は30日 以上3∼6月 集團検診後 の新患者獲生 状態 緩 慢な流行 急激な流行 奇 異 で あ る.で 或 は1年 もあ つ て は この磯 病 日の す れ は何 を意 味 す る もの で あ ろ うか.先 す家 族 感染 で は1人 の罹 患、 者 か ら次 の家 族 に感 染 す る場 合 と,同 時感 染 は し た が,畿 病 日に す れ の あ る 場 合 とが考 え られ る. そ こで先 す家 族 内 で の感 染 が 主 で あ る とす れ ば,' 通 常 は褒 病 日の す れ は(1)で 検 討 した 漕 伏 期 乃至 それ以 上 の 日数 を示 す筈 で あ る が,事 備考 ○ 潜在性肝 炎 を含 む △ 要 注意 × 不顯性 感染 *同 家 に不顯性 感染者 があP ,そ の獲病 に次 で感 染獲病 したと思われ るものを示す。 な い.そ こで この假 定 を満 足 させ る 爲 に は,(イ) 他 へ の感 染 は潜 伏 期 中 に お こる か,(ロ)他 の者 よ りの感 染 か,(ハ)(1)で 上ヒ較 的 純 な 感 染 を螢 む もの と考 え られ る 家 族 感. 房 郡 吉 川 村62家 族 を選 の家 族 検 討 した 潜 伏 期 よ りも遙 か に短 い潜 伏 期 が安 當 で あ る か,何 (3)家 族 感 染例 に 關 す る検 討 染 例,赤 磐 地 域30家 族,上 實 は そ うで 假 定 が主 で な け れば な らな い.先 れかの す(イ)の 可 能 性 につ い て み る と,爾 例 と も7日 以 内 の 例 が 多 い か び,各 家 族 内 感 染 者 の獲病 日のす れ を 計 算 した. ら,漕 伏 期 を(1)の 如 く20∼30日 と すれ ば,潜 伏 ちな み に前 者 は比 較 的 緩 慢 な 流 行 にみ られ,後 者 期 の初 期 は寧 ろ感 染能 を有 す る こと トな り,後 に は急 激 な流 行 にお いて み られ た もの で あ る.尚 同 一 家 族 同時 褒 病 例 は 前 者1 ,後 者8あ り,叉 同 一 検 討 され る感 染 時 期 に矛盾 す る こと 、な る.從 つ 家 族 内3名 以 上 の罹 患 者 もあ るた め.前 の考 え は吉 川 村 の例 の如 く,急 激 な流 行 例 で は 一 は36,後 者 に 就 て は73に り,そ の成 績 は第4表 就 て検 討 した こと ゝな の通 りで あ る.所 を假 に漕 伏期 とせ ば,(1)で 者 に就 て で この差 槍討 した24∼26日, て この考 え は特 別 例 以 外 姜 當 性 は な い.次 鷹 考 え られな い こと もな い が,家 に(ロ) 族 感 染 の多 くが これ に 属 す る と の考 えは 要 當性 を 訣 ぐ き らい が あ り,ま して緩 慢 な流 行 を示 した 赤 磐 地 域 の例 で, 355 昭 和29年10月20日 他 よ りの感 染 を 絶 え ず考 慮 す る こ とは 妥 當 で な と が分 つ た が,漫 い.次 に(ハ)の 考 えで あ る が,例 か にす れ が あ る.又 餅 つ き等 の 過 労 さえな けれ ば え ば第18圖 の吉 川村 に お ける5人 罹 患 の例 で検討 す る と,6∼12 日 を一應濳 伏 期 と考 え度 い が,全 例 特 に赤 磐 地 域 の例 で は必 ず し も妥 當 でな い.も と もと濳 伏 期 が 流 行 に よ り著 し く異 る との概 念 は 無 理 だ と考 え る .か ら,6∼11日 とい う無 理 な 短 い潜 伏 期 も當 らず, は 磯 病 せ ず と も考 えた で あ ろ う. Neefe, J. R. & Stokes, J. は 人髄 實 験 に もとず き,病 原 體 の 量 の 減 少,活 力 の 減 退 は潜 伏 期 の 延 長 並 に病 型 の不 定 型 化 を起 す と述 べ て お り, Lichtmann, S.S.は 總 説 して濳 伏 期 の變 動 の 廣 い の は 毒 力 の相 違 す る多 く の 株 の 存 在,周 園 の因 子 の Virusに 及 ぼ す影 響,感 染Virusの 濃 度,個 體 (ハ)の 考 え は多 くを 論 す る必 要 は あ る まい. 第18圖 或は 然 と發 熱 日を發 病 日とす れ ば確 潜 伏 期 の検 討(家 族 感 染 例) の免 疫,個 體 の個 人的 感 受 性 の 相 違 等 を考 え てい る が,最 も毒 力の 強 く,死 亡 者 を出 した 病 原 艦 に 直 接 罹 患 した 筈 の(1)で 検 討 した 例 の 濳 伏 期 は 上 蓮 の通 り他 の 諸 家 の 例 よ り 短 くな い と ころか ら云 つ て も,例 えば 毒 力の 相 違 す る多 くの株 の 存 在 を た や す く承 認 出 來 ない が,何 れ に せ よ毒 力 の農 度,強 度 乃 至 個 體 の抵 抗 力等 が その 誘 因 と相 俟 つ て潜 伏 期 を複 雑 に し て い る こと は事 實 で あ り, Aycock, W. J. & Oren, も認 め て い る様 W. F. に,こ れ が本 疾 患 の 特 徴 と も考 え られ る. VII感 染時期 黄 疸 前 期 及 び 黄 疸 期 め 初 期 にお い て 感 染 能 が あ る と の考 え は Lichtmann, S. S.; Lisney, A. A.; Pickles, W. N.; Paul, J. R., Havens, 斯 くて 家族 感 染 では 多 く 同 一源 よ り同 時 に 感 染 した もの が,(2)に お け る検 討 の如 く,或 る例 で は その ま ゝ發 病 に,あ る例 では 潜 在 性 肝 炎 乃 至 不 顯 性 感 染 とな り,何 等 か の 誘 因 で議 病 す る もの で あ る.事 實 後 に論 す る様 に本 疾 患 で は獲 病 者 の7' ∼11倍 に も達 す る と推 察 され る濳 在性 肝 炎 及 び不 例 を示 した が,は12月30日 熱 し,典 型 例 を示 しだ.こ 態 を詳 細 問 診 す る と,に S.; H.; Hellmann,R.; Kramer, Gutzeit, K.; Diet-rich, G. 等 一般 に認 め H. & Rewerts, て い る様 で あ る が,他 Stuhl- の時 期 例 えば 潜 伏 期 に感 染 能 が あ る とす る者 (Segfarth, S., Lindstedt, F.) 恢 復 期 に も恐 く感 染 能 が あ る とす る者(Siede, W.) 者 と もい うべ き もの)が あ り うる と す る者(Siede, 今 家族 感 染 の好 例 を挙 げ よ う. は昭 和28年12月25日 farth, W. P., Sa- Meythaler; が あ り,更 に健 康 者 で感 染 能 あ る例(病 原 體 保 有 顯 性 感 染 例 がみ られ る こ とで も首 肯 され る. ,42歳,,35歳 bin, A. B. & Philip, C. B.; は 夫 婦 で あ るが, よ り急 に發 熱 し,典 型 餅 つ き後急 に磯 の際 兩 人の 磯 病 前 の 歌 は殆 ん ど自覚 した 何 らの訴 え もなか つ た が,は12月24日 食 思 不 振,肩 凝 り,肘 及 び 腰痛,微 より 熱,全 身倦 W.)す らあ る.そ れ に 反 し北本 教 授 は その總 説 に お い て病 原 體 保 有 者 の存 在 を否 定 して い る.所 で 我 々 の えた 見 解 は 次 の如 くで あ る. (1)發 病 初 期 の例 (イ)例VI項(1)に 項 げた の例 は正 に發 病 初 期 罹 患 の例 で あ る. (ロ)例 當 病院 産院 に 入 院 中の 怠,疲 労感 を訴 えて お り,明 か に兩 人 は嚴 密 に い 28年11月3日 發 病,8日 う と略 ゝ同時 に磯 病 してお り,同 時 感 染 で あ る こ 疸 出現 し13日 内科 へ 轉 科 した が,當 は昭和 男 児 を無 事 分 娩,10日 黄 分 娩 介 助 に當 356 日本 傳 染 病 學 會 雑 誌 つた 看 護 婦 は 昭 和29年1月1日 た.は 發病 し 分 娩 時 の介 助 以 外 他 に 感 染 の機 會 は な か つた. る. (4)不 顯 性 感染 よ り發 病 す る時 は 感 染 能 は あ り れ は漫 然 と観 察 した 場 合,初 感 染 の場 合 と区 別 で きぬ. 例,主 (2)發 病 後 か な り時 期 をへ て も感 染 能 は あ り う る. 第6-7號 同様 の例 と考 え る. うる.こ 以 上 の例 の 如 く護 病 初 期 の 感 染 能 は肯 定 出來 第28春 人 は 昭和28年3月3日 診 時 の 所 見 で,不 の集團検 顯 性 感 染 と診 定 され て い た が, 農 繁 期 後8月10日 發 病 した.妻 は數度の 例)刑 務 所 内 感 染 の例. 検 診 で異 常 所 見 な く,未 感 染 者 と考 え られ て い た この 刑 務 所 で は,拘 が,9月4日 あ る が,舎 置 場 は時 に外 部 との交 流 は 房 で は外 部 との交 流 は全 くな く,例 外 的 に 新入 所 者 に よる交 流 が あ る の み で あ る。 然 し 舎 房 間 に は時 折 り交 流 が あ る。 所 で 年5月26日 は昭 和28 發 病 し,6月16日(第16病 日)入所,16 磯 病 した.こ (5)病 原體 保 有 者 の存 在 を認 定 す る例. 某 刑 務 所 の例 で あ る.は 昭和28年2月 日中 旬 發 病,4月7日 迄 加療 を受 けた が,本 人 は2月13 日迄 刑 務 所 内 で加 療 を受 けた.入 所後同一舎房 に 日拘置 場 に 入 所,偶 いた 迄 加 療 を受 け, つ た が,は3月6日 は7月25日 は9月5日 發 病,8月26日 發 病,9月22日 而 も,の 迄 加 療 を受 けた. 發 病 以 前,以 い.從 つ て,は 少 くと も 外 入 舎 して いな よ り罹 患 した もの で, 々同 所 に い た し,次 で4月12日 よ り二舎 へ韓 舎 した.こ 例i刑 月11日 迄,が7月7日 癒 した と考 え,2月23日 入所,3月6日 再發 し た.同 一舎 房 で 以前 よ り入 所 中 の 發 病,4月21日 つて 發 病,4月25日 に潜 在 性 肝炎5名 迄 を發 見 した.從 の再 發 に依 り同房 者 へ 感染 を起 した こ と ゝな る. 例ii赤 2月16日 發 病,3月10日 發 した.次 は昭 和28年 輕快 した が,6月2目 で妻 は7月2日 再 發 病.恐 ら 例iii赤 磐 地 域 の例 で,主 入 發 病,5月20日 日再 發 した 次 で妻 は昭 和 輕 快 した が,6月8 は7月2日 發 病. 磐 地 域 の例 で,母 3月20日 發 病,4月16日 月2日 再發,次 で息 子 れ らの患 者 は の入 舎 に よ り つて は病 症 輕 快 保 有 者 と考 え ざ る を得 な い. 以 上 の経 験 か ら發 病 初 期 に お い て最 も感 染 能 を 有 す る こと は勿 論 で あ る が,發 病 後 相 當 時 日が経 は恢 復 後 も感 染 能 を有 す る こ と が あ る こ と を注 意 しな けれ ば な らぬ.尚 に み え る もの,例 一見 健 康 えば 濳 在 性 肝 炎 乃 至 不 顯 性 感 染 例 に感 染 能 が あ るか 否 か に就 て は 確 證 を え て いな か ら推 して もその 可能 性 は 十分 推 定 し うる. VIII誘 因 上 述 の事 實 よ り本 症 で は,個 體 の抵 抗 を減 弱 さ せ る凡 ゆ る條 件 は誘 因 とな り,本 症 の發 病 には誘 前 同 様 再 發 に よる感染 と考 え る. 例iv赤 3名 を發 見 した.こ 在性肝炎 い が,上 述 の 赤 磐地 域 に お け る 集 團 検 診 時 の成 績 く再 發 時 の感 染 で あ ろ う. 28年4月25日 よ り6 よ り7月30日 迄, よ り8月31日 迄 夫 々發 病,濳 過 して い て も,或 磐 地 域 の 例 で,主 人 に潜 在 性 が5月26日 後 も長 く感 染 能 を有 して お る こ と ゝな り,病 原 體 發 病,4 月30日 迄 加療,は4月7日 が8月14日 發 病,他 感 染 した 以 外 考 え られ な い.從 は4月1日 迄 加療,は4月3日 治 療 を受 け,外 ゝ治 れ らの 舎 へ は本 疾 患 に罹 患 した他 の新 入 舎 者 は 入 つ て い (3)再 發 時 感染 能 を有 す る. 發 病,略 加療 を中 よ り4月12日 迄 一舎 へ韓 舎 肝 炎3名 發 生 し,二 舎 で は 務 所 の例 と昵 懇 とな 發 病,4月3日 止 した.は3月22日 な い.所 で 一舎 は8月2日 の第16病 日以後 で あつ た. は刑 務 所外 に て 昭和28年1月 れ は主 人の發 病 に伴 い 感 染 し,發 病 した もの と考 え られ た. は昭 和27年 輕 快 した が,昭 和28年3 は3月23日 發 病,前 因 が大 きな役 割 をな す ものを 考 える. IX流 行 の季 節 外 國 にお け る報 告 は秋 期 乃 至 冬 期 が多 く,秋 期 357 昭 和29年10月20日 第5表 病(Deines, H.),冬 期 病(Wallgrem, 節 で あ る.我 A.),秋-冬 病(Siede, W.)乃 至季 節 病(Siede, W.)等 てい る.我 季 と呼 ば れ 國 の多 數 の諸 家 の報 告 で は 一定 して い 々 の 岡 山 縣 の 例 で は 第6表 ∼23.9%に 次 に Findlay, な い 。我 々 が岡 山縣 の各 地 に お け る 流 行 に就 て検 H. C.; Linsnev, 討 す る と,第5表 N.,弘 の通 りで,必 ず し も一定 の傾 向 は み られ な い が,7∼8月 に 山 を もつ 場合が多 の 通 り0.33 當 り可 成 りの 變 動 が み ら れ る. G. H., Dunlop, J. L. & Brown. A. A.; Deines, H.; Pickles, W, 及 び森 等 は 流 行地 に お い て屡 ゝ家 族 感 染 の み られ る こ とを の べ て お り,中 村(隆)は 全 患者 の く,田 植,氣 候 不順 等 が 關 係 してい るの でな い か 21.4%に み ら れ た とい う.我 と考 え る.尚 32.0%の 間 に あ り,可 成 り感 染 の 浸 透 す れ ば 高 率 水 源 感 染 と考 え られ る爆 發 的 流 行 は 夏 期 に起 つ て い る こ とは,水 源 感 染 をお こす 他 の を示 す の で な い か と考 える(第7表). 第7表 疾 患 と一脈 相 通 ず る と ころ が あ り,興 味 が あ る. X罹 患 率 及 び 家族 感 染率 罹 患 率,嚴 は1.2%, Gotlandで もSiede, Opltz, & & 密 に は 磯 病 率 はThalheimの K. Da Silva Stokes, ∼50%,前 都 市3.5%,田 W.に 10%, 25%, J.は よ る), Kathe, J. 14%, Wickstrom K. De 第6表 Neefe, Gald, 村(隆)2.2∼2.6%等 罹 患 率 れ 1∼10%, Bettencourt F.40%, 夏 キ ャ ン プ で65%, 野2.5%,中 家 族感染 流 行 で 舎1.9%(何 Gutzeit, 々の 例 では10.0∼ J. R. R. L. 40 XI罹 区 々 患 年 齢,性 本 疾 患 が 軍 隊 病(Bormann, nes, H.),學 様 に,少,青 別 F. V.),小 校 病(Selander, P.)と 呼 ばれている 年 を主 と し て 侵 す 疾 患 で あ り,乳 及 び 老 年 で は 稀 で あ る と され て い る. は 一 般 に 小 児 病 で 幼 稚 園 兜,學 人 を 侵 す と す れ ば20∼30歳 て い る.我 児 病(Dei- Siede, 見 W. 校 児 を 侵 す が,成 を 最 も 良 く侵 す と述 べ 々 の 例 で は 第8表 の 如 く,吉 岡 村,吉 川 村 の 例 で は10歳 以 下 も 可 成 り み られ て い る が, 358 日本 傳 染 病 學 會 雑 誌 第8表 20歳 代 は 各 流 行 例 と も最 も多 い.而 も各 年 齢 暦 に 互 り,可 成 り廣 く根 を 擴 げ て お り,71歳 患 例 も各 例 に み られ て い る.個 性 別 年 齢 以上 の罹 多 少 各 例 に お い て 差 異 が 感 ぜ ら れ,從 つ て流 行 に 次 に 性 別 に つ い て は,外 A., Selamder, smey, A. A.等)男 P., ん ど大 部 分 の 報 告 は 女 に 多 い.所 は 第7表 の 如 く,赤 磐 地 域,琴 い.從 E. R, Lin- 本 では 殆 で岡 山縣 の例 で 浦 町 で は 略 ゝ同 率 岡 村 で は 男 に 多 く一 定 し な つ て こ れ ら の 關 係 も 亦 流 行 に よ り夫 々 異 る 型分類 冒,胃 全型 の Hartfall, 10∼20%と R. B., Allen, 経 験 した例 で は,定 謂 い, F. W., S. J. Barker, Havens, W. で我 々の 型 例 と不全 型 例 の頻 度 は流 行 えば琴 浦 町,矢 掛 町 で は典 型 例 が 多 く,吉 川村,古 は不 全 型 が 多 か つた.又 可 成 り差 が あ る.例 岡村 で 同 一地 域 で も時 期 に依 り えば赤 磐地 域 で は第9表 よ り昭 和28年2月 全 型 の比 は53:40で あつ た が,以 よ り9月 迄 で は23:97と 岡 に從 あ 顯 性 感 染 は流 行 に お に依 り,文 検 索 法 に よ り可 成 り異 る.例 り昭 和26年8月 種 々 の 病 型 分 類 が 報 告 さ れ て い る が,北 R. い て比 較 的 多 い もの と推 定 して い る.所 も の で あ る こ と が 分 る. XII病 Capps, H. J.は1.6%, M. る と した.北 岡 は 不全 型,不 國 の 報 告 は 多 く(WallCulliman, 女 同 率 で あ る が,日 吉 川 村 で は 女 に,吉 M. H., Pollock, さ れ て お り,不 P. & Paul, J. R. は黄 疸 型 と無 黄 疸 型 は1:1で よ り夫 々 變 動 が あ る もの と 考 え られ る 。 grem, 頻 度 はWillams, 7%, 第6-7號 ・ 性 別6 大 竹 等 多 数 の 人 に 依 り指 摘 々 の詳 細 に就 て ば 第28巻 な り,逆 の通 迄 は 典 型 例 と不 後 昭 和28年3月 に不 全 型 が遙 か つ て 定 型,不 定 型(黄 疸,感 腸),不 顯 性感 に増 加 して い る.次 染 と 分 け,之 に 潜 在 性 肝 炎 を 追 加 す る.流 行 時不 顯 性 感染 例 の比 を先 に述 べ た赤 磐 地 域,久 米郡 吉 岡 村 の集 團検 診 成 績 に就 て み る と,第10表 の通 り 定 型 乃 至 無 黄 疸 型 の 多 い こ とはJacobi, hart, Holler, H.; Burger, G.; Gutzeit, J.; Boen- M.; Asch, J. E. & Spitz, S.; K.; Dohmen, A.; 田 村, 第9表 に發 病 例,濳 在 性 肝 炎 例,不 で,濳 在 性 肝 炎 及 び不 顯 性感 染 の例 数 は 磯 病 者 の 約5∼11倍 病 型 に達 してお り,意 外 に 多數 で あ る のに 359 昭 和29年10月20日 第10表 集 團 備 考()内 検 診 成 績 は% る.先 に述 べ た 通 り,我 驚 く. XIII症 で は,本 状 々 が集 團検 診後 えた 所 見 症 の磯 病 以 前 肝 機 能 に は全 く障 碍 の な い 時 間 の關 係 か ら省 略 し,詳 細 は別 掲 載 に譲 る. 時 期 に,既 に第11表 の通 り,特 異 あ る血 液 像 を示 唯 一言 附 記 してお き度 い こ とは,「 肝 炎」な る病 して い るの が み られ る.こ の こ とはVirusの 名 の た め,肝 臓 に の み観 點 を集 中 し よ うと す る傾 向 は警 戒 しな け れ ば な らない こと で あ る.本 は全 身 性 疾 患 で あつ て.北 疾患 岡 の唱 え る通 り有 熱 全 侵 入 の後,肝 臓 等 に親 和 性 を有 す る以 前,全 身 反 應 の現 れ る こ と を示 す もの で あ る。 (2)毛 細 血管 像 爪 床 にお け る毛 細 血 管 像 の變 化 は本 疾 患,特 身 相.次 で臓 器 親 和 相 に移 行 す る もの と考 え られ る.全 身 相 の先 駆 す る考 え はSiede, W., Mark- その 病 症 経 過 につ れ て 特 有 な變 化,即 off, N. G., Ruziczka, 張,或 O.等 も肯 定 してい る.今 我 々 の主 張 す る根 據 を挙 げ る. 體内 は痙 攣,血 に ち迂 曲,援 流 速 度 の遅 延,血 流 の 断 績 乃至 顆 粒 形 成 等 を認 め る が,本 疾 患 の發 病 以 前 の 観 察 (1)血 液 像 の變 化 で も第19圖 の通 り,特 有 な所 見 が み られ て い る。 本 疾 患 にお い て 白血 球 系 に主 と して 變 化 を來 す 而 もそ の一 部 では 既 に頭 痛,全 ことは 別 掲 載 に譲 る が,.主 と して比 較 的 淋 巴 球 の 増 多,單 球 乃 至 類 形 質細 胞 の 増 多等 は特 異 的 で あ 第11表 身 倦 怠.疲 労 感, 下 肢 倦 怠 感 等 の 自覚 症 を訴 えた もの す らあ り,加 えて その 際 肝 機 能 障 碍 を認 め て い な い 點 注 目 され 發 病 前 の 血 液 像 360 日本 傳 染 病 學 會 雜 誌 第19圖 發 病 前 の血 管 像 く,注 意 散 漫.1月21日 第28巻 第6-7號 朝 來 背 部 痛,肩 凝 り及 び 所 々 の筋 痛 を訴 う.書 食 時 學 校 に て意 識 障 碍 を起 し,狂 躁 歌 とな る.麟 宅 後 口渇 を訴 え,多 量 の水 を飲 ん だ後,就 眠,翌 朝 よ り全 身 倦 怠 感 張 く,昏 睡 状,25日 朝 來 輕 快 した か に み えた が,26日 夕刻 激 烈 な上 腹 痛 を訴 え,"他 の醫 師 に受 診,,26日 黄 疸 出現,夕 刻 よ り肝 機 能 不 全 に陥 る.約2週 後意識 恢 復,順 調 な経 過 を辿 る. iii)23歳 男學生 昭 和28年9月14日 る. 授 業 中 頻脈,熱 感,頭 痛 を訴 う.當 夜 四肢 の しび れ 感 を,翌 朝 は全 身 の夫 れ, 所 で本 疾 患 に お ける 毛細 血管 と 肝實 質 細胞 障碍 との 關 係 に就 て はVoegt, H.は 肝 細 胞 に 障碍 の な い の に 毛 細 管炎 の み られ た例 を墨 げ,毛 を一 次 的 な もの と し,Siegmund, H.&Brass,K.も 細 管炎 H.; Axenfeld, 之 に贅 成 し, EpPinger, 漿 液 性 炎 衝 の 概 念 を 肯 定 した.Gutzeit, H.の K. は病 原 髄 は 先 す 毛 細 管上 皮 細胞 並 に 星 芒 細 胞 に撮 取 ざ れ た 後,こ れ ら細 胞 か ら病 攣 を起 す と考 え,Holler, G.は 網 内系 障 碍 に 重 黙 を お き,本 症 は傳 染 性 細 網 上 皮 症 であ る と まで極 言 し,Bachnef,F.等 猛 烈 な 反 論 を受 けた.然 の し何 れ に して も上 記 の 通 り,肝 臓 以 外 の 毛 細 血 管 に磯 病 以 前,著 明な機能 的 攣 化 を俘 うこ とは,血 液 像 の攣 化 と相 侯 ち,全 身性 攣 化,特 に問 葉 組 織 の異 常 な 反 應 を示 す もの と して注 目 され る. (3)本 症 の 前駆 期 に 一 一致 し,精 神 ・神 経 症 歌 が 結 婚,そ り,家 に 引込 み勝 ち とな る.時 の 頃 よ り陰 轡 とな に 山昏 木 を伐 りに 行 くが,非 常 に疲 れ る よ うで あ つ た.醫 師 に依 り 紳 脛 衰 弱 と して治 療 され た.4月5日 夕 激烈 な上 腹 部 痛 を訴 え,他 の醫 師 に 受診,輕 度 の黄 疸 を指 摘 さる.發 熱 な し.4月8日 し,肝 機 能 不 全 に 陥 る.約20日 書 頃 よ り脳 症 を起 の 治療 に依 り,意 識 恢復.半 年 後 完全 治 癒. ii)17歳 熱38.7℃.Guillain-Barrさ れ,.腰 椎 穿 刺 實施,異 常 な し.26日 の 自動 蓮 動 は 次第 に輕 快.28日 女良好.30日 よ り手 及 び 足 全 く解 熱,氣 分稽 食 思 不 振,悪 心,嘔 吐 を來 す。10月 1日 黄 疸 出現,以 後 順調 に経 過.10月29日 治 癒. 以上 何 れ も精 神 ・紳 経 症 を前 駆 症 と し,後 障 碍 を起 した もの で,全 に肝 身相 の前 騙 を有 力 に示 唆 す る もの で あ る.多 (4)剖 槍 例 につ い て の検 討 症 例i)25歳 男子 巡査 本 症 は 典 型 的 な電 撃 性肝炎 の 症 歌 を示 し,6日 の 経過 を以 て死 亡 した例 で,症 歌 の 大 要 は 第20図 検 の結 果,髄 異 り,腹 膜,心 表 に現 れ た 攣 化 と著 し く 嚢 就 中腸 問 膜 に小 指 頭 大 の血 腫 と で,そ の 組 織{象 嫁 最 も特 異 的 で。 肝 實 質 の禰 漫 性変 性,壊 死 並 に 出 血 が張 く,細 胞 浸 潤 は極 めて 少 く,再 生 乃 至 脂 肪 変 性 の像 は 全 く皆 無 に等 しい 像 で,全 く反 應 の な い迄 に打 壌 され た 像 で あつ た.脾235瓦,濾 の 浮 腫 歌 腫 脹,脾 胞 費 の血 管 麻 癖 を認 め先.腎 度 な 實 質 攣 性 を,肺 は高 は肺 胞 壁 毛 細 血 管 麻 痺 に伴 う 充 血 及 び濾 出 性 出 血,胃 腸 は高 度 な 粘 膜 の浮 腫 と 廉 瀾 を,大 脳 は浮 腫 歌 で,著 症 例ii)43歳 始 め よ り全 身 倦 怠,氣 力,學 低 下 が あ つ た.1月19日 症候 群 を疑 わ 明 な淋 巴腔 の接 大 を 認 めだ. 女學生 昭 和29年1月 た.發 思 わ れ る出 血 が著 し く,肝1165瓦 男 子. 昭和28年3月22日 動 運 動 は不 能 とな り,強 い て動 か せ ば疹 痛 を來 し に示 す:剖 著 し く,他 の疾 患 と間 違 え た例. 例i)/24歳 及 び 四肢 の脱 力感 を來 し,夕 刻 に は手 及 び 足 の 自 力の 頃 よ り特 に その傾 向 が 強 男子 家 族 内 に本 疾 患 の流 行 を認 めた 例 で,前 些 か遽 延 した 経 過 を示 した が,電 例 より 撃 性 肝 炎 の範 疇 昭 和29年10月20日 第20圖 361 死 亡 例(電 撃 性 型)2j♂ 第22圖 第1同 再 發 2.10頃 肝臓機能検査 R(卅) Cobalt Wdtrnann 清 血 ビG.7.37mg/dlD.1.85Bil.高 Rlo Grcss R(卅) Thymo1. 田 輕 症,不 死 亡 例III19j♂ 全 型,昭27.12.5∼28.1.10 昭 和28.2.18 よ り前 躯 症 肝機能 血清 ビG1516(D.7.55)mg%Ta(卅)Thym10mCCF(冊)血 清蛋 白4.2%A/GO.59γ-gl 30% 8 Mu. に一 致 した.脾 R(卅) には 脾 費 の 充 血 及 び轡 内 皮 腫 脹, 剥 離 を,腎 には 高 度 の 實 質 攣 性 を,肺 第21圖 死 亡 例II43j♂ 家 族,妻,實 子3何 れ も前 に罹 患 に は胞 隔 性 肺 炎 像 を認 め た. 症 例iii)14歳 男子 初 め典 型 的 肝 炎 の 像 を示 して 發病 した が,病 遷 延 し,第29病 症 日よ り急 に悪 化 し,肝 萎縮 症 の 症 状 を示 し,死 亡 した もの で,そ の経 過 は第22圖 の 通 りで あ る.剖 槍 で は肝 臓 は萎 縮 し,組 織 學 的 に は赤 色 萎 縮 の 像 が著 し く,肺 で は胞 隔性 肺 炎 の像 を一 部 認 めた. 症 例iv)22歳 男子 症 例3)と よ く似 た経 過 を示 し,肝 萎 縮 症 の症 状 で死 亡 した 例 で あ る。 本 症 で注 目すべ きは腹 水 の 出 現 で あ る.そ の症 歌 経 過 は 第12表 る.剖 検 に よれ ば,肝 の通 りで あ 臓 は萎 縮 し,250瓦,肝 質 は禰 漫 性 変 性 及 び 出 血 を示 し,間 質 は檜 殖,圓 に入 るべ き もの で あ る.そ 形 細 胞 の浸 潤 及 び潤 管 の 著 明 な 増 殖 を認 めた.肺 實 肝 能 血清 ビG.2.23(D.0.71)mg%Ta(卅)W (γ)G(卅) Ccb.Rlo Tym 10m CCF(卅) の 症 歌 経 過 は 第21圖 の 通 りで あ る.唯 注 意 すべ きは,コ を嘔 吐 した 爲 胃潰 瘍 と欄 違 え られ 外 科 へ 入 院 し た こと で あつ た.剖 ー ヒ残 渣 様 吐 物 検 所 見 で は前 例 同 様 腹膜,腸 間 膜 に著 明 な 出 血 があ り,組 織 學 的 には肝 臓 は禰 漫 性 攣 性,壊 死 に 陥 り,小 葉 周 邊 の み肝 細 胞 は遺 像 を示 し,腎 部 胞 隔 性肺 炎 の は細 尿 管 上 皮 の 高 度 の 攣 性 及 び 間 質 の 圓 形 細 胞 浸 潤 を,脾 で は赤 髄 にお け る充 血,及 び 脾 濾 胞 の 腫 大,増 殖 を夫 々認 め た. 以上 の 如 く剖 検 所 見 で は肝 臓 の 変 化 に と ゞ ま ら 葉 内 及 び周 邊 部 で す 全 身 各臓 器 に夫 々著 変 を 認 め る ことが 出 來 る. の像は肝炎の典型像 而 して各 症 例 に よ り多 少 の 差異 を示 す の は,Virus 残 し,一 部 再 生現 象 を認 め,小 は高 度 の細 胞 浸 潤 をみ た.こ は 中隔 の充 血 及 び 肺 胞 内 出 血,一 362 日本 傳 染 病 學 會 雑 誌 第12表 女 子 が 主 で(岡 第6-7號 山 縣 全 盟 で は 老 年 者 も多 く,男 略 よ同 率 で あ る),頭 を發 し,輕 第28巻 痛,'胃 女 腸 症 状 が 激 烈 で,高 症 例 よ り解 熱 し難 く,黄 熱 疸 の 出現 は 屡 女邊 延 し,死 亡 時 迄 氣 付 か ぬ もの す らあ つ た.屡 女 コ ー ヒ淺 渣 檬 嘔 吐 を來 し,胃 え られ た 例 が あ る.意 能 不 全 の 下 に イトれ た.上 典 型 例 で あ る.而 潰 瘍 の 吐 血 と間 違 識 澗 濁 は 早 期 に 現 れ,肝 述 の 剖 検 例i)ii)は 機 その して こ れ ら悪 性 肝 炎 を お こ す 要 因 に 就 て は 爾 審 か で な い が,赤 磐 地域 の流 行 地 の 一 部 で 實 施 した 榮 養 調 査 で は ,平 均 熱 量 の 低 下, 蛋 白 質 の 量 的,質 minB五,B2の 的 低 下,無 げ る べ き もの で あ つ た が,更 勢,絡 機 質Calcium,Vita- 不 足 が 目立 ち,そ の 要 因 と して 取 學 に 精 神 的,肉 罐的過 局 には 病 原 髄 の 毒 性 乃 奎量 を 學 げ な け れ ば な らな か つ た. の 毒 性,個 血 管 麻 痺,充 縮,細 血,實 質 臓 器 の 攣 性,壌 胞 浸 潤 等 の 攣 化 を或 は 強 く,或 死 乃至 萎 は 弱 く現 し XIV悪 し て 一 項 目 を も うけた の 行 性 肝 炎 と は 若 干 異 つ た もの と の 考 え に 立 つ た 爲 で は 決 して な く,我 々の 経 験 では 流行 性 肝 炎 中 の 悪 性 型 と考 え て い る の で あ る が,近 型 の 多 發 が あ る や に 推 定 され る の で,喚 來 この 心 をi新に す る 積 りで 掲 げ た もの で あ る. 悪 性 肝 炎 は,急 し,發 B.& 病 後10日 Mallory, 激 に 著 し い 肝 細 胞 壌 死 をお こ Pave1, H. E.; Wood,D.A.)と1∼3ヵ の 後,急 に 肝 性 昏 睡 の 下 に イトれ る遽 延 型(Jersild, .M・A・&L6dδen,0.)に の48例 分 け ら れ る.岡 よ り 昭 和28年8月 て 死 亡 し た 例 は,我 は10日 以 内 の 死 亡 で,電 み た が,そ 迄流行性肝炎 に 々 の 知 る 限 り87例 で あ り,そ に 赤 磐 地 域 で は 昭 和28年1月 シアでは 逸 で はVoigt,G.;Kahn,H.A.& Hitzelberger,A.;Beckmann,K.等 何 れ も本 疾 患 で は 長 期 に 障 碍 の 残 る こ と を述 べ て い る.一 方 Barile,A.W.,Taguchi,J.T.&Mailnon,S.N. 或 はLuck6,B.等 は 多 少 肝 障 碍 は 残 る に して も 撃 型 に 驕 した.特 迄 に14例 の13例 迄 は 同 型 に 屡 し,注 の死 亡 例 を 目 さ れ た. そ れ らの 詳 細 は 時 間 の 關 係 か ら別 掲 載 と し,本 で は そ れ らの 大 網 を読 明 す る.郎 ち20∼40歳 我 々 が 赤 磐 地 域 で,臨 項 代 の 床 治 癒2ヵ 月 以上 経 過 し に つ い て 精 密 検 査 を 實 施 した 所 で は, 第23圖.i豫 月 の経 過 M.;み1sted,G.;Bergstand,H.;M叫er,T; 山 縣 下 昭 和26年 P., 米 國 で はVolwiller,W.&El1- Straucher,猫 た もの153名 1.; Sepulveda,B.; Tayler, Salven, はSelander, 結 局 早 期 に 治 癒 す る もの で あ る と 考 え た. を 出 で す 死 亡 す る 電 撃 型(Lucke, T.; 本 症 の 豫 後 は 樂 観 を許 さな い.Scandinaviaで B.;RapPaport,E.&Klatskin,G,ロ 性 肝炎 症 散 の項 目 よ り 猫 立 後 iot,J.A.;TumenlH.J.&C6hn,E.M.,Re血nie,- た 結 果 に 外 な らぬ もの と 考 え ら れ る. は,流 XV豫 髄 の 之 に 樹 す る 反 癒 力 の 差 異 に よ り, 後2ヵ 月 以 上 の も の(153名) 363 昭 和29年10月20日 第23圖 の如 く完 全 治 癒19.5%,明 残 す もの34.8%と な つ て い る.所 らか に 肝 障碍 を す もの は 機 能 的 訣 損 治 癒 と 考 え て い る が,Sbo- で この地 域 は上 rov; V. M. &Keller, T.C.は 症 歌,臨 床所 見及 述 の悪 性 肝 炎 の多 發 した 所 で あ る か ら,重 症例 の び 肝 機 能 槍 査 成 績 が6カ 多 發 した6ヵ 月 以 前 の もの60名 と,以 激 的 に 出 現 す る な らば 慢 性 肝 炎 と 診 噺 して も良 い 名 と を分 け て み る と,前 の夫 れ は28.3%,肝 後 の もの93 者 の治 癒 率14.0%,.後 者 障 碍 を残 す もの は,前 者 で は と し,Barker, MH. 月 以 上 も持 績 し,或 &CapPs,P. B. は間 は3∼6カ 月 以 上 に 症 歌 の 遽 延 し た も の を名 付 け て い る. ノ 42.8%,後 者 で は27.0%と は あ る に して も,長 な つ て お り,多 少の差 く肝 障 碍 が 残 され て い る こ と Beckmann,K.は 肝 炎 後 症 候 を 訴 え,外 肝 腫 が あ れ ば,一 見 組 織 豫 に 攣 化 が な くと も慢 性 が 分 る 。 そ の 他 血 液 像 の 攣 化 は 第13表 の 通 り2カ 肝 炎 と 考 え る べ き こ と を 強 調,した.慢 月 後 尚36.6∼38.3%残 度 に 就 て はPost, され て お り,肝 腫 は 第14表 の 通 り重 症 例 の 多 發 した6カ 大 し,2∼6カ 月 で は32.3%と 月 以 上 で は70.0%腫 な つ て い る.脾 は 第15表 の 通 り比 較 的 早 く縮 小 す る 様 で,肝 平 行 せ す,6カ %と H.J.は 月 以 上 で10.0%,2∼6カ 腫 腫 と 月 で28.0 な つ て い る.(尚 本 症 初 期 で は 肝 腫82.4%,脾 腫 一 脾 濁 晋 界 も含 む-91.8%で あ つ た.) 第13表 血 液 像 の攣 化 軍 球 櫓 多,淋 巴球 層 多,類 形 質 細 胞 出現 肝 腫 の 再 検 で,44名 は15%,Barker,M.H.&CapPs,R.B.は18%, Altschule. M. D. て おb,我 々 の 例 は 上 述 の 通 り,自 &Gilligan, た 例 を除 くと19.1∼15.3%(平 D. R. は25%を 學 げ 畳 症 のな か つ 均18.2%)と こ れ ら諸 家 の 報 告 と 一 致 す る.更 な り, に肝 炎 後 症 候 群 性 肝 炎 の 訴 え を 有 す る もの で,肝 機 能 及 び 肝 生 検 上 著 憂 の な い 場 合 をSherlock, S. P. V. れ &Walsche, V. S.等 は 命 名 して お ケ,こ ら の 症 候 群 は 精 神 曳 経 症 に 原 因 す る もの と 考 え に 注 目 し,肝 J. E. &Hoyt, 脾 Gellis, S. &Lindenauer, 月 の124名 Allen,F.W.は18%,Neefe,J.R.&Stokes,J. た.Caravati, 第15表 性 肝 炎 の頻 慢 性 化 した と し,Barker,M.H.,CapPs,R.B.& に つ い て な,慢 第14表 J. 罹 患 後7∼70ヵ に絶 えす 腫 C. M.は そ れ 以 前,既 に 本 症候 群 炎 後 の 無 力 と も名 付 け,Benjamin, R. C. も亦 こ の 名 前 を用 い た が,蹄 す る と こ ろ は 同 一 で あ っ た.然 しな が ら肝 機 能 及 び 肝 生 検 上 著 攣 が な い と て,直 に肝 障碍 が残 つ て い な い と も断 定 し難 い と こ ろ で あ り, Sherlock, S. P. V.等 の 考 え は 極 端 す ぎ る と も考 え られ る 。 今 我 々 が赤 磐 地 域 に 於 て,肝 障 碍 が 明 瞭 で な い が,自 畳 症 第16表 所 で肝 障 碍 の淺 され た 場 合 問題 とな るの は 慢 性 肝 炎,肝 炎 後 症 候 群,更 には 肝 硬 攣 症 で あ ろ う. 慢 性 肝 炎,肝 炎 後 症 候 群 に つ い て. 慢 性 肝 炎 な る概 念 はKuhn, erger,A.の H. A. &Hitzelb- 如 く嚴 密 に肝 臓 に病 理 組 織 學 的 嬉慢 性 炎 衝 を示 す もの の み を指 し,從 槍(Liverbiopsy)を つ て診 断 上 肝 生 重 要 覗 し,機 能 障 碍 の み を残i 肝炎後症候群 日本 傳 染 病學 會雑 誌 361 第17表 備 考(十)輕 慢 度(廾)中 性 肝 第28巻 第6-7號 炎 等 度(卅)強 度 の 明 らか に淺 つ た 肝 炎経 過 者153名 に 就 て検 査 し ' え た症 歌 の主 な もの は第15表 の 通 りで,疲 れ易 い 廣,林 全 身 倦 怠 感,.頭 痛,腹 部 膨 満,食 慾 不 振,尿 S.RV.&Walsche,V.S.の 謂 う肝 炎 後 症 候 群 に 入 る もの と考 え られ る が,爾 例 と も肝 庇 護 療 法 乃 厚 等 の順 で;不 眠,眩 少 か つ た.所 色濃 量,心 窩 部 痛,季 肋 痛 等 は で慢 性 肝 炎 の症 状,諸 検 査 成 績 の詳 細 は時 間 の 關 係 で述 べ な い が,最 近 岡 山大 學 醫 學 部 附 屡 病 院 山岡 内科 に 入院 加療 を受 けた 慢 性肝 炎 13例 の 病 症,経 過,諸 検 査 成 績 を簡 軍 に 一括 して 第16表 に揚 げ,そ の 大 網 を記 述 す る こ とに と ゴめ の如 く爾 検 査 と も異 常 は な く,植 物 紳 経 系 失 調 が特 に 目立 つた もの もあ る.後 者 はSherlock 至 肝臓 超 短 波 療 法等 に よ り輕 快 して お り,先 に も 述 べ た 通 り精 神 々経 症 と簡 輩 に 割切 るi澤に は ゆ く まい. 肝硬攣症について 本 疾 患 が粗 大 結 節 性 肝 硬 攣 症 に 移 行 す る こ とは る.部 ち入 院 患 者 は何 れ も第1同 の 病 症 は 輕 症 で 知 られ て お わ,Laennec型 肝 硬 攣 症 へ の移 行 も亦 あつ た に拘 らす,屡 Sherlock, N.B. 女再 發 してお り,そ の 自畳 症 はMarkoff,N.等 の 記 載 す る慢 性 肝 炎 の 夫 れ を 示 して い る.而 も肝 機 能 検 査 成 績 は まち まちで あ Kalk, Labby, S.H.; H.; Krarup, Koszalka, D.H.; M.F.; Baggenstoss, り,肝 生 検 を行 い え た9例 で は 殆 ん ど完 全 に異 常 M.H.;天 所 見 のな い もの か ら,備 小 葉 様形 成 を示 し,既 に astskin,G.&RapPaport,E.M.等 肝 硬攣 症 へ の移 行 像 す ら認 め られ た もの が あ る. を 否 定 して い る.所 米 井,安 患 よ り移 行 した もの は2例 東 の如 く,肝 機 能検 査 の上 で は殆 ん ど異 常 がな い に も拘 らす,肝 生 検 では 異 常 が あ り,吉 & Roholm, Kunkel, A.H. K.; H.G. & Stauffer, 野 等 は 認 め て お り,Lucke,B.及 びK1は そ の存 在 で赤 磐 地 域 の 例 で確 實 に本 疾 で あ り,第1例 加 答 兜 性 黄 疸 第3型(H.Eppinger)の は所謂 型 を示 しそ 365 昭 和29年10月20日 の ま ゝ肝 硬攣 症 に移 行 した もの で あ り,第2例 78歳 の老 婦 で,昭 し,10日 和27年7月 は 流 行 性肝 炎 に罹 患 程 で讐 療 を 中止 して いた が,昭 和28年7 月,婿 及 び孫 が入 院 した 爲 過 勢 に 陥 つ た が,7月 16日 よ6全 身倦 怠,食 思 不振,腰 い)組 織 學 的 に はGlisson鞘 られ,結 締 織 は 中等 度 に増 殖 し,輪 状 で な く,儒 小 葉 形成 は明 瞭 で な く,肝 細 胞 は寧 ろ再 生 現 象 す らみ られ,績 痛 を訴 え,8月 の浸 潤 が 中等 度 に み 獲性 肝 硬 攣 症 の像 をみ る. 次 に これ ら慢 性 肝 炎,更 に は肝 硬遜 症 へ の移 行 20日 頃 よ り腹 水 を誰 明 され た.黄 疸 は な く,腹 壁 を來 す要 因 に は種 々 な もの が考 え られ る が,Kalk, 静 脈 の 怒 脹 を認 め,肝 臓 は季 肋 弓 に あ り,脾 腫 を H.は 病 原 艦 の毒 力,安 謡 の 不 徹底,榮 養 の低 下 燭 知 し,肝 硬 攣 症 に移 行 し た こ とは 明 か で あつ (特 に飢 餓 及 び 蛋 白 質鋏 乏),一 た.昭 和29年2月17日 内 分 泌 乃 至 新 陳 代 謝 障 碍,妊 娠;酸 素 訣 乏,以 ば,肝 死 亡.剖 瞼 の結 果 に 依 れ 臓 は梢 女縮 小 し,表 面 は 微 細 顆 粒 状 で硬 第18表 磐 地 域 で治 療 中止6ヵ 夫 々の群 に分 け,治 癒,未 所,第18表 症,中 等 症,輕 症 の 治 の 判 定 を行 つ て み た の通 りで,重 症 程治 癒 の 困難 で あ る こ とは 勿論 で あ つた が,輕 症 と錐 も仲 々治 癒 は困 難 で,牛 数 以上 未 治 歌 態 で あ つた.特 よ りの肝 障 碍 の存 在 等 を墨 げ て い る.今 に村 長,牧 入 と,吹 男 は肝 障 碍 を残 し,未 治,長 肝 障 碍 を残 し,要 注 意 程 度,母 れ らの關 係 に就 て はSaurer, れ た職 務 に從 事 した 者 は,何 に興 味 あ る こ と E. S. & Suttow, は,一 家 で略 女同 時 に登 病(同 一源 よ りの感 染)し た3人 の 豫 後 に就 て ゞあ る.即 つ い 七,そ 最 も重 症 で,88日 の入 院 加 療 に よ り, 徹 底 治 療 を行 い,弘 ○(18歳,長 男)は 中等 症 で, Martin, 産,3例 L.; Mickal, の 死 亡率は高 院 就 職 した が,10日 治 療 中止 後 約6カ 月 で3人 め られ す,胎 親 P. N. の 検 診 を 行 つ てみ る %)を 日加 療 を受 けた の み で安 艀 を守 らな か つ た.母 J.H.等 G. A., & Arora は57例 ZonWing,. O'Conell, W. の妊 婦 に く な く,2例 の 死 産 を 経 験 し た が,胎 明 と した 。Martini, 率 は 高 くな か つ た が,早 男)は 輕 症 で,数 A.; 詳 細 な 報 告 が あ る.Roth,は16例 Napp, の 後,再 議,再 入院,約1カ F. G.; V. W.; Dill, L. V.; 約20日 の入 院 加 療 の 後 讐 師 の 忠 告 に も拘 らす,退 月の 後 退 院 した.幸 ○(13歳,次 A.; Nixon R. & Ferguson, B. & Bromberg, T.等 ち紳 ○ 奈 ○ 野(45 は全 治 して い た. 次 に妊 娠,分 娩 と豫 後 との 關 係 に 就 て 簡 記 した い.こ dek, れ も輕 症 で あつ た に 男は尚多少の 静 加 療 が特 に重 要 な要 因 と考 え られ る. W. C. W.; 歳,母)は 我 々 の赤 これ らの關 係 か ら推 して 徹 底 した 治 療 は 勿論,安 役,衛 生 掛 等 町 村 合 併 と 悪 疫 流 行 のた め に忙 殺 さ 拘 らす,治 癒 して いな か つ た.更 前 病 症 の程 度 と豫 後 病 月以上 経 過 の もの60例 に就 て,褒 病 時 の 病 症 に 從 い,重 定 の毒 素,感 染, の 自然 流 児 へ の影 響 は不 v. Harnack, の 妊 婦 に つ い て,同 G. A. & 様死亡 産 の 数 は 多 く,流 産 は 認 免 へ の 影 響 は 不 明 と考 え た.Wahi, M. M.は 印 度 の 高 率 の 死 亡 者(22.7 出 した 流 行 に お い て,死 亡 者 の80%は 女, 366 日本 傳 染 病 學 會 雑 誌 第19表 その81%は 妊 娠,分 1例 にVirus性 兇4例 第6-7號 娩 と 豫 後 妊 婦 で あ つた と し,妊 婦 の死 亡 率 の 高 か つた こと を述 べ る と共 に,胎 第28巻 第20表 死亡 率 を剖 槍 し, 肝 硬 攣 症 を誰 明 した. 我 々が 悪 性 肝 炎 の 流 行 した 赤 磐 地 域 及 び岡 山大 學 讐 學 部 附 屡 病 院 第 一 内 科 した 例 に就 て調 査 した 所 では,第19表 の通 りで,赤 磐 地 域 の既 分 娩4例 で は3例 に何 らか の 障 碍 を起 して い る が,妊 婦 に は本 疾 患 に よる影 響 は認 め なか つ た.又 當内科 に 入 院 した 例 では 何 れ に も異 常 は な か つ た し,分 娩 した が,後 牛 の夫 れ は1,9%に 減 少 し て お り,普 通 乃 至 輕 症 の 流 行 を み た 琴 浦 町,吉 %,0.61%と な つ て お り,今 川 村 で は3.7 次 の 岡 山縣 の流 行 は 死 亡 率 が 梢 よ高 い よ うで あ る. 後 の幼 児 に は 現 在 迄 の と こ ろ異 常 を 認 め てい な 再發 について い.從 つ て僅 か な これ らの症 例 を以 て 結 論 を急 ぐ 慢 性 肝 炎 で は 再 叢 を 屡 麦み る こ と は 先 に 述 べ 諜 には 行 か な い が,妊 娠 に よる肝 臓 へ の 負 憺 を治 療 の上 で留 意 す れ ば 大 過 は な い の でな いか と推 察 され る. 本 疾 患 の 死 亡 率 は 比較 的低 く,Lucke, れ ば0.24∼0.44%,Gutzeit, 磯 の 頻 度 に 就 て はFindlay, Mitchell, %, 死 亡率 等 の 如 く,一 般 に1%以 た.再 J. & B.に よ K.は0.04∼0.08% Hoaglan, C. L. & Jacobi, J., Kryenberg, 4.2%を 基 げ て い る.我 は 第21表 下 と 考 え.られ て 侮 る が, G. M., G.は2%,Jokipii, の 通 り で,再 Shank, G. Martin, S. G.は10 R. Rは18.5%, & Dorschel ,W.は 々 が 赤 磐 地 域 で え た成 績 發 率19.5%,再 或 は 性 別 で 特 長 を 認 め な い.又 發 に は年 齢 重 症 例 の比 較 的 多 上 述 の 如 く悪 性 肝炎 の流 行 例 で は 死 亡 率 が 著 し く か つ た こ の 地 域 で も再 議 は 輕 症 例 に 墜 倒 的 で あ つ 高 率 で あ る. た.再 我 々が えた 例 では 第20表 の通 りで,悪 性肝炎 の 流 行 した 赤磐 地域 の前 牛 の 死 亡率 は13.98%に 達 磯 同 数 は1同 ら あ る.帥 が 最 も多 い が,3同 の場 合 す ち 輕 症 例 が 却 て 徹 底 的 治 療 を 疎 ぜ られ る 爲 で あ つ て,早 期 の 徹 底 した 安 静,治 療 が望 ま 昭 和29年10月20日 367 第21表 再 發 赤 磐 地 域19.5% ら,何 れ 一定 年 月 の後 本 問題 は よ り明 確 に な し う る もの と確 信 し て い る 。 XVI豫 "fecal 防 -oral route"の 遮噺 が 必要 であるが , 現 今使 用 して い る沿 毒 藥 に 饗 す る病 原 禮 の耐 性 は 張 い と 考 え ら れ て お り(Havens, llum, F. O. & Bradley, llis, S. S . & Stokes, hold, 再感染 について 豫 後 と多 少異 る こと に 屡 す る が,念 項 日で鰯 れた い.再 の た め この 感 染 に就 て論 す る に は本 疾 患 と冤 疫 との 問 題 に 鰯 れ な け れ ば な らな い.Siede, W.に よれ ば,再 感 染 は 實 際 に あ りえ な い と し, 絡 生 冤 疫 を主 張 し,McFarlan, A. M.は 再感染 は 起 る とす れ ば 冤 疫 學 的 に異 株 に依 る もの か,或 は 病 原 髄 が多 量 に 入 る か ら で ある と し,Selander, P.は 本 疾 患 で は再 感 染 は稀 な もの で は あ るが,冤 疫 が決 して 完 全 な もの で な い か ら 起 り うる と し, 534例 の経 験 例 を 墨 げ てい る.我 々の 赤 磐地 域 で 加療 で治 癒 した.そ 過 し,1年 郊 果 はStokes, Pau1, 用 い て の 受動 冤 疫 に 依 る豫 防 J. & J.R,に も亦 人 血 清 Neefe, 討 中 で あ る が,該 J.R.; 褒 病,輕 症 で あ り,約10日 の の後 順 調 で 自他 畳 症 もな く経 牛 後 の 昭和28年8月31日 集 團検 診 時 完 全 に肝 障 碍 は残 つ て い な い もの と 断 定 した が,10 月5日 磯 病,可 成 り重 症 で,現 磯 病,1カ γ-Globulinを ち 製 劃 ネ オ マ シ ン(萬 有) を使 用 し,(大 宛),某 人1人5耗 は 罹 患 者 を 除 く全 員 に,赤 族 に 夫 々 注 射 し た.そ 工 場,吉 川村 で 磐 地 域 で は患 者 磯 生 家 の 結 果,注 射 洩 れ の 人 が確 率 に 封 し,接 第22表 の 通 りで,樹 照 が27.6%の 種 者 は3.4%で,明 ネ オマ シン 注 射 成績(吉 女漕 伏 再 び本 人 は蛮 病 し,中 等 症 以 上 の2例 は再 護 の可 能 性 を 完 全 に否 定 し うる 材 料 を有 しな いた め,再 感染 と して 断定 す る こと の可 能 性 を 可 成 り推 測 させ る.我 々 は先 に述 べ た岡 山縣 流 行 地 の 夫 々 の遠 隔 成 績 を長 期 に互 り追 及 す る畳 悟 で 實 施 中 で あ るか か な敷 果 を え ら 川村) 被 接 種 者1324名 接 種 洩 れ377名(接 種 時 迄 の罹 患 者301名 を除 く)勤照 月の治 療 で全 快, 長 男 が喪 病,略 罹患 全 住 民2002名 在 慢 性 肝 炎 に移 行 歌 を呈 し略 女治 癒 して い る. は 困難 で あ る が,そ 用 い た が,何 れ も相 當 郊 果 を え た.部 その後 農 繁 期 を経 過 して も 自他 畳 症 は全 くな く経 過 した.昭 和28年5月5日 期 に一 致 して6月1日 々 蛋 白質 の え ら れ な か つた 昨 年 度,馳流 行 地 に 人 胎 盤 男 子,農 業 昭和27年8月4日 W. 依 りその豫 防 郊 果 を検 して い る. 例ii)56歳 Havens, 依 り確 か め られ て い る.我 γ-Globulinに あ げ る と,第22表 男 子,農 業 昭 和27年2月11日 I.,Baty J. B. & Rein 實 な封 照 と な りえた上 房 郡 吉 川村 にお け る成 績 を 得 た 例 を學 げ る. 例i)57歳 TM.; Neefe, J. G.)そ の 封 策 が 未 定 の た め 現 在 述 べ な い. 唯 γ-Globulinを P. & Ca- W. H.; Neefe, J. R., Ge- J.; Oliphant, J. R.; Neefe, J. R., Stokes, れ る諜 で あ る. W. P.; Mac 接 種 後 發 病 した も の 368 日本 傳 染病 學 會 雑 誌 れ た.而 し てHavens, J.R.は 磯 病 前6日 よ り早 期 に 使 用 す る と 郊 果 が あ り,そ の 敷 果 は6∼8週 W. P. & Paul, 績 くと した が,我 々の 例 では 接 種 直後 よ り そ の 獲 病 抑 制 敷 果 が あげつ た.又 れ 年 齢 別, 性 別 に よ り特 に その敷 果 に差 はな か つ た. XVII治 療 の項 日 に燭 れ る の み とす る.部 療 には5%葡 ち電 撃 性 肝 炎 の治 萄 糖 多量 瓢 滴 投 與,DOCA併 用療 法 を提 唱 す る. 肝炎 乃 至 潜 在 性 肝 炎 の治 療 指 導 を行 つ た.部 ち家 庭内 安 静 を命 じ,食 事 療 法 を蛋 白質殊 に牛 乳 乃 至 山羊 乳,鶏 卵,適 宜 の牛 肉 乃 至 鶏 肉,肝 物 に依 るVitaminの る檬 指 導 す る と共1.,更 にMethionin 田)1日9錠 内 服 を1ヵ 月乃 至2カ しめた.そ の 郊 果 は第23表 し,約6ヵ 臓 等 を主 補 給 に努 め B12錠(武 月蓮 綾 内服 せ の通6で,逐 月後 に は僅 か を淺 し,他 して い る.唯 第24表 第6-7號 次 に上 記 の赤 磐 地 域 の 集 團 検 診 時摘 獲 した 慢 性 と し,野 菓,果 時 間 の 關 係 で大 略 省 略 し,別 揚 載 に譲 り,一 二 第28巷 次好 韓 は殆 ん ど治 癒 これ らの指 導 下に な か つ た不 顯 性 感. 集團検診成績 石蓮寺部 落 備 考%の 合 計 が100%に 第1同 満 た な い もの は 集 團検 診 時 検 診 に 受 診 した 者 が 爾後 集 ま らな か つ た 爲 で あ る. 染 者 乃 至 要注 意 者 で は悪 化乃 至 護 病 した もの が あ 私 が分 類 した4型 中後 の2型 の如 く 一 見 連 鎮 傳 播 ると と は注 意 され る. 形 式 と して は 了解 に苦 しむ か に み え る 型 を も作 り 結 語 出 す の で あ る。 緩慢 な 流 行 で 屡 女み られた こ と 以 上 私 は 岡 山縣 下 の 流行 を 中 心 と して,本 の 大 要 を述 べ た積 りで あ る が,之 岡 山縣 の例 で も分 る様 に,本 日毎 か の 山 がみ られ,今 つ た.本 が,磯 疾患 を要 約 す る と, 疾 患 の 流 行 には何 年 次 の 流行 は 最 も激 烈 であ 流 行 の形 式 は蓮 鎮 傳 播 形 式 が普通 であ る 病 者 の周 園 に は多 藪 の潜 在 性 肝 炎 乃 茎 不顯 は,一 部 落 の流 行 が その年 で絡 つ た か に み え,再 び 次 の年 に略 土前 年 度 と同 じ季 節 か ら,前 年 度 の 流 行 に お ゝい か ぶ さる様 に始 ま り,次 で未 感 染 地 域 へ と緩 慢 に擾 る形 式 が あ る が,こ れ は上 述 の 形 式 の組 合 せ で十 分 了解 が つ くこ とで あ る.又 散護 例 の取 扱 い は この形 式 が廣 い地 域 で まば らに 起 つ 性 感 染 例 が 同時 或 は相 前 後 して褒 生 し てお り,そ た形 とみ れ ば 了解 が つ くで あ ろ う.共 通 経 路 感 染 れ が可 能 な誘 因 に よ り褒 病 して感 染 能 を うる こと 形 式 は普 通 稀 と考 え られ,そ や,所 謂 病 原 髄 保 有 者 が つ くられ る こと等 のた め た が,些 細 に槻 察 す れ ば我 國 に お ける 家 族 感 染 の の 代 表 例2例 を掲 げ に,そ の蓮 鎖 傳 播 形 式 は畢 純 な形 式 許 りでな く, 大 部 分 は之 に屡 す る もの で あ り,共 同 井 戸 の使 用 369 昭 和29年10月20日 を行 つ てい る部落 で も小 さな 範 園 な が ら往 々 み る 豫 防 は 尚 受 働 免 疫 に 依 らな けれ ば な らな い 。γ-glo- こ とで も あ る.本 bulinの 疾 患 の 傳 染 経 路 は所 謂 て`fecar oralroute"で あ り,経 口感 染 に み られ る種 々 の 一経 路 が こめ 中 に入 る もの で あ る.特 に我 國 の農 村 にお いて,井 戸,會 食 その他 衛 生 知 識 の不 備 か ら 含 有 量 の 少 い 胎 盤 γ-globulinを 以 て した 我 々 の 経 験 例 で も登 病 防 止 に は 大 い に 役 立 ち え た もの と思 う. 本 講 演 を 終 るに當 り,こ の由 緒 あ る本 學 會 に お け る こ. 醸 し出 され る要 素 を重 要 覗 しな け れ ば な らな い. の光 榮 あ る機 會 を お 與 え 頂 い た 落 合 會 長,内 山 博 士,美 本 疾 患 の潜 伏 期 は20∼24日 以上 と考 え るべ きで あ 甘 教 授 そ の他評 議 員 諸 先 生 に 深 甚 の 謝 意 を 表 す る と共 ろ う.こ の以 上 とい う言 葉 は,本 に,本 研 究 に當 り多 大 の御 陵助 を賜 つ た岡 山 縣 衛 生 部, 疾 患 が病 毒 を鰹 内 に持 ちつ ゞ けな が ら,そ れ が,或 は不 顯 性 感 染 で あ れ,或 は肝 臓 に 固 定 して 潜在 性 肝炎 で あれ, 一 定 の誘 因 が 加 わ る迄 は謂 わ ば 褒 病 しな い で い る 保 雌 所,開 業 讐 諸 先 生,種 々御 敦示 を頂 い た 岡 山 大 學 讐 學 部 田部,濱 崎 教 授,諸 種 材 料 の御 恵 與 を え た岡 山大 學 平 木 教 授 に厚 く御 禮 を 申 し上 げ る.絡 りに本 研 究 の た め 陰 に 陽 に御 指 導 御 誘 抜 を賜 つ た恩 師 山岡 教 授 に深 い感 謝 特 長 を もつ て い る爲 な らな い.本 是 非 附 記 して お か な けれ ば 疾 患 の感 染 時 期 は磯 病 初 期 が最 も普 通 で あ る が,再 獲,不 同様 で あ り,時 顯 性 感 染 よ り磯 病 の 時期 も を 捧 げ,文 昭 和27年 來 困 難 な 現 地 調 査 と研 究 に幾 多 の辛 苦 を共 に し て くれ た敷 室 員 一 同 に 心か ら御 禮 を 申 し上 げ る. に磯 病 後 相 當 病 日の 経 過 した後 で も,又 臨 床 治 癒 後 で も,謂 で存 す る こ と もあ る,年 齢,性,流 硫 行 に体 り旺 々で あ る.症 鰯 れ な か つ た が,本 主 要 文 献 わば 病 原 艦 保 有者 の形 行 の季 節等 は 状 の各 項 日 につ い て は 疾 患 は飽 く迄,全 身 性 疾 患 と 全 般 -1) Siede Ambrcsius S. S.: ann, ち本 病 毒 はhepatotropで Stuttgart す る以 前,謂 わ ば磯 病 以 前 に お い て全 身 性 反 慮 を der and 山縣 下の 一地 域 で の電 撃 性 肝 炎 の 流 行 は 死 亡 率13.98%を 示 し激 烈 で あつ た. & & 肝 炎, 本 症 の豫 後 は 決 して 樂 槻 を許 さな い.そ 要 で あ る.我 そ の大 部 分 で,完 全 治 癒 は その1/3に も達 しな い. 而 して これ らの 中 か ら既 に 肝 硬攣 に移 行 した例 す ら出 て い る.從 つ て流 行 地 域 に お い て は,長 くこ れ らの豫 後 の観 察 と治 療 の指 導 が望 ま し く,こ れ らを現 地 指 導 行 つた 赤 磐 地 域 の1例 で は1年 救 をみ た の で あ る.こ 後著 の黙 保 健 指 導 の要 路 に當 ら れ る方 々の御 注 意 を 喚 起 した い と思 う.本 疾 患 の 2 Ferdinand W. Virus Co., 709 Sp- Folgekrankheiten Enke, P. Infection of & man, Disease J. R.: J. B. C. map, Will- (1951).-8) 中 村 Lip- Rooyen, of 638.-9) St- Paul, Van Baltimore 1 (1942), Teil, Berg- 北 岡: (隆): 傳 染 性 各 項 に 通 ず る も の 號 (昭11), 至 肝炎 後 症候 群等 に 屡 す る もの が Bd. Enke, G. V. 讐 學 書 院 (1953). -10) 潜 在 性肝 炎,乃 3 G.: (1951).-7) Wilkins 正當 な勃 定 に は流 行 地 域 毎 の詳 細 な検 索 が 是 非 必 々が行 つ た長 期 に互 る流 行 地 域 の観 K.: Havens, の豫 後 の 察 で は,臨 床 治 癒 後 牛 年 を 経 過 して も慢 性 肝 炎, Beckmann, Rickettsial 醤 學 の 進 歩, Beckm- Ferdinand Gelbsucht, A. 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