NO.19 2015 - 愛知学院大学教養部

2015
NO.19
知の旅立ち
教養セミナー学生論集 NO.19
2015
愛知学院大学教養部
表紙 久馬 栄道
自分が考えるとおりの人
自信を持ちなさい
◇文学部
福井県の伝道工芸品 越前和紙 二本木 泰 佑 ⋮⋮⋮
ナーサリー・ライム
塚 野 真 帆 ⋮⋮⋮
李 楠 ⋮⋮⋮
籍 歓 ⋮⋮⋮
※各文章の後に掲載されている寸評は、各セミナー担当者によるものです。
知の旅立ち 第十九号 ││ 目 次 ││
教養セミナー学生論集
︽教養セミナーⅠ・Ⅱ︾
◇経営学部
現代中国の環境問題について
伊 藤 優 太 ⋮⋮⋮
妖怪ウォッチはなぜ売れたのか? 石 原 佳 祐 ⋮⋮⋮
ハイブリッドカーは
平 松 良 介 ⋮⋮⋮
平 野 有 紀 ⋮⋮⋮
木曽谷 端 保 ⋮⋮⋮
森 川 愛美奈 ⋮⋮⋮
森 笹 達 也 ⋮⋮⋮
なぜ環境に優しいのか
シャーロック・ホームズの
森 下 友 理 ⋮⋮⋮
推理方法
小学校外国語教育の現状と未来 伊 藤 広 昂 ⋮⋮⋮
絵本の歴史と童話シンデレラ
教養セミナーで得たもの
読書の重要性について
教養セミナーで学んだこと
1
スマートフォンが現代社会に
加 藤 正 時 ⋮⋮⋮
及ぼす影響とは何か
『図書館戦争』の面白さとは? 西 口 怜 奈 ⋮⋮⋮
浦島太郎の亀について
後 藤 弘 成 ⋮⋮⋮
教養セミナーで一年を
三 原 麻由佳 ⋮⋮⋮
通して学んだこと
アニメによる効果
倉 内 裕 未 ⋮⋮⋮
スターバックスはなぜ人気なのか 平 口 由 樹 ⋮⋮⋮
王 瑩 ⋮⋮⋮
ようこそ、お化けの世界
大きく考えることの魔術
││日本と中国の妖怪文化について
松 田 宗 大 ⋮⋮⋮
28 25 22 19
36 34
41 37
44
60 58 56 52 49 47
5
8
17 13 11
32
間 瀬 裕 貴 ⋮⋮⋮
新 木 佑 斗 ⋮⋮⋮
名城公園キャンパスでの
学びについて
名城公園キャンパスで
│語学研修と一人旅
学んだこと
僕の見たドイツ
青山俊董老師の講話を聴いて
│語学研修での出会いと感動│
ドイツに恋して
教養セミナーを受講して
教養部学習支援室L.A.活動報告
教養セミナー学生論集
︽教養セミナーⅠ・Ⅱ︾
アルフォンス・ミュシャ
British Tea
中 西 恵 子 ⋮⋮⋮
柴 田 泰 聡 ⋮⋮⋮
西 尾 綾 夏 ⋮⋮⋮
小 島 秀 仁 ⋮⋮⋮
谷 澤 輝 紀 ⋮⋮⋮
稗 田 愛 ⋮⋮⋮
飯 田 あゆみ ⋮⋮⋮
酒 向 ゆうき ⋮⋮⋮
平成二六年度秋学期の
佐 藤 友 哉 ⋮⋮⋮
A.
活動 神 田 幸 大
教養部学習支援室L.
稲 垣 知 哉
市 川 遥
両 角 友 穂
髙 橋 萌
寺 谷 直 輝
88
豊 田 真 理 ⋮⋮⋮
91 89
◇法学部
渡 邉 弘 児 ⋮⋮⋮
2020年東京オリンピック・
中 村 友 哉 ⋮⋮⋮
パラリンピック
││開催のメリットとデメリット││
伝える力、伝わる力
川 渕 利 泰 ⋮⋮⋮
韓非子に学ぶ
◇商学部
天空に英雄を想う
惑星のリングを巡る
論争について
なぜ避難先で死ぬことに
岩 間 俊 樹 ⋮⋮⋮
なってしまったのか
││心理学的要因からの考察││
◇心身科学部
梨 駿 ⋮⋮⋮
ネズミと人のかかわり
◇経済学部
性別による人の扱い方、扱われ方 坂
酒 井 元 気 ⋮⋮⋮
︽教養セミナーⅢ・Ⅳ︾
グリム童話「白雪姫」を読んで 丹 賀 裕美子 ⋮⋮⋮
宮 本 慎 也 ⋮⋮⋮
教養セミナー・教養教育をふりかえって
名城公園キャンパスで
学んだこと
British Sports
2
97 95
101
100
(8)
(6)
(1)
62
67 64
75
69
78
72
80
83
86
学生生活について
学生生活について
中 村 仁 美 ⋮⋮⋮
*
*
久 馬 栄 道
准教授
教養セミナー・テーマ一覧
三 宅 めぐ美 ⋮⋮⋮
伊 藤 瑠 奈 ⋮⋮⋮
学生生活について
平成二十六年度
表紙絵の思い出
世界で一番有名なお城、
3
ドイツ、ノイシュヴァンシュタイン城
編 集 後 記
(23)
(17)
(10)
教養セミナー学生論集
《教養セミナーⅠ・Ⅱ》
現代中国の環境問題について
伊 藤 優 太 ︵経営学科一年︶
工場から流れ出る廃水による水質汚濁、ダム建設などに
よる森林伐採、多発する食品衛生問題、深刻な大気汚染。
国内総生産︵GDP︶世界第二位となるほど発展している
一方、いま中国は様々な環境問題を抱えている。どうして
これほどまで環境問題が悪化していくのか。今回はその中
で 大 気 汚 染 に つ い て 考 え て み た い。 な か で も 昨 今 話 題 と
なっている「PM2・5」を中心に見ていきたい。
そもそも「PM2・5」とは何のことなのか。まず「P
︵1︶
」rの頭文字を取ったもので、
M」とは「 Particulate Matte
︵2︶
日 本 語 に す る と「 粒 子 状 物質 」 と い う こ と で あ る。 次 に
「2・5」とは、物質の直径が概ね2・5㎛以下であるこ
とを意味している。ちなみに2・5㎛というのがどのくら
いの大きさかというと、髪の毛の太さの四〇分の一で、ス
ギ花粉の一二分の一ほどである。このような小さな「粒子
状物質」を体内に取り込むと、気管支を通って肺の奥まで
入ってしまう。そして呼吸器系に悪影響を及ぼし、喘息や
気管支炎、肺がんになりやすくなってしまう。実際に中国
ではこれが原因で多くの死者が出ているという。
では、どうして「PM2・5」のような大気汚染が起き
てしまうのか。最も大きな原因となっているのは、工場や
自動車から出る「すす」である。中国国内の安価な石炭を
十分な設備の整っていない工場で燃やすと大量の「すす」
が出るそうだ。
ま た、 こ の よ う な 工 場 や 自 動 車 か ら 出 る「 す す 」 の ほ
か、国民の考え方にも問題がある。中国では「移動の際に
は自転車や公共交通機関ではなくマイカーをガンガン利用
するし、そのマイカーを選ぶときにもエコカーではなく高
排気量のSUV車を買いたがる。環境についての“知識”
を耳にしたことはあっても、節約やリサイクルを“実践”
している市民は少数派だ。大多数の中国人はまだ“豊かさ
を謳歌する消費”のほうに心を奪われている。市民生活に
ま で エ コ 意 識 が 広 が る に は、 ま だ ま だ 時 間 が か か り そ う
︵3︶
だ」と中国の研究者も述べており、そういった国民の考え
方が今の中国の深刻な環境汚染を引き起こしている理由の
5
一つとなっているのである。
そして、この「PM2・5」を他人事だと思っていては
いけない。一月から五月にかけて、偏西風の影響を受け、
日本へ飛来するのだ。特に中国に近い九州地方や、さらに
は関西まで飛来するので、対策を講じておかなければなら
ない。対策としては、マスクを着用するのがよいが、花粉
症予防のマスクでは「PM2・5」は通り抜けてしまい、
意味がない。品質保証された日本製のマスクを正しい着用
法で使うことが望ましい。
以上、中国の大気汚染、特に「PM2・5」についてそ
の影響、原因等について簡単に述べたが、このような環境
問題に対しては、メディアや政府の姿勢というのも非常に
重要になってくる。そして、それは決して中国だけの問題
ではないともいえる。
中国の環境問題についてこのような指摘がある。「水も
土も空気も汚れ、放射能汚染の疑いさえ拭えない隣国の恐
るべき環境汚染の実態を知らせるレポートやデータは、挙
げだしたらキリがないほど存在する。仮に百歩譲って、汚
染自体は解決可能な問題だと考えるとすれば、やはり私た
ちが深刻に受け止めなければならない問題は、中国政府の
隠蔽体質である」
。二〇〇九年に書かれた中国を批判する
本の一部だが、これは中国だけのことなのだろうか。今の
日本にも当てはまるところがあるのではないだろうか。
日本にも環境問題がある。例えば、放射能による環境汚
染も重要な問題だ。しかし、福島の原発事故から少し時間
が経ち、もう放射能の恐ろしさを忘れかけているのではな
いだろうか。中国の大気汚染と違って目に見えなくて、匂
いもしないから、騒がなければ東日本や首都圏の資産価値
が守られる。だからメディアは次第に騒がなくなっていっ
たのではないだろうか。僕の高校時代の先生は海外の友達
から首都圏の危険性について日本メディアより詳しく教え
られたそうだ。
日本も中国も国民はメディアによる情報を頼りに環境問
題の深刻性を知る。しかし、そのメディアが問題の危険性
を隠蔽しているせいで、国民の問題に対する意識の低下を
招いているのではないか。危険なものは危険だとメディア
ははっきりと伝えなければいけないし、それについて国民
一人ひとりが考えていかなければならないと思う。確かに
それによって様々な問題が生じるかもしれない。それでも
問題を先送りにして、取り返しがつかなくなってからでは
もう遅いのだ。環境問題は特にそうだ。放っておけば、そ
の国だけでなく、他国、いや世界中にまで被害が及んでし
まう。そうなる前に中国も日本も環境問題について、もう
一度考え直さなければならないのではないか。
︽注︾
「
」
︵1︶ Wikipedia PM2.5
同上
︵2︶
6
梁過『現代中国「解体」新書』一八八頁︵講談社、二〇一
︵3︶
一年五月︶
有本香『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』二〇七
︵4︶
頁︵祥伝社、二〇〇九年二月︶ ︽参考文献︾
・梁過『現代中国「解体」新書』講談社、二〇一一年五月
・有本香『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』祥伝社、二
〇〇九年二月
・高井潔司、藤野彰、曽根康雄『現代中国を知るための 章︻第
版︼』明石書店、二〇一二年三月
40
︿寸評﹀
担当教員 勝股 高志
教養セミナーⅠ・Ⅱ「現代中国を知る」では、一九四
九年一〇月の中華人民共和国建国以降の歩みを簡単に振
り返った。
現在全世界的な問題となっている環境問題であるが、
中国では特にそれが広範囲に、そしてより深刻なかたち
で現れている。ことに一昨年ごろから日本で盛んに報道
された大気汚染、特に「PM2・5」は日本人の「中国
離れ」を加速した感さえある。伊藤君はこの「PM2・
5」問題を取り上げ、その影響、原因等について述べ、
さらにその背景にある国民の考え方、意識にも言及して
いる。その上、政府、メディアの姿勢についてその問題
点を指摘し、それが中国だけの問題ではなく、日本の問
題でもあるとしている。その点については、私もまった
く同感である。日本、中国の政府、メディアが真相を隠
すことなく国民に伝え、我々自身もそこから環境問題に
対する意識を高めるようにしていかなければならない。
7
4
妖怪ウォッチはなぜ売れたのか?
石 原 佳 祐
︵経営学科一年︶
妖怪ウォッチはゲームメーカーの「レベルファイブ」か
ら発売された3DS用のゲームソフトである。しかしゲー
ムだけではなくアニメやおもちゃにもなり、今では小学生
を中心に爆発的な人気を誇っている。
この妖怪ウォッチとは、簡単にいえば妖怪版ポケモンと
いう感じだ。ポケモンは、不思議な生き物ポケットモンス
ターを捕まえて、育てて、戦わせる、というものだが、こ
のポケットモンスターの部分が妖怪に変わったのが妖怪
ウォッチである。しかし似たような内容であるにもかかわ
らず、今では妖怪ウォッチの人気に押されてポケモン人気
にかげりが見え始めている。妖怪ウォッチがこれだけの人
気作品になったのには、やはりそれなりに理由がある。
一 つ 目 に 広 範 囲 の メ デ ィ ア 展 開 が あ げ ら れ る。 妖 怪
ウォッチは、最初、ゲームソフトとして登場したが、その
後、マンガ、おもちゃ、アニメ、とゲーム以外の媒体でも
メディア展開された。こうしたメディア展開により、ゲー
ムはしないがアニメは見る、キャラクターが可愛いからお
もちゃは買う、といったように一つのメディアにとらわれ
ずに様々なメディアで妖怪ウォッチは人気を獲得すること
が可能になった。
次 に あ げ ら れ る 理 由 は、 キ ャ ラ ク タ ー の 愛 ら し さ で あ
る。妖怪といえば私たちを夜に脅かしたりする怖い存在と
いうものであった。しかし妖怪ウォッチに登場する妖怪は
どれも可愛らしいデザインであり、そのキャラクターには
怖いというイメージは全くない。このデザインのおかげも
あってか「最近の子供に人気のキャラクター」というアン
ケートではミッキーマウスにならび二位であった。ちなみ
に一位はドラえもんという結果だった。
「わかりやすい内容」にあ
そして最後の理由としては、
る。妖怪ウォッチの内容はポケモンのようなもの、といっ
たが実際はすこし違う。ポケモンは、野生にいるポケモン
を捕まえ、育て、戦わせる、というように、その一番の目
的 は ポ ケ モ ン 同 士 を 戦 わ せ る こ と に あ る。 し か し 妖 怪
ウォッチでは、妖怪同士の戦いは確かにあるものの、それ
がメインというわけではなく、一番の目的は妖怪と仲良く
なり触れ合うことにある。主人公である人間との関係も、
ポケモンはペットと人間のような関係で上下関係がはっき
りしているが、妖怪ウォッチでは人間と妖怪はともだちと
して対等な関係となっている。さらにポケモンは犬や猫の
ように鳴くことしかできないが、妖怪はしっかりと言葉を
話し、人間とちゃんとしたコミュニケーションをとること
ができる。こうした妖怪とともに作り出すほのぼのとした
8
雰囲気の世界観はドラえもんに似たものがある。つまり妖
怪ウォッチの内容は、日本の国民的アニメ、ポケモンとド
ラえもんの二つの良いところをとったものといえる。
しかし最近では、その売り方に問題があるのではないか
と い う 声 も あ が っ て い る。 こ こ で ま た ポ ケ モ ン と 比 べ る
が、ポケモンは一つのゲームソフトを買えばそれだけでそ
れなりに楽しめる。しかし妖怪ウォッチには、ゲームソフ
トと連動させてさらに楽しむことができる「妖怪メダル」
と い う も の が あ る。 こ の 妖 怪 メ ダ ル は、 文 字 通 り 妖 怪
ウォッチのキャラクターが描かれたメダルである。妖怪メ
ダルは、メダルに書いてあるコードを読み込むことでゲー
ムと連動させることができるほか、そのキャラクター目当
てにただ集めたりすることもできるなど、様々な楽しみ方
ができる。この妖怪メダルが、妖怪ウォッチ人気の中、爆
発的に売れているのだ。入荷してもすぐに売り切れ、今で
はどこの店でも売り切れ状態が続いている。さらにこの妖
怪 メ ダ ル は、 カ ー ド ゲ ー ム の よ う に、 珍 し い も の も あ れ
ば、 だ れ で も 持 っ て い る よ う な も の も あ る と い っ た よ う
に、メダルによって珍しさが違う。そのため珍しいメダル
を入手するために何回もメダルを買うようになるのだ。そ
の結果、この人気を狙って、妖怪メダルを買い占めてネッ
トで転売するような者が現れたり、さらには妖怪メダルを
無断複製し、それをネットで販売したとして逮捕される、
という事件もおきている。かわいらしいキャラクターが描
かれた妖怪メダルの裏で、こうしたかわいくない事件もい
くつか起きているのだ。
このように、妖怪ウォッチはいくつかの理由で今の人気
を誇っているが、その裏でちょっとした不安要素もかかえ
ている。それは、妖怪ウォッチの人気は最近始まったもの
であり、今が人気のピークのように思われる、ということ
だ。これに対してポケモンが発売されたのは今から十年以
上も前であり、その人気のピークというのはとっくの昔に
終わっているのであるが、ポケモンは一つのジャンルとし
て確立し、その人気は安定したものとなっている。
本稿では妖怪ウォッチを何度かポケモンと対比してきた
が、ポケモンと比較するのは実は少し間違っているのかも
しれない。なぜなら、ポケモンと妖怪ウォッチの人気は質
が違うからだ。たとえばポケモンはすでに世界中で知られ
ているが、妖怪ウォッチは日本だけでの人気である。さら
に今の子供たちは流行の移り変わりも早く、これから現れ
る第二、第三の妖怪ウォッチ的存在に人気を奪われる可能
性も十分にある。逆にポケモンがこれだけの人気をとれた
理由としては、当時、ファミコンなどのTVゲーム機によ
るゲームが主流である中、携帯ゲーム機という新しいアイ
テムで発売され、他のプレイヤーと通信し、ポケモンを捕
獲し、育成して、戦わせる、という今までにないゲームシ
ステムを取り入れたことが大きかったと考えられる。
しかし、ポケモンが発売された当時は珍しかった通信機
9
能もいまでは当たり前のものになっているため、今の時代
にポケモンと同じことをしても所詮は二番煎じとなり、ポ
ケモンと同じ人気をとることは難しい。ポケモンがでた時
代と比べてゲームも格段に進化し、それに伴ってゲームを
取り巻く環境も大きく変わってきている。妖怪ウォッチも
ポケモンのように安定した人気を取るためには今の時代に
合った動きをしていくことが重要だろう。
担当教員 河野 敏宏
︿寸評﹀
今年度の教養セミナーⅡでは、二編の文章執筆練習を
行なった。ひとつは「消費税はどうあるべきか」という
共 通 テ ー マ に よ る 文 章 練 習 で あ り、 現 在 大 き な 問 題 と
なっている消費税に、賛成・反対いずれの立場で向かい
合うべきかを述べてもらった。もう一つは、各自が自由
に何らかの問題を設定し、自分なりの答えを述べるとい
う執筆練習であった。消費税のテーマは、賛成・反対い
ずれの立場にも強い理由があり、どちらの立場に立つべ
きか、全員かなり執筆に苦労したようである。また、自
由テーマの執筆練習ではテーマの設定そのものに悩んだ
人が多かったようである。
石原君の文章は後者のテーマに基づくものである。最
近、 子 ど も た ち だ け で は な く 一 部 の 大 人 た ち の 間 で も
「妖怪ウォッチ」が流行しているが、なぜ、そのような
現 象 が 生 じ て い る の か、 石 原 君 は そ の 特 徴 を「 ポ ケ モ
ン」と比較しながら、分かりやすく分析している。「妖
怪ウォッチ」と「ポケモン」の違いを、ゲーム史を視野
に入れながら論じる点は見事である。また、経営学科の
学生らしい、マーケティングにも繋がる解説は大変説得
力があり、
「流行」という社会的・経済的現象の原因の
一端を知ることができる。一つの流行現象をこのように
多面的な視野から論じる姿勢は重要である。今後もこの
ような視点をもって様々な事象を観察していってほし
い。
10
スマートフォンが現代社会に
及ぼす影響とは何か
︵経営学科一年︶
加 藤 正 時
「スマートフォン」通称「スマホ」は、現代社会におい
て今や無くてはならないものとなっている。大げさではあ
るが、持っていなければ時代遅れとまでいえる。いつでも
手軽にインターネットサイトを閲覧できたり、多種多様な
アプリを利用できたりすることはとても魅力的だ。
ホが普及し始めたのはつい最近のことである。ある
スマ
︵※︶
サイトによると二〇代のスマホ普及率は八〇%という結果
が出ている。その一方で、高齢者のスマホ普及率は、六〇
代は二〇%弱、七〇代以上は一〇%以下と非常に低い。し
か し、 こ れ と は 逆 に、 一 般 的 な 携 帯 電 話︵ 通 称「 ガ ラ
ケー」︶の普及率は六〇代、七〇代ともに六〇%以上であ
り、スマホとガラケーは対照的な普及率となっている。
特に今回着目した点は、一〇代のスマホ普及率である。
警視庁が東京都内の中高生を対象に実施したスマホ所有率
調査によると、中学生が四二%、高校生が七四%という結
果が出ている。この結果は、スマホをめぐる現代社会のあ
りかたを顕著に表わしていると思われる。
中学生、高校生がスマホを所有している理由としてまず
あげられるのが、現代社会の危険性だ。今の世の中は何か
と物騒なことも多いため、いつでも連絡の取れるスマート
フォンを持たせることで少しの安心感が得られる。親の目
的はそこにある。しかし、当の本人たちは友人とのコミュ
ニケーションに使うのが一番の目的だ。ただ連絡を取るだ
けならばガラケーでよいのになぜスマホなのか? これは
個人的感想であるが、おそらくそれは、周りがみんなスマ
ホを所有しているからだ。心理学で学んだことだが、中学
生、高校生は周りに合わせようとする傾向が強いのだとい
う。見方を変えれば、そういった社会の空気が中高生にス
マホを持たせているとも考えられる。
では、社会人における所有理由とは何であろうか。これ
も私の推測だが、やはり社会人も、周りが持っているから
なんとなく、という理由が一番多いように思える。しかし
学生と違うのは仕事での使用もあるということだ。最近の
」
「 Word
」などができ
ア プ リ の 中 に は、 ス マ ホ で「 Excel
るものもあり、ビジネスでの活用にも便利なのだ。また、
社会人になると、自分の時間が少なくなり、それまで付き
合ってきた学生時代の友人との連絡が取りづらくなるが、
スマホがあれば、連絡を取り合うのが簡単になり、疎遠に
なることも少なくなる。このことも理由のひとつだろう。
」 や「
」等といっ
「
LINE
Twitter
ス マ ホ の 普 及 に 伴 い、
た「SNS︵ソーシャル・ネットワーキング・サービス︶
」
11
の利用者数も増加し、いつでも簡単に、誰とでもコミュニ
ケーションをとれるような時代になった。学校や会社など
でも、SNSを利用して連絡を回したりするところも増え
てきている。とても手軽で便利ではあるが、その反面、一
人でいる時間もSNSに縛られ、SNSを利用していない
と仲間外れになるといったようなことも出てきている。実
は、私自身がそうであった。私は高校一年生からスマホを
所持していたが、SNSの類のものが嫌いで、一切利用は
」による
し て い な か っ た。 と こ ろ が、 ク ラ ス 内 で「 LINE
グループが形成され、クラスの重要事項の伝達がそこで行
われるようになり、また、友達の中にもグループが形成さ
れ、そこで盛んにコミュニケーションがとられたりするよ
うになっていった。そのころから学校に行ってもたまに話
がわからなくなることもあり、そんな状況に耐えられず、
渋々SNSを利用し始めたのを覚えている。実際、私のよ
うな理由でSNSを利用し始める人も少なくないだろう。
SNSとうまく付き合うのもまた、現代社会で生きていく
上で重要なことなのである。
逆に、スマートフォンを持っていないが故に受ける影響
もある。やはり一番大きい影響は先程のSNSについて述
べたとおり、手軽にコミュニケーションがとれないことで
あろう。持っていないと必然的に仲間外れに感じてしまう
のだ。また、周りがスマホばかりのところでガラケーを使
用するのは少し肩身が狭い気もしてしまう。
最近ではこんな言葉も聞こえてくる。
「人がスマホを操
作しているのではなく、人がスマホに操作されている」全
くその通りである。歩きながらスマホ、電車に乗ればスマ
ホ、ご飯を食べながらスマホ、デート中でもスマホ。この
状態は正直に言って異常だ。だが現代では、この異常な状
態を異常だと感じていない人がほとんどだ。そこがまた異
常なのだ。しかし、この状態を異常と感じている私の考え
自体が異常なのかもしれない。何が正常で、何が異常なの
かわからなくなってしまう。
果たしてスマホは単なる通信機械なのだろうか?
私は現代社会での便利なコミュニケーションツールであ
ると考えている。人は一人では生きてはいけない。手段が
時代とともに変化しているだけで、根本にあるのはあくま
でもコミュニケーションなのだ。こう考えると、コミュニ
ケーションをとることはごく自然なことであり、当たり前
なことである。その観点からすれば、今の状態は正常なの
だろう。しかし持っていない人からすれば、そんな状態は
異常としかいいようがないのだ。つまり、スマホを持って
い る 人 か ら み れ ば 持 っ て い な い 人 の ほ う が 異 常 に 見 え、
持っていない人からみれば持っている人の方が異常に見え
るということなのである。そして、どちらが正解で、どち
らが間違いなのかを決めることはできない。それが今の社
会なのである。
現代社会において私が考えるスマホとは「人と人との距
12
http://www.dir.co.jp/library/column/20140522_008534.html
離を縮めてくれるとても便利なツールであり、これからを
生 き て い く 上 で な く て は な ら な い も の 」 で あ る が、 同 時
に、「その付き合い方はしっかりと考える必要があり、有
効に使っていけば、私たちの生活に有益な効果をもたらし
てくれるもの」なのである。
※参照
︿寸評﹀
担当教員 河野 敏宏
加藤君の文章も、二つ目のテーマによるものである。
加藤君は、スマートフォン︵スマホ︶がこれほどまでに
普及している理由とは何かについて考えてくれた。その
理由として多くの人がすぐに思いつくものは「便利だか
ら」というものであろう。しかし、加藤君はそのことは
肯 定 し な が ら も、
「周りに合わせる」という日本社会独
特の理由に着目している。特に、若年層においては、単
に「合わせる」だけではなく、人間関係そのものを維持
す る た め に 必 要 で あ る こ と を 指 摘 し て い る。 そ し て、
「便利だから常に使用する」のではなく「人間関係を維
持し続けなければならないから常に使用する」という状
況は、果たして「正常」なのか「異常」なのか、という
疑問を提示している。こうした多面的な視点は、様々な
事象を分析する上で不可欠なものであり、今後も様々な
局面で活用できるであろう。今後もこの視点を保持して
いってほしい。
『図書館戦争』の面白さとは?
西 口 怜 奈
︵経営学科一年︶
『図書館戦争』とは、アスキー・メディアワークスより
出版されている有川浩氏のシリーズ小説であり、イラスト
は徒花スクモ氏である。同シリーズは、
『図書館戦争』︵二
〇〇六年二月︶、
『図書館内乱』
︵二〇〇六年九月︶
、『図書
館危機』
︵二〇〇七年二月︶、
『図書館革命』︵二〇〇七年一
一月︶の四巻と『別冊 図書館戦争』︵二〇〇八年四月一
〇日∼二〇〇八年八月九日︶二巻の全六巻で構成されてい
る。さらに、スピンオフ小説をはじめとする派生作品︵漫
画、テレビアニメ、劇場アニメ、実写映画など︶も数多く
展開されている。
あらすじは次のようである。舞台は二〇一九年の架空日
本。主人公は、高校三年生の時に出会った一人の図書隊員
︵ 後 述 ︶ に 憧 れ て 図 書 隊 入 隊 を 志 し た 少 女・ 笠 原 郁。 メ
ディアの自由を巡る人々の戦いを通しながら、郁の真っ直
ぐな成長と恋愛を描いている。一九八八年、公序良俗を乱
し、人権を侵害する表現を規制するための「メディア良化
法」が制定され、同法の施行に伴い、メディアへの監視権
を持つ「メディア良化委員会」が発足し、不適切とされた
13
あ ら ゆ る 創 作 物 は、 そ の 執 行 機 関 で あ る「 良 化 特 務 機 関
︵メディア良化隊︶」による取り締まり︵以後検閲と表記︶
を受けることとなった。しかし、それは、この検閲が妨害
される際には、武力制圧も行われる、という行き過ぎた内
容であった。そして、情報が制限され自由が侵されつつあ
るなか、弾圧に対抗した存在が「図書館」であった。検閲
の強行に対し、図書館法に則る公共図書館は、
「図書館の
自由に関する宣言」を元に「図書館の自由法」を制定し、
あくまでもその役割と本の自由を守るべく、やがて自ら武
装した「図書隊」による防衛制度を確立する。これ以降、
図書隊と良化特務機関は永きに渡る抗争に突入していくこ
と に な っ た。 時 代 は 昭 和 か ら「 正 化 」 へ と 移 り、 図 書 隊
は、激化する検閲やその賛同団体の襲撃に対抗するためそ
の防衛力を増していく。そして、それに伴い、拡大解釈的
に良化法を運用し権勢を強めるメディア良化委員会との対
立は激化の一途をたどっていく。時を同じくして正化二六
年︵二〇一四年︶一〇月四日。高校三年生の郁は、ある一
人の図書隊員に検閲の窮地から救われる。幼少時代からの
大好きな本を守ってくれた図書隊員との出会いをきっかけ
に、郁は彼を“王子様”と慕い、自分も彼のように「理不
尽な検閲から本を守りたい」という強い思いを胸に、図書
隊の道を歩み始めた。そして、メディア良化法成立から三
〇年を経た正化三一年︵二〇一九年︶、郁は、自身の夢で
ある念願の図書隊へと入隊を果たしたが、指導教官である
堂上篤は、郁が目指した憧れの図書隊員とは正反対の鬼教
官だった。男性隊員にも引けを取らない高い身体能力が取
り柄の郁は、顔も名前もわからない王子様を慕って人一倍
過酷な訓練をこなしていく。一方、堂上は、五年前に自ら
の 独 断 が ひ き 起 こ し た「 あ る 事 件 」 を 重 く 受 け 止 め て い
た。やがて、郁は懸命な努力と姿勢が認められ、全国初の
女性隊員として図書特殊部隊に配属される。そして、堂上
のもとで幾多の困難な事件・戦いに対峙しながら、仲間と
ともに助け合い、成長していく。
この『図書館戦争』シリーズの累計発行部数は、二〇一
三 年 三 月 時 点 で 四 〇 〇 万 部 を 突 破 し て お り、
「ハードカ
バーのライトノベル」とも呼ばれている。主なターゲット
層は中高生、特に女子であるが、主婦層などにも幅広く受
け入れられている。このように幅広く読まれている『図書
館戦争』シリーズであるが、ここではなぜ特に女子中高生
にうけているのかを分析してみる。
『図書館戦争』という作品の面白さはストーリー性の高
さにある。このストーリー性は四つの要素から構成されて
いる。
一つ目は、笑いの要素である。主人公の笠原郁と周囲の
個性豊かな人間との間で起こる現実的な人間関係、すなわ
ち、ちょっとした掛け合いやまじめな行動の中に生まれる
シュールな笑いが見どころである。例えば、主人公の郁に
ついた二つ名︵渾名のようなもの︶の「熊殺し」は、図書
14
隊での訓練中、夜のテントで休んでいると急にテントにク
マが侵入してくる。すると郁は、
「熊だー!」と叫んで熊
を背負い投げする。しかし、この騒動は新隊員歓迎のドッ
キリであり、郁が背負い投げした熊は本物ではなく、ただ
のぬいぐるみであった。以後この光景を見た他の隊員から
「 熊 殺 し 」 の 笠 原 と 呼 ば れ る よ う に な る。 こ の 他 に も シ
リーズを通して様々な笑いどころが隠れているので、自分
のお気に入りを探すことをお勧めする。
二つ目は、恋愛要素である。主人公の笠原郁はもちろん
のこと、親友、同僚、上司などにもそれぞれ恋愛要素が含
まれている。恋愛をする人物が主人公だけではないので、
お気に入りのカップルを探す楽しみもある。そしてなによ
り、多くの女子が好きな恋愛要素が盛り込まれることによ
り、 読 み や す さ が 増 し て い る。
『 別 冊 図 書 館 戦 争 』 に
は、本編で語られなかった恋愛要素にスポットが当てられ
ており、本編の恋愛要素では足りなかった読者も満足でき
るほどの読み応えがある。
三つ目は、シリアスな要素である。タイトルが『図書館
戦争』とあるように、常にのんびりとした日常が続くわけ
ではない。本命である敵のメディア良化委員会との対立や
抗争をはじめとして、新内部的勢力「未来企画」の出現、
主 人 公 の 笠 原 郁 と 両 親 と の 溝、 な ど が た ち ふ さ が っ て く
る。メディア良化委員会との抗争で、少し残酷な表現も使
用されているが、逆にこのような非日常的な要素があるか
らこそ、笑いや、ロマンスが際立っているといえよう。
四つ目は、全体を通じた読みやすさである。前述の三項
目にも言えることだが、物語全体を通して軽快なテンポが
ある。笑いどころはあるがでしゃばりすぎない、恋愛要素
も締めるときは締める、シリアスながらもシリアスすぎな
い、などといったけじめもしっかりつけてあり、読者が、
笑いだけに、恋愛だけに、シリアスだけに偏らないように
なっている。また、難しい言い回しはあまり使われておら
ず、ほとんどが小学校高学年から読めるような簡単な言葉
で構成されている。さらに、図書室の司書から勧められる
ことが多いことから、この『図書館戦争』シリーズは、初
心者に勧めやすい本、という評価がなされている。ハード
カバーであり、シリーズ巻数も決して少ないとは言えない
この『図書館戦争』シリーズが、若者の活字離れが嘆かれ
る 昨 今、 前 述 の 通 り 多 く の 人 に 愛 さ れ、 読 ま れ て い る の
は、この要素による面が大きいと考えられる。
このようにみてくると、『図書館戦争』シリーズが中高
生、特に女子にうけている理由は、主として二つ目の恋愛
要素と四つ目の読みやすさだと考えられがちであるが、恋
愛要素だけ楽しみたいのならば、少女マンガがあるため、
ここまでのヒットはしなかったであろうし、読みやすさだ
けなら、エッセイや普通の小説のほうがうけるであろう。
この『図書館戦争』シリーズがうけた理由は、これらの
二つの要素以外に、タイトルにもあるとおり、
「図書館」
15
と「戦争」という、全く世界が異なるふたつのことばの斬
新な組み合わせにもあると思われる。私たちの身近なもの
である「図書館」で、身近でない「戦争」が繰り広げられ
ることで、他に類を見ない新鮮さを生みだしているのであ
る。
また、ここで見逃せないのは、学校という環境である。
昨今の中高校には「読書タイム」というものがある。これ
は、活字離れが深刻な現在、少しでも本に触れる時間をつ
くろう、と考えられたシステムで、朝の時間の一〇分ほど
を読書にあてるというものである。この時間は、普段本を
読まない生徒も読書をしなければならないため、図書室に
本を借りに行く。中高生、特に女子は、友達の勧めで本を
選ぶことが多いため、図書室で『図書館戦争』シリーズが
多く借りられることとなり、それが「オススメ図書」にな
る。すると、さらに多くの人の目に留まることとなり、そ
の勧めを見て興味を持って、新たな読者がうまれる。この
よ う に し て ね ず み 算 式 に 読 者 が 増 え て い き、
『図書館戦
争』シリーズは多くの中高生、特に女子に受け入れられて
いったと思われる。
以上のことからわかるように、『図書館戦争』は、前述
の二つの要素だけではなく、それらに、書名の新鮮さと学
校という環境が合わさることによって初めて、中高生、特
に女子に受け入れられることとなったのではないかと考え
られるのである。
担当教員 河野 敏宏
︿寸評﹀
西口さんの文章も、加藤君同様、秋学期二つ目のテー
マに基づくものである。西口さんは、最近、特に女子中
高生の間でよく読まれている小説『図書館戦争』につい
て、その読まれている理由を分析してくれた。小説自体
の面白さを論じながらも、それだけにとどまるのではな
く、
「書名」
「学校という環境」にもその理由を見いだそ
うとしているところが大変興味深い。この小説が「女子
中高生」によってよく読まれている以上、そこには確か
に「 学 校 」 と い う 要 素 も 関 わ っ て い る は ず で あ り、 ま
た、その学校における彼女たちをとりまく環境も大きな
要因となるはずである。このような多角的な視点からの
分析は大変説得力があるものとなっている。何かが多く
の人びとに受け入れられるとき、その理由はただひとつ
だけとは限らない。本質を明らかにするためそれを探ろ
う と す る 視 点 は 極 め て 重 要 で あ る。 石 原 君・ 加 藤 君 同
様、西口さんもこの視点を今後も持ち続けてほしい。
16
浦島太郎の亀について
後 藤 弘 成
︵経営学科一年︶
一、序論
本論は、浦島太郎について二つの文献を調べ、時代経過
による物語の変化を研究したものである。
浦島太郎の話は、日本ではだれでも知っていると言って
も過言ではない有名なお伽話だ。皆さんも小さい頃、幼稚
園・保育園の先生や親御さんから読み聞かせてもらったこ
とがあるのではないだろうか。
しかしその内容は他のお伽話の例に漏れず、時代により
移り変わっている。
本論では『丹後国風土記』『御伽草子』の浦島太郎を参
照し、その時代の話で、亀がどのような役割を果たしてい
るのかを確認していく。
二、『丹後国風土記』
『浦島太郎』の元となる「浦嶋子」の話が、文献に登場
する初見は『日本書紀』「雄略紀」雄略天皇廿年秋七月の
条にある記載である。この事から『日本書紀』が完成した
七二〇年にはすでに「浦嶋子」の話が成立していたことに
なる。
『日本書紀』の浦嶋子の内容はかなり簡略なものである
が、 こ の 内 容 を 伺 い 知 る こ と が で き る の が『 丹 後 国 風 土
記』における「浦嶋子」の話である。
この話での竜宮にあたる場所は蓬山の国であり、現代の
浦島太郎のような海底にある物ではない。また蓬山の国は
人間界ではなく神仙の世界であるとされる。
三、『御伽草子』
『御伽草子』は鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した
短編の絵入り物語である。亀を助けた恩返しに竜宮へ行く
という、今の「浦島太郎」の形が定まったとも言われてい
る。
現在の浦島太郎と違う点は、子供にいじめられている亀
を助けるのではなく、浦島自身が釣り上げた亀を海に返し
てあげた所から物語が始まる点である。
また、こちらの物語でも竜宮は海底ではなく島というこ
とになっている。
そして最後に七〇〇年の齢を閉じ込めていた箱を開けた
浦島太郎は鶴となり蓬莱山に住んだという結末になってい
る。
四、結論
この二つの物語を比較してわかることは、両方の話とも
17
竜宮城の姫は亀だということである。しかし、
『丹後国風
土記』の「浦嶋子」の話は現代の浦島太郎、『御伽草子』
の浦島太郎よりも神仙思想の影響が色濃く現れている。神
仙 思 想 が 日 本 に 流 入 し た の は 四 世 紀 頃 と 言 わ れ て お り、
『丹後国風土記』が書かれた時代には物語として書かれる
ほど日本に道教の神仙思想が広まっていたことが伺える。
『御伽草子』の浦島太郎は一部を除けば現代の話とほぼ
同一であることがわかる。しかし最後に浦島太郎は鶴とな
り蓬莱山に住んだところは現代の浦島太郎とは決定的に違
い、『丹後国風土記』程ではないが神仙思想の影響が現れ
ている。道教では鶴は仙人の象徴、不老長寿の象徴である
とされ、また亀も仙山を背負っているという神話が残され
ている。
二つの話では人間界の男である浦島太郎と神仙世界の美
女である亀姫との超自然的な邂逅と異種婚約、仙人郷に留
まったことによる時間の流れの違い、開けてはいけない箱
を開ける呪禁破棄などといった道教の宗教説話要素が含ま
れている。
ここから見えてくることは、亀姫が浦島太郎を竜宮に引
き止めておきたかった理由である。
亀姫は自分を助けてくれた恩返しとして、浦島を仙人の
世界に留まらせ仙人にしてあげようとしていたのである。
普通の人間ならば玉手箱を開けて三〇〇歳を超える老人に
なったならばすぐ死んでしまうはずである、しかし浦島は
死んでいない。それどころか、
『御伽草子』では長寿の象
徴 た る 鶴 に な っ て い る。 こ れ は 浦 島 が 人 間 で な く 仙 人 と
なったことの裏付けではないだろうか。
現代の浦島太郎では、亀は竜宮で乙姫に仕えるただの動
物となっている。時代の経過によって道教の宗教説話的な
意味を持つ部分が消えていき、亀はその名残として竜宮に
仕える動物として残り、現代の童話として広く知られる浦
島太郎の物語が形成されていったのではないだろうか。
︽参考文献︾
『 鑑 賞 日 本 古 典 文 学 第 二 巻 日 本 書 紀・ 風 土 記 』 直 木・ 西
・
宮・岡田編︵角川書店・一九七七年︶
・『日本古典文学全集 第三六巻 御伽草子集』 大島建彦校訂訳
︵小学館・一九七四年︶
・『選集道教と日本︵全三巻︶』 野口鉄郎編︵雄山閣出版・一九
九七年︶
︿寸評﹀
担当教員 菅原 研州
「日本の昔話を通し
こ の 教 養 セ ミ ナ ー の テ ー マ は、
て、日本の文化を知ろう」である。Ⅱでは各受講者に、
昔話に関連した研究発表を行ってもらった。我々が子供
の頃に見聞きした昔話の研究を通して、話の中に、日本
の文化・宗教、あるいは日本人の情感・願望が含有され
ることに気付いてもらうためである。
後藤弘成君は、
「浦島太郎」に出てくる「亀の役割」
18
に注目した。その結果、
『風土記』『御伽草子』
、現代の
昔話の三者の中で、大いにその役割が変わっていること
に気付いた。そして、その変容の理由を、日本人の宗教
観に影響している道教の宗教説話に関連させて論じた。
これは、知識を集めることで、自らの疑問点を解決し、
新 た な 知 見 を 見 出 そ う と す る 学 究 的 態 度 で あ っ た。 ま
た、豊富な知識に裏打ちされた発表は堂々としており、
全受講者中最初の一人だったことも感じさせず、他の受
講者へ奮起を促すものであった。
後 藤 君 に は 是 非、 今 後 も こ れ ら の 態 度 や 経 験 を 忘 れ
ず、充実した大学生活を謳歌してもらいたいと期待して
いる。
教養セミナーで一年を
通して学んだこと
︵経営学科一年︶
三 原 麻由佳
私は、このレポートを書くにあたり、入学してから今ま
での約一年間を思い返した。
まず数ある教養セミナーのテーマに中から迷うことなく
“日本昔話の歴史”についての講義を選んだ理由について。
一つは、私は今までの“日本”や“世界”が成り立ってき
た経緯に興味がある。
いま自分たちがこうして当たり前に生活しているのも、
エジソンが電気を発明し、沢山の戦争を乗り越え、何度も
革命が起き、医療が発達して健康に過ごせる世の中になっ
たから⋮⋮と考えると数え切れないほどあるが、このよう
な事があったから“今”があると思うと、凄く面白いし深
いと思うからだ。
同じく日本昔話ができた理由や今まで伝わってきた経緯
を知れたら知識も増えるし、日本の今までについて少しで
も詳しくなれるのでは、と思った。何よりも日本の話であ
るし、誰しも少しは知っている話があるだろうし、身近な
テーマだと思い学びやすいと思ったというのが一つめの理
19
由だ。
二つめは、小さい頃近所の図書館のビデオコーナーで日
本昔話のビデオを借りてよく観ていたり、親が本を読み聞
かせてくれたりしたことを思い出したからだ。
もし、自分が小さい頃知った話を今再び詳しく知れたら
きっと思うことや感じ取れることが違ってくるだろうし、
一度聞いたことがある話ならとても親しみやすいだろうと
思ったということが二つめの理由である。
毎週火曜一限に授業があり先生がレポートを配りそれに
沿って話を進めていく時や、学校の図書館の一室を借りて
ビ デ オ を 皆 で 鑑 賞 す る 時 な ど が あ り、 ど れ も 良 い 体 験 に
なったと思うが、その中でも自分的に忘れられない刺激的
な体験をしたことがある。それはレポート発表で、与えら
れたテーマについて全部自分一人で調べで約十分間、皆の
前に一人で立ちレポート発表をするというものだ。グルー
プであるテーマについて手分けして調べて発表すること
は、高校時代何度かしたことがあったが、何から何まで全
て自分一人で進めるのは初めての体験だった。そして、こ
れが高校生と大学生の違いかと実感した。
私は文章を書くことが好きで、どのように書いたら人が
興味を持ってくれるか、どのように書いたら他人と一味違
う風に仕上がるか、と考えている時が楽しいので早くやり
た い と い う 気 持 ち の 方 が 強 か っ た。 私 の テ ー マ は“ 寝 太
郎”で、このテーマでいかに興味を持ってもらえる構成に
していくか、他人と違った発表にするかを考えた。寝太郎
の歴史を調べるだけになると、よくある発表になってしま
うし誰も興味をもって聞いてくれないのではと考え最終的
に寝太郎の県ごとでの話の伝わり方の違いについて発表す
ることにした。簡単なテーマではあるかもしれないが簡単
なテーマにして内容を大学生らしく仕上げた方が、理想的
なレポートに仕上がるだろうと思った。
しかし問題は、私はとても緊張してしまう性格なので、
パニックになって上手く発表出来なかったらどうしようか
と、とても不安だった。発表の前日に初めて、皆の前に立
ち発表しているイメージをしながら声を出して読んでみた
ら、焦って早く読んでしまい、時間はとても短く約六分で
あった。不安が更に増してこのままだと上手くいかないだ
ろうと思い、何度も何度も推敲して結局朝方まで粘り、推
敲し続けた。学校へ行く直前に親の前で発表してから学校
へ向かった。その時にもらったアドバイスは、内容はとて
も良いと思うから自信をもってゆっくり読みなさい、とい
うものだった。その言葉で自信をもって、本番は程よい緊
張感で、焦ることもなくゆっくり読み、当初は言う予定が
なかった「○ページの○行目から皆さんも一緒に読んでく
ださい」というアドリブを入れる余裕も残っていた。発表
時間は約十分で、自分的にパーフェクトにできたと思う。
先 生 に も 思 わ ず 入 れ た ア ド リ ブ の こ と を 褒 め て も ら い、
「とても上手くまとまっていました」と言われ、
「初めてレ
20
ポート発表したとは思えなかった」という言葉には、言い
あらわすことができないほどの嬉しさを感じたのを鮮明に
覚えている。そして授業の終わりに友人からも「とてもよ
かった」と言われて、大成功したと改めて感じた。
この教養セミナーという授業を通して学んだことは、日
本昔話の歴史だけではなく、レポートの作成の仕方や人前
に立って自分の研究を発表する度胸や重要さだ。これは社
会に出てから何かしらできっと役立つ日が来るはずだ。そ
して自分は納得がいくまで作成し続ける粘り強さを持って
いるのだと気づけた。これからレポート発表があっても褒
められた時のあの気持ちを思い出し初心を忘れずに自信を
持って発表したいと思う。
担当教員 菅原 研州
︿寸評﹀
「日本の昔話を通し
こ の 教 養 セ ミ ナ ー の テ ー マ は、
て、日本の文化を知ろう」であり、Ⅰでは日本の昔話の
基礎知識を講義形式で受講者に伝え、Ⅱでは各受講者に
日本の昔話に関連した研究を発表してもらった。
中でも、三原麻由佳さんの発表は、とても落ち着いて
いて、初めて人前で発表するとは思えないような慣れを
感じたのだが、このレポートから理由が分かった。
Ⅱでは事前に、研究発表の方法を一通り解説し、その
中で、緊張しやすい人は練習を繰り返すように促した。
それは、発表原稿を読み慣れておくことで、時間調整が
可能となり、話し方のテンポなども身に着けてもらうた
めであった。三原さんは、自分のことを緊張しやすいと
評したが、発表時にそれが感じられなかったのは、練習
を繰り返し行ったためである。
そして、原稿の推敲や発表の練習を通して、自分の中
に、課題に対して粘り強く取り組める能力を見出してい
る。是非、その力を今後も発揮して、充実した学生生活
を送ってくれるように期待したい。
21
アニメによる効果
メ学』︵二〇一一︶では、アニメブームを「新たな様式や
作風をもつ作品が現れることでアニメ界に大きな影響をも
たらし、作品が量産されると同時に観客層を著しく広げる
ことができた現象」と定義して次の三つの期間を設定して
いる。第一次アニメブームは一九六〇年代であり、『鉄腕
アトム』放映をきっかけにテレビアニメが誕生・拡大した
時期。第二次アニメブームは一九七〇年代後半から一九八
〇年代後半までであり、『宇宙戦艦ヤマト』劇場版や『風
の谷のナウシカ』などの宮崎駿作品により青年層にまでア
ニメ観客層が拡大した時期。そして第三次アニメブームは
一九九〇年代後半から二〇〇〇年代半ばまでとされてお
り、
『 新 世 紀 エ ヴ ァ ン ゲ リ オ ン 』、
『もののけ姫』などの
ヒット作が現れ、海外でのアニメ人気が伝えられるととも
に、いわゆる深夜枠のテレビアニメが急増した頃であると
述べられている。つまり、アニメが日本に普及した流れは
大きく分けて三段階あり、一段階目ではテレビアニメが誕
生・拡大し、二段階目で青年層の観客を獲得・拡大、さら
に三段階目には海外にファン層を拡大し、深夜枠のテレビ
アニメの急増を引き起こしたことが分かる。
では次に、アニメが社会一般に普及した理由について考
えてみる。『日経新聞』
︵二〇一一︶はアニメ一般化につい
て、
倉 内 裕 未
今日、私たちの生活の中で漫画・アニメとのコラボレー
ション企画、所謂キャラクタービジネスを目にする機会が
多 く な っ て き た よ う に 思 わ れ る。 ち な み に 菅 原︵ 二 〇 〇
九 ︶ に よ る と、
「 キ ャ ラ ク タ ー ビ ジ ネ ス と は、 キ ャ ラ ク
ターを使用した商品化や広告販促などのライセンスによる
売上で収益を得るビジネスである」と定義されている。こ
の身近な例として、ローソンと新世紀エヴァンゲリオンや
第一パンとポケモンなどが挙げられる。さらに最近では、
スタンプラリーに際した町おこしや、スポーツ商品とのコ
ラボレーションも行われている。従来、CMなどのコラボ
レーション企画は企業間や俳優といったブランド力のある
ものと交わされることが主要であっただろう。このことか
ら、 消 費 者 に と っ て 漫 画・ ア ニ メ が 魅 力 的 な も の へ と 変
わったのではないかと考えられる。本稿では、漫画・アニ
メが社会的に普及した過程と要因、コラボレーションによ
る効果の三点を考察していく。
「“アニメ好き”を公言する有名人」の増
ポイントは、
加だ。声優・花澤香菜のファンを公言する前出の柏原竜
︵経営学科一年︶
ま ず、 日 本 で ア ニ メ が 多 く の 人 々 に 認 知 さ れ る よ う に
なった契機とはどのようなものだったのだろうか。『アニ
22
二選手をはじめ、プロゴルファーの大江香織選手、さら
には人気モデルの平子理沙や山本美月まで、アニメとは
縁遠そうだったスポーツ選手やファッションモデルたち
が、アニメを語り出した。︵中略︶これらの動きは、
「ア
ニメを見ることの垣根が下がってきている」
、その表れ
なのだろう。
と考察している。確かに、社会一般に知られている有名人
たちがアニメの良さを紹介することによって、一般大衆が
抱くイメージがニッチな業界からひらけたものへと移る流
れ は 自 然 で あ る よ う に 感 じ ら れ る。 ま た、 亀 山︵ 二 〇 一
三︶によると、インターネット・メディアの発達、普及に
伴いファン同士やファンと送り手の間のコミュニティとし
てネットメディアが出現した。さらにイベントなどの様子
、 twitter
といったSNSで拡散する
を参加者が Facebook
ことで、ファン同士が共有するのはもちろん、メディア展
開や商品を告知する強力なエンジンとなるだろうという考
察がなされている。これを受けて、ファン同士だけではな
く、知人を介して興味のなかった人たちがアニメに関する
情報に触れる機会が格段に増えるであろうことがさらに推
測できる。以上から、「“アニメ好き”を公言する有名人」
の増加に伴いアニメへの垣根が下がってきていること、S
NSやインターネットによるメディア展開、宣伝力が強力
なエンジンとなっていることの二点が社会一般にアニメが
普及していった要因にあることがうかがえる。
ここまでの内容からアニメが広く認知されるに至るまで
の過程は分かったが、そのアニメとコラボレーションする
ことで実際どのような効果があるのだろうか。ここからは
序章で例に挙げた一つ、千葉県佐倉市が開催したスタンプ
ラリー×アニメ『弱虫ペダル』による町おこしにそって話
をすすめていく。
『日本経済新聞』
︵二〇一四︶には、
自転車競技をテーマにした人気アニメ「弱虫ペダル」
を集客に生かす取り組みが、千葉県佐倉市や千葉市で始
まった。舞台となった佐倉市は三月からスタンプラリー
を開催。千葉競輪場︵千葉市︶は二〇日に市民参加型の
レースを開く。アニメの舞台巡りは町おこしの新たな手
法として注目を集めている。︵中略︶若年層を狙った市
の集客策は「想像以上の反響」
。情報の感度も高いだけ
に、コースの途中にあるとんかつ店「おかやま食堂」な
どは来訪者がブログで紹介したことで来店者が急増して
いるという。
といった記事が記載されている。これより、定期的にイベ
ントを催すことでアニメファン層を獲得できたり、ブログ
などSNSによる情報がとんかつ店に予想外の利益を生み
だす要因になる結果となった。とんかつ店の利益は、企画
の際に全く予測されていなかったことで、口コミなどの告
知能力の高さがうかがえる。以上から、コラボ企画は、本
来なら接点の薄かったそれぞれの顧客を相互に誘導し、相
乗効果を生みだしたり、アニメファン層の新規顧客層の獲
23
得、ネットを中心とした情報の拡散により高いPR効果が
得られることが分かる。
本稿では、三つのテーマについて言及してきた。第一に、
日本でアニメが普及した契機は大きく分けて三段階あり、
一段階目の一九六〇年代にアニメが誕生・拡大し、二段階
目の一九七〇年代後半から一九八〇年代後半までに観客層
を青年層まで拡大、さらに三段階目の一九九〇年から二〇
〇〇年代半ばには深夜枠のアニメを急増させ、海外にも観
客層を拡大させたことが分かる。第二に、
「
“アニメ好き”
を公言する有名人」の増加をうけてアニメへの壁が薄く
なってきていること、インターネットの普及やSNSによ
るメディア展開、PR効果が多くの人々がアニメをより肯
定的に認知するに至った要因であることも示された。最後
に、コラボ企画には、アニメファンなど予想外の新規顧客
層獲得やネットを中心とした情報の拡散のよる高いPR効
果が期待でき、本来関連性が薄いジャンルの顧客を相互に
誘導し、相乗効果を生み出すというメリットがあることが
明らかになった。コラボレーションする組み合わせによる
効果の違いや、マイナス面については今後の課題とする。
︽参考文献︾
「キャラクタービジネスの戦略に関する研究」︵菅原由以、文教
・
大学情報学部経営情報学科卒業論文、二〇〇九年︶
・『アニメ学』︵高橋光輝・津堅信之、NTT出版、二〇一一年︶
・
『“アニメ好き”が消費を動かす 二〇一二年のアニメ界を振り
返る︵1︶』︵山内涼子、『日経新聞』一二月号、二〇一二年︶
・「アニメビジネスの特性分析と課題解決に向けた一提案」︵亀山
泰夫、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士論文、
二〇一三年︶
・『自転車競技アニメに千葉の自治体沸く︵ふさの国から︶』︵日
経新聞、二〇一四年、 http://www.nikkei.com/article/DGXDZ
︶
O69408270U4A400C1L71000/
︿寸評﹀
担当教員 中村 綾
本稿は、アニメとのコラボレーションによるキャラク
タービジネスについてのレポートである。
本 稿 で は、 漫 画 や ア ニ メ が 社 会 に 普 及 し た 過 程 と 要
因、そしてコラボレーションによる効果という三点につ
いて調査が加えられており、アニメとコラボレーション
することによる商業効果について、経営学部の倉内さん
の視点から考察が述べられている。
倉内さんのレポートは構成もしっかりと整っており、
何を問題に取り上げているのか、非常に明確に書かれて
いる。そして、多くの資料に当たり、書かれている内容
をきれいにまとめている。
倉内さんは、授業内容をよく理解し、提出物にはそれ
が十二分に反映されている優秀な学生であるが、努力も
怠らない。この姿勢を大事にして、今後も実りある学生
生活を送ってほしいと思う。
24
スターバックスはなぜ人気なのか
︵経営学科一年︶
平 口 由 樹
スターバックスはスタバの愛称でも知られる有名なコー
ヒーチェーン店だ。休日の昼間にスターバックスの店舗の
近くを通りかかれば、たくさんの人が注文待ちで並んでい
る光景を目にすることがあると思う。見た目からも人気だ
ということが推測できるが、数字からも読み取ることがで
き る。 ス タ ー バ ッ ク ス の 店 舗 数 は 大 台 の 一 〇 〇 〇 店 を 超
え、営業利益は一〇九億円︵二〇一四年三月通期︶となっ
て い る。 営 業 利 益 は 三 期 連 続 で 最 高 益 を 更 新 し て い る。
︵スターバックスホームページより︶アベノミクス効果で
景気が回復されつつもあると報道されているが、いまだ不
景気ムードが漂う日本でなぜこんなにも好調な業績なのだ
ろうか。好業績の理由を三つの観点から考察したい。
まず一つ目がスターバックスで働く従業員についてだ。
スターバックスのお店に行くと従業員の気さくだが、細や
かな接客に目が行く。注文を待っているときに席を取って
おいてくれたり、コーヒーのカップにメッセージを書いて
くれたり気持ちがよくなるような接客をしてくれる。しか
し驚くことにスターバックスには接客のマニュアルがな
い。スターバックスの従業員はマニュアルに頼らず、自主
的 に 考 え 行 動 し て い る。 マ ニ ュ ア ル が な い 中、 全 国 の ス
ターバックスで働く人何万もの人がみんな同じように素晴
らしい接客ができるのか。そのことについて北川︵二〇一
三︶は、
心のこもったおもてなしはマニュアルから生まれるの
ではなく、パートナー個人個人のハートから生まれるも
のとの信念に基づいている。
「人々の心を豊かで活力の
あるものにするために││ひとりのお客様、いっぱいの
コーヒー、そして一つのコミュニティから」という世界
全体のスターバックス共通のミッション宣言を全員が理
解、共有し、その価値感の下にパートナーそれぞれの個
性と表現方法で接客することによってお客様と気持ちで
つながることができる。
と 述 べ て い る。 つ ま り ス タ ー バ ッ ク ス の 従 業 員 は、 ミ ッ
ションをしっかりと理解し、全員が同じ価値感を持ち、同
じ方向を向いて目標へ達成のために進んでいる。そのこと
が素晴らしい接客をマニュアルなしでもできる理由ではな
いだろうか。
以上のことからスターバックスは個人個人が作り上げた
お客の心に寄り添うような他にはない接客で他のコーヒー
チェーン店と差をつけていると考察する。
二 つ 目 は ス タ ー バ ッ ク ス の 居 心 地 に つ い て だ。 ス タ ー
バックスの座席は比較的ゆったりととられており、椅子も
25
座り心地の良いものが多く取り揃えられている。店内は全
面 禁 煙 で タ バ コ の 煙 や に お い を 気 に し な く て も よ い。 ま
︶を完備
た、早い段階から店内に公衆無線LAN︵ Wi-Fi
している。このようにスターバックスはゆっくり長居でき
るようなつくりになっている。長居できるということは回
転率が悪いと思われる。だが、この居心地のよい長居でき
るお店のつくりが人気のカギだ。スターバックスは長年お
客にとって「サードプレイス」となることを目標としてき
た。「サードプレイス」について北川︵二〇一三︶は「お
客様の職場と家庭との間にあって、いつも安心してくつろ
げる第三の場所」と述べている。現在その「サードプレイ
ス」の地位を確立しつつあると言える。しかし今の地位に
甘んじず、よりよい居心地のため、店舗投資に多額のコス
トを投入している。この気を抜かない姿勢もスターバック
ス強みだと思われる。また、スコット︵二〇〇二︶は、ス
ターバックスは素晴らしいコーヒーを提供するよりも、む
しろ素晴らしいコーヒーとの出会いを提供する場だと述べ
ている。このコーヒーと素晴らしい出会いができる場は回
転率を重視してはつくれない。コーヒーと素晴らしい出会
いをするため、安心してくつろぐためにたくさんの人がス
ターバックスを訪れるのではないだろうか。
三つ目はSNS︵ソーシャル・ネットワーキング・サー
、
ビス︶の利用法についてだ。スターバックスは Twitter
を 利 用 し て お り、 二 〇 一 四 年 三 月 末 時 点 で の
Facebook
の フ ォ ロ ア ー 数 は 約 九 二 万、 Facebook
のファン
Twitter
数 は 約 九 五 万 で あ る。 つ ま り そ れ だ け 多 く の 人 が ス タ ー
バックスの書き込みを目にする機会があるということだ。
ひとたび新作の紹介を投稿すれば、何千件ものRT︵リツ
イート︶何万件もの「いいね!」がつく。多大な広告費を
かけずとも多くのフォロアー、ファンが新作のニュースを
広めてくれるのだ。また、スマートフォンの普及により、
SNSの利用者が増え、口コミが広がりやすくなった。そ
こにスターバックスは目をつけ、口コミを盛り上げるため
期間限定商品を毎月のように出した。流行に敏感な若い女
性はすぐさま期間限定商品を買いに行き、その感想をSN
Sに書き込む。いい商品ならばネット上に評判が広がる。
このようにうまくSNSを利用し、SNSだけで十分な集
客ができる。そのため広告販促費は年一三億円程度。テレ
ビCMを多用するマクドナルドの一〇分の一ほどだ。この
ように早期にSNSの重要性に気づきそれにあった戦略を
とっている。有効な手立てをいち早く察知し、それにうま
く適応する能力もがスターバックスは優れていると思われ
る。
以上三つの観点からスターバックスの人気について考察
してきた。この三つから共通して言えることは常に向上心
を持っていることだろう。今の状態よりよい状態へ行くた
めの工夫を常にすることで顧客を飽きさせず、ファンを増
や す こ と が で き て い る の だ と 思 う。 し か し、 最 近 で は カ
26
ある。平口さんは多くの資料を集め、スタバ独自の接客
方針、居心地を重視した内装、SNSを利用した広告費
のコストダウンという三つの観点から、人気の理由を明
確にまとめている。資料収集や参考文献の引用の方法は
授業でも練習をしたが、授業内の、私が指定したテーマ
で の 文 章 ト レ ー ニ ン グ で も、 平 口 さ ん は 毎 回 優 れ た レ
ポートを提出してきた。本稿は自由なテーマで課した学
期末レポートであるが、最後に、スターバックスの今後
の戦略について、経営学部の平口さんの意見も述べられ
ている。今後も平口さんがいろいろなことに積極的に取
り組んでいくよう、期待している。
27
フェ業界の競争が激しくなっている。スターバックスが人
気であり続けるには、スターバックスにあまり馴染みのな
い中高年層の取り込みが必要だと考える。新しい層の取り
込みのためにも広告の仕方や商品などを工夫していかなけ
ればいけない。今後スターバックスはどのように進んでい
くのか。今の人気を維持、もしくはそれ以上になることを
期待しつつスターバックスの行動を見ていきたい。
︽参考文献︾
・『なぜみんなスターバックスに行きたがるのか?』︵スコット・
ベドベリ、講談社、二〇〇二年︶
・「なぜ、スターバックスに通ってしまうのか?“カスタマイズ
』 四 七 号、 二 〇 一 三
レ シ ピ ” と 成 長 戦 略 」︵ 北 川 徹、『 Think!
年︶
・「スターバックスコーヒージャパン││上陸 年、外食で利益
首位へ︵会社研究︶」︵日本経済新聞、二〇一四年一月二四日︶
・
「顧客の心をつかみ拡大スタバはなぜ強いのか」︵『週刊東洋経
済』六四八五号、二〇一三年︶
・
「スタバの季節商品の投稿は145万人にリーチ ソーシャル
活用売上ランキングセミナー報告」︵『日経デジタルマーケティ
ング』
、二〇一四年六月︶
・
「業績・財務ハライトスターバックスコーヒージャパン」
︵ http://www.starbucks.co.jp/ir/highlight/
︶
︿寸評﹀
担当教員 中村 綾
本稿はスターバックスの人気の理由を考察したもので
18
ようこそ、お化けの世界
│ │ 日 本 と 中 国 の 妖 怪 文 化 に つ い て
王 瑩
︵経営学科一年︶
コ ン ビ ニ の 自 動 扉 が 開 い た。 自 然 に「 い ら っ し ゃ い ま
せ」と言って、だれが入ってきたと思ったら、だれもいな
い。熱心に授業を受けているとき、髪の毛がだれかに引っ
張られたような痛みを感じ、てっきり後ろに座っている男
の子のいたずらだと思って、後ろを向いたら、すでに寝込
んでいた彼である。これは単なる気のせいなのか、それと
も目には見えない「あるもの」がやったのか。
私は小さい頃から妖怪のことが好きだ。本当は怖くなっ
ているのに、いつもおじに付きまとって、妖怪の話を聞か
せてくれと言っていた。妖怪に対する興味があるため、日
本と中国の妖怪文化について考察したいと思っていた。
妖怪は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理
解を超える奇怪で異常な現象、あるいはそれらを起こす、
不可思議な力を持つ非常的な存在である。日本におけるこ
のカテゴリーへの内包は洋の東西を問わず、欧州で伝承さ
れる魔物の類も、妖怪として扱われることがあり、西洋の
吸血鬼や狼男だけではなく、中国由来のものを含め「中国
妖怪」と呼ぶ例もある。
日本妖怪の現れは、特殊の自然地理環境と密接な関係が
あ る。 日 本 は 海 に 囲 ま れ た 島 国 で あ る。 山 や 森 が 多 い た
め、昔、獣が出没するだけでなく、あちこちのさばった。
また、地震と火山噴火が頻繁に起き、科学が未発達だった
当時の人々は大自然の力には抵抗できないと考えた。つま
り、妖怪の基盤を形成しているのは、日本人の民間信仰で
あり、大自然に対する強烈な畏怖にほかならない。
日本妖怪の発展歴史における時期をだいたい六つに分け
ている。縄文時代の人はまだ原始社会に置かれ、社会制度
はあまり整えっていなかった。人々はどうやってこの恐ろ
しい自然環境の中で生きていけるかということに苦しんで
いた最中に神話が誕生し、人の頼りになった。それでも、
本当の妖怪文化は形成していなかった。大和︵飛鳥︶時代
に入ったら、日本の怪異伝奇も純粋な神話から半人半神、
神妖の産物に移り変わり、日に日に多様化、人格化した。
平安時代では人々の間に不安感や不透明感が広がったた
め、自分の願望を叶えてくれるであろうという存在として
の妖怪を創り出した。そこで、絵馬を使って自分の願いを
叶えるという風習が広がり始めていくことになった。
江戸時代に百物語のような怪談会が流行する中、怪談の
語り手がまだ世間に知られていない未知の怪談を求めた
末、個人によって妖怪を創作してしまうといったケースも
創作を増長した要因の一つと考えている。そして、創作さ
28
れた妖怪の中には豆腐小僧・傘化けが知られている。近現
代では都市妖怪伝説が生活舞台へ登場した。たとえ見たこ
とがなくても、その話を聞いただけでぞくぞくする。当時
の子どもたちを震え上がらせた口裂け女の噂はその代表的
な例である。
一方、中国では「妖魔・妖精」といった表現がある。日
本では妖怪と同意では使われないが、妖精も妖怪を表す言
葉として用いられるのだ。
中国妖怪の歴史は天地を分離させた盤古が死んだときに
さかのぼれる。中国には妖怪を妖・魔・鬼・怪に分け、四
種類がいる。妖は何か由縁または機会があり、それを利用
し、考えができたため本来の様子を人間に化することがで
き る。 魔 は 古 代 イ ン ド に あ る 仏 教 の 説 か ら 誕 生 し た も の
で、僧たちの修行を妨げる邪悪な存在である。鬼は人が死
んだ後、体から離れる霊魂である。一般的にいえば、冥土
の使者はその離れた霊魂を連れ、冥土へ旅立つべきだが、
世間に未練がある亡霊もしくは生前人に侮辱され怨みを残
して死んでいた亡霊に固定された形がないし、固定された
行き先もないし、世間のどこかに彷徨し続けている。すな
わち、よるべない霊でもある。怪は人にとって見慣れない
ものあるいは人間から見て生物とは思えないものである。
一、九尾の狐・玉藻前・稲荷神
中国の最古の地理書『山海経』では九尾の狐のことにつ
いて「白面金毛九尾の狐で、青丘の山に獣あり。その状狐
の如くにして九の尾あり。その音嬰児のごとし。よく人を
食らう。これを食らえば蠱されずとあり注にその肉を噉え
ば、 人 と し て 妖 邪 の 気 に 逢 わ ざ ら し む 」 と 記 載 さ れ て い
る。九尾の狐は殷王朝末期の帝辛︵紂王︶の寵姫であった
妲己・天竺のマガダ国の斑足太子の妃、華陽夫人・周幽王
の后であった褒詣と様々な美女に姿を変え、暴虐の限りを
尽くし、国を滅亡の道に導いた。その後、九尾の狐は美少
女に化け、惑わされた吉備真備の計らいによって、遣唐使
船に潜り込み、日本に渡るのである。近衛天皇の時代、捨
て 子 に 化 け た 九 尾 の 狐 は、 北 面 の 武 士 坂 部 行 友 に 拾 わ れ
「藻」という名を付けられる。やがて成長して「玉藻前」
となった九尾の狐は、音楽や歌はもとより、法や神仏に至
るまで深い知識と技術を見せて鳥羽上皇の寵愛を受ける
が、 こ の 頃 よ り 次 第 に 上 皇 は 衰 弱、 病 に 伏 せ る よ う に な
る。 陰 陽 師 の 安 倍 泰 成 が 占 っ た と こ ろ、 正 体 が 暴 か れ る
が、 九 尾 の 狐 の 姿 と な っ た 玉 藻 前 は、 東 国 の 那 須 野 に 逃
亡、 さ ら な る 災 厄 を も た ら し 続 け る。 朝 廷 は 弓 の 名 手 で
あ っ た 上 総 介 広 常、 三 浦 介 義 明 を 大 将 と し た 討 伐 軍 を 発
し、激戦の末これを討つが、狐の屍は近寄る者すべてを殺
す毒を吐き続ける「殺生石」と化し、下野国示現寺の玄翁
和尚が杖で石を三つに叩き割るまで、呪い続けることにな
る。九尾の狐といえば玉藻前、玉藻前といえば九尾の狐を
指す代名詞となった。
29
一方、日本の各地では、狐を祀る稲荷神社が普及してい
る。ウィキペディアには、「狐は古来より日本人にとって
神聖されており、早くも和銅四年︵七一一年︶には最初の
稲 荷 神 が 文 献 に 登 場 す る。 穀 物 の 神 で あ る 宇 迦 之 御 魂 神
︵ う か の み た ま の か み ︶ の 別 名 に 御 饌 津 神︵ み け つ の か
み︶があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつ
のかみ」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲
荷神の使いあるいは眷属に収まった。稲荷神は元々農業神
であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、
狐の色のしっぽの形が実った稲穂に似ていることから、狐
が 稲 荷 神 の 使 い に 位 置 付 け ら れ た。 ま た 仏 教 の 荼 枳 尼 天
は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるよ
う に な っ た。」 と い う 内 容 が 記 さ れ て い る。 こ れ に よ れ
ば、日本での狐のイメージは妖性の一面がありながら、神
性の一面もあるようだ。
二、川獺(かわうそ)・河童
川獺は狐狸と同様、人を化かすとされる妖怪。人の姿に
変化し、道行く人などに声をかける。その姿は犬のようで
毛の色は薄青だともいわれる。中国の東晋の干宝が著した
志怪小説『捜神記』巻一八の「蒼獺」には、雨の日の日暮
れ時に川獺が上下青い服で笠を被った婦人の姿に化け、よ
く若者に媚びたという話が記されている。同じく、女に化
け た 川 獺 が 男 を 誑 か す 話 に 似 た 話 は 日 本 に も あ る。 志 村
︵ 二 〇 一 二 ︶ で は「 江 戸 時 代 の 随 筆『 四 不 語 録 』 巻 六 に
は、菅笠を被り綺麗な着物を着た女に化けた川獺を部屋に
連 れ 帰 っ た 若 者 が、 喰 い 殺 さ れ、 性 器 を 引 き 抜 か れ て し
まったという話が記されている」と説明していた。
たとえいちいち説明できなくても、頭の皿や緑色の体、
背中の甲羅など、いくつかの条件が揃っていれば、われわ
れはそれが河童だと間違えない。とはいえ、現在の日本人
に知られている河童はあくまでテレビやアニメなどに登場
する、キャラクター化された河童のほうである。江戸時代
中期の一八世紀までは、そうした河童の姿は決して自明の
ものではなかった。
河童についての最古の記述は、室町時代の文安元年に成
立した『下学集』の「川獺老いて河童になる」という記述
であるとされている。このように川獺は河童と近しい存在
と捉えられることもあり、他に『太平物語』巻五「獺人と
すまふを取りし事」では、讃岐国の話として、主人の子ど
もに化けた川獺が、奉公人を相撲に誘う話が載っており、
相撲を好むという点でも川獺と河童には共通した要素が見
られる。
以上のことで、九尾の狐・かわうそを例に挙げ、日本と
中国の妖怪文化が似ている所があり、密接な関係があるこ
とが分かった。
今日、日本のアニメーションでは、よく擬人化された妖
怪 た ち の こ と が 見 ら れ る。
『 ポ ケ ッ ト モ ン ス タ ー』
『犬夜
30
叉』
『夏目友人帳』など妖怪に関するアニメは中国でも高
い人気がある。日本と中国の妖怪文化が互いに受け入れら
れ、そして、時代とともに変わっている。妖怪文化はまる
で橋のように両国の文化領域をつながっている、これから
もつながっていくと私は望んでいる。今後は日本と中国の
民俗文化について考察したい。
︽参考文献︾
『中国の妖怪』中野美代子︵岩波書店 二〇〇五年︶
・
・『日本ミステリアス 妖怪・怪奇・妖人事典』志村有弘︵勉誠
出版 二〇一二年︶
『河童とはなにか』常光 徹、国立歴史民俗博物館︵岩田書院 ・
二〇一四年︶
・ウィキペディア フリー百科事典「稲荷神」
︿寸評﹀
担当教員 中村 綾
本稿は、留学生の王瑩さんがまとめた日本と中国の妖
怪についてのレポートである。
教養セミナーは日本人学生に合わせた内容の講義や文
章トレーニングを行う授業であるため、留学生にとって
は大変なことも多かったと思うが、今年度、私の授業を
受講した二人の留学生は大変優秀で、授業内容をしっか
りと理解し、両名とも素晴らしいレポートを提出した。
王さんは、日本と中国の妖怪の歴史を述べた上で、狐
と川獺・河童が中国と日本の両国でどのように認知され
ているのかについて調べたことをまとめ上げている。参
考資料には、日本の古い歴史についての記述も多く、難
しい点もあったと思われるが、今日の日中のアニメ文化
にも触れて自分の考察につなげている。
九尾の狐や川獺、河童についての考察に入るのがやや
唐突な印象を受けるが、問題提起の書き方やレポートの
構成といった日本語表現のより高度な技術については、
今後学んでいってほしい。今回の作品では、一年間非常
に頑張って授業に臨んだ王さんが多くの文献に当たって
日本と中国の文化について調べたことを十分に評価した
いと思う。
31
大きく考えることの魔術
松 田 宗 大
︵経営学科一年︶
現在の日本、いや世界は貧富の差が激しい。極端な例を
挙げれば、同じ国でも高級マンションの最上階に住む金持
ちに対して、公園で寝泊まりをする仕事のないホームレス
がいる。だが、ホームレスの人たちはなりたくて仕事をな
くしただろうか。生活するのにお金がいらないわけでもな
いし、また金持ちになりたくないと思ったわけでもなかろ
う。なぜ、このような差ができてしまったのか? これが
成功したものと成功しなかった者の違いなのか? テキス
トの題名『大きく考えることの魔術』、大きくとはどこか
らが大きいのか、どこからが小さいのか私には最初のころ
分からなかった。大小の考え方はその人によって違う。大
きく考えるということは何なのだろうか。
世界中の若者たちが日々新しい職業へと巣立っている。
彼らはいつの日か成功してトップの座につきたいと望んで
いるが、私が思うに、信念をもって仕事をしているのは全
体 の 二 割、 残 り の 八 割 は 持 っ て い な い の で は な い か。 パ
レートが説く二対八の法則だ。一七歳の時の私は、信念な
ど持っていなかった。周りと同じようでいいとか、何とか
なるだろうとか考えていた。みなさんはこのような気持ち
を持ったことはないだろうか。成功する人は、ここで違う
答えをだすのだろう。私は同じような考えを持った人たち
と 高 校 時 代 つ る ん で い た が、 別 の 一 人 は ち ゃ ん と 信 念 を
持っていた。今ではやりたかったことをやっている。周り
の 考 え に 流 さ れ る と い う 習 性 を も っ て い た 時 点 で、 私 は
「成功しない者」だったのだ。
私は少なからずあの時のことを後悔している。あの時自
分の信念を持っていれば、自分のやりたいことに自信があ
り周りに流されなければと。だが、これも言い訳である。
過去を後悔するのは、あまりいいことではないと私は考え
る。後悔をして何が変わるのか。反省しこれを生かすから
こそいいのであって、後悔だけしてそれを行動に生かさな
ければ、また同じことをする。それはただただ時間の無駄
である。何が言いたいかというと、後悔することしかでき
ないから、大きく考えられないのである。大きく考え今か
らでもやり直すべきだと、私はこの本を読んで思った。
ここまでの話をしてきて思ったことがある。私は成功し
ない者である。この本の中には、敗北を勝利に転じなさい
とある。成功してないことが敗北者ととらえるなら、勝利
は成功者になることへと導く。この本から大事だと思った
点は三つ。一つ目は失敗しても耐え、そこから教訓を学び
前進しろ。二つ目は自分の欠点を真正面から見よ。確かに
人間は自分の失敗を他人のせいにしたがるが、失敗の原因
32
はたいてい自分にある。自分に向き合い欠点を克服するの
は、成功するのに大切なことだと思った。三つ目は物事の
いい面を見れば、敗北や挫折は克服できる。確かに失敗し
て耐え、さらに何回も挑戦することは辛い。しかし、物事
を違う面から見れば、何の収穫ももたらさない一〇〇%の
失敗はない。すべて次につながる失敗だと考えれば、失敗
も辛いだけのものだと考えなくなる。
「大きく考えるということの魔術」、この本ではどれだけ
自分が小さい人物かを思い知らされた。すべての物事を大
きく考えるだけでは十分でなく、いろいろな視点から見る
ことも大切だと教えられたし、何より大切なのは、失敗し
た後にこれをどう生かすかだということも分かった。この
先 人 生 の 中 で、 い や な こ と に 思 い つ め る こ と も あ る だ ろ
う。その時にこそ、この本で学んだことを心の支えにして
行動したい。
マツ
タ
ソウ
タ
担当教員 堀田 敏幸
︿寸評﹀
田宗大君は、高校時代まで周りの者と同じように考
松
え て い れ ば、 人 生 何 と か う ま く 行 く だ ろ う と 考 え て い
た。大多数の若者がそう思うことだろう。なぜなら、人
生どのような生き方が可能なのか、経験の浅い青年にそ
のヴィジョンを正しく描き出すことは、困難きわまりな
いことだからである。
で は、 大 学 生 に な っ た ら、 将 来 が よ く 理 解 で き る の
か。これもまた難しいとしか言いようがない。しかし、
大学生には将来に対する大胆な思考力が芽生えているで
あろう。挑戦してみたいことは、その者にとって一見無
謀と思えることかもしれない。失敗に終わるかもしれな
い。しかしこの失敗の次には、その失敗の焼け跡から新
しい芽が必ずや生え出す。松田君には大きく考える大胆
さを持って、未来を突き進んでもらいたい。
33
自分が考えるとおりの人
李 楠
︵経営学科一年︶
私 は ダ ビ ッ ド・ シ ュ ワ ル ツ の『 大 き く 考 え る こ と の 魔
術』という本を読んで、その中の第六章「自分が考えると
おりの人になる」の内容に大変共感を覚えました。歳を重
ねるごとに「素直さ」が無くなり、自分の考える自分とい
うものがよく分からなくなっているように思えるのです。
私は子供のときから、母親が選んでくれたとおりの道を
素直に歩んできました。その道を正しいと思うだけで、好
きとか嫌いといった自分自身の気持ちや意見を全く持って
いませんでした。中国で大学を卒業しましたが、勉強した
専門の仕事にも就かずに、外の世界に対する興味や憧れだ
けで日本にやって来ました。当時の自分を振り返ると素直
で は あ り ま し た が、 本 当 に ま だ ま だ 子 供 だ っ た と 思 い ま
す。将来どのような生活がしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、全然考えていませんでした。
今年で、来日してから四年が過ぎました。日本での勉強
と 生 活 の 中 で、 日 々 成 長 し て い る の を 実 感 し て い ま す。
段 々 と「 自 分 の 考 え 」 と い う も の も 出 来 て き ま し た。 で
も、まだまだ自分の考えているとおりになりません。なん
で毎日の生活に対して不満を持っているの? なんで勉強
や仕事が上手くいかないの? なんで、いろいろなことが
思いどおりに出来ないの⋮⋮?
そんなことを考えて悩んでいるときに、大学の教養ゼミ
の授業で、この『大きく考えることの魔術』という本に出
会いました。内容を読んでみて、本当にそのとおりだとす
ごく感じました。大きかった悩みが小さくなり、自分自身
の心が何だか広くなっていくように感じました。自分の思
いや希望と、心の奥底で自分自身が思ってしまっているこ
とが、それまではとても違っているのでした。
私は周囲から、とても明るくポジティブな人間だと言わ
れます。私自身、いつも明るく楽しく生きてきたつもりで
す。この本に書かれているとおりであれば、人からもポジ
ティブに扱ってもらえて、明るく楽しい毎日を過ごせるは
ず。 で も、 明 る く 楽 し い こ と ば か り が 起 き る わ け で は な
い。思いどおりに出来ないことがたくさんある、なぜ?
その理由は、心の奥底に自分自身でも気づいていない、
小さいけれどネガティブな感情があるからかも知れませ
ん。あるひとつのことに対して表面上はどんなにポジティ
ブに考え、発言し、行動しているつもりでも、心の奥底で
そのことに疑いを持っていたり、無理だと思っていたりす
ると、考えるとおりの結果は得られない。むしろ心の奥底
にあるネガティブな感情こそが「本当に考えていること」
であり、ネガティブな結果こそが「考えるとおりのこと」
34
なのかも知れないのです。
「心の奥底で考えていること」と「自分が本当に望んで
いること」を同じにするためには、冒頭の「素直さ」が大
切なのだと思います。自分が本当に望むことを「素直に」
心の奥底で考えられるようになれば、本当の意味で「自分
が考えるとおりの人」になれるのだと思います。成長する
に つ れ て「 自 分 の 考 え 」 と 引 き 換 え に「 素 直 さ 」 が 無 く
なってきていましたが、もう一度この「素直さ」を取り戻
して、「自分の考えるとおりの人」になりたいと心の底か
ら思います。
リ
ナン
担当教員 堀田 敏幸
︿寸評﹀
楠さんは日本に来て四年になると言う。まず彼女の
李
日本語の文章を読んで、言葉が違和感のない表現になっ
ていることに感心しました。中国語にない「てにをは」
が的確に用いられていて、安心して読むことが出来まし
た。
明るくポジティブな李さんは、それでも「自分の心の
奥底で考えていること」がネガティブなものになってい
て、自分の表面上の意志とくい違っていることに気付き
ました。何かを行おうとすると、それに疑問をはさみ、
反対するもう一人の自分が心の奥にいる。この葛藤を克
服するのが人間であるが、また同時に、自分を信頼でき
るという「素直さ」も人間にとって必要であろう。人は
出来れば迷わずに生きた方がいいのだから、この素直さ
を李さんが持ち続けられるよう願っています。
35
自信を持ちなさい
籍 歓
︵経営学科一年︶
教養セミナーの教科書として使っている『大きく考える
ことの魔術』という本を読んで、一番気持ちが惹かれたの
は「自信を持ちなさい」という文です。
自信をどうすれば持つことができるのか、という悩みを
持つ人は多い。未来を想像して立ち向かう勇気が出ない時
や、恐ろしくて仕方がない時は誰にでもあります。目の前
の不安に立ち向かっていくための気力が湧かないとき、自
分のなかに確たるものが欲しくなります。こうした時、ど
うすれば強く揺るぎない自信を持つことができるだろう
か、と人は考えます。自信をつける一番の方法は、他人か
らの評価を気にせず、自分で自分を好きになることです。
他人の評価は無視して、自分自身の努力をしっかり続け、
自信過剩になるくらいでいいと思います。毎日毎日、自分
はこんなことなら十分にできる人間だと思い込んで自己の
イメージを高めていき、いつか自分の可能性に相応しいと
思えるような人間になっていくのです。
「自分が物事をうまくできるという意識」の
自 信 っ て、
ことだと思います。他人に自慢するというような、相手に
対 す る こ と で は あ り ま せ ん。 自 信 が な い と い う こ と は、
「自分は物事がうまく出来ないかもしれない」という意識
の 表 れ で す。 世 の 中 に、 自 信 が な い 人 は 大 勢 い る こ と で
しょう。自信がない人の一番の特徴は、自分は何にもでき
ないと「思い込んでいる」ところにあります。たとえば、
受験勉強で第一希望の学校に行けなかったり、恋愛でいつ
もうまくいかなかったりというように、何かうまくいかな
かった経験を通して、いつの間にか「自分はダメなんだ」、
「何にもできない人間だ」と思い込んでしまうのです。こ
ういう人は一度失敗したことがあれば、次も絶対に成功で
きないと思うようになります。何かをやると、前回の失敗
のことが頭の中にあふれ出し怖くなります。それは恐怖で
し ょ う。 そ の 恐 怖 を 治 さ な い と、 成 功 で き な い と 思 い ま
す。 恐 怖 を 取 り 除 く 手 段 は 簡 単 で は な い か も し れ ま せ ん
が、努力すれば出来ます。先にも言ったように、受験勉強
で第一希望の学校に受かりそうにないと思える時でも、可
能性を信じて一生懸命勉強すれば、自信が湧き起こると思
います。自分に自信を持つためには、まず何かの良い結果
を得なければならないことも確かです。そのためには、ど
んな小さな目標でもいいですから、その目標に向かって努
力し、まず一つ目の成功を手にしてみることです。一つ目
がうまく行けば、きっと二つ目もその調子でうまく行くこ
とでしょう。
以前の私は、積極的に何もできない人間でした。何かを
36
やる前に、怖くて怖くてたまらなかったのです。教養セミ
ナーの授業で「大きく考えることの魔術」を読んだことに
よって、自分は立派な人物になれるように、自信の持てる
人物になれるように、頑張りたいと思えるようになりまし
た。
セキ カン
担当教員 堀田 敏幸
︿寸評﹀
籍歓さんは、何かを行おうとしても以前には恐怖心が
先に立って、なかなか前へと思いきって進めなかったと
言う。誰しも若者にとっては未知のことの方が多いのだ
から、自信を先に持てと言う方が無理なのかもしれませ
ん。
しかし、籍さんは「大きく考える」という方法を知っ
て、自信を付けるには巨大な目標を達成する必要などな
く、まず身近な小さな目標を一つずつ成功させていくこ
とで十分だと理解しました。彼女はすでに故郷の中国を
離れ、日本で勉学を行うという偉大な目標に挑戦してい
ます。これには勇気と自信が必要であって、すでに彼女
の中にその自信は芽生えているに違いありません。活躍
を願っています。
福井県の伝統工芸品 越前和紙
二本木 泰 佑
︵歴史学科一年︶
一、はじめに
私 は 福 井 県 の 出 身 で あ る。 現 代 の 福 井 県 は、 メ ガ ネ や
ハープの産地という印象があるかもしれない。また、曹洞
宗大本山の永平寺がある県という点でも知られている。し
かし、福井県の特色はこれだけではない。福井県には、数
多くの伝統工芸品が存在する。福井県の旧国名は、越前の
国と若狭の国である。どちらも、多数の伝統工芸品がある
が、私の地元は越前の国の地域なので、越前の国の伝統工
芸品について述べたいと思う。今回取り上げるのは、越前
和紙についてである。
二、越前和紙の歴史と製法
越前和紙は、福井県越前市の旧今立町地区で作られてい
る和紙である。そもそも日本に紙の製造技術が伝来したの
は、六一〇年であると、
『日本書紀』には記されている。
しかし越前和紙は、それよりも古い時代に作り始められた
とされ、一説によると、約一五〇〇年前に、越前の国出身
の継体天皇が天皇になる前、岡太川の上流の谷に美しい姫
37
かみ
す
が現れ、この地が紙を作るのに適していることを里人に伝
え、紙漉きを指南したという伝説が残っている。里人はこ
の姫を「川上御前」と崇め、岡太神社を立てて奉った。こ
の地区の紙屋には、必ず一番高いところに、川上御前の分
霊の蔵が置かれている。
歴史が古いだけあって、使用され始めた時代も古い。飛
鳥時代には、大化の改新後の戸籍簿制作の折、記入する帳
面に使用され、多くの越前和紙が作られた。また、同じ頃
に仏教が伝来し、写経の必要が出た際にも、越前和紙が多
く使われた。奈良時代には、古事記や日本書紀などの国史
の編纂が始まったが、その国史の一部にも、越前和紙が使
用されている。紙の日本への伝来から、極めて早い時期に
使われ始めたことが、越前和紙の品質の高さを示している
といえよう。
平安時代に入ると、国風文化の発達により、かな文字に
よる小説や随筆、和歌が書かれるようになった。和紙の存
在によって、日本の文学が発展したことは言うまでもない
が、当時はまだまだ紙は高級品でもあり、贈答品にも使わ
れ て い た と い う。 余 談 で は あ る が、 か な 文 字 で『 源 氏 物
語』を書いた紫式部は、二四歳の時に、父が越前守に任じ
られたことに従い、越前に移り住んでいる。
武家社会になると、和紙は公用紙として広く扱われるよ
う に な る。 こ の 頃 に、
「鳥の子紙」と呼ばれる和紙が重宝
さ れ た。 鳥 の 卵 の よ う な 淡 い 色 合 い が 特 徴 だ。 鳥 の 子 紙
は、越前和紙のブランドの一つであり、質感、耐久性など
から、紙の王者と呼ばれた。また、鳥の子紙の他に、室町
時代には、将軍の命令を下す奉書専用紙に指定され、
「越
前奉書」
、 ま た は「 奉 書 紙 」 と ま で 呼 ば れ る よ う に な っ
た。厚手のふっくらした質感が特徴である。一三三八年、
将軍の命令を下す最高級紙の名が、越前で許されたことに
より、全国に越前和紙の名が広まったという。
詳しくは後述するが、私は以前、越前和紙の紙漉き体験
をしたことがあり、その時に職人が作った紙を見た。鳥の
子紙はとても色がきれいで、越前奉書は触り心地がとても
心地よかった。当時私は、これだけ完成された和紙が、九
〇〇年以上も前に存在していたことに大きな感動を覚え
た。
幕府に認められたことで、和紙ブランドとしての地位を
確 立 し た 越 前 和 紙 の 職 人 は、
「紙座」というものを結成し
た。要は組合のようなもので、室町時代は「大滝寺」が中
心となり、大きな勢力を持つ。戦国時代に入ると、織田信
長の一向一揆によって大滝寺は廃されるが、柴田勝家や結
城秀康など、歴代領主が紙座を維持し、生産販売の独占権
を持つようになる。当時の奉書紙には印章が施されていた
が、その印章の使用も紙座が独占したことで、印章は奉書
だということを示すだけでなく、品質を示す証としての意
味も併せ持つことになる。
その後、江戸時代に入ると、越前和紙の紙座は、朝廷・
38
さら
幕 府・ 諸 大 名 の 御 用 紙 屋 と な る。 朝 廷 や 幕 府 の 得 意 先 と
なったことで、越前和紙の品質の高さがよりひろく広まっ
たことが窺える。また、この時代、
「藩札」という、一部
地域でのみ流通する紙幣が存在したが、日本で最初に藩札
が作られたのは福井藩とされており、その藩札に越前和紙
が使われた。
藩札に使われたことで紙幣に縁ができたのか、日本で最
初の統一紙幣である、「太政官札」に使われたのは、ほか
ならぬ越前和紙である。その後、政府は紙幣を自らの手で
作るようになったが、当時大蔵省の印刷局には越前和紙職
人が勤務しており、越前和紙の製紙技術と西洋の製紙技術
を融合させた製紙技法を編み出した。全国規模の紙幣の制
作にも越前和紙やその職人が関わっているということは、
それだけ品質が信頼されていた証拠であろう。
先程も述べたが、私は越前和紙の紙漉き体験を行ったこ
とがある。福井県では、近隣の市町に住む小学生は、四年
生の時に、社会見学としてこの地を訪れ、紙漉き体験を行
う。私もその社会見学で体験したのだが、かなり大変な作
業であった。私が体験したのは一二月だったので、とても
手が冷たかったのを覚えている。紙漉きは、原料となる、
パ ル プ の よ う な も の を 煮 込 み、 灰 汁 を 取 っ て 晒 し た も の
を、水の中で漉いていく。私たちは漉くところから作業を
した。漉くだけならば簡単だと思うかもしれないが、何し
ろ北陸の一二月である。冷たい水の中に手を入れることだ
けでも気が引ける上に、紙が形成されるまで、水の中で、
紙を漉く「漉き桁」を動かし続けねばならない。一年中こ
のような作業を行っている職人の方々には、本当に尊敬の
念を抱かずにはいられなかったことを記憶している。
三、おわりに
伝統工芸品は、どのようなものでも、手間が掛かって出
来ている。しかし、その手間は、決して無駄なものではな
く、純粋にいいものを作ろうとする、職人の気持ちが受け
継がれている証でもある。現代社会においては、量産され
た も の が 市 場 を 制 圧 し、 伝 統 工 芸 品 を 見 る 機 会 が 少 な く
なってきている。更に、職人自体も数が減ってきており、
伝統工芸品の存在自体が危ぶまれているものもある。しか
し、伝統工芸品というのは、実は私たちの生活を、影から
支えているのである。今回紹介した越前和紙のように、和
紙の世界において、常にトップを走ってきたものも、現在
は見ることはほとんどない。しかし、未だ、卒業証書や色
紙など、重要な活躍の場は残されているのである。物が溢
れかえっている現代こそ、伝統工芸品の価値を、今一度見
直してみるべきではないか。
︽参考文献およびURL︾
・越 前 和 紙︵ 福 井 県 和 紙 工 業 協 同 組 合 ︶ http://www.washi.jp/
history/index.html
39
・越 前 和 紙 の 歴 史 http://www.tamagami.jp/history/history.
html
・ちいきごと http://chiikigoto.com/2012/11/14/01-48/
︿寸評﹀
担当教員 岡島 秀隆
レポート作成にあたっては、事前にいくつかの条件を
付した。全体を序・本文・結びの三部構成とし、序の部
分にはテーマ選択の経緯やレポート作成の動機に関する
コメントなどを記すこと、本文には内容ごとに小見出し
を付けることが望ましいこと、結びには自身の感想や意
見を書くこと、参考文献やインターネット上の参照ペー
ジを明示すること、読み手を意識して分かり易い表現を
心がけること、複数回の点検を行うことなどである。
二本木君のレポートは、その文体がよく整えられてい
て大変読みやすく、校正箇所は少なかった。
序文には出身地の伝統工芸に対する作者の強い興味が
うかがわれた。彼の故郷は福井県である。その故郷の伝
統工芸の中から選択されたのは「越前和紙」である。後
でわかるのだが、この選択には作者の小学校時代の紙漉
き体験の強い印象も影響していたかもしれない。
本文では、越前和紙の歴史と製法が紹介される。その
歴史については『日本書紀』の記載や古い伝承から紐解
き、「鳥の子紙」や「越前奉書」といったブランド品の
成立した経緯にすすみ、さらに越前和紙が「藩札」「太
政官札」に使用されたことなどが説明されている。製法
については、自らの体験談に基づいて、
「紙漉き桁」を
使った伝統製法の様子や職人の苦労にも筆が及んでい
る。
結びの文では、大量生産社会の中で日本の伝統工芸品
の価値と可能性が見直される時期が来ていると指摘して
いる。
全体に郷土愛に満ちた熱い思いが伝わってくる。これ
は作者が故郷を離れてみて初めて知れる郷土再発見なの
であろうと考えると、読み手にも清清しい気持ちが湧い
てくる。
一年間の「教養セミナー」授業の中で、二本木君がど
のような思考を経験したのか、今後の大学での勉学・研
究の過程で何に興味を抱き、また、その先に何を発見す
るのかを想って愉しくレポートを読んだ。これからも心
から愉しみつつ努力を続けてくれることを期待してやま
ない。
40
ナーサリー・ライム
塚 野 真 帆
︵歴史学科一年︶
一、はじめに
生まれてから一度は耳にしたことがあるであろう“ロン
ドン橋落ちた”、
“メリーさんの羊”を始めとし、
“マフェッ
トお嬢さん”、
“ハンプティ・ダンプティ”
、
“きらきら星”
。
こ れ ら の 童 謡 は 総 称 し て「 マ ザ ー・ グ ー ス︵ Mother
︶」 と 呼 ば れ て い る。 ま た 英 語 の 童 謡 を 指 す 言 葉 と
Goose
︶
」
し て は 他 に「 ナ ー サ リ ー・ ラ イ ム︵ Nursery Rhymes
があり、イギリスではマザー・グースよりもナーサリー・
ライムが童謡の総称として使われる傾向があるようであ
る。子供部屋のライムと訳されるそれを、イギリスの人々
は 聴 き な が ら 唄 い な が ら 育 っ た わ け で あ る。 も う 大 人 に
なってしまった人々の心の片隅にちょこんと居座り続けて
いる、そんな子供の頃の欠片を追ってみたいと思った。
二、マザー・グースとは何か?
「マザー・グースとは何か?」「それはイギリスの伝承童
話の事」、これが私の最初の認識である。確かに、イギリ
スで古来より口誦によって継承されている童謡はマザー・
グ ー ス で あ る。 し か し そ れ は“ イ ギ リ ス ” 限 定 の も の に
なってしまう。そんな狭い範囲でまとめてしまってもいい
のか。
一七世紀のはじめごろからイギリス人はアメリカやイン
ドを始めとした世界各地へと散らばっていった。その際、
彼らはイギリスの文化を世界に持ち出したのである。その
中には、今日世界共通語として扱われる英語という言語は
もちろん、童謡なども含まれていたのである。そして英語
の教育を受けた当時の現地の人々にもイギリスの伝承童謡
は当然のように広まっていったのだという。
しかし、マザー・グースは英語圏に伝わる伝承童謡であ
るというのには、少し無理があるのだと思う。英語圏と言
えども、アメリカ英語、イギリス英語がある上に、英語圏
と定義されても、それを母国語にする国家もあれば、
“共
通語として使用せざるを得ない”多言語国家もある。
よって英語の童謡をナーサリー・ライム、とするならば
マザー・グースはイギリス生まれの伝承童謡と定義するの
が一番妥当だと推測される。
三、ナーサリー・ライムと何が違うのか
マ ザ ー・ グ ー ス と ナ ー サ リ ー・ ラ イ ム と い う 言 葉 が あ
る。先述した通り、ナーサリー・ライムという名称はイギ
リスにおいてマザー・グースよりも一般的に使用される傾
向にある。一方、
「アメリカではマザー・グースが一般的
41
であり、イギリスではナーサリー・ライム︵あるいはナー
サリー・ライムズ︶が一般的である」という説は合ってい
るようで合っていないようなのである。
確かに、アメリカでは伝承童謡をマザー・グースと、逆
にイギリスの伝承童謡はナーサリー・ライムと呼ばれてい
る。だがナーサリー・ライムは本来、「子供部屋のライム
︵押韻詩︶」であるという意味しかない。それゆえ、現在に
いたるまでに、さらに多くの新作の童詩が発表されている
のだから、現在のナーサリー・ライムはまだ伝承童謡に加
わっていないものまで含まれているのである。
その後ナーサリー・ライムの集成本が大量に出版された
が、それも多種多様な形態、昔の伝承童謡や新作童詩を混
在させる形をとっていた。同じく集成本であり一八八一年
に「マザー・グースあるいは古いナーサリー・ライムズ」
と い う タ イ ト ル の 本 が 出 版 さ れ た と い う 記 録 が あ る。
「ナーサリー・ライム=伝承童謡+α」、「マザー・グース
=昔の、伝統的なマザー・グース」というとらえ方がより
正しい実情を反映した形だという。
四、英米人をつくるもの
マザー・グース︵あるいはナーサリー・ライム︶が日本
の童歌みたいなものだろう、という認識は間違っているの
だ と い う。 マ ザ ー・ グ ー ス の 存 在 価 値 を 童 歌 と 比 較 す る
と、月とスッポンほどの違いがあった。
ごくシンプルな結論をいうならば「日本語学習の為にわ
らべ歌を覚えなくても、外国人は学習に困ることがまずな
い」ということである。しかし、今までの英語学習を経験
して「日本人が英語を勉強しようとするならば、マザー・
グースの知識は必要不可欠」になる。ある人は、マザー・
グースの知識を「聖書、シェイクスピア作品についての知
識」と並べて、英語を理解する上で必要な三大知識と称し
ているらしい。
日本のわらべ歌は子供の頃の生活や世界にしか属してお
らず、他方マザー・グースは英米人の一生と密接な関わり
を持った存在であるらしい。
乳児期から脈々として英米人と共に在り続けるマザー・
グースは、彼らが正しい発音を覚え、英語独特のリズムを
自然に身に着け、英米人にとって当たり前のユーモア感覚
を習得するために不可欠の存在なのである。
五、おわりに
日本の童歌は日本の美しさを歌い上げるものである。し
かしそれは文語から口語への言語改革が進行し、学校用の
唱歌が生まれたことを経て姿を消していった。││かくい
う、私も曲名を挙げられるのは十曲を越えないだろう。し
かしそれに反して、マザー・グースは今もなお英米人の中
に代々脈々として受け継がれている。それは、もはや一種
の美術なのだろうと私は思う。姿形を変えることもあった
42
として、それでも今もなお人々の根底を支える無形の美術
を今一度ゆっくりと見直してみたいと思う。
︽参考文献︾
・図説マザーグース/藤野紀男著 河出書房新社 二〇〇七年三
月三〇日発行
・もっと知りたいマザーグース/鳥山淳子著 株式会社スクリー
ンプレイ 二〇〇二年一〇月九日発行
・マザー・グースの唄 イギリスの伝承童話/平野敬一著 中公
新書 一九七二年一月二五日発行
︿寸評﹀
担当教員 岡島 秀隆
レポート作成にあたっては、事前にいくつかの条件を
付した。全体を序・本文・結びの三部構成とし、序の部
分にはテーマ選択の経緯やレポート作成の動機に関する
コメントなどを記すこと、本文には内容ごとに小見出し
を付けることが望ましいこと、結びには自身の感想や意
見を書くこと、参考文献やインターネット上の参照ペー
ジを明示すること、読み手を意識して分かり易い表現を
心がけること、複数回の点検を行うことなどである。
塚野君のレポートは、最も迅速に提出され、そのテー
マはユニークなもののひとつであった。
序文には、多くの日本人も耳にしたことのある童謡の
曲名があげられ、英語圏では、こうした童謡の総称とし
て「マザー・グース」と「ナーサリー・ライム」という
ふたつの言葉が使われていることが示される。
本文では、マザー・グースとナーサリー・ライムとい
う二つの表現が示す意味領域の相違が問題となり、前者
がより伝統的な童謡群を指し示し、後者は意味領域がよ
り広範にわたるといった単純な結論では納得できないと
する作者の胸の内が吐露されている。さらに作者は、こ
れらの童謡が英米人の情操成長や言語習得の過程で果た
す役割の重要性だけでなく、生涯全体に及ぼす深い影響
力を指摘している。
結びの部分では、日本の童歌や唱歌を引き合いに出し
て、両者の人心および社会文化への影響力を比べようと
している。
このレポートは、未完成で、研究の導入部を見つけた
にすぎないという印象のものである。塚野君の興味が持
続するのであれば、今後の大学生活や人生の過程で一層
の勉学・研究に勤しんでほしい。これからも愉しみなが
ら努力を続けてくれることを期待してやまない。
43
ハイブリッドカーは
なぜ環境に優しいのか
森 笹 達 也
メージすればわかりやすくなるだろう。例えば、その重い
ものを自分一人で引っ張ろうとすると、物凄くパワーが必
要だ。しかしひとたび動き出せばパワーはそれほど必要な
い。それを電気モーターとガソリンエンジンに置き換えて
みよう。ガソリンエンジンで引っ張ろうと思うと多くのガ
ソリンを燃焼してしまうが、電気モーターで引っ張って動
き出してからガソリンエンジンにバトンタッチすること
で、余分なガソリンの消費を削減することができる。
電気モーターとしきりに言っているが、その電気はどの
ようにまかなわれるのだろうか。それは、回生ブレーキで
ある。回生ブレーキとは、車がブレーキをかけて減速して
いるときに発電するもので、鉄道でよく見られる。鉄道で
は回生ブレーキで生じた電気をパンタグラフから流し後続
列 車 の 電 力 供 給 に 充 て る が、 ハ イ ブ リ ッ ド カ ー の 回 生 ブ
レーキは、車自身の走り出しや加速時のパワーアシストの
ために充てられる。また、バッテリーがなくなっても、オ
ル タ ネ ー タ ー つ ま り 発 電 機 が 使 わ れ る。 こ れ が、 ハ イ ブ
リッドカーの電力供給システムである。
ハイブリッドカーにするとどのような利点があるのだろ
う か。 一 つ 目 は、 先 に 紹 介 し た、 走 り 出 し に 電 気 エ ネ ル
ギーを利用することでガソリンの余計な消費を減らし、低
燃 費 が 実 現 さ れ る こ と で あ る。 そ れ ゆ え に 給 油 回 数 も 減
り、走行時には経済的にやさしいという面を持っている。
二つ目は、一つ目のメリットにリンクし、ガソリンを多く
44
︵日本文化学科一年︶
昨今、燃費がよく、環境にも優しいというハイブリッド
カーが話題を呼び、トヨタ自動車やホンダ、日産など各社
から様々なハイブリッドカーが発売されているが、そもそ
もハイブリッドカーとは何なのか、ハイブリッドカーがな
ぜ環境にやさしいのか、燃費が良いのか考えたことがある
だろうか。ハイブリッドカーのメリット・デメリット等も
織り交ぜて考えてゆきたい。
そもそも、ハイブリッドカーとはどんなものだろうか。
一般的な印象としては、「電気とガソリンで走る車」「音が
静かな車」などがあげられるだろう。確かに、音が静かで
ガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせて走る車で
はある。しかし、モーターとエンジンをどう組み合わせる
と低燃費や静音性が実現できるのだろうか。それは、電気
モーターが走り出しのパワーを担い、ガソリンエンジンが
そのパワーを引き継ぐという形がとられているからであ
る。それが低燃費とどのような関係性があるのか疑問が払
拭 し き れ て い な い だ ろ う が、 重 い も の を の せ た 台 車 を イ
加速時
使わないので排気ガスが少ないことである。地球温暖化が
騒がれる昨今、二酸化炭素をはじめとする排気ガスが少な
いことは大いに評価されるべきことだ。三つ目は、音が静
かなことである。これは、電気モーターでの走行時に限ら
れるが、夜間の住宅街の走行などに活躍してくれる。四つ
目は、回生ブレーキ搭載ゆえに、自動車への充電が不要な
ことである。万が一充電量が少ないときには、搭載されて
い る 発 電 機 で 自 動 的 に 発 電 し て く れ る 車 種 も あ る。 主 に
ニッケル水素バッテリーを搭載しているが、中には最新鋭
のリチウムイオンバッテリーを搭載し、電圧・モーター出
力ともにアップさせながらも電池容積をほとんど変えない
ことに成功したものもある。それに成功したのはホンダで
あり、現在ではホンダや三菱がリチウムイオンバッテリー
停車時
搭載のハイブリッドカーを販売している。これからのハイ
ブリッドカーはリチウムイオンバッテリーが主流になるだ
ろ う。 五 つ 目 は、 モ ー タ ー と エ ン ジ ン の 両 方 の 出 力 に よ
り、加速時には物凄いトルクが生まれることである。坂道
や高速道路の合流など、短い距離でスピードを出さなけれ
ばならない時に大いに活躍してくれる。
残念ながら、メリットがあればデメリットもある。一つ
目は、車両製造時のコストパフォーマンスである。エンジ
ンだけでなくモーターも搭載しているがゆえに部品点数が
多 く、 車 両 自 体 が 高 額 に な っ て し ま う の で あ る。 二 つ 目
は、音が静かなゆえに歩行者に全く気付かれず、事故を引
き起こしてしまう恐れがあることである。現在では車両接
近音を搭載するなどの改良が施されているが、いまだゼロ
ではない。三つ目
は、ガソリン車と
比べてブレーキの
効きが良くないこ
とである。回生ブ
レーキを搭載して
い る た め に、 ど う
しても制動距離が
延びてしまう。ガ
ソリン車にも増し
て、早めのブレー
減速時
走り出しおよび
EV モード時
自家用プリウス(NHW20 系後期型)を撮影
45
キが必要である。
以上のことから、ハイブリッドカーは余分な燃料の消費
をカットし、有害ガスの発生を抑えるなど環境に優しく燃
費の良い車であることがわかる。しかし、様々なデメリッ
トも指摘することができ、完璧な車でなく、テレビコマー
シャルなど宣伝される利点だけを鵜呑みにするのは非常に
危険である。実際、宣伝されているほど燃費は良くない。
購入を検討する際には、その車のオーナーやディーラー販
売員に話を聞いたり、試乗などをするのがよいだろう。
担当教員 河合 泰弘
︿寸評﹀
学問も趣味も、深い関心をもってとことん追究する点
では共通する。そういった意味で、趣味の世界も学問の
世界に通ずるところがある。そこで、私の教養セミナー
では、「趣味から始める学問入門」をキャッチフレーズ
に、 各 学 生 が 自 己 の 趣 味 や 関 心 事 の 中 か ら テ ー マ を 選
び、それをレポートにまとめ、さらにはその内容をプレ
ゼンするという手順で授業を進めていった。
森笹君は自動車に大変な関心を寄せており、現在では
当たり前になったハイブリットカーが環境にやさしいと
言 わ れ る こ と の 理 由 を、 様 々 な 視 点 か ら 検 証 し て く れ
た。自動車の構造などの専門知識に乏しいものにも大変
わかりやすい説明ができており、すぐれたレポートに仕
上がっていると思う。また彼は、クラスの中のリーダー
的 存 在 で、 積 極 的 に 授 業 に 取 り 組 む 姿 勢 が 常 に 見 ら れ
た。このような態度は、これからの大学生活の中におい
て、大いに生かされることだろう。
46
シャーロック・ホームズの
推理方法
︵歴史学科一年︶
森 下 友 理
一、シャーロック・ホームズとは
シャーロック・ホームズは、作家であったアーサー・コ
ナン・ドイルのかいた推理小説『シャーロック・ホームズ
シリーズ』に登場する主人公であり、探偵である。ロンド
ンのベイカー街二二一番地にあるハドソン夫人が所有して
いるアパートで、相棒のジョン・H・ワトソン医師と共同
生活をし、依頼主が持ち込む事件を解決していった。そこ
で、今回は彼の事件解決方法を彼の言葉・行動なども交え
つつ見ていく。
二、事件捜査、解決依頼~事件捜査前
依頼主から事件捜査の依頼を受けたホームズは、まず、
依頼主から事件についての話を聞く。その際に、依頼主に
大事なことを言っている。それは、
「細かい点にまですっ
か り う か が っ て お き た い の で、 関 係 が あ ろ う と な か ろ う
︵1︶
と、すべて話してくださ い」という台詞である。
このことから、ホームズは、少しでも多くの情報を必要
としている、と考えられる。依頼主の話だけではなく、彼
はよく新聞を読んで、事前の情報収集をしている。ホーム
ズは、それらの入手した情報と自分の知識を使い、事件に
ついて考えていくのである。
三、ホームズの知識
作品内において、
「知識」が重要視されていることがあ
る。ホームズの持つ知識に関しては、
『緋色の研究』のな
かで触れられており、植物学、地質学、科学、犯罪史の知
識に関しては詳しいとされる。その一方、文学、哲学、天
文学などの知識はゼロもしくは、ほとんどないとされ、も
つ知識にとても偏りがある。
四、現場での捜査・観察
事前に入手した情報と彼の知識のみでは事件解決に至ら
ないため、実際に現場に行く。ここでも重要とされること
ばを言っている。それは、
「 き み は 見 て い る だ け で、 観 察
していないんだ。見ることと観察することは、まるっきり
︵2︶
違う」という台詞である。このことから、些細なことに対
しても着目することができる「観察力」を大事にしていた
と考えられる。また、小説内では実際にホームズが現場・
人などを細かく観察している場面がかかれている。このよ
うに、彼は現場を捜査していくのである。
47
五、推理、そして事件解決
ホームズは、事前に入手した情報、自身の持つ様々な知
識、観察により得た事実をもとに、想像力を駆使して仮説
を 立 て て い く。 ま た、 こ の 時 に 立 て る 仮 説 は 一 つ で は な
く、複数立てる。そして、新たな事実を得た際に、それぞ
れの仮説と照らし合わせ、事実に当てはならない仮説を消
していき、一つに絞っていく。次に、残った仮説を実証す
るために、証拠をさがす。そして、証拠を発見した際は、
その仮説を事実として断定する。そして、その事実を人々
に説明し、事件解決となる。このような手順を踏んでいる
ことは、次のようなホームズの言葉にも表れている。それ
は、「どうだい、想像力の大切さがわかったろう? グレ
ゴリー警部に欠けているのは、これさ。ぼくらは、まず何
が起こったかを想像し、その仮説にしたがって行動し、そ
︵3︶
れが正しいことを確認した。さあ、先へ進もう」という台
詞である。
六、まとめ
ホ ー ム ズ の 推 理 方 法 は、 一 見 複 雑 で 難 し い と 感 じ て い
た。しかし、順を追って見た結果、他人が理解できないこ
とを行っていたわけではなく、他人が気にしないようなこ
とにも注目し、その事実の積み重ねにより、答えを導き出
す、という単純な方法であると言える。また、一連の推理
を行うために、彼は日頃から「観察力」などを鍛える努力
をしている。このことから、どんなことでも小さな積み重
ね努力していくことが大事であることを、私は学んだ。
︽注︾
ア ー サ ー・ コ ナ ン・ ド イ ル 日 暮 雅 通 = 訳︵ 二 〇 〇 六 年 ︶
︵1︶
『シャーロック・ホームズの冒険』 光文社文庫 五〇八頁
アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通=訳︵二〇〇六年︶
︵2︶
『シャーロック・ホームズの冒険』 光文社文庫 一六頁
ア ー サ ー・ コ ナ ン・ ド イ ル 日 暮 雅 通 = 訳︵ 二 〇 〇 六 年 ︶
︵3︶
『シャーロック・ホームズの回想』 光文社文庫 三五頁
︽参考文献︾
・アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通=訳
・『新訳シャーロック・ホームズ全集︵全九巻︶』 光文社文庫 二〇〇六∼二〇〇八年
︿寸評﹀
担当教員 河合 泰弘
物事を探求するには、常識にとらわれず、自由な発想
や広い視野をもって行うことが必要であると思う。森下
君は、そんな姿勢を持っている人物だと思う。彼が今回
レポートのテーマに選んだ『シャーロック・ホームズシ
リーズ』は、後の推理小説に大きな影響を与えた作品群
である。彼は、小説の中での推理のプロセスを分析し、
シャーロック・ホームズの人物像にも迫ってくれ、同小
説を読む際のひとつの視座を与えてくれた。また、彼は
常に積極的かつ真剣に物事に取り組んでおり、それが受
48
講 態 度 に 現 わ れ て い た。 そ の 姿 勢 を 忘 れ ず に、 よ り 一
層、学問に邁進してほしい。
小学校外国語教育の現状と未来
伊 藤 広 昂
49
︵グローバル英語学科一年︶
現在、中学校 高校では、英語の授業がカリキュラム化
されているが小学校ではされていない。しかし、小学生の
うちから英語に触れさせようとする動きが、近年多くみら
れる。そこで、英語教育を中心に小学校外国語教育の利点
と課題について、これまでの動きと現状をふまえて、これ
からどのようにしてくべきかを考えたい。
日本で小学校外国語教育が注目されるようになった背景
としては、一九六四年の東京オリンピックを契機に、外国
から多くの人が訪れるようになり、外国へ目が向きはじめ
たことが挙げられる。一九七〇年以降は、経済の国際化が
進み、外国に出かけていく人の数も飛躍的に増大し、外国
に生産活動の場を移す企業も増えた。このような社会の流
れにともなって、一九七〇年代後半から、財界が提言を始
め た が、 そ れ が 実 施 さ れ る ま で に は か な り の 時 間 を 要 し
た。
最初に取り上げられたのは、一九八四年に中曽根康弘総
理 大 臣 が 設 置 し た 臨 時 教 育 審 議 会 に お い て で あ る。 し か
し、具体的な動きがあったのは、一九九〇年代に入り、財
・
界が政府の審議会に全面的に関わるようになってからであ
る。一九九一年に審議会で答申され、一九九二年、全国で
初めて二校の小学校に研究指定校として英語科が設置さ
れ、 一 九 九 七 年 の 学 習 指 導 要 領 の 改 訂 に 向 け て 審 議 を 経
て、ようやく二〇〇二年度より、ゆとり教育の中で総合的
な学習の時間における国際理解教育の一環として、外国語
会話などを実施できるようになったのである。韓国が小学
校英語の必要性を認識してから二年で具体化したことと比
べ、たいへん多くの時間がかかってしまった。
さて、現在の日本の小学校外国語教育の現状としては、
総合的な学習の時間に外国語会話が取り入れられ、英語教
育を実施することが推し進められた結果、どの小学校でも
何らかの取り組みがなされている。それらの多くは、地方
自治体が雇用したネイティブスピーカーを配置し、子ども
たちと会話、ゲーム、歌の活動をするという、娯楽を通じ
て英語を学ぼうというものである。
ただし、総合的な学習の時間を国際理解として行った学
校では、さまざまな国籍の人を教室に招き、言語や文化の
交流、ときには実際に体験するなどの多彩な取り組みがな
された。異文化への気づきを柱にしている場合は、子ども
たちの人間形成に大きな力となり、教員の創造性が子ども
たちの教育に生かされているものも少なくはないのであ
る。
しかし、小学校低学年は楽しそうに英語の授業を受けて
いても、中学年から、子どもの発達段階の九歳の壁といわ
れる時期がやって来る。それは、大人の考え方、感じ方を
身につけ始める時期であるが、この時期に恥ずかしがって
声を出さなくなる者が増えてくる。さらに、マスコミの宣
伝などの影響で、早く英語を学べば英語ができるようにな
ると考える保護者が増加し、それがかえって早い時期に英
語嫌いになる子どもが増加させるともいわれている。
以上のことから、これからの小学校外国語教育は、外国
語として英語を認識し、言葉の仕組みや文法もおさえなが
ら、書く、読む、聞く、話すという能力を総合的に成長さ
せる必要があるだろう。そうすることによって英語による
コミュニケーション能力も高めることができるのではない
だろうか。その結果、自分の頭で考え、周りの人と協力し
合い、社会で生きるための自立した人格形成の力となる外
国語力を修得することができるだろう。そのような教育を
進めるためには、次の五つのことが特に必要になってくる
と思われる。
一つ目は、少人数で行うことである。子どもがわからな
い様子をしていても、四〇人を一度にみていては指導や援
助ができず、英語が嫌い、苦手な子どもになってしまう。
現場の教師は、少しでも子どもに英語を好きになってもら
えるように必死である。少人数にしたならば、子どもが授
業に参加する機会も格段に増え、教育効果が上がることは
間違いないだろう。
50
二 つ 目 は、 学 年 に 合 わ せ た 外 国 語 教 育 を す る こ と で あ
る。小学校低学年で文法について授業していてもわかるは
ずもなく、逆に高学年で英語の本の読み聞かせをしていて
も遅いわけである。例えば、小学校低学年では、英語に興
味 を 持 た せ ら れ る よ う に、 歌 を 歌 っ た り、 簡 単 な 英 語 を
使ったカード遊びをしたり、中学年では、子供たちの関心
の強い話題を授業に取り入れたり、その中身も、やさしい
文でいろいろな場面設定にしたりと、語彙を増やすことで
将来の学習につなげる。高学年では、中学校を意識して授
業を構成することと同時に、英語を使って表現することは
楽しくて、素晴らしいことだと思わせるべきである。
三 つ 目 は、 新 し い 言 葉 に 触 れ る 感 動 は 誰 に で も あ る の
で、始めから英語の授業を週に四回というように多くの時
間を使い、少しでも英語に多く触れさせ、外国語を通じて
自分の視野が広がる感動を子どもに味あわせるべきであ
る。
四つ目は、英語教師が十分な研修を行うことである。言
語のスキルだけでなく、外国の文化や歴史、国際理解など
に つ い て 幅 広 く 学 ぶ 機 会 を 与 え る べ き で あ る。 そ の た め
に、外国語担当教員には、海外青年協力隊などに参加し、
実際に海外での経験を積ませることが必要だ。
五つ目は、保護者や地域社会も一緒になって外国語教育
に力を入れることである。国や教育委員会にすべてを任せ
るのではなく、よりよい教育にさせるべく、子どものため
にはこういう教育が必要だと、声を上げるべきである。
私自身小学校四年生の時から近所の英会話教室に通い、
同じ時期から学校でも英語の授業が始まったが、学校での
英語の授業は月に一回程度のイベント的なものであり楽し
めてはいた。英語について興味を持ったという点では個人
的によかったと思っているが、周りの友達をみても、本当
に 役 に 立 っ て い た の か は わ か ら な か っ た。 こ の こ と か ら
も、小学校での英語の授業は、学年に合わせた授業を早い
時期から、頻度を多くして行うべきであると私は考える。
︽参考文献︾
・阿原成光・瀧口優『どうする小学校英語││英語嫌いを出さな
いために』大月書店︵二〇〇九年︶
・大津由紀雄『小学校での英語教育は必要か』慶應義塾大学出版
社︵二〇〇四年︶
・久埜百合『こんなふうに始めてみては? 小学校英語』三省堂
︵一九九九年︶
︿寸評﹀
担当教員 河合 泰弘
伊 藤 君 は、 教 員 に な る こ と を 目 指 し て い る 学 生 で あ
る。その思いを持って、今回のレポートを仕上げてくれ
た。グローバル化・国際化が叫ばれる中、小学校におけ
る外国語教育の必要性が高まっている。しかし、それに
はいろいろな問題点も存在する。そのようなことを視野
に入れながら、伊藤君は小学校における外国語教育の今
51
後の展望について、いろいろと考えてくれた。彼は、や
や控えめ目なところもあるが、内に熱い思いを抱いてい
ることが今回のレポートからも窺われる。将来、夢を実
現して教員として活躍することができるよう、有意義な
学生生活を送ってほしい。
絵本の歴史と童話シンデレラ
木曽谷 瑞 保
︵日本文化学科一年︶
一、はじめに
私は絵本が好きで、絵本の歴史や童話の違いに興味があ
り、子どものときから身近で誰もが一度は手にしたことが
ある絵本について調べてみた。
二、絵本とは何か
絵本とはテキスト、言葉や文章とイラストレーション、
絵でさまざまな情報を伝達する表現媒体である。言葉の豊
かさやおもしろさを伝える言葉や詩の絵本、物語の筋や内
容を伝える物語絵本、そのほか認識絵本や、教材絵本、写
真絵本、開くと飛び出す造形のおもしろさや驚きを伝える
仕掛け絵本など多くの種類がある。
絵本は老若男女を問わずさまざまな読み手がおり、親と
子、祖父母と孫、幼稚園などの保育士と園児の間に絵本を
通じて深い関係が生じていくのである。また、幼児も少年
も青年も高齢者も絵本を通じて生きる力や希望を得ること
ができる。絵本を考えることは社会を変えていくことでも
あると言えるのだ。
52
三、世界の絵本の歴史
世界最古の絵本といわれているのは古代エジプトの『死
者 の 書 』 で あ る。
『死者の書』は死後の世界に迎えるであ
ろう、さまざまな障害や審判を乗り越えて、無事楽園に到
達するためのガイドブックだった。各章には死者の告白、
懇願、祈りなどが一人称によって語られている。もともと
葬儀の際に神官によって唱えられる呪文であったが、死者
自らも唱えられるようにと一緒に埋葬されるようになっ
た。
遠い昔から人間は喜びや驚きや恐れ、また自然の不思議
さや美しさを語ったり描いたりしながら生きてきた。言葉
も絵も周りや後代の人々に出来事や心を伝え、人と人をつ
なげるのに大いなる力があったのである。
一 六 五 八 年、 チ ェ コ の モ ラ ビ ア の 司 教、 コ メ ニ ウ ス に
よって今日の学習絵本の始まりといわれる世界図絵が誕生
し た。 こ れ は 文 字 と 絵 を 併 置 し た 視 覚 に 訴 え る 教 材 で あ
る。コメニウスは子どもが学習する過程には魅力的な要素
が必要であると考え、例えばラテン学習の退屈さを削減し
理解しやすくするため挿絵を添える工夫を施した。
一九五〇年代、六〇年代、四色のカラー印刷からさらに
印刷技術が発展し、表現に富むイラストレーションを可能
にした。彩色された原画を正確に再現でき、また写真技術
の発達から、鮮明に撮影された原画も正確に色分析できる
ようになった。こうして多色刷りの水彩画を特徴とする絵
本や彩り鮮やかな絵本を発表する画家が登場する。
六〇年代以降の作家は以前の絵本が絵で物語る絵本とい
うスタイルをとっていたのに対し、むしろ変革する時代の
ありようを絵と文章で表現し、進歩した印刷技術の利点を
活かして、さまざまなスタイルの絵本作りが行われた。こ
の時代を英国絵本の第二次黄金時代と称する。
その後は複雑なテーマ性のある作品が多く出版されるよ
うになった。家庭や学校を舞台とし、子どもと大人の日常
生活をユーモアと皮肉をこめて表現した絵本、風変わりな
人物が活躍するユーモラスな絵本などが生み出される。こ
の時期の人気シリーズにはゾウのエルマーシリーズや
ウォーリーのシリーズがあり、多くの国々で翻訳され絵本
の楽しさを味わうことのできる作品である。
イエー シェン
四、童話シンデレラ
数ある童話の中でも有名なものにシンデレラがある。シ
ンデレラは各地に多く存在しているが、もともとは中国の
葉 限 という話が文献上最古のシンデレラだといわれてい
る。そこでシンデレラ、グリム童話の灰かぶり、葉限の三
つの話を比較してみた。
シンデレラは一六九五年頃フランス人詩人であるシャル
ル・ペローがヨーロッパに古くからある民話を土地の古老
たちから聞きとって書き記したものである。タイトルはシ
ンデレラのフランス語形であるサンドリヨンとされてい
53
た。話の中にはガラスの靴やかぼちゃの馬車、魔法使いが
登場する。もともと靴はガラスではなく皮の靴だったが、
フランス語から英語に翻訳されるにあたり誤訳されてしま
い、ガラスの靴になったのではないかといわれている。一
九五〇年にディズニー映画シンデレラが公開され、ディズ
ニー映画ではガラスの靴で話を製作したためガラスの靴が
浸透し有名になっていった。
ペローは物語の最後に教訓を記す。そのためか話の最後
シンデレラをいじめていた義姉たちや継母をシンデレラは
やさしく許している。
グリム童話の灰かぶりはグリム兄弟による一八一二年頃
の作品である。グリム童話はペローの影響を強く受けてい
るといわれていたが、シンデレラについてはペローのもの
より原話に近く、ペローのものとは異なる点がある。例え
ば灰かぶりを助けてくれるのは、亡くなった実の母親の墓
の近くに植えられたハシバミの木ということだ。木に願い
を言うとドレスや靴を出してくれる。この話に魔法使いや
かぼちゃの馬車は登場しない。最後、灰かぶりの落とした
小さな靴に足を入れようと二人の義姉はつま先やかかとを
切落とす。しかし血だらけの靴を見た王子にばれてしまい
失敗に終わる。そして灰かぶりと王子は結ばれ、その結婚
式で灰かぶりの両脇に立っていた義姉たちは、ハトに両目
をつつかれ盲目になってしまうという残酷な終わりかたを
する。しかし何度も改変されるうちに残酷な描写は少しず
つなくなっている。
葉限は九三七年頃に唐の時代の文人によって書かれたの
ではないかといわれている。葉限を助けてくれるのは彼女
が大切に育てていた魚の骨である。魚の骨やハシバミの木
のように自然のものから得る魔法は自然信仰的なものが背
景にあると考えられている。この話にも魔法使いなどは登
場しない。また、王子に出会うきっかけとなるのは舞踏会
ではなく節句のお祭りである。お祭りに出かけた葉限は継
母に見つからないように急いで家に帰ったため金の靴を片
方落としてしまう。葉限を見つけ出した王は全てのいきさ
つを聞き彼女の大切な骨と彼女を玉の輿に乗せて自国へと
連れて帰る。そして葉限は幸せな生活を送るのだ。最後継
母はとても悔しがるのだがどこからか飛んできた石が当た
り死んでしまう。以上のようにもとは一つの同じ話でも国
や時代によって大きな違いがみられる。
五、まとめ
絵本は現在グラフィックデザイン、アニメーションなど
近接領域の手法を活かしたり、またコンピュータを使って
描いたりと一層多様化している。絵で物語ることを愛し続
けてきた日本は質量とともに世界に誇る絵本大国になって
いる。絵本は子どもが読むだけのものではない。絵本を開
くことで、新しい発見や今まで気づかなかった絵本魅力を
感じたりすることができる。
54
︽参考文献︾
・『絵本の事典』 中川素子 吉田新一 石井光恵 佐藤博一 朝
倉書店 二〇一一年
・『ベーシック絵本入門』 生田美秋 石井光恵 藤本朝巳 ミネ
ルヴァ書房 二〇一三年 ・ http:www.kufs.ac.jp/toshokan/jido/iido-book.htm
・ picturebook.rentalurl.net./history.htm/
・ www.ehonnavi.net
・ suwa3.web.fc2.com
・ www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/
⋮ /cinderella.html
・ www.osoushiki-plaaza.com/anoyo/takai/takai4.htm/
︿寸評﹀
担当教員 文 嬉 眞
本レポートは、教養セミナーⅡの中で異文化をテーマ
に発表したものである。木曽谷瑞保さんは、異文化の講
義内容を十分に理解し、それを文章に変える表現技法を
も身に付けている模様である。その上に、木曽谷さんの
場 合 は、 本 人 の 真 面 目 さ と 持 ち 前 の 探 求 心 と も 相 俟 っ
て、 本 レ ポ ー ト が 非 常 に 興 味 深 い 内 容 に 仕 上 が っ て い
る。本レポートでは、「絵本の歴史と童話シンデレラ」
の二つを検討対象とし、それを分析する際に、絵本の歴
史や古今東西のシンデレラ物語︵童話︶に関しての様々
な角度からの説明を試みるなど、大変理解し易い工夫が
行われている。
木曽谷さんは、上記の二つの素材の中で特に童話につ
いて分析する際に、古代中国および西欧の童話に出て来
る「シンデレラ」という言葉の語形の変化から解析を試
み、古今東西のシンデレラ物語を網羅する形で考察して
いる。その分析過程の中で、木曽谷さんは、古今東西の
シンデレラ物語の内容が若干違っている点を明らかにし
ている。その童話に関する現在までの一般的な認識、例
えば物語を構成する説明道具として頻繁に登場するガラ
ス の 靴 に ま つ わ る 話 は、 三 つ の 物 語 の 中 で は 各 々 「 革
靴、 ハ シ バ ミ の 木、 魚 の 骨 」 と な っ て い る 点 が、 本 レ
ポートを通して明らかにされている。
木曽谷さんは、シンデレラ物語の中で現在までの一般
的な認識として定着しているガラスの靴のイメージが、
実はフランス語から英語への翻訳過程での誤訳から派生
した点を明らかにしている。その上ディズニー映画社に
よってガラスの靴を一般化させる役割を果たした、とい
う説明を通して意外な事実が発見できた点で評価に値す
る も の で あ る。 今 後 彼 女 の 更 な る 探 求 心 を 期 待 し て い
る。
55
教養セミナーで得たもの
森 川 愛美奈
︵日本文化学科一年︶
私は以前まで話し合いの場で自分の意見があっても、な
かなか言い出せずにいました。それは、緊張や、他人の考
え方と合わなかったときに嫌な思いをさせてしまうのでは
ないかという不安があったからです。
しかし、将来のことを考えると自分の意見はしっかり言
えた方が良いので、教養セミナーの時間を使って克服しよ
うと考え、LTD話し合い学習法を取り入れている山口先
生の授業を選ぶことにしました。LTD話し合い学習法と
は、小グループによる話し合いが中心で、対等な話し合い
を通して参加者一人ひとりの学習と理解を深めようとする
ものです。
春学期は、主に近田政博著の『学びのティップス』をも
とに予習をし、その予習ノートを使ってミーティングをす
るという流れで活動していました。予習ノートを作るとき
は山口先生の勧めである、三色ボールペン読書法を使って
いました。それは、読書の際に客観的に「すごく大事」な
箇所に赤、客観的に「まあ大事」な箇所に青、自分の主観
で「面白い」と思った所に緑の線を引くことにより、要約
力やコメント力を向上させる方法です。
この予習方法では、ただ本を読んでいるだけではなく、
三色ボールペンを使うことによってノートにまとめる内容
がひと目で分かります。そのため、苦痛に感じることなく
自然と予習をする習慣が身に付きました。
ミーティングでは、初めの頃の私は予習ノートを読み上
げるくらいしかできませんでした。しかし、グループの仲
間が私の読み上げた内容について共感してくれたり、質問
してくれたりしたおかげで自分の意見で不安にならなくて
も良いということが分かりました。そのため徐々に人と話
すことが楽しく感じるようになりました。また、意見を出
し合うことで様々な考え方が出てくるので幅広い知識を得
ることができました。
秋学期には、山口先生の講義を聴き、その内容について
ミーティングをしていきました。春学期は本を読んで予習
をしていましたが、秋学期からは、先生の講義に関する資
料しか持ち帰れません。そのため、講義中に大切だと思っ
たことをメモしておかなければいけません。
初めは、講義のスピードについていけず、最後まで書き
取れなかったこともありました。しかし、メモの取り方を
工夫することによって予習がしやすくなりました。このこ
とは現在、他の授業でも役立っています。
講義は、先生が身近な内容で行なってくださるので楽し
みながら聴けました。特にブラックバイトの講義では、働
56
くことの基本ルールを知ることで、自分のアルバイトがブ
ラックではないかの確認ができました。そして、将来の仕
事選びにも役立つのではないかと思います。ミーティング
も、グループの仲間ととても盛り上がったのを覚えていま
す。また、衆院選の講義やミーティングでは、自分が選挙
権を持ったときのために選挙の知識や政治のエピソードな
どを知ることができ、とても勉強になりました。
LTD話し合い学習法の他にも、ポートフォリオ︵学習
記 録 ︶ の 作 成 な ど も 行 い ま し た。 こ れ は、 自 分 の 知 ら な
かったことのまとめや、行った講演会、参加したイベント
等の記録を残しておくものです。就職活動の面接の準備を
一年生のうちから積み上げていけば、面接時に話せること
が増えるのでとても役に立つと思います。また、個人的に
も山口先生に色々な相談にのっていただき、とても助けら
れました。
この授業を受けて、初対面の人と話すときにあれほど緊
張していた自分が、ここまで人と話すことが好きになると
は思っていなかったので、自分自身とても成長できた一年
だったと思います。また、前にも述べたように将来の自分
のために役立つことを沢山教えていただいたので、この経
験を糧にこれからの人生をより良いものにしていけたら良
いと思います。
担当教員 山口 拓史
︿寸評﹀
LTD話し合い学習法を採り入れた教養セミナーは今
年度で三年目である。本授業はLTD学習法の習得を最
終目的とするものではない。本授業では、「知見を広げ
ること」と「姿勢を養うこと」を受講生に体験させるこ
とに重点を置き、それによって、知らなかったことを学
び、誤って理解していたことを正しく改める力、協働の
場でコミュニケーションを図るための心構えや態度など
が有意義な大学生活を送るために欠かせないことに気づ
かせることを目指したのである。
本授業での森川愛美奈さんの第一印象は、おとなしく
控えめな受講生であった。LTDミーティングの際も初
めの頃は発言も少なかったが、徐々に発言が増えて積極
性が高まり存在感を増していった。これは、森川さんが
本授業のいろいろな「仕掛け」に素直に反応して自らを
高めていった結果であろう。今後も、弛まず向上に努め
てほしいと思う。
57
籍の拡大を狙おうとCMなどで普及を呼びかけているが、
文化庁の統計ではそれを利用している人が一七・三%とま
だまだ低いままである。しかもマンガなども電子化されて
いるため、増々読書不足に拍車がかかってしまう。また、
関連することとして、新聞の購読数も年々減少していく一
方である。
ただし、スマートフォンの普及というのは悪いことだけ
ではない。なぜならば多くの情報を手のひらサイズの機器
で集めることができるようになり、とても便利になったか
らだ。インターネットが発達していない時代では、本や文
などの情報
献から調べられていたものが、今では Google
検索サイトに自分の調べたいワードを打ち込むだけで、多
くのページがヒットする。
ある調査によると、大学生が一分あたりに閲覧するホー
ムページの数は一〇年前に比べ三・三八倍と増え、高い情
報処理能力が身についていることがわかる。しかし、処理
が 早 す ぎ る だ け に、 多 く 集 め た 情 報 に 振 り 回 さ れ て し ま
い、自分の結論をまとめることができないのが現状だとい
う。
私自身の経験では、ネット以外で情報収集をすると、気
になる文章や分かりにくい文章などを調べながら集めるこ
とによって、自分でわかりやすくまとめることができた覚
えがある。
読書の重要性について
最近ニュースや新聞などで、若者の読書離れが増えてい
るということをよく耳にする。なぜここまで読書について
興味がなくなってしまったのだろうか。
文 化 庁 の 調 査︵ http://www.bunka.go.jp/kokugo_
︶
nihongo/yoronchousa/h25/pdf/h25_chosa_kekka.pdf
によると、一六歳以上の男女に一か月に何冊本を読むか? と い う 質 問 に、
「 一、 二 冊 読 む 」 と 回 答 し た の が 三 四・
五 % に 対 し、「 一 冊 も 読 ま な い 」 と 回 答 し た の が 四 七・
五 % と な り、 両 者 に 約 一 五 % の 差 が 広 が っ て い る。 ま た
「読まない」と回答した人を年齢別で比較してみると、一
六∼一九歳では四二・七%、二〇代では四〇・五%、三〇
代でも四五・五%となっており若い年代の割合が高いこと
がわかる。
本を読まない人の理由として、仕事や勉強などが忙しく
て読めないことが大半であるが、最近ではスマートフォン
やパソコンなどの情報機器に時間を取られるという理由も
増えてきているようだ。
次に、読書はなぜ良いのかということを脳の情報伝達と
︵歴史学科一年︶
平 松 良 介
しかし、スマートフォンやタブレットなどでも、電子書
58
いう見方から考える。例えば、雪が降り積もった雪国の映
像 を 見 る 場 合 と、
『国境の長いトンネルを抜けると雪国で
あった』という文章を見る場合の二つの例を比較する。
前者の場合は、脳の視覚の部分とナレーションなどの言
葉の部分の二つで捉え、脳の前方にある意味を理解する部
分にたどり着く。ここまでの一連のサイクルが、映像の場
合は連続的に行われるため、脳は情報の意味を理解するこ
とを重要視してしまい、その結果そこからの思考の発展が
行き詰まってしまうという。
しかし『国境の⋮⋮』という文章の場合では、言葉を視
覚で捉えた後に意味を理解しようとする。この時にイメー
ジを補おうと、視覚がもう一度働き始め、過去の記憶や経
験などから想像のイメージができあがる。
このように読書をすることによって、イメージを作る力
である想像力と、新しい考えを作る創造力の二つを高める
ことができる。
フランスの哲学者で近世哲学の父と呼ばれるデカルト
は、読書について「良き本を読むことは、過去の最も優れ
た人達と会話をかわすようなものである」という言葉を残
している。この言葉は、本を読むことで著者の主張を理解
し、著者の考えと自分の考えや感想を照らし合わせること
により、まさに会話したという意味がある。
ただし、特定の本だけを読むことが良いとは思わない。
一般小説、推理小説、歴史小説、恋愛小説、SF小説、ハ
ウツー本、ライトノベルなど様々なジャンルの本を読むこ
とによって、知識を深めることができ、話に奥行と幅が広
がるのである。さらには、読書の際には疑問や感想などを
多く見つけることが大切であると思う。なぜなら、読書を
することによって感情や知識の引き出しを自分の中に複数
作ることができ、人間の成長が図られるからである。読書
は、人格形成に必要な営みである点で重要であると考えら
れる。
︽参考︾
「広がる“読書ゼロ”∼
・NHK クローズアップ現代 No.3592
日本人に何が∼」︵二〇一四年一二月一〇日放送︶
59
︿寸評﹀
担当教員 山口 拓史
LTD話し合い学習法に基づくミーティングにおける
平松良介君は存在感があったように思う。ミーティング
のテーマはできる限り偏りがないように心がけて設定し
ているのであるが、どのようなテーマにも対応できるか
のように知識を持ちあわせ、熱心にグループ・メンバー
に 説 明・ 発 言 し て い る 平 松 君 を よ く 見 か け た か ら で あ
る。
私は、今回提出された本稿やその他のレポートを読ん
で、平松君のヒミツがわかった気がした。彼は、常日頃
から情報収集のためのアンテナを高く立てていたよう
だ。 そ の 結 果、 本 稿 や そ の 他 レ ポ ー ト に み ら れ る よ う
に、各種メディアなどから得たデータや情報を活用しな
がらの叙述が散見される。あるいは平松君の情報収集方
法は、本稿に述べられているネット世代のそれであるか
もしれない。しかし本稿のテーマ「読書の重要性」が示
すように、彼は読書を通じて「奥行きと幅が広がる」知
識と思考を身につけていることを期待したい。
教養セミナーで学んだこと
平 野 有 紀
︵国際文化学科一年︶
私が選んだ先生の教養セミナーでは、自分で問題を発見
し、解決できるようになることが授業の目標として掲げら
れていた。授業中に、ただなんとなく大学生活を過ごすの
ではなく、卒業するまでに「こうなりたい」という目標を
立て下さいという指示が出た。そのために、まずは中間的
な目標として、「二年後のあるべき姿」を設定することに
なった。
自分には、大学を卒業するまでに、こうなりたいという
目標があっただろうか。仮にあったとして、そのために必
要な努力をしてきただろうか。「こうなりたい」という目
標を掲げたことはあっても、口先だけで終わっていなかっ
ただろうか。それを成し遂げる自信があっただろうか。私
はこのように自分自身に問いかけながら、「二年後のある
べき姿」を設定し、そこに到達するにはどうすればよいの
か、それをどのように実行していくのかを考えていくこと
にした。
まず、自分の「あるべき姿」を明確に設定することを心
がけた。自分のあるべき姿と今の自分にどのような差があ
60
るのかを確認をし、何が足りないのかをはっきりさせるこ
とにより、実際に何を行えばよいのかということがはっき
りした。次に、なぜ、あるべき姿と今の自分に差ができて
しまったのか、徹底的に原因の追求していった。そうする
ことにより、現状と目標の間に差ができてしまった主な原
因がはっきりしてきた。その原因の多くは自分自身にある
ことに気がつき、自分に何が足りなかったのかをはっきり
させることができた。また、原因をはっきりさせることに
より、自分が何をすればよいのかかが、より鮮明になって
きた。
このように、目標を明確に設定し、現状を把握した上で
原 因 を 追 及 し、 解 決 策 を 検 討 し て い け ば、 少 し ず つ で も
「 今 の 自 分 」 を「 あ る べ き 姿 」 に 近 づ け て い く こ と が で き
ると思えるようになった。自分の弱みを知り、それから逃
げずに真っ直ぐに前を向いて、まずはできることから始め
ていく姿勢が大切なのだと思うようになった。ただし、ど
うしても無理なことは回避することや、それを補うための
他の方法を考えていくことも必要なことだとわかった。自
分の中にも強みがあるはずで、この強みを生かして、これ
から来るかもしれないチャンスを掴んでいくことが大切だ
と思えるようになった。欠点を克服することばかりに捕ら
われて、前に進んでいくことができないようではいけない
ということに気がついた。
人間はすぐに成長できるわけではない。だからこそ、大
学生の間に、じっくり時間をかけ、様々なことを学び、た
くさん失敗しながら成長していきたいと私は思うように
なった。理想に近づくことが困難な状況になっても、その
困難な状況としっかり向き合い、上手くいかなかったとき
は、 そ の 原 因 の 追 求 を し て、 解 決 策 を 検 討 し て い け ば い
い。そうして自分が描いている「あるべき姿」に近づいて
いけるように、これからの時間を大切にして、成長してい
きたいと思うようになった。
担当教員 山名 賢治
︿寸評﹀
今回の彼女の文章には具体性がない。彼女がどのよう
な目標を掲げ、どのように解決していきたいと思うよう
になったのかは、この文章を読んでもわからない。ただ
し、彼女の文章を読むと、以前よりも自分としっかり向
き合いながら、様々なことに前向きに取り組んでいこう
という気持ちになったことが伺える。このセミナーを通
じて、自分にも「できる」という自信を持ってもらうこ
と が で き た な ら、 そ れ は と て も よ い こ と で あ っ た と 思
う。
61
2020年東京オリンピック・
パラリンピック
│ │ 開 催 の メ リ ッ ト と デ メ リ ッ ト │ │
中 村 友 哉
︵法律学科一年︶
二〇二〇年の夏季オリンピック・パラリンピックの東京
開催が決定し、日本国内はすでに様々な方面で盛り上がり
を見せている。このオリンピック熱にはしかし、私は少々
懐疑的である。開催されれば当然メリットはたくさんある
が、それ以上にデメリットの方が多いのではないか、そん
な懸念を抱いている。
まずはメリットに目を向けよう。世界的に注目される大
規模なスポーツの祭典であるオリンピックには、様々な分
野にわたる幅広いメリットが見込まれ、それらは総称して
︵1︶
「 オ リ ン ピ ッ ク レ ガ シ ー」 な ど と 呼 ば れる。 東 京 オ リ ン
ピック開催に関してとくに指摘されているのは、開催に伴
う大きな経済効果、交通機関などの環境整備、東京及び日
本の世界へ向けてのアピール、等々である。
一つ目に挙げた経済効果については、とくに二つの側面
が指摘されている。第一に、オリンピックの開催に伴い、
日本に外国人が多く訪れるようになると考えられるので、
︵2︶
主に観光施設や宿泊施設に大きな経済効果が見込まれる。
第二に、オリンピックに向けた環境整備のために大幅な雇
用 が 創 出 さ れ、 建 設 分 野 に も 大 き な 経 済 効 果 が 見 込 ま れ
る。そしてこれら二つの経済効果がさらに他業種や他分野
にも波及し、結果的に日本全体の景気が良くなるのではな
︵3︶
いかと考えられている。
また、二つ目に挙げた鉄道や道路など交通機関の環境整
備については、日本に訪れる外国人だけではなく、日本に
住んでいる私たちにも大きな利便をもたらす。たとえば鉄
道関連を調べてみると、二〇二〇年までに、北陸新幹線の
福井県敦賀までの延伸と、青森から北海道の函館と札幌へ
向けての北海道新幹線の開業が計画されている。これらが
実現すれば、たんに生活が便利になるだけではなく、地方
活性化にも繋がると考えられるので、オリンピックへ向け
た鉄道整備事業には非常に大きな期待が寄せられている。
以上見てきたようなメリットが一定程度存在することは
疑 い な い。 し か し、 メ リ ッ ト の 一 方 で、 当 然 な が ら デ メ
リットも存在する。開催に向けて日本中が沸き立つ中、メ
リットばかりが注目されている観があるが、私はデメリッ
トも冷静に考えなくてはならないのではないかと感じてい
る。
デメリットには、日本に来る外国人にとってのデメリッ
トと、それを迎える私たち日本人にとってのデメリットの
62
両方がある。一方、日本に来る外国人にとってのデメリッ
トとして、東日本大震災が原発事故という一部に人災をも
含む惨劇をもたらしたことは記憶に新しいが、同様に近い
将来起こる可能性が高いとされる首都直下型地震や南海ト
ラフ地震のリスクが懸念される。他方、迎える日本側のデ
メリットとして、世界中から人が集まることによる犯罪増
加と治安悪化、主に東京都心で見込まれる交通混雑、経済
効果の東京一極化による地域格差増大、開催後の競技施設
の 維 持 コ ス ト、 な ど 数 多 く の デ メ リ ッ ト が 指 摘 さ れ て い
る。現に、窃盗や殺人事件といった治安悪化や、鉄道や道
路を初めとする交通機関のパニックなどは、過去の開催国
でも毎回のように起きており、地域住民の生活に対する直
︵4︶
接的な脅威となっている。
このように様々なデメリットが考えられる中で、今回と
くに日本での開催ということに関連して特筆すべきは、や
はり世界中を震撼させた東日本大震災の爪痕である。とく
に日本を訪れる外国人が懸念するのは福島原発事故の経過
だろう。現状をみるかぎり、そのような外国人に対してど
の よ う に 安 全 性 を 説 明 し、 保 障 す る の か 大 い に 疑 問 で あ
る。 ま た、 い ま だ 原 発 事 故 処 理 も 完 全 に 終 息 し て い な い
中、オリンピックを一つのきっかけに復興をアピールする
との安倍首相の考えだが、被災地の人々が本当にそれを望
︵5︶
んでいるのだろうか。オリンピック招致や開催に向けて使
われる膨大な資金を、震災復興や原発事故処理、防災対策
等々に使うほうが、被災地の望みを実現する上でよほど効
︵6︶
果的ではないだろうか。加えて、オリンピックが開催され
る東京首都圏や日本の太平洋側では、近い将来、首都直下
型地震や南海トラフ地震が起きる可能性が高いと危惧され
ている。万が一、二〇二〇年までにこれらの地震が起きれ
ば、東日本大震災のときと同様、復興・復旧に膨大な時間
とお金が必要になる。そのような状況でオリンピックを開
︵7︶
催することはまず不可能だろう。
オリンピックを自国で観戦できることは人生に一度ある
かないかのことであり、人々が夢と期待に胸をふくらませ
るのはもっともである。また、オリンピック開催によって
もたらされる恩恵の数々は、それ自身きわめて喜ばしいこ
とである。しかしその一方で、日本が今後の課題としてど
れ だ け 素 晴 ら し い オ リ ン ピ ッ ク を つ く り だ せ る か は、 メ
リットの影に埋もれてひそかに山積しているデメリットを
一つ一つ冷静に見極め、それらをどれだけ解消していくこ
とができるかにかかっている。
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
pp.
pp.
pp.
pp.
│
220
│
183
│
190
│
183
222.
184.
196.
186.
︽註︾
『オリンピック・レガシー 202
︵1︶間野義之︵二〇一三年︶
│ 36.
0年の東京をこう変える!』ポプラ社 pp. 35
︵2︶
︵3︶
︵4︶
︵5︶
63
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会
︵6︶
組 織 委 員 会︵ 二 〇 一 三 年 ︶「 Tokyo 2020 Discover
」
│
pp.
37
42
https://tokyo2020.jp/jp/plan/
Tomorrow
candidature/dl/tokyo2020_candidate_entire_1_jp.pdf
2014/10/31.
『2020年オリンピックを市民の
︵7︶森まゆみ︵二〇一四年︶
手に』岩波書店 pp. │
5 6.
︿寸評﹀
担当教員 岩佐 宣明
例年どおり、自分の考えを論理的に表現する力を身に
つけることを目標に授業に取り組んだ。春学期はテキス
ト を 用 い て 日 本 語 表 現 の 基 礎 を 学 び、 秋 学 期 は そ れ を
ベースに各自自由テーマでレポートの作成に挑戦した。
達成度に個人差はあるものの、真剣に取り組んだ学生に
ついては全員が一定の水準にまで到達することができた
と 思 う。 中 村 く ん の レ ポ ー ト は そ の 中 で も、 議 論 の 構
成、文献・資料調査、表現の明確さなどの点において、
とくに優れていたものの一つである。時代の熱気にただ
流 さ れ る の で は な く、 と い っ て た だ 反 発 す る の で も な
く、冷静に物事の光と影の両面を見ようとする分析的な
眼差しが、文章全体を引き締めている。さらに欲を言え
ば、この分析を踏まえた上で、何か一歩踏み込んだ具体
的な提言がほしいところ。
伝える力、伝わる力
川 渕 利 泰
︵法律学科一年︶
私は、約一年間の「伝える力、伝わる力」をテーマとし
た教養セミナーを受けた上で、多くの経験を積むことが出
来た。前期は、
「 書 く こ と 」 を 中 心 と し た 授 業 の 中 で、 文
章をより相手に正しく論理的に伝える力を養い、さらに後
期では「話すこと」を中心とした上で、いかにして自身が
話し手としてより聞き手に伝わりやすい言及、工夫ができ
るのかということを学んだ。そして、私はこの講義を通し
て、
「 伝 え る 力、 伝 わ る 力 」 と は 相 手 と の コ ミ ュ ニ ケ ー
ションを図る際に用いられる三つの力にあたると考えるよ
うになった。
その三つの力のうちの一つ目は、「よく理解する力」で
ある。まず、話し手が聞き手に情報を伝える際、話し手が
その情報についてどれだけの知識をもっているかで、聞き
手側がその情報に対して受ける印象は大きく違うものにな
る。聞き手側が全く理解していない知識を、話し手自身が
もつ内容の薄い、理解の浅いままのその知識を伝達しよう
とすれば、今後、聞き手はその新しく身に着けた浅い知識
を芯として社会で生きていくことになってしまう。また、
64
聞き手側にとってもこの「よく理解する力」という力は重
要なものである。話し手が、いかに聞き手に伝わりやすい
工夫を施した言及をしようとも、聞き手がそれをただ聞き
流しているだけでは聞き手は全くその情報を理解したこと
に は な ら な い。 聞 き 手 自 身 も、 話 し 手 の 発 言 に 興 味 を も
ち、話し手が伝えようとしていることの真意を理解しよう
とする姿勢をもつことが重要である。このように、コミュ
ニケーションにおいて「よく理解する力」とは、コミュニ
ケーションを図る者同士が互いに知識をより深めようとい
う意思をもつことで、その知識をより深く理解することが
できることにつながる力になると考える。
「取捨選択をする力」である。
続けて、二つ目の力は、
話し手は、相手とのコミュニケーションを図る際、自身が
聞き手に伝えたい情報をより分かりやすく、より簡潔にし
て聞き手に伝えようとする。必要な情報のみを厳選、つま
り話す内容を取捨選択することで、聞き手が話をより理解
できることにもつながり、話が簡潔になるということは、
限られた時間の中でより効率的なコミュニケーションを図
れることにつながる。分かりやすい例を挙げるとするなら
ば、学校の授業が挙げられる。学校の授業における話し手
とは、授業を展開していく先生にあたる。授業を受けてい
る、言い換えれば聞き手にあたる学生に対して、黒板や教
科書を用いてより簡潔に、より分かりやすく指導しようと
する先生は、まさに「取捨選択をする力」によって授業を
形成していると考えられる。
そして、ここで最も重要なことは、聞き手である学生も
取捨選択をする必要があるということである。授業中に先
生が伝達しようとした情報を、聞き手である学生は、より
その情報を多く自分の中に取り入れようとする。しかし、
先生が一時間近く話している内容を全て授業時間内理解す
るというのは難しい。さらに、無理にすべてを理解しよう
とすることは、内容に正確性が欠ける知識を身に着けてし
まうことにもつながってしまう。そこで、学生は先生の話
を聞くと同時に、先生が書き写した黒板をたどって理解を
深めるという方法をとるべきであると考える。つまりは要
点を押さえ、大まかな流れを一度つかみ、授業を理解しよ
うと取捨選択をすることで、より内容の濃い知識を身に着
けることができる。このように、私たちの生活の中では、
この「取捨選択をする力」というものがコミュニケーショ
ンの場において重要な存在になりつつある。
そして、最後の三つめの力は「相手の立場になる力」で
ある。この力は、先に挙げた二つの力を身に着けた上で、
さらにより深みのあるコミュニケーションを図ろうと思う
者が身に着けるべき力である。相手とコミュニケーション
を図る際、互いにはそれぞれの感性というものが表立つ。
例えるなら、野球に関して深い興味をもっている が、野
球に対して全く関心のない に野球の話をしたとする。
は、ただ純粋に に対して野球の話をしても、 は全く話
B
B
A
B
A
65
を理解しようともしないだろう。そうなれば、話し手であ
る にとっても、聞き手である にとっても全く意義のな
いコミュニケーションになってしまうと考える。そこで、
この状況に互いが相手の立場になって考えるという責任感
を取り入れてみるとどうなるであろうか。 は、 の立場
を考えた上で、野球の話だけではなく が興味をもってい
る吹奏楽の話を取り入れて話すことにし、 は、自身が野
球に興味がないからといって、 に罪は無く、せっかく楽
しそうに話をしてくれているのだからしっかりと聞き入れ
ようとしたとする。そうなれば、 にとっても にとって
も好感の持てる有意義なコミュニケーションになると言え
る。
「伝える力、伝わる力」とは、これらの三
こ の よ う に、
つの力を用いて行われる意義と内容があるコミュニケー
ションを図ることができる力だと考える。
B
川渕君は「伝える力、伝わる力」というテーマについ
て、授業で学んだ内容から、どのような力が必要である
か を 三 つ の 視 点 か ら 論 じ て い ま す。 情 報 を 伝 達 す る 側
も、情報を受け取る側にも、「内容を理解する力」、
「取
捨選択する力」
、
「相手の立場に立つ力」が必要であり、
その意識と力が合ってこそ、コミュニケーションが上手
にとれると結論しています。コミュニケーションという
と、とかく「上手に話す」ことばかりが注目されがちで
すが、受け取る側の積極的な姿勢、さらに送り手が情報
内容を精査する必要性をあることを意識することは学生
のみなさんが社会に出てからも必要なことだと思いま
す。
66
A
B
B
B
B
A
A
担当教員 佐々木 真
︿寸評﹀
この教養セミナーでは「伝える力 伝わる力」をテー
マ と し て、 春 学 期 に は「 読 む・ 書 く 」 力、 秋 学 期 に は
「聞く・話す」力を育成する演習を重ねてきました。特
に秋学期は一人が三回口頭発表を課せられて、良い練習
になったようです。
A
韓非子に学ぶ
新 木 佑 斗
︵現代社会法学科一年︶
私がレポートに韓非子を選択した理由は、韓非子の説く
「法家思想」が、現代社会まで通じており、なおかつ人間
の本質を究極的に見極めているからである。
韓非子の「法家思想」とは、「法律を定めてそれに基づ
いて客観的統治をすれば、並の君主でも国を治められる」
という考え方である。この考え方は二千年以上の時を越え
て、現代社会にも「法律」という形で存在している。
韓非子の説く教えの中に、冠係と衣服係の話がある。寒
い中酔って眠っていた昭侯を見かねた冠係が昭侯に衣をか
けたが、昭侯は冠係、衣服係の両者を罰したというストー
リーである。自らの職務を怠った衣服係を罰するのはわか
るが、同僚のミスをカバーした冠係を罰することは不当だ
と 感 じ た 人 が 多 い か も し れ な い。 罰 し た 理 由 は 簡 単 で あ
る。自己の職務範囲を踰越した行為をしたからだ。この戦
国時代において臣下に必要以上の権限を与えるとかえって
自分の身を滅ぼすことになると遠回しに伝えている。今も
何も変わりはしない。部長には部長の、課長には課長の職
務範囲があり、それを越えれば何らかのペナルティを受け
る。
更に韓非子は、君主は臣下を信じてはいけないと説いて
いる。これは臣下が君主に対して忠義を尽くしているので
はなくて君主の権力によってやむを得ず服従しているので
あるということを伝えている。つまり、君主は安易に臣下
を信じて内心を見すかされるならば、それは君主を脅かし
たり殺めたりする原因となるという戒めである。私自身こ
の考えにはとても共感した。人は常に真実ばかりを語るわ
けではない。時に虚言を吐いて他人を陥れる。また、敵は
他国だけとは限らない。仲間内でも君主というポストを虎
視眈々と狙っている者もいるだろう。その為、仲間だから
という理由で相手を信じきったり、安易に心の内を話した
りすることは愚かしいことである。二千年後の今でこそ人
を信頼することを「絆」や「友情」といった言葉で美化し
ている人が大勢いるようだが、そんなものは実際ありはし
ない。それは人が人を信頼するという人間関係を正当化し
たり、美化したり、また裏切る人間を軽蔑する為の道具で
しかない。少なくとも中国の春秋戦国時代においてそのよ
うな人間が君主であったならば、間違いなく臣下に食われ
ていただろう。
韓非子の教えでもう一つ面白い話がある。弥子瑕という
君のお気に入りの人と君の話である。衛の国の弥子瑕は母
の病気が重くなった為、君の許可が出たと偽って君の車に
乗って宮を出た。衛の国では君の許可なく君の車に乗った
67
者は足斬りの刑なのだが、君は弥子瑕を孝行者として褒め
た。またある時、二人は果樹園に赴いた。弥子瑕は桃を半
分食べて美味しかった為、君にもう半分を分け与えた。す
ると君は大変喜んだ。しかし、弥子瑕が年をとって容色が
衰えると君の態度は冷たくなってしまい、以前の事をとり
あげて罰した。この話は、君主の感情ひとつで同じ人間に
対して全く逆の態度をとってしまうことを説いている。
私はこの話が韓非子の説く数々の教えの中で最も好きで
ある。その理由は韓非子が人間の本質を上手く捉えている
からである。わかりやすく例えてみよう。男性が女性に対
して何かしら出来心を抱く。しかし女性は時の流れによっ
て老いる。すると男性の心が冷めるということが起こる。
一 体 何 故 か。 そ れ は も う 男 性 の 好 き だ っ た 女 性 で は な く
なったからである。これが人間の本質である。人の抱く感
情というのは冷めてしまえば実に空虚なものだ。まるでそ
れまで自分が夢を見ていたかのような感覚に襲われてしま
う。この人間の本質は二千年以上のときを経ても変わりは
しない。
韓非子はこのような巧みな人間観察によって今の世知辛
い世の中でも人々から支持を得ている。しかし韓非子の考
えを支持しているのは現代人だけではない。かの有名な秦
の始皇帝もその一人である。彼は韓非子の法家思想によっ
て信賞必罰を徹底して天下を統一したが、まもなく秦は滅
んだ。始皇帝自身が法術を上手く使いこなせなかったから
だ。 こ の 史 実 は 法 を 運 用 す る 側 に も そ れ な り の 責 任 が あ
り、法が傾けば国が滅ぶという教訓を今に伝えているよう
に思える。韓非子は法のあり方とそれを使う人のあり方を
後世に伝えたかったのではなかろうか。
担当教員 前山慎太郎
︿寸評﹀
こ の 授 業 で は、 秋 学 期 に「 諸 子 百 家 」 を テ ー マ と し
て、孔子・孟子・老子・荘子・墨子・韓非子・孫子など
代表的な思想家を紹介するとともに、その著作の名高い
部分を少しずつではあるが簡単に読んでみて、毎回それ
に対する自分の感想や考えを書いてもらった。それを基
として、期末にレポートまとめることを課題とした。
授業の性格及び時間の制約のため、それぞれの思想に
ついて詳しく考えたり、「漢文」をきちんと読むという
ことはかなわなかった。しかし、「諸子百家」に触れる
ことによって、二千年以上も前に多様な思想が花開き、
それぞれの考えが現代にも十分通じるところが多く、現
在の社会を考える手掛かりとなることを理解し、それと
ともに、古典に親しむ楽しみを知ってもらいたいという
のが授業の目標であった。
新木君のレポートは、その私の期待によく応えてくれ
た も の で あ り、 素 材 は 二 千 年 以 上 前 の「 古 典 」 で あ る
が、そこに現れている思想が現代にもなお有効であるこ
とを感じ取ってくれている。
68
ただ、新木君は韓非子の人間不信の面に特に惹かれて
いるようであるが、今後は人を信じたり信頼したりする
ことの重要さもわかっていってもらいたいとは思う。
天空に英雄を想う
間 瀬 裕 貴
︵商学科一年︶
ずいぶん前から、私は宇宙に漠然と興味を抱いていた。
そして、教養セミナーの授業を受けるようになってから、
以前にも増してよく夜空を眺めるようになった。正直なと
ころ、どれがどの星なのかわからないままである。ただ、
星空に何かしらの神秘的なものを感じるのだ。授業で星座
の話が出るたびに、太古の人たちの発想力や独創性のよう
な も の に 驚 か さ れ て き た。 例 え ば、 牛 飼 い 座 の 形 は こ う
で、獅子座の形がああでと説明されても、私には、それら
が複雑怪奇な形にしか映らず、一向に形通りに追えないの
である。そんなことを想ううちに、なぜ昔の人たちに満天
の星空が今の星座の姿に映ったのか、気になり始めた。
少なくともはっきりと言えることは、太古の人たちが夜
空を眺めた時、そこに映し出されたのは満天のきらめく星
ばかりではなく、また、空間座標でナンバリングされた無
味乾燥とした単なる秩序でもなかったということだ。太古
の人たちは、地上の世界の至るところでみられる人間的で
感情に満ち溢れる世界が、天空にもまた描かれているのを
見た。つまり、それが大空に生き生きと映し出された星座
69
なのだ。どうやら、星座の原型は古代バビロニア地方のも
ののようであるが、全体として英雄世界を映した世界であ
ることに気付かされる。私たちが天空に仰ぎ見るのは、オ
リオン、牛飼い、ヘラクレス、ペルセウス、カシオペア、
ケ フ ェ ウ ス、 ア ン ド ロ メ ダ、 ペ ガ ス ス の 諸 星 座 や、 白 鳥
座、琴座、竜座、冠座、獅子座、御者座、乙女座などであ
る。そこには英雄列伝があり、それぞれの星座同士の関係
は物語になって今に伝えられている。つまり、太古の人た
ちの心の奥で常に英雄たちが生き生きと活躍し、その雄姿
が、そのまま天空に映しだされたということだと思う。そ
して、主にギリシャ時代に、天空を壮大なキャンバスとし
て、 英 雄 た ち の 雄 姿 を 絵 画 と し て 描 い た と 言 う こ と だ ろ
う。太古の人たちにとって英雄は、自分たちが苦悩すると
きにはいつもやさしく手をさしのべ、救ってくれる必要不
可欠な存在であったのであろう。太古の英雄たちが、いか
におおらかでやさしく人々を包み込んでいたか、どんなに
心の拠り所になっていたかがわかってくる。そして、その
英雄たちの活躍に感謝する想いを表現するべく、太古の人
たちは、英雄たちを星座にして天空にその姿を崇めたので
はないだろうか。天空は、地上の人間世界から抜け出して
舞い上がった英雄たちが描かれたことによって、荘厳で神
的なものになった。
真っ暗な夜道を歩くとき、何も考えずにただ下を向いて
歩く場合と、天空には英雄たちが息づいていて、私たちを
見下ろし、守ってくれているという気持ちを抱きつつ歩く
のとでは、まったく違う。天空の星座を想いうかべること
によって、人の心は高揚し、歓びに満ちてくる。
一方、南半球の星座の世界はどのようなものなのだろう
か。星座世界がほぼ完成したギリシャ時代、南半球は未開
拓のままであった。したがって、南半球の天空に古代の英
雄たちの姿はない。そして南半球の天空には、北半球とは
全く異なる星座世界が展開することとなった。南半球の天
空 に は、 振 り 子 時 計、 望 遠 鏡、 三 角 形、 定 規、 空 気 ポ ン
プ、羅針盤、コンパスなどの諸星座を見い出すことが出来
る。それらは、巨大な十字架を別にすれば主に航海者たち
が使用した道具である。一七世紀の大発見時代以降、航海
者たちが天空を見上げ、南半球に無数の新たな星たちを発
見した。航海者たちは、これを科学技術の進歩の賜物であ
ると実感し、後世に遺す意図もあり、それらを天空に描い
たのである。いわば、大航海時代の英雄たちを生み出した
立役者たちの世界が広がっていると言える。
今日では、日蝕や月蝕などの壮大な天文現象が起きても
誰も驚いたりはしない。しかし、太古の人たちは、それら
を神の祟りと捉え、様々な儀式を執り行って解決しようと
した。科学技術を知らない太古の人たちは、その豊かな独
創力で今の私たちに考えつかないものを作っていたと言え
よう。その意味で、現代も太古も、人は何も変わっていな
いと思う。
70
現代を生きる私たちにとって、天空に登場する英雄はい
ないのであろうか。授業で小惑星探査機はやぶさの話題が
扱われた。私ははやぶさに関する映像や、それに関わる本
などを調べてみた。はやぶさについては、宇宙それ自体あ
るいは小惑星イトカワそれ自体に感動したのではない。は
やぶさに関わった人たちに大いに感銘を受けた。度重なる
故障に見舞われて沈黙したはやぶさに、プロジェクトチー
ム の 人 た ち は、 繰 り 返 し、 絶 望 の 淵 に 立 た さ れ た。 し か
し、ほんの寸分の光明でも見い出されれば、最大限の努力
を払った。途方もない苦難を乗り越えた結果、はやぶさは
奇跡的に地球に帰還することが出来た。はやぶさが天空の
中で炎に包まれ、徐々に消えていく刹那、涙が頬を伝い、
「はやぶさお疲れ様」と言っていた。はやぶさは、現代を
生きる私たちにとって希望の象徴であり、英雄だと言えよ
う。
この授業を受け、太古も現代も、天空は英雄が舞う空間
であることを確信した。私の生涯の中で、天空にこれから
どのような英雄が登場し、心を躍らせてくれるのか、楽し
みでならない。そして、これから未来永劫、天空は、人類
にとって、英雄を描き出すキャンバスで有り続けるに違い
ない。
担当教員 城 貞晴
︿寸評﹀
本講義は「太陽系とはなんだろうか」と題し、主に太
陽系諸天体を紹介し、地球環境問題をグローバルな視点
から考察してもらうことを一つの目的としています。そ
の他、季節の星空の紹介なども行ってきました。本稿著
作者の間瀬君は、一年にわたり非常に熱心に本講義を受
講してきたことを特筆しなくてはなりません。学びたい
という溢れ出る想いが本稿をまとめあげたと言っても過
言ではありません。間瀬君は、聴講した題材の中から星
座の話題をピックアップし、深く考察して本稿を執筆し
ました。
本文で触れられている通り、私たちの知る星座の原型
は古代バビロニア地方で作られたようです。それがギリ
シャ地方に伝承され、現在の形になりました。ギリシャ
時代は芸術文化が大いに花開いたことは言うまでもない
ことですが、満天の夜空全体をキャンバスに見立てて、
かつて活躍した英雄たちを描き上げたことは、見事とい
うほかありません。また、天空が幾多の英雄たちを映し
出す空間であることは、昔も今も時代を超えて変わりあ
りません。
地球環境問題の悪化が原因で、地球それ自体が滅びる
ことはありません。しかし、人間をはじめとする多種多
様な生物たちの生息環境が危機に瀕することは確かなこ
とです。未来の子孫たちもまた、天空に英雄たちを仰ぎ
見ることができるように、私たちは、多種多様な生物た
ちの生息環境を改善する努力を続けなくてはなりませ
71
ん。私たちが天空を仰ぎみる度に、そこには幾多の苦難
を乗り越え、多くの人命を救った英雄たちがいます。夜
空を仰ぎ見る度にそのことを胸に刻み、地上世界を実り
豊かな環境にしていかなくてはならないと思います。
惑星のリングを巡る
論争について
︵商学科一年︶
渡 邊 弘 児 私は、この一年間、教養セミナーを通じて主に太陽系に
ついて学んできた。私にはもともと宇宙への関心があった
ため、太陽系の諸天体について勉強する毎に、未知のもの
に 多 く 触 れ る こ と が で き、 何 度 も 心 が 高 揚 す る 経 験 を し
た。 特 に、 土 星 に つ い て 学 ん で い る と き は 驚 き の 連 続 で
あった。昔から「土星にはなぜリングがあるのだろう?」
と思い続けてきたので、その内容に触れたときは、最も感
銘を受けた。
望遠鏡を使って初めて土星の姿を観察した人物は、ガリ
レオ・ガリレイである。一六一〇年、彼は、土星が奇妙な
姿をしていることに気付いた。そして「土星は単一の惑星
ではなく、三つの星がくっついていて、中央の星は両側の
星よりも三倍大きい」と書きのこした。ガリレオは確かに
土星のリングの最初の発見者であることに間違いないが、
それがリングであることや、リングの不思議な振る舞いを
見抜けていたわけではない。ガリレオは、土星のリングを
発見する数か月前に、木星の四大衛星を発見していた。そ
72
の影響を受けてしまい、土星の両側にある星たちも中央の
星の周りを回るのだと想像した。ところが、数か月が経過
した後も、一向に両脇の星たちが動く気配を示さず、それ
ば か り か、 数 年 後 に は 両 脇 の 星 た ち は 姿 を 消 し て し ま っ
た。それから更に数年後、その両脇の星たちは再度出現し
たが、その姿たるや、以前とは全く異なるものであった。
ガ リ レ オ に よ る と、
「中に暗い小さな三角形を持つ半楕円
が二つ、中央の星を挟むような姿」であった。土星のリン
グの正体が解き明かされたのは、ガリレオが初めて土星に
望 遠 鏡 を 向 け て か ら、 五 〇 年 程 度 過 ぎ た 頃 の こ と で あ っ
た。ガリレオが自作した望遠鏡の倍率は、オペラグラス程
度であり、収差がきつかったと想像される。一六〇〇年代
半ばに至ってようやく像の歪みを抑えた高倍率の望遠鏡を
作成する技術が確立されて観測が本格化したが、それでも
なお、土星のリングの正体は依然としてつかめないままで
あり、幾多の研究者によって、誠に奇妙な土星のスケッチ
が多く描かれた。
一六五五年、土星のリングの正体を初めて解き明かした
のはホイヘンスという人物であった。彼はこの年に土星の
衛星タイタンを発見し、タイタンの軌道と土星の両脇にあ
る星たちの軌道とを比較検討し、土星の両脇にある星たち
の正体が巨大な星ではなく、土星の軌道面から二〇度以上
の傾きを持つリングであることを突き止めた。現代を生き
る私たちは、土星に巨大なリングがあることをよく知って
いるので、一六一〇年代から約五〇年の間に描かれた土星
のスケッチを見て、全て土星のリングを描いたものである
とすぐに認識できる。同じものを見ても、真の姿を知って
いるか否かでこうも人間の認識に差が生まれるものかと驚
かされる。土星のリングについての理解はホイヘンスの発
見を以って充分であったかというと、そうではない。新し
い知見が得られるとそれで議論が終わるわけではない。新
しい知見は、更に新たな多くの疑問を生む。次の興味の対
象は、なぜ土星にリングがあるのか? どのようにしてで
きたのか? なんのためにリングはあるのか? ⋮⋮多く
の新たな疑問が生じた。一六〇〇年代半ば頃から一九八〇
年代に至るまで、これらの疑問に答えようとする理論が数
多く生まれた。特にカッシーニによって発見されたリング
の空隙の成因を説明する理論は、その数百年の間に熟成さ
れ、確固たる域に達しているとの認識が定着していた。そ
して、ボイジャー号という無人惑星探査機が一九八〇年代
に土星を訪問することによって、この問題は全て解決する
ものと誰もが確信していた。ボイジャー号が土星を訪問す
る 前 の リ ン グ の 空 隙 に 関 す る 学 説 は 次 の よ う で あ っ た。
「リングを構成するのは無数の氷の粒子である。リングの
外をまわる衛星の引力の影響により、リングの中に氷粒子
が 安 定 し て 存 在 で き な い 領 域 が 生 じ る。 そ こ が 隙 間 に な
る。
」ところが、ボイジャー号が土星を訪問し、詳細な観
測を行った結果、その隙間にすら細いリングがたくさん存
73
在することが判ったのである。数百年の時をかけて構築さ
れた学説は脆くも崩れた。そして現在に至るまで、リング
が無数に分裂していることを説明する理論はないのであ
る。
土星に巨大なリングがあることは非常によく知られてお
り、これこそが土星の象徴とも言える。しかし、リングを
持つ惑星は土星ばかりではない。土星以外にも、木星、天
王 星、 海 王 星 に 同 じ よ う な リ ン グ が あ る こ と が 判 っ て い
る。そして、その発見の歴史もまた奇妙なものであった。
地球からの距離を考えると、土星よりも木星の方が近く、
比較的容易にそのリングは発見されそうなものである。し
かし、木星のリングよりも先に、土星よりもはるか外側を
巡る天王星のリングが発見された。NASAの天体観測機
カイパーによる天王星の掩蔽現象の観測中に、偶然にもそ
のリングが発見された。天王星はその全てがおよそ百度横
倒しになった奇妙な天体であり、このことが決定的要因と
なってリングが発見されたのである。天王星の地軸が横倒
しになっているということは、リングも横倒しの状態にあ
ることを意味する。天王星の後ろに、或る恒星が隠される
掩蔽現象を観測する目的で飛ばされた天体観測機カイパー
は、その恒星が天王星の後ろに隠れる前に数回消滅するこ
とを確認した。もしも、天王星の後ろから再びその恒星が
出現する時に同じように数回消滅すれば、天王星の周囲に
リングがあることを示す証拠となる。そして、その予測は
的中した。これが太陽系の惑星について、二番目のリング
の発見となった。
リングとは一体何なのか。この問いに対する答えは、ま
だない。科学技術の進歩に伴い、私たちは自然現象の多く
を 明 ら か に し て き た こ と は 間 違 い な い こ と で あ る。 し か
し、新たな科学的知見がもたらされる時、必ず同時に、そ
れ以上の多くの疑問が浮上することを忘れてはならない。
自 然 は 深 遠 で あ り、 決 し て そ の 全 て を 知 る こ と は で き な
い。私たちに出来ることは、新たなる知見を得るプロセス
そのものを愉しむことであろう。これこそが知の愉しみな
のだと思う。
担当教員 城 貞晴
︿寸評﹀
本稿著作者の渡邊君は、太陽系巨大惑星に存在するリ
ングに焦点を絞り、本稿をまとめました。渡邊君は、一
年にわたり、非常に本講義を熱心に聴講しました。その
熱意は、毎回の講義で教壇にひしひしと伝わってきてい
ま し た。 渡 邊 君 自 身、 本 文 で 講 義 中 の 心 の 高 揚 に つ い
て、率直に述べてくれています。
さて皆さんは、何故、大学に学びにきているのでしょ
うか?「どんな学部学科でもよかったが、たまたまここ
に合格したから」でしょうか。
「将来の就職のため、大
学を卒業しておいた方がよいから」でしょうか。その答
えは様々でしょう。しかし「興味があって仕方がない、
74
楽しくて勉強をやめることが出来ない、勉強をやめろと
言われたら自分がなくなるくらい苦しい」という人は少
ないのではないでしょうか。本来、勉強するという行為
は「面白い、やめられない、もっと成長したい、もっと
色々なことを知って社会貢献したい」などのような、何
にも替え難い人間の崇高な営みに他なりません。手作り
の望遠鏡で初めて土星を見たガリレオの心は、未知のも
のを誰よりも先に目にするのだという高揚感で満ち溢れ
ていたはずです。その後の数十年の間、土星に望遠鏡を
向けた幾多の研究者たちの心もまた、土星のリングの正
体を知りたくてたまらないという好奇心に満ち溢れてい
た は ず で す。 近 年 の ボ イ ジ ャ ー 号 の 打 ち 上 げ 探 査 に 関
わった人たちの心は、現実に目の前にある装置が本当に
土星を訪れるのだという高揚感に満ち溢れていたはずで
す。その躍動する心の積み重ねによって、学問体系が構
築されてきました。偉人たちの躍動する心と、「学びた
い」という止めることの出来ない心とが重なり合う時、
初めて、生きた学問が修得されることを、是非、体感し
てほしいものだと思います。渡邊君は、このことを実感
し、それを原動力にして本稿をまとめ上げました。これ
からも、益々学びたいと欲する心を大切にして、様々な
ものを学修してほしいと願います。
なぜ避難先で死ぬことに
なってしまったのか
││心理学的要因からの考察││
岩 間 俊 樹
︵心理学科一年︶
二〇一一年三月一一日、東日本大震災が発生した。私の
地元の岩手県釜石市は、最大波約九m、遡上高約一五mの
津波に襲われた。釜石市には鵜住居防災センターという建
物がある。三月一一日には、約二〇〇名もの人が鵜住居防
災センターへ避難した︵釜石市鵜住居地区防災センターに
おける東日本大震災津波被災調査委員会、二〇一四︶
。し
かし鵜住居防災センターは海岸線から約一・二㎞のところ
に建てられていたため、津波にのまれてしまった。その結
果約一二九名が鵜住居防災センターで死亡してしまった。
なぜ約二〇〇名もの人が海岸線から近い鵜住居防災セン
ターへ避難してしまったのだろうか。実は、釜石市の広報
紙には、鵜住居防災センターが「拠点避難所」であると記
載されていた。そのため市民は「鵜住居防災センター=避
難所=真っ先に逃げる場所」というスキーマを持ってし
まっていたと考えられる。スキーマとは過去の経験や外部
75
環境についての構造化された知識のことである︵川 、一
九九五︶。すなわち、個人が持つ先入観のようなものであ
る。しかし、
「避難所」とは「真っ先に逃げる場所」では
ない。よく混同して使われる「避難所」と「避難場所」は
大きく意味が異なる。「真っ先に逃げる場所」のことを示
すのは、「避難場所」である。一方「避難所」とは、
「災害
で住居などが壊れた際、中・長期的に生活をする建物」の
ことを指す︵釜石市鵜住居地区防災センターにおける東日
本大震災津波被災調査委員会、二〇一四︶。鵜住居防災セ
ンターが担っていたのは「拠点避難所」の役割であった。
それにもかかわらず、釜石市民は「拠点避難所」と「避難
場所」を同じ意味であると推測してしまったと考えられ
る。さらに、震災直前の三月三日に釜石市で行われていた
津波に備えた避難訓練が、皮肉にも、今回の悲劇を招く一
要因となっていた可能性もある。なぜならば三月三日の避
難訓練の際、鵜住居防災センターが避難先になっていたか
らである。このことより、釜石市民が広報紙で得た、
「拠
点避難所=真っ先に逃げる場所」という間違った情報の信
憑性が上がってしまった。
また震災発生当日には、町内会のリーダーが、住民に対
して鵜住居防災センターへの避難を呼びかけていた。リー
ダーからの避難指示を聞いて、何も考えずに鵜住居防災セ
ンターへ避難した住民も多数いると考えられる。この場面
で は「 避 難 誘 導 す る 人 た ち = 正 し く 誘 導 し て く れ る 人 た
ち」というスキーマが働いてしまったと考えられる。これ
らの複数の要因が重なり、約二〇〇名もの人が海岸線に近
い鵜住居防災センターへ避難し、結果として約一二九名の
犠牲者が出てしまった。
今後、このような事態が発生するのを防ぐためにはどの
ようにすれば良いのだろうか。ひとつには政府や自治体が
中心となって、「避難所」や「避難場所」という言葉の意
味を正しく広める必要がある。政府や自治体は専門用語を
使うのではなく、誰にでもわかる簡単な言葉で「避難所」
や「避難場所」の意味を市民に伝えなければならない。ま
た、私たち自身、人から言われたことを丸呑みするのでは
なく、自分で状況を冷静に判断する力を養う必要もある。
何も考えず避難するのではなく、海がどの方向にあるか、
どのくらいの距離にあるか、津波が発生しても襲われない
高さなのか、今いる場所からさらに高いところなどに逃げ
ることができるかなどを考えて避難すべきである。
私自身、震災の被害に遭い、自分の命を守るのは自分し
かいないと感じた。緊急時になって焦るのではなく、今の
うちに「避難所」や「避難場所」の意味を理解し、実際に
それらの場所を確認しておかなければならない。一人でも
多くの命が助かるように、災害についての知識を家族や友
人などで共有しておくことが大切であると思った。
76
︽引用文献︾
・釜石市鵜住居地区防災センターにおける東日本大震災津波被災
調査委員会︵編︶『釜石市鵜住居地区防災センターにおける東
日本大震災津波被災調査報告書』︵二〇一四年︶
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/6,28416,c,ht
︵二〇一四年一一月一六日アク
ml/28416/20140312-130741.pdf
セス︶
・川 惠里子「6章 長期記憶Ⅱ 知識の構造」高野陽太郎︵編︶
『認知心理学2 記憶』東京大学出版会︵一九九五年︶一一七│
一四三頁
︿寸評﹀
担当教員 菅 さやか
私が担当した教養セミナーでは、身近に起こる問題の
背景に潜む人間の思い込みをテーマにした講義を行っ
た。そして、問題の発生を未然に防ぐために、いったん
立ち止まって考える力を養うことを目標にした。
岩間君は、東日本大震災に遭っており、その時に身近
で起きた悲劇を取り上げ、今回の原稿執筆にあたった。
「避難所」という言葉の意味について、多くの人が誤っ
た思い込みをしていたことが、津波の犠牲者を生んでし
ま っ た と い う 分 析 に は、 私 自 身、 は っ と さ せ ら れ た。
「 避 難 所 」 や「 避 難 場 所 」 の 正 確 な 意 味 を 把 握 し て い な
い人は、実際に多くいるのではないだろうか。また、緊
急事態であっても、冷静に事態を判断する力を身に着け
るべきであるというメッセージも、真摯に受け止めなけ
ればならないと感じた。実際に震災を体験した岩間君だ
からこそ伝えられるメッセージは、まだ他にもたくさん
あるだろう。まずは、一人でも多くの人にこの文章を読
んでいただき、防災・減災についての意識を高めていた
だけることを切に願う。
77
性別による人の扱い方、扱われ方
坂 梨 駿
支配的なイメージが強い男性が適していると考えられやす
いのではないだろうか。一方女性には、支配的なイメージ
がないため、管理職には向いていないと判断されてしまう
可能性がある。
また、男女がそれぞれの性に期待される行動やパーソナ
リティを担うべきであるという態度︵伝統主義的性役割態
度 福富、二〇〇六︶を持つ人が多いことも、管理職にお
ける性差を生じさせている原因だと考えられる。例えば、
現在管理職の立場で人事を行うような人々は、
「男のくせ
に泣くな」や、
「女は早く結婚して子供をつくれ」「男は仕
事、女は家事と育児」と言われて育った世代であると考え
られる。そのため、伝統主義的性役割態度が強く、男性が
管理職を多く占めるといった、いわば男尊女卑の考え方を
容認する人が多いのではないだろうか。このように、性別
による扱い方や扱われ方の違いが、暗黙のうちに生じてい
ると考えられる。
最後にこれらの分析をもとに、性別による扱い方や扱わ
れ方の差を小さくする方法について考察する。まず、性別
に対するイメージが固定化されていることに、ひとりひと
り が 気 づ く 必 要 が あ る だ ろ う。 そ し て、 性 別 に 関 す る ス
キーマや態度が人間の行動や言動に影響するということを
知る必要がある。ただし、今回取り上げた問題は社会レベ
ル の 問 題 で あ る た め、 上 記 の 対 策 で 全 て を 解 決 す る こ と
は、難しいだろう。しかし、個々が意識的に上記の対策を
78
︵心理学科一年︶
厚生労働省が「平成 年賃金構造基本統計調査」の結果
を発表した。それに示された「役職別管理職に占める女性
割合の推移」によると、平成二四年における民間企業の係
長に相当する女性の割合は、全体の一四・四%であり、部
長に相当する割合はわずか四・九%にすぎなかった。これ
はほんの一例であるが、日本において社会全般に女性の管
理職の割合が男性と比べて極めて低いと考えられる。この
ようなことがなぜ起こるのであろうか。
私は、男女の性別に関する社会的スキーマによって上記
のような性差が生じると考える。社会的スキーマとは、人
や集団、社会的事象に関する構造化された知識体系のこと
︵一九八一︶の提唱した
である︵唐沢、二〇〇一︶。 Bem
ジェンダー・スキーマ理論によると︵福富、二〇〇六︶、
人 は、 セ ッ ク ス︵ 身 体 的 性 別 ︶ や ジ ェ ン ダ ー︵ 社 会 的 性
別︶などの知識構造に基づいてあらゆる情報を処理する。
例えば、日本では、「男性=支配的」、
「女性=従順な」と
い っ た イ メ ー ジ が 一 般 的 に 広 く 共 有 さ れ て い る。 そ の た
め、部下などをある程度支配する必要がある管理職には、
24
行えば、社会全体の認識も少しずつ変わるのではないだろ
いえ、まだまだその道のりは長いように見える。
うか。
本文で坂梨君が主張したいのは、
「男女平等を実現さ
せるために女性をもっと優遇すべきである」ということ
︽引用文献︾
ではないと考えられる。
「 性 別 の み を 理 由 に し て、 昇 進
・福富護『ジェンダー心理学』朝倉書店︵二〇〇六年︶
の機会を優遇したり奪ったりしてはならない」というの
・厚生労働省『平成二四年度賃金構造基本統計調査』
︵二〇一三年︶
が、彼の真意であろう。性別に限らず、世の中には様々
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/
な先入観が存在し、私たちはついそれらの先入観に頼っ
︵二〇一四年一一月一三日アクセス︶
z2012/index.html
て、他者を評価してしまう。しかし、今回、性別に関す
・ 唐 沢 穣「 第 章 認 知 的 表 象 」 唐 沢 穣・ 池 上 知 子・ 唐 沢 か お
る先入観の存在に気付いた坂梨君であれば、きっと他者
り・ 大 平 英 樹︵ 著 ︶
『社会的認知の心理学』ナカニシヤ出版
︵二〇〇一年︶一五二│一七一頁
を認識するときに、いったん立ち止まって考え、良好な
対人関係を構築していくことができるだろう。
︿寸評﹀
担当教員 菅 さやか
教養セミナーⅡ第二回では、他者に対する先入観が、
対人葛藤や差別などの社会問題を引き起こすことについ
て講義を行った。坂梨君は、日本社会において、管理職
に占める女性の割合が低いことに着目し、その原因とな
る心理的要因について考察した。
現在の内閣は、女性の社会進出を援助する政策に力を
入れており、社会全体にも、それを支持する意見が少し
ずつ広まってきているように感じられる。しかしその一
方で、坂梨君が主張するように、性別に割り当てられた
先入観や、伝統主義的性役割態度を当たり前のように受
容してしまっている人が多数いることも事実であろう。
昔に比べて、男女平等の社会が実現されてきているとは
79
6
ネズミと人のかかわり
酒 井 元 気
︵経済学科一年︶
一、はじめに
今の時代のネズミの扱いは、アニメーションのキャラク
ター、実験動物、ペットなど様々な面で人と関わりをもっ
ている。
本論は、昔に生きた人たちがネズミについてどのように
思 っ て い た の か、 ど う 関 わ っ て き た の か、 昔 の 人 の 生 活
や、受け継がれてきた説話から「昔のネズミ」について注
目し、考察してみたい。
二、古代のヨーロッパの認識
世界的にネズミは有史以前から人間が収穫した後の穀物
を盗んで食べる害獣である。収穫後の穀物は自然と切り離
された人間の所有物であり、それを食べるネズミは古今東
から引用︶。
西忌み嫌われてきた︵ネズミ││ Wikipedia
こ の よ う に、 主 に 害 獣 と し て 嫌 わ れ て い る 存 在 で あ っ
た。中世のヨーロッパではネズミは不吉な象徴であり、伝
染病を運んでくると考えられており︵実際にペスト流行の
媒介となった︶、さらに「ゾウはネズミが天敵」と信じら
れていた。
ドイツの民話の「ハーメルンの笛吹き男」という話がある。
あらすじは、ハーメルンに「ネズミ捕り」を名乗る男が
やって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの
駆除を持ち掛けた。人々は退治の報酬を約束した。すると
男は笛を吹き始め、ネズミの群れを惹きつけ、川におびき
寄せて、一匹残らず溺死させた。︵以下省略︶
このようにヨーロッパでは、害をなす存在、嫌われ者と
して、扱われてきた
三、日本での認識
まず生活の面で注目すると、倉庫の中の作物を守る「ね
ずみ返し」というネズミ除け、奈良時代には経典や作物を
守る益獣として、猫が輸入された。
つまり、害獣という点では、日本も同じであった。
ところが、昔話から見ると海外とはまた違う点が見られ
ることもあった。
・福ねずみ
むかしある所に、貧しいが正直者の爺さんが住んでい
た。
ある夜、爺さんは夢の中で自分を呼ぶ声を聞いた。爺
さんが声の方に行ってみると、雲の上に真っ白な髭の爺
様が待っていた。
80
白髭の爺様は台所をきれいにしろと爺さんに言った。
早速台所の汚れものを片づけ、ドブ掃除をした。掃除が
終わって爺さんが足を洗っていると、一匹のねずみが現
れ た。 ね ず み は 桶 の 水 に 飛 び 込 み、 真 っ 白 な ね ず み に
なった。
白ねずみを手拭に包んで抱き上げると、手拭の中から
重ね餅が出てきた。白ねずみはそれからもずっと爺さん
の家に居ついて、正直爺さんの家では良いことばかりが
続いた。
このようにネズミが人に幸福をもたらすという話がある。
ではなぜネズミが人に対して福を与えるのか、古来、害
獣と認識されているネズミが人に対して福を与えるという
のか、次の話を見てもらいたい。
・ねずみの予言
昔ある小さい村はずれに、おじいさんとおばあさんが
住んでいた。この家には、ねずみが大変多かった
ある日。ねずみ達が静かであることに気が付いたおば
あさんが、ねずみ達の会話を聞いてみた。今夜、山火事
があるのだという。
こ の 村 を 取 り 囲 む 野 火 止 め の 溝 が、 も う 少 し 広 け れ
ば、村は助かるのにと、話し合うねずみ達であった。お
ばあさんはびっくりして、おじいさんにねずみ達の話し
ていた話を伝えた。
おじいさんは急いで村人たちを集め、村人たち総出で
村 を 取 り 囲 む 野 火 止 め の 溝 を 広 げ た。 そ の 明 け 方 の こ
と、火事が起こった。しかし野火止めの溝を広げたおか
げで、村は助かった。
おばあさんはおじいさんに「ねずみ大黒」を作ってほ
しいと頼んだ。そしてこの村ではねずみ大黒をどこの家
でも祀るようになった。
しん
し
この昔話もネズミがまた人に良い方向に導いてもいる。
私は、この話の最後のねずみ大黒に何か理由があるので
はないかと考えた。
ねずみ大黒の大黒は、七福神で有名な大黒天︵食物・財
福の神︶であり、ネズミは大黒天の神使と呼ばれるもので
ある。神使とは神の眷属、神の意志を代行して現世と接触
す る も の と 考 え ら れ て い る 動 物 の こ と で あ る。
『日本書
紀』には特定の動物が神の意志を伝える説話があったとい
う。
昔話の中で神使という描写はないが、無意識の中で神聖
化し、福を運ぶもの、プラスの存在としても認識されてい
たのではないかと考察する。
こ の 二 つ の 話 以 外 に も ネ ズ ミ の 昔 話 は あ っ た が、 や は
り、ネズミが福をもたらす話や害獣として存在しているも
のの話の両方があり、伝える人の認識の差によって、扱い
81
の差が生まれたと考察する。
四、最後に
ネズミについて、昔のヨーロッパと日本に共通している
ことは、病気を運び、作物を荒らす害獣として書かれてい
ることである。この認識は、今の時代でも変わらない。
ただし日本は、神使という特別な概念を付加したことに
より、害獣でありながら、神聖な動物として見られてもい
た。当時の人は神使として見る人、ただの害獣として見る
人が入り混じり、二面性を持った面白い動物となったと思
われる。
︽参 考 資 料︾
・ネズミ││ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%
83%9F
・神使││ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BD%BF
・まんが日本昔ばなしデータベース
http://nihon.syoukoukai.com/
・『伊豆の民話』 岸なみ 未来社
・『周防・長門の民話』 松岡利夫 未来社
︿寸評﹀
担当教員 菅原 研州
「日本の昔話を通し
こ の 教 養 セ ミ ナ ー の テ ー マ は、
て、日本の文化を知ろう」である。子供の頃に接した昔
話 を 大 学 生 の 目 線 か ら 見 る こ と で、 か つ て は 気 付 か な
かったかもしれない、日本の文化・宗教、あるいは日本
人の感情などに触れてもらうことを目指した。
酒井元気君の研究テーマは、「ネズミ」であった。ネ
ズミが出てくる昔話は数多いが、その中から、日本人が
ネズミに対して、「害獣」と「神使」という二面性を捉
えていると考察した。
『まんが日本昔ばなし』
後者の理解を深めるために、
で 放 映 さ れ た「 ネ ズ ミ 浄 土 」 を 指 摘 し た い。 一 般 に は
「 お む す び こ ろ り ん 」 と い う 名 前 で 知 ら れ る た め、 あ ら
すじは省略するが、この話でもネズミは、地中に自分た
ちの異世界を持っていた。家の中にどこからともなく現
れるネズミは、異世界と繋がる存在として認識され、そ
の異世界が神仏の世界と考えられれば、ネズミに神使と
しての役割が付加されることになる。
このように昔話は、各時代・土地に生きた日本人が、
自分の環境をくまなく観察し、その上で、想像力豊かに
宗教的世界観を結びつけることで成立したといえる。
酒 井 君 の 研 究 は、 昔 ば な し に 出 て く る ネ ズ ミ を 研 究
し、我々が害獣として嫌悪してしまう対象を、別の面か
らも捉えた。酒井君には是非、今後とも柔軟な発想と、
鋭い洞察力を発揮して、よりよい大学生活を送ってもら
いたいと期待している。
82
《教養セミナーⅢ・Ⅳ》
グリム童話『白雪姫』を読んで
丹 賀 裕美子
︵歴史学科二年︶
私が「白雪姫」と言われて真っ先に思い浮かべるのは、
ディズニー映画の「白雪姫」である。しかし、他の白雪姫
を読んだことのない私でも、これがもともとの白雪姫とは
違う展開だということくらいは知っていた。だからこそこ
の授業で実際の白雪姫の話が学べると知って、グリム童話
の世界へ足を踏み入れてみたいと思った。
この講義でグリム童話の「白雪姫」を読んでまず面白い
と思ったのは、ドイツ語ならではの色彩表現だった。最初
に色が登場するのは物語の冒頭、白雪姫がまだ生まれる前
の彼女の母親の話だ。この部分で最初に出てくる色は、雪
の白と窓枠の黒檀の黒。この二つの色が表わしているのは
死の世界だ。そこに母親から流れ出た血の赤が登場し、物
語を生の世界へと誘っている。そこには一種の静と動のよ
うな感覚、何かが起こる前触れのような感じがある。そし
てその後それらの白、黒、赤の美しさを備えた白雪姫が生
まれる。つまりこの三色は白雪姫の美しさの象徴であり、
彼女が生まれることの暗示だったのだ。この部分は翻訳の
際に本の構成から省かれることが多く、実際私もグリム童
話を読んで初めて知った。しかし、最初の数行に出てくる
たった三色で、これから起こることをここまで臭わせるこ
とができるというのはとても面白く、知らなかったことが
勿体無いとさえ思えた。独特の色彩表現はまだある。国で
一番美しいのは白雪姫だと鏡に言われたお后様の顔色だ。
この時のお后様には、驚きと妬みから顔色が黄色くなった
り緑色になったりするという描写がある。ドイツ語では黄
色は妬みや憎しみを表し、黄疸などからも由来していて、
病的というイメージがある。緑色は怒りの色で、悪魔や不
健康な様を表す色。これが日本ならば、赤や青で表現され
るところだと思うと、文化の違いを改めて実感させられて
とても面白かった。 色の表現以外でグリム童話を読んで特に気になったの
は、小人たちのことである。原作のグリム童話において、
小人たちは七人いるということ以外これと言って個性はな
いが、ディズニーやドイツで制作された映画で観た白雪姫
では、小人たち一人一人に個性があった。グリム童話では
終始シリアスに進んでいく物語となっているが、小人たち
にそれぞれ個性が与えられることによって、話の雰囲気が
にぎやかなものへと変わっているように感じた。これは、
グリム童話が徐々に子供でも読みやすいものへと変化して
いったことの証なのだと思う。
83
印象に残ったことは他にもある。お后様が白雪姫を殺す
ための手段が毒りんごだけではなかったことだ。私が知っ
ている白雪姫は、いきなり毒りんごによって殺されてしま
う展開だったので、少し驚いた。お后様が用いた手段は、
最初が飾り紐、次に櫛、最後がりんごであった。そしてこ
れらにも、色と同じでそれぞれに連想させるものがある。
紐や櫛は美にこだわるのは何もお后様だけではなく白雪姫
もまた、年頃の娘として美を求めていることの表れだった
のだ。毒りんごにも意味がある。りんごというのはアダム
とイヴが食べた禁断の果実を連想させるもの、性の知識を
表すものである。この話を知って私はアダムとイヴが食べ
てはいけないと言われていた禁断の果実を食べてしまった
がために罰を受けた話と、小人たちから忠告を受けたにも
関わらず、知らない人から貰ったりんごを食べてしまった
ことによって死ぬ白雪姫には似たものがあると思った。
グリム童話を読んで感じたことはこれだけではない。白
雪姫に対する印象が、私の中で大分変っていった。ディズ
ニー版「白雪姫」を読んだ時の白雪姫に対する印象は、嫉
妬深いお后様から命を狙われる可哀想なお姫様だった。し
か し 今 回 の 講 義 を 受 け て、 実 は そ れ ば か り で は な い の か
も、という思いが湧いたのだ。その原因の一つとして、白
雪姫が、小人たちに何度忠告をされても、結局最後はそれ
を忘れて他人を家中へ入れてしまうことである。命を狙わ
れていることが分かっているのに、彼女は軽はずみな行動
を自らとってしまった。いくら幼かったとしても、これで
は殺されかけたことに多少自業自得な面があるような気が
した。また、物語の最後の部分に、白雪姫の眼前でお后様
が真っ赤に焼けた靴を履いて倒れるまで踊らされる描写が
ある。そこを読んだことによって、白雪姫は今まで私が抱
いていた可愛らしいだけの少女ではないのかもしれないと
思った。
グリム童話の「白雪姫」を読んで、童話というのはただ
幼い子供が楽しむだけのものではないということを実感し
た。童話の表現の一つ一つに深い意味が隠されていて、今
になって理解できることも多々あった。そう考えると、自
分が今まで読んできた他の童話をもう一度読み直してみる
のも、また新たな発見ができて面白いかもしれない。
︽テキスト︾
Schneewittchen. In: Kinder-und Hausmärchen gesammelt
durch die Brüder Grimm. Insel Taschenbuch 112, fünfte
Auflage, 1981.
︽参考文献︾
『メルヘン案内││グリム以前・以後』宮下啓三著、日本放送
・
出版協会 一九八二年
・『おとぎ話にみる死と再生││「白雪姫」の深層』テオドル・
ザイフェルト著︵入江良平訳︶、新曜社 一九八九年
84
︿寸評﹀
担当教員 糸井川 修
こ の 授 業 で は 学 生 の 皆 さ ん と 一 緒 に、 グ リ ム 童 話 の
「白雪姫」をドイツ語で読んでいます。テキストには決
定版︵第七版、一八五二年︶を用い、それと並行して兄
弟がまとめた原話︵エーレンベルク稿︶や活字となった
初 版︵ 一 八 一 二 年 ︶、 お 馴 染 み の デ ィ ズ ニ ー 版「 白 雪
姫」との比較も行って、本当の「白雪姫」を味わっても
らっています。
丹賀さんが触れている「色の表現」の面白さは、ドイ
ツ 語 の 原 文 を 読 ん で 初 め て 気 づ く 点 だ と 思 い ま す。 ま
た、邦訳のグリム童話には、子供への影響を考えてか、
書き換えられたり省略されたりしている部分が少なから
ずあります。そのような点を原文で注意深く読んでいく
と、童話に対する今までのイメージが大きく変わってく
ると思います。丹賀さんは、グリム童話だけでなくドイ
ツ語に対しても大きな関心を持ち、中級ドイツ語の授業
も 履 修 し な が ら、 こ の セ ミ ナ ー に 取 り 組 ん で く れ ま し
た。さらなる探究心をもってドイツ語やドイツの文化・
歴史の学習を続けてくれることを願っています。
85
教養セミナー・教養教育をふりかえって
名城公園キャンパスで
学んだこと
︵経営学科二年︶
宮 本 慎 也
今年、平成二六年四月から開校された名城公園キャンパ
スで学んでいるが、昨年学んだ日進キャンパスと大きな違
いがあると思った。日進キャンパスには多くの学部の学生
が存在しているが、名城公園キャンパスは私が専攻してい
る経営学部を含めて三学部のみの学生が存在する。そのこ
とで、学内の会話では似たような話題が多く出てくる。そ
れだけで雰囲気も違ってくるため、大学に入って初めてと
言ってもいいほど、やっと詳しく経営の勉強をしていると
感じた。商学や経済の友達もできるようになり、情報の共
有をするようにもなった。そのことにより自分の考えも変
わってきた。経営するということは、日本の市場や世界の
市場を知らないといけないし、売れる商品はいかにコスト
を抑えて作ることが良いかなど、学ぶことは多くあると分
かった。
今までの自分は、経営学部の学生だから経営のことだけ
勉強すればいいと思っていた。しかし色々な授業を受けて
いろいろな観点からモノをみることによっていろんなこと
が見えてきた。全ての授業を真剣に学ぶこと及び、家庭で
の手伝い等からも、必ず今後自分の役に立つことがあるこ
とが分って来た。例えば田中泰賢先生の英語の授業では京
都セラミック株式会社の創業者、稲盛和夫氏の著書から幾
つか英訳をおこなった。その中で稲盛氏は「人間は何のた
め に 生 き る の か、 と い う 根 本 的 な 問 い が 今 最 も 必 要 で あ
り、その哲学を確立することが必要である。精進して、心
を高めていくことが人生の目的である。」と述べている。
またアップルの創業者、スティーヴ・ジョブズ氏は親の手
伝いを好み、親から道具類を大切にすることを学んでいっ
た。 稲 盛 氏 や ジ ョ ブ ズ 氏 の 生 き 方 を 見 習 っ て い こ う と 思
う。
名城公園キャンパスのいいところはほかにもある。それ
は、教室に時計がないことである。日進のときは、教室に
時 計 が あ っ た た め、 時 間 を 気 に し な が ら 講 義 を 受 け て い
た。名城公園キャンパスは、時計が教室にないため、講義
に、 よ り 集 中 し て 受 け る こ と が で き る。 時 計 だ け で は な
く、教室の机が移動でき、少人数でのディスカッションが
86
できる。つまり、実際の企業と同じような空間で話合いが
できるため、企業での打ち合わせなどみたいな疑似体験を
感じることができる。パワーポイントを使ってプレゼンを
したりするのも、将来就職してから使えるスキルである。
都心に位置しているのが名城公園キャンパスの特徴の一
つでもある。日進キャンパスの時よりも、外部から多くの
人が訪れるので出会いも増えると期待している。私は、学
食 で 英 語 の 通 訳 を し て い る 人 に 出 会 っ た。 そ の 人 と 話 し
て、グローバル化が進んでいるため英語の必要性を教えて
いただいた。隣で留学生と英語で会話しているのを聞いて
いたが、何一つ理解することができなかった。通訳をして
もらっても文化の違いで考え方はまるで違う。海外の文化
と日本の文化を組み合わせることが、今の企業に必要なこ
とだと学んだ。
名城公園キャンパスの特色である都心に位置すること、
多くの人と出会い、いろいろな考えを聞くこと。そういっ
た中で学校生活を送ることができるため、勉強だけではな
く、社会人に近い環境を与えてくれる。それをいかにうま
く使い自分を成長することができるのが名城公園キャンパ
スである。これこそが、日進との違いであり一番学ぶべき
勉強であると思う。名城公園キャンパスに移動してまだ一
年しか経ってないが、多くの人の考えを理解し身につける
ことを学ぶことができると思っている。その機会はあと二
年残っている。この一年で学んだことよりもこれからの二
年はもっといいものにして社会に出て即戦力になれる人間
になっていきたい。
担当教員 田中 泰賢
︿寸評﹀
平成二六年四月から名城公園キャンパスでの授業が始
まった。私も名城公園キャンパスに週に一回出講してい
る。名城公園のキャンパスもまた益々発展していくこと
を祈っている。そういう中で私が担当しているクラスの
学生に名城公園キャンパスでの感想文を書いてもらっ
た。提出は一二月であった。宮本君は一年生の時学んだ
日進キャンパスと比較して述べ始め、名城公園の特色を
生かしていこうと決意している。
87
名城公園キャンパスでの
学びについて
︵経営学科二年︶
稗 田 愛
名城公園キャンパスで学校生活を送っていて、私は人と
人との交流が多いなということを強く感じます。名城公園
キャンパスは開かれたキャンパスで誰でも自由に入ること
が で き ま す。 日 進 キ ャ ン パ ス も そ う で し た が、 名 城 公 園
キャンパスは日進キャンパスに比べ近くに住宅地や商店街
があるため、学生や先生だけではなく地域の人たちとの交
流も持つことができます。
そのことを改めて感じるきっかけがありました。それは
学校内でお弁当販売を行ったときです。名城公園キャンパ
スは食堂の席が少なく、お昼の時間に食堂でご飯を食べる
ことができない人がいるという問題がありました。その問
題を解決するために学生からアンケートを取り、近くの商
店街のご飯屋さんを紹介するマップを作ったりして多くの
学生が活動しています。
ある授業の中で私が所属するグループもキャンパス内で
お弁当を販売するという企画をし、現在お弁当販売をおこ
なっています。キャンパス内でのお弁当販売の企画をして
から実際に販売を行うまでに色々と苦労がありましたが、
たくさんの人と話す機会があり、新たな人との出会いやつ
ながりが生れるきっかけになったと思います。
例えば販売するお弁当を作ってくれる人を探しに近くの
商 店 街 を 訪 れ た 時、 様 々 な 人 と 話 を し ま し た。 ど の 人 も
皆、実状を親身になって聞いてくれました。さらに私達の
活動に関心を持ってくれて、協力したいと言ってくれる人
達ばかりした。現在販売しているお弁当は商店街にあるN
PO法人の人たちが作ってくれています。そのNPO法人
に障害者の方もおられます。彼ら︵彼女ら︶も社会に参加
できるきっかけになるということで、販売を一緒に行って
います。
名城公園キャンパスが開かれたキャンパスでなければお
弁当販売を行うのはもっと難しかったと思いますし、地域
の方々とのつながりもこんなには生まれなかったのではな
いかと思います。また学校外の人たちと関わりを持つこと
で信頼関係の築き方や自分の考えの伝え方についても学ぶ
ことができました。私はもともとあまり積極的な性格では
ないので、商店街を訪れて地域の人と話すときもあまり自
分 か ら 話 す こ と が 出 来 ず に、 グ ル ー プ の 人 に 任 せ て し ま
い、相手から意見を求められてようやく自分の意見を言う
ということがしばしばありました。
しかし地域の方たちは皆の意見が聞きたいと言ってくれ
ましたし、あまり上手く意見が言えなくても待ってくれた
88
りして温かい対応をしてくれました。そのお陰でだんだん
と自分の意見が言えるようになりました。このように大学
での授業からだけでなく、地域の方たちからも学ぶことが
できます。これからもこの名城公園キャンパスでしっかり
と学び成長していきたいと思っています。
担当教員 田中 泰賢
︿寸評﹀
稗田愛さんは名城公園キャンパスで食堂が狭いための
問題解決のために行動している。解決の一助としてお弁
当販売を企画して、それを地域の方々とも相談して実行
している。
彼女の実行力は素晴らしいと思う。これからもますま
す勉学に精進されることを期待する。
名城公園キャンパスで
学んだこと
︵経営学科二年︶
小 島 秀 仁
僕が名城公園前キャンパスに来て良かったと思うこと
は、まず交通の便の良さです。よく言われていることなの
で、またか、という感じはあると思いますが、すこし詳し
く見てみると面白く、ありがたみがわかりやすいと思いま
す。
例えば、ぼくの場合はこちらのキャンパスに移ることで
乗り換えが一回削減され、三〇分の通学時間の短縮を実現
しています。乗り換えにかかる時間を、降車、改札、乗車
の、全てのプロセスを合わせて五分と見積もります。
ここから、車内でのフリーが五分、単純な空き時間が三
〇分、往復で一日一時間と一〇分が新たにフリーになりま
す。これでもうわかるかもしれませんが、これが週に五日
続いたらどうでしょう。さらに、ひと月続いたら? 僕ら
が一年生までの一年間、学校へ行くためと投資してきたう
ちの三〇分が、積もり積もってひと月で約二〇時間、これ
だけの時間を作ることができました。こう見るとすごいこ
とですよね。もしこれを時給八〇〇円のバイトに使ったら
89
一 六 〇 〇 〇 円 に な る し、 も し こ れ を 後 学 の た め の 読 書 に
使ったら、いろんな可能性が広がる、お金では計算できな
い価値に繋がると思います。
加えて、車内で一〇分をひと月集めれば二〇〇分、三時
間二〇分になります。これだけあれば、新書の一冊くらい
は読めると思うので、電車内で読める本が月に一冊増える
と 考 え れ ば、 こ れ も、 の ち に 繋 が る 一 冊 に な る か も し れ
ず、可能性を広げる手助けになります。
こうして、間接的にとは言えど、若者の可能性を広げる
手助けをすることができる、この交通の便のよさはもっと
意 識 的 に 評 価 さ れ る べ き だ と 思 い ま し た。 だ か ら、 こ の
キャンパスに来て僕が一番良かったと思うことはこの素晴
らしい交通の便のよさです。
次に僕が名城公園前キャンパスに来てよかったと思うこ
とは、地域連携センターの設置です。地域連携センターと
は、アガルスタワー一階の、受付裏にあるタワーの一角で
す。そこがどんな施設かといえば、名の通り、地域と連携
していろんな問題解決に励むという施設です。例えば、僕
は知多のほうの武豊という街で商品開発に携わった経験
と、鵜飼ゼミのつながりで、先輩がゼミで開発したくるく
る な ご み か ん を 販 売 し た 経 験 が あ り ま す。 加 え て 言 う な
ら、地域連携センターが関わったプロジェクトである、学
校の近くのやなぎはら商店街の活性化をはかるプレゼン
テーションを聞きにいったりもしました。
どれも、今までなかった地域連携センターの働きや活動
があったからこその経験で、これからの人生の肥やしにな
るような、ためになる経験ばかりでした。とくに、武豊の
商品開発では、商品開発の発端から関わることができたた
め、五∼一一月まで長く携わることができました。もちろ
ん、そこから学び得ることは読書からだけでは得られない
ような、体感的な体験も含まれています。
僕は、読書も大事だけれど、読書ばかりして机上の空論
をまくしたて、自分だけが正しいというような人間にだけ
はなりたくないと常々思っています。
ですから、この体で感じることのできる経験をするチャ
ンスをくれた地域連携センターは、僕が名城公園前キャン
パスにきて良かったと思うことの一つとして挙げられま
す。こうして、とてもいい環境で勉強させていただいてい
るので、これからもがんばりたいです。
担当教員 田中 泰賢
︿寸評﹀
小島君のエッセイに数字が出てくる。これが個性的で
面白いと思う。
新しいキャンパスで学べることは幸せである。
大いに研さんを積んで社会で活躍してほしい。
90
僕の見たドイツ
│ │ 語 学 研 修 と 一 人 旅
谷 澤 輝 紀
︵現代企業学科三年︶
グーテン・ターク︵こんちには︶! 僕は夏休みを利用
して、一ヶ月間ドイツに行ってきました。形の上では短期
留学ですが、そんなに大それたことではありません。それ
はまるで長期旅行のようなものでした。
僕がドイツに行きたいと感じたきっかけは、ご存じの方
もいるかもしれませんが、
「ロケみつ」というテレビ番組
でした。芸人がサイコロを振り、ヨーロッパを巡るという
もので、そこで紹介されたドイツの景色がとても美しく、
そしてもともと旅行が好きでアルバイトで貯めたお金の有
意義な使い方を考えていたため、ドイツ行きを考えるよう
になりました。第二外国語でドイツ語を履修していた担当
の 先 生 の と こ ろ に 相 談 に 行 く と、 ゲ ー テ・ イ ン ス テ ィ
テュート︵以下ゲーテと略記︶という語学学校を紹介され
ました。最初は旅行で行くつもりでしたが、思いのほかお
金がかからず、ゲーテは世界中からドイツ語を学びたい人
が集まる学校だと聞いて、とても面白そうだと感じ、語学
留学に切り替えました。
みなさんはドイツについてどのような印象をお持ちです
か? 僕 が ド イ ツ に 行 く 前 に 持 っ て い た イ メ ー ジ は、 お
城、ソーセージ、まじめ、サッカーぐらいでした。実際に
行って感じたことは、とても素晴らしい国だということで
す。僕は一ヶ月間ドイツ南部にあるシュヴェービッシュ・
ハ ル と い う 小 さ な 町 で ド イ ツ 語 を 学 び、 そ の 後 十 日 間 を
使ってドイツの主要都市を周りました。ドイツの人々は印
象 通 り ま じ め で、 と て も 親 切 で 優 し い 人 ば か り で し た。
困っている人がいたら助けるというのは日本でも同じです
が、ドイツ人は日本人よりも親切であると感じました。階
段や電車などで重たい荷物を持っている女性や子供がいれ
ば、当然のように誰かが助けます。僕自身も道に迷って地
図を眺めていると通りかかった人が話しかけて道を教えて
くれ、大きなリュックを背負っていたからでしょうか、電
車の席を空けてもらうこともありました。町によって人の
雰囲気は違いますが、出会った人たちは優しい人ばかりで
した。
語学研修を終えてから一人でドイツの色々な町を訪問し
ましたが、どの町もとてもきれいで、それぞれの味があり
ました。ただ、観光にはよくても、住むのに適しているの
かと言われると、そうでないように思われる町もありまし
た。 僕 個 人 の 印 象 で は、 観 光 で 行 く と 良 い 町 は、 ベ ル リ
ン、ブレーメン、フュッセン、ローテンブルク、そして住
み や す そ う な 町 は、 シ ュ ヴ ェ ー ビ ッ シ ュ・ ハ ル、 ハ ノ ー
91
ファー、ハーメルンです。首都ベルリンは、観光はもちろ
ん買い物も楽しむことができました。フュッセンには、有
名なノイシュヴァンシュタイン城があります。知っている
方も多いと思いますが、これはディズニーのシンデレラ城
のモデルになったお城です。観光客が多く、お城の入場券
を買うのに一時間、そこから入場の時間まで二時間、計三
時間ぐらいかけてお城に入ることが出来ました。お城の中
では日本語の音声機械を使って、お城の歴史や知識を知る
ことが出来ます。お城の窓から見た光景は、今まで見た何
よりもきれいなもので、まるで王様になった気分でした。
メルヘン街道のブレーメンには、有名な「ブレーメンの音
楽隊」の像がありました。ロマンチック街道のスポット、
中世の城壁を残すローテンブルクはクルミ割り人形のお店
がたくさんあり、街並みがとてもかわいらしいです。住み
やすそうな町はどこも空気がきれいで、比較的落ち着いて
いる印象を持ちました。
僕が語学研修のために住んでいたシュヴェービッシュ・
ハ ル は、 人 口 三 万 七 千 人 の 比 較 的 小 さ な 町 で す が、 ス ー
パー、薬局、文房具店など生活に必要なものは問題なく手
に入ります。 & やレストランやアイスクリーム屋さん
などもあり、授業後はよく友達と町中を探索しました。中
心部は一日もあれば周れてしまうのですが、何とも言えな
い町の良さがあり、毎日のように探索しました。もし留学
を考えている人がいたらオススメです。
H
M
食 べ 物 に つ い て は、 僕 は 好 き 嫌 い が と て も 多 く、 毎 日
ソーセージとパンばかり食べていました。ソーセージ屋と
パン屋は、どこに行ってもたくさんあります。ソーセージ
は基本的に五百円︵三∼四ユーロ︶もあれば買えて、朝ご
飯や小腹が空いた時などにオススメです。パンもたくさん
種類があります。僕は毎朝ブレッツェルというドイツ名物
のパンともうひとつ違う種類のパンを買って食べていまし
た。ブレッツェルは塩の効いたパンですが、店によっては
マーガリンが塗ってあり、食感や味が微妙に違ってその違
いを楽しんでいました。
僕が通っていたゲーテの語学学校は、世界中からドイツ
語を学びたい人が集まる学校で、僕のクラスもイタリア、
ウクライナ、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、ロシ
ア、エジプト、ザンビア、中国、日本という十ヶ国一五人
編 成 の ク ラ ス で し た。 僕 が い た A 1︵ 入 門 ︶ の ク ラ ス で
は、基礎中の基礎から教えてもらいました。クラスメイト
は一〇代から三〇代までいましたが、一つの問題をみんな
で一緒に考えて解いて盛り上がる感じは、他では体験する
ことのできない喜びでした。少しずつドイツ語を覚え、片
言 で は あ り ま す が、 相 手 と 会 話 で き た 時 の 喜 び は 格 別 で
す。シュヴェービッシュ・ハル校のゲーテは他のゲーテと
は違い、規模が小さい分学校全体のイベントがほぼ毎日行
われ、クラスが違う人とも仲良くなることができます。現
地 で 知 り 合 っ た 日 本 人 の 友 人 の 中 に は、 他 の ゲ ー テ に も
92
行ったが規模が大きくて学校全体のイベントはなく、クラ
スメイトで数回飲みに行っただけであまり面白くなかった
ため、シュヴェービッシュ・ハルに帰ってきた人もいまし
た。
ゲーテでの一番の思い出は、学校のイベントで行ったベ
ルリン旅行です。日本人の友達と参加しましたが、クラス
メイトのイタリア人に誘われてイタリア、スペイン、ロシ
ア、台湾の人達と一緒に行動することになりました。イタ
リア人の友達以外は学校で見かけただけでしたが、町を探
索している内に自然と仲良くなることができました。特に
どこかに行ったわけでもないですが、世界各国の人と何気
ない散歩をする経験はこれからの人生でもないと思いま
す。とてもいい経験ができました。また帰りのバスではイ
タリア人の友達がイタリア国歌を熱唱して、こちらを向い
たのでヤバいと思っていたら、案の定アニソンを歌えと言
われました。ドラゴンボールの歌を歌ったら、とても盛り
上がりました。その時はとても恥ずかしかったのですが、
今ではいい思い出です。ドイツ語も楽しんで学ぶほうが自
然 と 身 に つ く と 思 い ま す。 そ れ が で き る の が シ ュ ヴ ェ ー
ビッシュ・ハル校です。
語 学 研 修 を 終 え て か ら、 せ っ か く ド イ ツ に 行 く の な ら
色々なところを周ってみたいということで、色々な町を訪
れました。ドイツを電車で周遊する際、普通に切符を買う
とかなり高額になります。そこで便利なのがジャーマンレ
イルパスです。ドイツ語の先生に教えて頂いたのですが、
一〇日間三万円前後で乗り放題です。僕はこれを使いまし
た。また旅の最中、困ったのが宿です。日本国内であれば
ある程度のプランをたてることができますが、ドイツでは
一日でどのくらい周れるかがわからず、最初に全ての宿を
抑えることが出来ませんでした。そのため僕は毎日泊まっ
を利用し、ホステルワールドと
たユースホステルの Wi-Fi
いうサイトを使って次の日の宿を抑えていました。どこの
ホテルもそれなりの値段がするので、僕はユースホステル
を利用しました。ユースホステルは基本的に二段ベッドが
複数ある部屋で、知らない人と相部屋でした。そこでの会
話は基本的に英語だったので、英語の苦手な僕はあまり深
い話ができませんでしたが、TVで一緒にサッカーを見て
盛り上がったり、自分の国の話をしたりしました。
この一〇日間での一番の思い出は、ノイシュヴァンシュ
タイン城で出会った家族です。お城に入る待ち時間があっ
たので椅子に座っていると、隣に座ってもいいかと聞かれ
た の で Bitte!と 答 え ま し た。 ま だ 時 間 が あ っ た の で、 勇
気を出して話しかけてみるとドイツ語の先生をしている方
で、簡単なドイツ語で色々会話をすることができました。
たまたまお城の入場時間が同じだったので、良かったら自
分の家族と一緒に周らないかと誘ってくれ、一緒に周るこ
とにしました。本当であれば一人だったのですが、その人
達 と 話 を し な が ら 周 る こ と が で き、 と て も 楽 し か っ た で
93
ノイシュヴァンシュタイン城で出会った家族と
す。自分のドイツ語についても、進歩を実感できた体験で
した。
最後に、まとめの感想を書きたいと思います。初海外、
初の飛行機利用など出発前から不安はたくさんありました
が、いざ行ってみてもやっぱり不安だらけの毎日でした。
しかし一ヶ月という期間はあまりにもあっという間でし
た。帰るときはとても名残惜しくて、今でもまた行きたい
と思います。それぐらいドイツという国は素晴らしい国で
した。出発前、僕は今回の旅行を通して成長できたらと考
えていましたが、正直なところ、あまり変わったと感じて
いません。しかし迷って何もしないより、はるかに良かっ
た と 思 っ て い ま す。 も し 同 じ よ う に ど こ か へ の 海 外 留 学
や、留学でなくても何かにチャレンジしたいという人がい
れば是非チャレンジしてほしいと思います。今回の旅行で
一番大切だと感じたのはチャレンジする気持ちです。何事
でも自分から積極的に行動しないと始まりません。そして
大学生の間は、それが一番できる期間だと思います。この
貴重な時間を無駄にしないように、何事も迷ったら積極的
に行動してみて下さい。
94
ゲーテのクラスメイトと(筆者左端)
青山俊董老師の講話を聴いて
柴 田 泰 聡
︵歴史学科四年︶
瀬戸内寂聴さんが、その徹底した修行に対する姿勢を高
く評価するという、青山老師とはどんな方なのか。期待と
緊張の交った不思議な気持ちを抱いて、楠元キャンパスに
集合した。樹木が生い茂り、都会の真ん中にいることを忘
れてしまいそうな坂道を登り切ると、青山老師の活動の拠
点、正法寺に着いた。
正面脇にある掲示板が目に留まった。坂村真民の「足の
裏」という詩だ。尊いのは頭や手ではなく足の裏であると
いう。なかなか味わい深い詩である。
迎えに出てくださった雲水の案内で本堂に入った。
黄梅山正法寺には、百年の歴史がある曹洞宗の尼僧修行
道場、愛知専門尼僧堂がある。外国人を含むたくさんの雲
水が青山老師の指導のもとで修行中である。
今回は、教職研究会の活動として、愛知専門尼僧堂で行
われている月一度の日曜参禅会に参加し、青山俊董老師か
ら直接、坐禅の指導を受け、講話を聴く機会に恵まれた。
堂 内 で は、 午 前 の 部 の 講 義 が 続 い て い た。 道 元 禅 師 の
「正法眼蔵」についてだ。ざあっと見渡すと百人ほどの皆
さんが熱心に青山老師の講義に耳を傾けていた。後から分
かったことだが、午後、私たちのために特別講義を企画し
てくださったため、午後の分を午前中で終えてしまうとい
うことだったようだ。正法眼蔵を原文のまま読みながら解
釈して行くので、なかなか難しい。午後の講話もこんなに
難しかったらどうしようと正直思った。
講義が終わると、精進料理が振る舞われた。料理をいた
だ き な が ら、 細 か な 食 事 の 作 法 に は 戸 惑 っ た が、 最 後 に
は、たくあんを一枚残し、汁椀に湯を注ぐ。お湯の入った
お椀やおかずの器をたくあんで、全部こそげ取る。順番は
忘れたが、最終的には全部の器をきれいにする。そして最
後に飲む。
「生」を分けてもらっているのだから、残した
り、むだにしたりしないよう、命の大切さを改めて考える
ことができた。
午後の部は、坐禅に臨んだ。外の雨音や鳥の鳴き声など
自然の音が聞こえてきた。と同時に、日常考えていること
や感情が無の状態になり、普段何気なく聞いていた音や坐
禅堂に漂う香りが刺激的だ。
続いて、老師の講話をお聴きした。講話は、教師になる
私たちのための話題もあり、時折、黒板を用いながら、人
としての心得を諭してくださった。
「下農は
私が特に感銘を受けたことがある。東井義雄の
︵注︶
雑草を作り、中農は作物を作り、上農は土を作る」という
言葉だ。農業においては、土づくりが必要で、よい土壌が
95
なければよい作物は育
たない。教育の世界も同
じで、よい環境づくりが
子どもにとって良い影
響を与える。下準備が次
のステップを左右する。
土壌づくりは、どんなと
きも必要不可欠である
と考えた。
青山老師の講話をお聴
きして、教職に就く者へ
の心得などさまざまなこ
とを学ばせていただい
た。精進料理や坐禅、説
教などを聴く機会がなかった私にとっては、すべてがかけ
がえのない体験になった。非日常を過ごして、自分の知ら
なかったことを学ぶ喜びを改めて味わうことができた。
担当教員 八谷 芳樹
︿寸評﹀
大野学長と内田事務局長のお力添えのおかげで、念願
かなって、青山老師の講話を学生ともに拝聴することが
できた。ご多忙の中を予定を変更して私たちの願いを聞
いてくださったご老師にこころから感謝したい。
教職に就く学生たちにぜひと思ってきたことが二つあ
り、一つは「永平寺一夜参禅」に、もう一つが「青山老
師の講話」である。今回は、教職研究会が企画し、教職
研究会と、四年生で教職を目指している学生のうち希望
者が参加した。
柴 田 君 は、 一 年 次 か ら 教 職 を 目 指 し て が ん ば っ て き
た。昨年末には小学校の教員免許も取得できた。四月か
らの仕事に胸を膨らませていることだろう。
柴田君が冒頭で紹介している坂村真民の詩「尊いのは
足の裏である」を以下に紹介する。
尊いのは頭でなく 手でなく 足の裏である
一生人に知られず 一生きたない処と接し
黙々として その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの しんみんよ
足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ
頭から光がでる まだまだだめ
額から光がでる まだまだいかん
足の裏から光がでる そのような方こそ 本当に偉い
人である
︵注︶昭和の教育者東井義雄著「村を育てる学力」
96
ドイツに恋して │ │ 語 学 研 修 で の 出 会 い と 感 動 │ │
西 尾 綾 夏
︵現代社会学科二年︶
私は、夏休みにドイツに行った。
ドイツ語を学びたいと思ったのは、大学に入り一年が過
ぎようとしていた頃だった。「ドイツ」との出会いは、ア
ニメだった。自分の好きなキャラクターの話すドイツ語や
アニメのオープニング曲で使われているドイツ語の意味を
知りたい、という理由で二年生の春からドイツ語を履修し
た。講義を受け、文法や単語を覚え、どんどんドイツが好
きになっていった。同時にドイツに行ってみたい、と思う
ようにもなった。そんな折、担当講師からドイツへの語学
研修の話を聞き、これだ! と、五月には心を決めた。幸
運にも、親からの反対も無く、ドイツに行けることとなっ
た。
ドイツ行きを決めてから、まず何をしたらいいのかわか
らず、先生や昨年ドイツに行った先輩の助けを借りて準備
を進めた。自分はドイツ語どころか英語ですらまともに話
せない。人生初の海外滞在であり、ひとりぼっちだったの
で出発が近づくにつれ、言いようのない緊張に襲われた。
空港まで母親の見送りがあった。当たり前だが、ゲート
をくぐれば一人になる。空港って広いんだな、と現実逃避
をしながら無事に飛行機に乗り込んだ。フィンランド航空
を使ったので、ヘルシンキでの乗り換えがあった。乗り換
えの飛行機に乗り遅れそうになったが、優しいお婆様方と
入国審査のお兄さんに助けて貰い、間に合った。ミュンヘ
ンの空港からミュンヘン中央駅まで移動するため、駅で電
車を待っていると日本から旅行で来たという女性二人と出
会った。なんと、ホテルが一緒。夕食にも誘って貰い、ド
イツ一日目はハプニング無く終わった。
二日目、お世話になった二人と別れ、語学研修先である
ゲーテ・インスティテュート︵以下、ゲーテと略記︶に向
か っ た。 ク ラ ス 分 け の 簡 単 な 面 接 が あ り、 私 は ア ル フ ァ
ベートからのクラスになった。面接を担当していた先生は
簡単な英語で話してくれたが、私はすらすらと話せず言葉
の壁を感じた。面接が終わってから一ヶ月お世話になる寮
へと向かったが、なかなかたどり着けなかった。しかし、
ゲーテの生徒らしき中国人の女性とドイツ人の親子に助け
られ、無事に着くことができた。私はこの寮で、年上の友
人ができた。彼女は日本人で、とてもドイツ語が堪能であ
りドイツについても詳しかったので本当にお世話になっ
た。日本に帰ってきた今でも連絡を取り合っている。
三日目、緊張しながら怖々とゲーテの教室にかった。ク
ラスメイトは、アメリカ人三人、イタリア人二人、イギリ
97
ス 人、 ト ル コ 人、 イ ン ド 人、 ロ シ ア 人、 リ ビ ア 人、 ベ ラ
ルーシ人、スリランカ人、台湾人がそれぞれ一人ずつで日
本人は私一人だった。基礎レベルの基礎のクラスで、ドイ
ツ語が分からない人しか居ない。よってクラスメイトとの
会話は英語だった。皆、優しい人で話しかけてくれたが、
私はほとんど会話に付いていけなかった。しかし、皆、私
が 理 解 す る ま で 話 し か け て く れ た。 食 事 に も 誘 っ て く れ
た。授業中の作業も簡単な英語で話しながら楽しくやるこ
とができた。ゲーテの先生からは「声が小さい。ドイツ語
は演説をするように話すのよ」と言われ、イタリア人から
は「もっと君のこと話して」
、ロシア人からは「日本語は
音が綺麗」と言われた。些細な会話がとてもうれしかった
事を覚えている。お世話になったのはインド人とスリラン
カ人の女性二人で、特にスリランカ人の彼女は授業中に私
が固まっていると「どうしたの?」と気遣ってくれた。彼
女とは今もメールしている。とても優しい女性で、いつも
心配してくれた。日本の授業とは全く違う積極的参加スタ
イルの授業、答えが間違っても皆全く気にしない雰囲気、
とても楽しく学ぶことができた。最後の授業でイギリス人
の男性に「あなたの隣の席で良かった」と言われ、泣きそ
うになった。
ドイツに滞在する前、ドイツ語を話す時には「話すぞ」
という気合いが必要だった。その意識が変わったのはドイ
ツ滞在四日目、スーパーに買い物に行った時の女性と肩が
ぶ つ か る、 と い う 出 来 事 か ら だ。 私 は 言 葉 が 出 て こ ず、
黙 っ て し ま っ た が、 女 性 は 何 で も 無 い よ う に
Entschuldigung!と、さらっと言って去って行った。その
ことが私には衝撃だった。あっ、それでいいのだ、と。そ
れからゲーテの授業でも、
「話さなければ!」という姿勢
で は な く 自 然 体 で ド イ ツ 語 を 学 び 話 す こ と が で き た。 ま
た、先ほども触れたが、ゲーテの授業スタイルは「間違っ
ても大丈夫だから、とりあえず疑問に思ったことや習った
単語を口で発音する」というもので、間違ったドイツ語で
も全く気にした様子も無く発言するクラスメイトやその発
言に対して丁寧に対応する先生などに後押しされ、ドイツ
語を話す気合いも恥ずかしさも無く、積極的に発言できる
ようになっていった。
私は午前のクラスで、午後は自由時間だったため、毎日
ぶらぶらとミュンヘン観光をした。天気のいい日には五時
間ぐらいは歩いて回った。初めての海外だったので何を見
ても新鮮だった。近郊にあるダッハウ強制収容所に行けな
かったことが心残りだが、市庁舎や教会、ニュンフェンブ
ルク城、博物館や美術館など多くの観光スポットに出かけ
た。休日を利用してノイシュヴァンシュタイン城やオース
トリアのザルツブルクにも行った。有名な観光地には日本
人観光客も多く、よく情報交換や写真の撮り合いをした。
また、片道三時間ぐらいかけて、どうしても行きたかった
プロイセン王国の要塞ホーエンツォレルンブルクにも行っ
98
いか
ドイツの名物:ヴァイスビーア、
ヴァイスヴルスト、ブレッツェル
た。ここには、寮で知り合った日本人女性と行ったが、本
当に格好いいお城で辺境まで来て良かったと思わせてくれ
た。また、彼女とは、よくカフェやご飯を食べに行ったり
もした。
「ドイツ人は天気がいいと、たとえ寒くても出かける」
と彼女が言っていた通り、気温が十五度の寒い日でも太陽
が見えていれば皆カフェの外席に座っていた。私も二週間
ぐらいでそのスタイルになっていた。どんなに疲れていて
も、「あ、晴れた! 出かけなきゃ!」と思考が働くよう
になった。また、リンゴを鞄から取り出し、信号を待って
いるときなど、食べたいときに食べる習慣に憧れ、私もよ
く真似した。
つくて怖い」なんてイメージがあった
「 ド イ ツ 人 は 厳
筆者、スリランカとインドからのクラスメイト
が、みな親切で紳士だった。レディーファーストの待遇を
初 め て 経 験 し た し、 道 に 迷 っ て い る と す ぐ に 助 け て く れ
た。重たい荷物を何も言わずに持ってくれ、ゆっくりと話
してくれた。言語も文化も人種も違うのに、いやな顔をせ
ず に 親 切 に し て 貰 っ た。 日 本 に は お も て な し の 文 化 が あ
る、とよく聞くが、仕事以外で当たり前のように助けてく
れるドイツの人々には驚き感動した。私は今まで外国人が
日本で困っていても、英語が不得意という理由で見て見ぬ
ふりをしてきた。そんな自分をとても恥ずかしく思った。
ドイツに滞在した一ヶ月間に、本当に色々な経験ができ
た。 自 分 の 国 の こ と も ド イ ツ の こ と も ま だ ま だ 勉 強 不 足
で、一人前なんてほど遠い。でも、ドイツに行かなければ
気がつかなかった。行って良かった、本当に。もしかした
ら気持ちを共有できる仲間と行った方が楽しかったかもし
れないが、一人でなければこんなに多くの出会いも体験も
できなかっただろう。ドイツに行って、前よりももっとド
イツが好きになった。また行きたいと、心から思う。
99
教養セミナーを受講して
中 西 恵 子
︵心理学科三年︶
大学と高校では様々なことが異なります。例えば、高校
のときのような「学級︵クラス︶」がないことです。こう
なると大学には悩み事や心配なことを相談できる先生がい
ないのではないかと思うかもしれませんが、心配はいりま
せ ん。 教 養 セ ミ ナ ー を 担 当 し て 下 さ る 先 生 が「 ア ド バ イ
ザー」となってくださるので、勉強のことだけでなく、悩
み事などを相談することができます。私がアドバイザーに
選 ん だ 先 生 の 教 養 セ ミ ナ ー で は、 春 学 期 は 文 章 の 書 き 方
を、秋学期は筋道を立てて問題を解決する方法を学びまし
た。
私はもともと文章を書くことが苦手でしたが、苦手なこ
とから逃げるのではなく、苦手なことを克服し、しっかり
した文章の書き方を学びたいと思い、山名先生の教養セミ
ナーを受講することにしました。現在、私は四年生になり
ましたが、大学に入学してから、多くのレポートを作成し
てきました。高校生の頃の自分は、文章の書き方やレポー
ト作成の方法が全くわかりませんでした。しかし、この授
業を受けることによって、論文を書くことに対する不安は
なくなりました。
秋学期に学んだ問題を解決する方法は、サークル活動で
役に立ちました。私は所属するサークルの会長を務めてい
たことがあり、当時は様々な問題を抱えていました。その
ようなとき、このセミナーで問題に対処する際の心構えや
方法を学んだおかげで、今までより広い視野で物事を見る
こ と が で き る よ う に な っ た り、 柔 軟 に 対 応 で き る よ う に
なったことを実感することができました。
新入生の皆さんが教養セミナーを選ぶときは、苦手なこ
とを克服できそうなものや、得意なことを伸ばせそうなも
のを選ぶとよいと思います。苦手なことを克服し、得意分
野を伸ばすことによって、自分に自信がつけば、大学生活
や将来への不安が少なくなると思います。私は一年間受講
したことによって、相当な力が身についたことを実感でき
ています。また、教養セミナーを担当なさる先生がアドバ
イザーとなるので、授業内容だけでなく、自分との相性も
考えて選ぶとよいと思います。最後に、一年生のときによ
り多くのことを学んで下さい。それが貴方の大学生活を豊
かにするはずです。
100
教 養 部 学 習 支 援 室 L .A .活 動 報 告
平成二六年度秋学期の
教養部学習支援室L.A.活動
佐藤友哉・神田幸大
稲垣知哉・市川 遥
両角友穂・髙橋 萌 ︵年齢順︶
寺谷直輝 ︵ボランティアスタッフ︶
本稿は、平成二六年度秋学期の教養部学習支援室L.A.
︵以下教養部 L.A.と略︶が、どのような理念のもとに、
また、それを具現化するために、どのような学習支援活動
を行ったのかについてまとめたものです。
「L.A.︵ラーニング・アシスタント︶
」は、本学が推進
︵ 学 生 同 士 が 互 い に 助 け 合 い、 学
し て い る Peer Support
び合う仕組み︶の一環としての、「学び伝え合う学び合い
︵学び合い︶」の実現を目標とした学生たちの活動です。そ
の多くは、授業において先生と学生のパイプ役を担うもの
であり、授業中に学生が困っていることに対して、学びの
支 援 を 行 い、 ま た、 そ の 支 援 を 行 う 中 で、 L.A.自 身 も
様々なことを新たに学ぶというものです。
しかし、本学のL.A.活動には、このような授業におけ
る 活 動 以 外 の も の も あ り ま す。 そ の ひ と つ が 教 養 部 L.
A.活動です。教養部L.
A.
の目指しているものは、前述
の「︵授業内での︶学び合い」ではなく、学部・学科を超
えた「︵授業外での︶学び合い」の実現です。
本 学 は 多 く の 学 部・ 学 科 を 有 す る 総 合 大 学 で あ り、 ま
た、多領域の学問を取り扱う教養部も存在しています。そ
のため、広い分野の学問を扱う教養部のもと、総合大学な
らではの様々な領域を繋げることにより、学部・学科の枠
を超えた、異なる領域からの視点で自身の専攻する学部・
学科を見つめなおすことができます。教養部L.
A.が目指
している「学び合い」は、教養部所属のL.A.だからこそ
できることではないでしょうか。
また、授業外に学生同士でインプット・アウトプットで
きる機会を提供することも教養部L.A.だからこそできる
ことです。大学を卒業したあとは、インプットするだけで
はなく、それを他者に「伝わる」ようにアウトプットする
ことが求められます。しかし、大学で受ける授業の多くは
講義科目であるため、アウトプットする機会が多いとはい
えないかもしれません。
101
私たち教養部L.A.は、こうした考えに基づき、学科・学
た企画であるといえるでしょう。
部の枠を超えた学習支援を確立することや授業外に学生同
これらの企画は多くの方々の協力を得て実施することが
士でインプット・アウトプットする機会を提供することを
できました。しかし、広報展開が不十分であったこと、教
目 標 と し、 そ の 目 標 を 達 成 す べ く、 今 年 度 秋 学 期 に、
養部L.A.と多くのL.A.
との違いや教養部L.A.の活動
」と「ストリート講義」
「 Workshops on Active Learning
︵存在︶が多くの学生に認知されていないことなど、反省
を企画・実施しました。
すべき点もないわけではありません。
」は、様々な学部・学
「 Workshops on Active Learning
また、企画の準備についても、企画の構想から実施に至
科の学生と教養部の先生に集まっていただき、「学び」に
るまで、予想以上に時間がかかり、当初計画した以上の時
ついてのテーマで議論を交わすという企画でした。ここで
間が必要でした。広報は最低でも一週間前には始めなけれ
は、学びに対する学生や先生の想いを出し合い、学生と先
ばならず、会場も準備する必要があります。リハーサルや
生が同じテーマで話し合うことにより、自分とは異なる視
シミュレーションは必ず細部まで行っていなければ、当日
点を知ることができました。これは、参加した学生にとっ
発生する様々な問題に素早く対応できません。特にシミュ
ては、学部・学科の枠を超えた、異なる領域からの視点で
レーションには最も時間がかかりました。自分たちである
自身の専攻する学部・学科を見つめなおす企画となりまし
程度の予測をし、部屋の準備や机の配置を考えなければな
た。
らなかったからです。しかし、こうしたシミュレーション
「ストリート講義」では、学生たちに、興味・関心のあ
を通じて、想像力や決断力の必要性を学ぶこともできまし
る テ ー マ を 自 由 に プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン し て も ら い、 イ ン
た。
プットした知識をアウトプットする機会を設けました。聞
A.
は様々な企画を通じ
以上のように、私たち教養部L.
き手は、話し手のプレゼンテーションを聞くことで知見を
て、 学 生 の 皆 さ ん に 学 習 支 援 の 機 会 を 提 供 し て き ま し た
広げることができ、また、話し手は、自ら学んだことをそ
が、しかし、これは同時に、私たちL.
A.
自身もその運営
の関連知識の無い他者に説明するという制約のもと、いか
の過程で学習支援の機会を皆さんからいただくことができ
に自らの学びを他者に伝えるかを考えることで、自身の学
たということでもありました。これは学生の皆さんと私た
びを再確認することができました。これは、教養部L.A. ち教養部L.
A.
とのあいだでも「学び合い」が実現できた
が目指している、授業外での「学び合い」の実現を意識し
ということにほかなりません。
102
教養部L.A.は昨年度秋学期から始動したばかりで、ま
だ試行錯誤の段階です。これからも少しずつ、能動的で協
力的な相互学習の文化が広まるように努力する必要がある
でしょう。今後の教養部L.A.活動でも、学生の皆さんが
求めている学習支援の機会を引き継いでいっていただきた
いと思います。今回の私たちの学習支援活動がそのきっか
け と な っ て、 学 部・ 学 科 を 超 え た「 学 び 合 い 」 が 本 学 の
の ひ と つ と し て 根 付 け ば、 こ れ 以 上 に う れ
Peer Support
しいことはありません。
最 後 に、 平 成 二 六 年 度 秋 学 期 教 養 部 L.A.活 動 に ご 参
加・ご協力してくださった学生・教職員の皆様、悩んでい
る時に支えてくれた家族と友人に、この場を借りて感謝と
お礼の言葉を申し上げます。ありがとうございました。
103
教養セミナー 学 生 論 集
《教養セミナーⅠ・Ⅱ》
アルフォンス・ミュシャ
豊田 真理
(日本文化学科1年)
1860年のチェコスロバキア生まれ
です。出世作は、1895年にある舞
台女優の芝居のために作成した「ジ
スモンダ」というポスターです。そ
れにより、彼は一躍有名になりまし
た。その女優というのが、このサラ・
ベルナールという人です。そして、
私は、アルフォンス・ミュシャと
その「ジスモンダ」というポスター
いう一人の画家について発表したい
がこちらです。
と思います。
世紀末のパリに出て、鳴かず飛ば
この人の名前を聞いたことのない
ず=無名のミュシャでしたが、この
人でも、この人の絵を見たら、
「あ、
ポスターを描いたことによって、一
見たことがあるな。
」と言う人がい
夜にして有名になりました。また、
ると思います。
この女優サラ・ベルナールにとって
ア ル フ ォ ン ス・ ミ ュ シ ャ は、
も、
「ジスモンダ」がフランス演劇
(1)
界の女優として君臨するきっかけと
ヴォー様式です。左の写真の窓の周
なりました。この後も、ミュシャは
りに描かれた壁画は、ブリュッセル
サラ・ベルナールのポスターを多く
にあるポール・コーシーという建築
製作しました。
家の自宅のズグラッフィートという
ミュシャには、他にもいろいろな
壁画です。余談ですが、アールヌー
会社からオファーが来て、ポスター
ヴォー様式の建築家であるポール・
をたくさん描いています。こちらは
コーシーとその奥さんは、自宅の壁
3点の絵ですが、一番左が自転車の
に外から見えるように「私たちによ
ポスター、真ん中がビール、一番右
る私たちのための」と書いてしまう
がタバコです。
ほどバカップルな人たちです。
「ジスモンダ」の成功により、当
アールヌーヴォー様式の特徴は、
時のアールヌーヴォーという様式の
花や植物などのモチーフや、自由な
画家として確固たる地位を獲得しま
曲線の組み合わせによる装飾性など
した。アールヌーヴォー様式=ミュ
です。分野としては、建築・工芸品・
シャ様式、という用語が生まれるほ
グラフィックデザインなどです。こ
ど大衆に人気がありました。
の真ん中の壺は、ミュシャの作品で
ここで、アールヌーヴォー様式
はありませんが、左右のポスターは
について説明します、19世紀末か
ミュシャのものです。
ら 20 世紀初頭にかけてヨーロッパ
このような美術運動に並行して、
を中心に開花した国際的な美術運動
ポスターという新たなジャンルで頭
です。この右の写真は知っている人
角を現したのがミュシャでした。
も多いと思います。このスペインの
サグラダ・ファミリアもアールヌー
(2)
ここで、ミュシャと日本のつなが
第2位は、「スラブ叙事詩─スラ
りについて紹介します。ミュシャの
ブ式典礼の導入」です。ミュシャが
挿絵やイラストは、明治時代の文学
生きた時代というのは、大きな国か
雑誌『明星』で挿絵を担当した者に
ら支配されていて、植民地のような
より盛んに模倣されました。
例えば、
時代でした。そのため、ミュシャは
こちらの与謝野晶子の「みだれ髪」
愛国心が強く、祖国チェコの独立の
という作品の表紙絵もミュシャの模
ために、財政的にも安定していた
倣です。
ミュシャがこの作品を製作しまし
た。ミュシャの最後にして最高傑作
の作品でもあります。
次に、私のお勧めのミュシャの作
品ベスト3を紹介します。
第3位は、連作「四つの星─月」
長年の植民地政策によって離散し
です。数多く製作された4点1組に
た民族の統一を目指し各国家の独立
よる装飾パネルの1つです。
への力にしようとしました。その後、
チェコスロバキア共和国として独立
はしたのですが、1939 年に第二次
世界大戦が勃発したことにより、ナ
(3)
チスドイツによってまた国が解体
どうでしたでしょうか? 今回の
されてしまいました。ミュシャの絵
発表で、みなさんが少しでもミュ
は国民の愛国心を刺激し、軍にとっ
シャに興味を持っていただけたら嬉
て危険な存在になるということで、
しいです。
当時 74 歳という老体であったミュ
シャは、軍による厳しい尋問・拷問
により体調を崩して、助けられたも
ののそのまま生涯を閉じました。
第1位です。連作「四つの花─薔
薇」です。ミュシャが最も得意とし
ていた花が題材として使用されてい
ます。ミュシャの全ての作品の中で
以上です。ありがとうございまし
も当時特に人気の高かった作品で
た。
す。薔薇の他に、カーネーション、
百合、アイリスが題材とされていま
す。
〈寸評〉
《参考ホームページ》
(画像の利用も含む)
・株式会社GEM
http://www.g-e-m.jp/mucha/
・サルヴァスタイル美術館
http://www.salvastyle.com/menu_
symbolism/mucha.html
担当教員:有馬義康
「目指せ! プレゼンの達人 !!」というテーマで、コンピュータやイン
ターネットを活用して、様々なコミュニケーション、プレゼンテーショ
ンを体験しながら学んだ。その集大成として、PowerPoint を用いてプ
レゼンテーションを作成した。個々の好きなテーマで作成し、スライド
ショーをスクリーンに映し出して口頭発表を行なった。
(4)
豊田さんのこの発表は、好きな画家をテーマとして取り上げた結果、
その絵の魅力が発表全体の魅力を押し上げているという面もあるが、売
れっ子となったきっかけから晩年の苦悩までを織り込むことで、単なる
作品紹介に留まらずに深みを与えている。
画家の作品紹介という面でも、
好きな作品のベスト3を紹介する形を取ることで、わかりやすく、聴衆
を惹きつける工夫がなされている。学生による評価も高く、全体の前半
の発表であったにも関わらず印象に残る作品だったとみえ、授業終盤に
行った本冊子掲載への推薦アンケートでの得票も多かった。
自分の好きなものを紹介する発表においては、好きだということを伝
えるだけではなく、その魅力を相手にも理解してもらえることが望まし
い。自ら発表するだけでなく、他の学生の発表を見聴きすることで、そ
ういったことも学んでいけると期待している。学生の様々な工夫は、こ
ちらも見ていて面白い。
(5)
British Tea
飯田あゆみ
(グローバル英語学科1年)
I’d like to introduce British tea. To me the most interesting thing is the variety of
tea. In Japan we have lemon tea, straight tea and milk tea. However, lemon tea is rare
in Britain, and they call it Russian Tea. In addition the expression straight tea is not
used in Britain; they call it black tea. This is a surprise for me.
In fact, the most popular type of tea in Britain is milk tea, but they always say tea
with milk (see the picture on the left). One unusual expression is cream tea. When we
first hear this we think that it must be tea with fresh cream in it, like coffee. However
this is a mistake. In fact a cream tea is a set, consisting of two scones, a pot of clotted
cream (thick cream) and a pot of jam, served with a pot of tea (see the picture on
the right). Cream teas are very popular with tourists visiting the West Country in the
South-West of England, where milk from dairy cows gives delicious milk, cheese and
cream.
These tea ideas are different from our Japanese tradition, and I would like to enjoy a
delicious cream tea in an elegant tea room in the country.
〈寸評〉
担当教員:ダニエル・ダンクリー
英国の紅茶は日本のコーヒーのようなものです。英国の人は紅茶を飲
みますが、それを栽培しません。紅茶は 17世紀に中国から英国に来ま
した。現在英国は紅茶を中国やインドから輸入しています。しかしイン
(6)
ドに紅茶を伝えたのは英国です。飯田さんは日本と英国においてお茶の
飲み方や言葉の使い方にいくつかの大切な違いを指摘しています。紅茶
は英国の生活の一部です。工場では単に休息ではなくて “a tea break”
( 茶飲み時間 ) です。クリケットの試合の休息は単に休憩ではなくて ”a
tea interval”(お茶飲み休憩)です。コーヒーのようにそれぞれの英国
の地域が最初のグローバルである飲み物:紅茶の独自の出し方を持って
います。
(7)
British Sports
酒向ゆうき
(国際文化学科1年)
Soccer (Football)
Many sports started in the United Kingdom, but
Soccer is the most popular in the world. Around
1900 the rules were written and professional teams
started. Since then each city has supported its
soccer team very loyally. The clubs are named after
the cities, for example Liverpool or Birmingham.
In many cities there are two premier league teams such as Manchester City and
Manchester United, Liverpool and Everton.
Rugby
This sport with its famous oval ball is popular with
the middle classes, even though it is more violent
than Soccer. It is called the “gentleman’s sport” and
unlike soccer, for many years it was for amateurs
only. It is the only winter sport which is popular in
both the U.K. and the countries of the old empire:
South Africa, Australia and New Zealand.
Cricket
This game is only played in English-speaking
countries (but not the USA!), but now is most
popular in India. It is similar to baseball in that there
is a batter and a pitcher (bowler) and fielders. Like
rugby it is called a “gentleman’s sport”. At school
a game lasts two or three hours, but professional
county games last three days and international
games (England against Australia, India or the West Indies (Jamaica etc.)) last five
days. Many spectators enjoy the slow pace, the beautiful grass pitch and the tea breaks.
(8)
Polo
This is a game played by a very small minority. It started
hundreds of years ago in Persia (present-day Iran) and was
brought to Europe. It was played among the British Army
in hot countries like India and Kenya. It is like soccer but
on horseback, and there are four players in each team.
〈寸評〉
担当教員:ダニエル・ダンクリー
酒向君は非常に興味ある4つのスポーツを選びました。それらの2つ
だけが日本で知られています。ある意味でそれらは全てグローバルなス
ポーツです。サッカーはヨーロッパと南アメリカにおいて、クリケット
とラグビーは英連邦においてそれぞれ長い伝統があります。然しながら
酒向君がスポーツは健康や娯楽のためだけでなく、文化的な意味も持っ
ていると指摘しているのは正しい。一方においてスポーツは言葉や国籍
や宗教のように人々を結びつけます。しかし他方においてスポーツは
人々を対立させます。その理由は人々がそれぞれのチームを応援し、他
国のスポーツを理解しないからです。
(9)
学生生活について
中村 仁美
(商学科1年)
目的
愛知学院大学の学生(約320人)を対象に大学生活についてのアンケート
をしてもらい、
性別や学年によって大学生活や考え方の違いがあるかどうか、
大学生活をどのように送っているかを調べました。
アンケート調査要約
アンケートの結果として1年生の男性で商学部・経営学部・薬学部・法学
部・文学の割合が高い。学年による違いとして目標や就職について差があっ
た。アルバイトや部活・サークルに入っている人がほとんどだった。奨学金
を借りていない人が多い。
通学には1時間~2時間かけている人が多かった。
考察
学年による目標や就職については、1年生は「はい」と答える人が多かっ
た。
1年生から就職に対して意識し目標を持って生活していることが分かる。
通学時間が長い人は授業の出席率が悪く、来るのが大変なことが分かる。し
かし近くに住んでいる人も出席率が悪いのは下宿で親元を離れて怠けている
のかなと思う。奨学金を借りていない人が思っていたよりも多く親御さんが
払ってくれているのが分かる。大学生活が充実している人は部活・サークル
に入っている人が多いことが分かる。
一般教育科目の数学の受講生のみなさんと担当の岡田先生・南先生のご協
力に感謝します。
(10)
●分析結果
分析結果
分析結果
分析結果
(11)
度数
稼ぎ(万)
(12)
度数
通学時間・分
(13)
(14)
●自由回答
質問6(夏休み)
夏休みにしたことで特に多かったのが旅行。大阪や京都が多かったのは近
すぎず遠すぎずの距離で行きやすいからなのかと思った。USJ やディズニー
といった定番の遊園地に行く人も多い。日本にとどまらずグアムや韓国へ旅
行に行っている人もいた。部活やサークルでの合宿に行っていた人は夏休み
に追い込み、仲間との仲を深められたのではないのかなと思った。海に行っ
たり、BBQ をしたり、夏らしいことをしている人もたくさんいた。長期休
みでしかできないような自分の趣味への没頭や、資格や検定の勉強をしてい
る人もいた。東北のボランティアに参加している人もいた。人それぞれの楽
しい夏休みを送っていたことが分かった。
質問 22(大学への要望)
通学面では藤が丘から大学までのバスの半数を増やしてほしい、名城公園
キャンパスから出ているスクールバスを一般学生も乗れるようにしてほしい
のようにバスについての要望が多い。また、バス停が校舎から遠いこともた
くさんあげられていた。バス停までは遅刻するような時間ではないのに校舎
までが遠いため遅刻する人がたくさんいると思う。生活面についてはロッ
カーを学校につけてほしい。遠いところから来る人もたくさんいるので、荷
物が多いときに毎日毎日持ってくるのは大変だと思う人が多いのだろう。コ
ンビニやカフェのお店を増やしてほしい。学校に来ている屋台などはおいし
いけど少し高いので、安くて買いやすいお店があるほうがいいのだと思う。
喫煙所を減らしてほしい。校内で禁煙しようと呼びかけているなら喫煙所を
なくせばいいのではと思う。
〈寸評〉
担当教員:小村賢二
セミナー全員でアンケート調査表を考えて、データの入力や自由回答
の項目も全員で手分けして入力しました。データは共通ですがそれぞれ
がテーマを考えて分析しました。
SPSS を使い枚数の制限にも関わらずよく纏められています。分析結
(15)
果すべてを貼り付けて分析するとかなりの枚数になります。これからも
SPSS を使い続けて卒論や就職してからいろんな職場で商品開発や市場
調査で役立てていただきたい。
(16)
学生生活について
14C230 三宅めぐ美
学生生活について
目的:
三宅めぐ美
愛知学院大学の生徒を対象に大学生活に関するアンケートで得た性別やいろいろな結果を
(商学科1年) 集計し違いを調査する
要約と考察:
男性より女性の方がわずかだが大学生活を楽しいと感じている。そこで
“ 性別 ” のよって「興味があることを学べているか」「大学で出会いはあっ
要約と考察:
たか」の回答をクロス集計してみた結果、女性はすべての回答を同じ割合で
男性より女性の方がわずかだが大学生活を楽しいと感じている。そこで“性別”のよって
答えているが男性は興味や出会いに関する回答になると「はい」と回答する
「興味があることを学べているか」
「大学で出会いはあったか」の回答をクロス集計してみ
数値が少し下がった。そして「授業を欠席したことがある」に男性が「はい」
た結果、女性はすべての回答を同じ割合で答えているが男性は興味や出会いに関する回答
と回答する数値が大幅に上がった。授業に出ないことであまり大学へ行って
になると「はい」と回答する数値が少し下がった。そして「授業を欠席したことがある」
いる実感がないため、大学生活を楽しいと感じられない人が多いのだと推測
に男性が「はい」と回答する数値が大幅に上がった。授業に出ないことであまり大学へ行
する。しかし
「大学へ進学してよかった」
と考える人は男女ともに大差なかっ
っている実感がないため、大学生活を楽しいと感じられない人が多いのだと推測する。し
た。グラフの結果夏休みにバイトをしている人は非常に多く稼ぎは平均して
かし「大学へ進学してよかった」と考える人は男女ともに大差なかった。グラフの結果夏
10 万円であり最高で34万と非常に高額であった。
休みにバイトをしている人は非常に多く稼ぎは平均して 10 万円であり最高で 34 万と非常
に高額であった。
一般教育科目の数学の受講生のみなさんと担当の岡田先生・南先生のご協
力に感謝します。
一般教育科目の数学の受講生のみなさんと担当の岡田先生・南先生のご協力に感謝します。
●分析結果
分析結果;
(17)
2
(18)
3
(19)
4
(20)
5
5
度数
稼ぎ(万)
(21)
●自由回答について:
「夏休みの思い出」と「大学への要望」について回答を集計した。
「夏休みの思い出」では友人と BBQ・海、川へ行ったという夏ならではの
回答が多く挙げられた。
「大学への要望」では wi-fi 設置・ロッカーの設置・バスの料金、時間設定・
キャンパスの不満などが挙げられた。
wi-fi の設置:今ではスマートフォン・パソコンを使う生徒が大変多いため
多くの生徒が希望しているとともに広いキャンパス内に wi-fi を設置するの
は難しいと考えられる。
ロッカーの設置:高校とは違い大学には自分のロッカーがない。生徒の人
数分ロッカーを設置するのは大変であるため設置は難しいと考えられる。
バスの料金、時間設定:日進キャンパスまで地下鉄藤ヶ丘駅から名鉄バス
が通っているが料金は250円と市バスと比べてやや高い。そして 4 月~7 月
はバス停で待機している生徒の数が非常に多い。授業に間に合う電車に乗っ
てもバスへ乗るまでに10~20 分ほどかかってしまうので遅刻してしまう生
徒も多い様だ。これらの結果、バスの無料化・バスの本数を増やしてほしい
という回答が挙げられたと考えられる。
キャンパスの不満:愛知学院大学はキャンパスが非常に広いためバス停か
ら一番遠い 14号館まで歩いて約10 分以上かかってしまう。この時間ロスを
どうにかならないかという回答が挙げられた。
〈寸評〉
担当教員:小村賢二
セミナー全員でアンケート調査表を考えて、データの入力や自由回答
の項目も全員で手分けして入力しました。データは共通ですがそれぞれ
がテーマを考えて分析しました。
SPSS を使い枚数の制限にも関わらずよく纏められています。分析結
果すべてを貼り付けて分析するとかなりの枚数になります。これからも
SPSS を使い続けて卒論や就職してからいろんな職場で商品開発や市場
調査で役立てていただきたい。
(22)
学校生活について
学生生活について
伊藤 瑠奈
(商学科1年)
14C034 伊藤瑠奈
目的:
目的:
愛知学院大学の生徒(321
人)を対象に大学生活に関するアンケートをし
愛知学院大学の生徒(321
人)を対象に大学生活に関するアンケートをしてもらい、性別や
学年によって勉強や考え方の違いがあるかどうかを調べました。
てもらい、性別や学年によって勉強や考え方の違いがあるかどうかを調べま
した。
アンケート調査要約:
アンケート調査要約:
アンケート結果として一年生が多かった。また、学部は商学部・経営学部が多かった。本
アンケート結果として一年生が多かった。また、学部は商学部・経営学部
を読むことや興味のあることを学べているかという項目では、学年や性別によっての大差
が多かった。
本を読むことや興味のあることを学べているかという項目では、
はなかった。目標や就職については、一年生が一番考えているようだ。
学年や性別によっての大差はなかった。目標や就職については、一年生が一
番考えているようだ。
分析結果・考察:
学部によって授業に対する考え方が違うようだった。9割が欠席したことがある学部があ
分析結果・考察:
るなか、違う学部は5割だった。一年生は目標をきちんともって大学生活を送っている。
学部によって授業に対する考え方が違うようだった。9割が欠席したこと
一方、学年が上になるにつれて現実をわかってきたり、自分には無理だと諦めてしまうの
がある学部があるなか、
違う学部は5割だった。
一年生は目標をきちんともっ
か目標をきちんと持っている人が少なくなった。
て大学生活を送っている。一方、学年が上になるにつれて現実をわかってき
たり、自分には無理だと諦めてしまうのか目標をきちんと持っている人が少
なくなった。
一般教育科目の数学の受講生のみなさんと担当の岡田先生・南先生のご協力に感謝します。
一般教育科目の数学の受講生のみなさんと担当の岡田先生・南先生のご協
力に感謝します。
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●自由回答
自由回答:
夏休みについてはどこかに旅行に行った人が多く、東京や
USJ や合宿に
夏休みについてはどこかに旅行に行った人が多く、東京や
USJ や合宿に行く人が一番多か
った。海外旅行に行く人や夏休みという長い期間を使って留学したり、ホームステイをし
行く人が一番多かった。海外旅行に行く人や夏休みという長い期間を使って
た人もいた。留学などは大学生ならではだから充実していて楽しそうだと思います。また、
留学したり、ホームステイをした人もいた。留学などは大学生ならではだか
心が強くなった、勉強を進めることができたという良い過ごし方のした声もあった。大学
ら充実していて楽しそうだと思う。また、心が強くなった、勉強を進めるこ
への要望としては藤が丘や赤池からのバスを無料化したり、スクールバスを出してほしい
とができたという良い過ごし方をした声もあった。大学への要望としては藤
という声が多かった。また、名城公園キャンパスができたことにより発生する授業の問題
が丘や赤池からのバスを無料化したり、スクールバスを出してほしいという
などもあった。食堂に関する意見も多く、座席を増やしてほしい、コンビニを増やしてほ
しいという声もあった。バス停から校舎までの道に屋根をつけてほしいという雨の日でも
声が多かった。また、名城公園キャンパスができたことにより発生する授業
の問題などもあった。食堂に関する意見も多く、座席を増やしてほしい、コ
校舎に行きやすいようにと愛知学院大学に通うすべての人のことを考えている意見もあっ
た。
ンビニを増やしてほしいという声もあった。バス停から校舎までの道に屋根
をつけてほしいという雨の日でも校舎に行きやすいようにと愛知学院大学に
セミナー担当(小村賢二)コメント;
通うすべての人のことを考えている意見もあった。
セミナー全員でアンケート調査表を考えて、データの入力や自由回答の項目も全員で手分
けして入力しました。データは共通ですがそれぞれがテーマを考えて分析しました。
〈寸評〉
担当教員:小村賢二
SPSSを使い枚数の制限にも関わらずよく纏められています。分析結果すべてを張り付けて
セミナー全員でアンケート調査表を考えて、データの入力や自由回答
分析するとかなりの枚数になります。これからもSPSSを使い続けて卒論や就職してからい
の項目も全員で手分けして入力しました。データは共通ですがそれぞれ
ろんな職場で商品開発や市場調査で役立てていただきたい。
がテーマを考えて分析しました。
SPSS を使い枚数の制限にも関わらずよく纏められています。分析結
(29)
8
果すべてを貼り付けて分析するとかなりの枚数になります。これからも
SPSS を使い続けて卒論や就職してからいろんな職場で商品開発や市場
調査で役立てていただきたい。
(30)
人はその考え方で決まる。大きく考えてみるとしよう。
テ ー マ
目指せ! プレゼンの達人
英 語 の 歴 史︵ イ ギ リ ス に お け る 民 族 支 配 の 影 響 を 受 け
て︶
Who am I │
? 生きること・かかわること│
岡島 秀隆
高風
岡田 千昭
河合 泰弘
川口
久馬 栄道
藤田
淳志
R・ブレア
文
嬉眞
安富 眞澄
山口 均
山名 賢治
学びの基本技術をみがこう │先ずは得意のテーマから
昭和史とは何か
趣味から始める学問入門
さあ! 江戸期の長崎より東京まで、ロマンの旅に出か
けよう。
超難解折り紙で、論理脳を鍛えよう
Ⅰ、意思伝達のための文章作成術
Ⅱ、問題解決のための思考と技術
『ピーター・ラビット』をとことん読む
生命︵いのち︶のしくみを考える
異文化・自国文化を考えよう!
Watching History on YouTube
近藤 勝志
TOEICで英語の再学習
近藤
浩
日本語の表現力を高めよう。
柴田 哲雄
キャリアの基礎を固めよう!
清
忠師
暮らしの中の科学
現代イギリスの日常生活・文化・経済事情を学びましょ
D・ダンクリー
う。
教 養 セ ミ ナ ー ハ リ ウ ッ ド 映 画 と ポ ッ プ ミ ュ ー ジ ッ ク
R・ノテスタイン
で1960年代の文化を紹介する
アメリカのニュースやヒットソングを通して広い視野
を身につけよう
平成二十六年度 教養セミナー・テーマ一覧
心を鍛えて、夢をつかもう!
日本の昔話を通して日本の文化を知ろう
日本語の文章表現力を身につけよう!
健康行動について
テ ー マ
現代中国を知る︵1︶
︵2︶
教養セ ミ ナ ー Ⅰ ・ Ⅱ
経営学 部
教 員 名
勝股 高志
北田 豊治
河野 敏宏
菅原 研州
感動する英語から読む力、リスニング力を向上しよう
堀田 敏幸
ゆったり味わい、考える! 少し科学的な見方も!
日本文化の中の中国︵1︶
︵2︶
宮内 憲一
プログラミング入門
高田 正義
田中 泰賢
中村 綾
山下 秀康
文学部
一久
教 員 名
有馬 義康
石川
石川 雅健
!!
法学部
教 員 名
糸井川 修
テ ー マ
『ファウスト』を読む
論理トレーニング │ものごとを正確に表現する力を身
につけよう
サイエンスコミュニケーションを学ぼう
宣明
『脳とこころ』、
『生と死』のサイエンス
岩佐
遠藤 哲也
朱 新建
佐々木 真
澤田真由美
自分に限界を作るな!
歴史は鑑である
伝える力 伝わる力
英語のふしぎ
スポーツと社会の関わりを学ぶ
小出 龍郎
小林 秀一
福山 悟
中国についての基礎知識
日常生活には科学がいっぱい。理解して、より便利な生
活を。
学ぼう世界の学校教育、考えよう日本の教育改革
テ ー マ
学びのノウハウ Ⅰ・Ⅱ │スタディ・スキルと日本語表
現│
法と女性 │イギリスのヴィクトリア時代の場合
防災を学び、災害に備えよう
前山愼太郎
山野 明男
吉井浩司郎
商学部
教 員 名
稲垣 正巳
井上 知則
上原 宏行
北村伊都子
来住 準一
楽しいアンケート調査
生活習慣と健康について考えよう
ポ ッ プ コ ー ン を め ざ せ! │ ア カ デ ミ ッ ク ス キ ル と 科 学
リテラシー
太陽系とはなんだろうか
ゆったり味わい、考える!
少し科学的な見方も!
アニメや時空を超えた映画の可能性に親しむ
小村 賢二
義和
清水
城 貞晴
宮内 憲一
心身科学部
テ ー マ
『脳とこころ』
、『生と死』のサイエンス
異文化交流と実用英語
英語の勉強に最低必要なことを学ぼう。
テ ー マ
スポーツで心と体を健康にしよう!
『ピーター・ラビット』をとことん読む
論理的思考を鍛えよう
日常に潜む「思い込み」に立ち向かう! │心理学で鍛
える論理的思考│
生命科学を楽しもう
教 員 名
中原中也の詩にみられる人間のすがた
池田
健
孝之
尾崎
菅 さやか
均
慶太
虎澤
山口
経済学部
教 員 名
青山 健太
大島 直樹
G・ガニエ
小出 龍郎
境田 雅章
菅原 研州
都築 正喜
吉村 正宏
J・ライトバーン
サッカーを通してスポーツ社会を考える
日本の昔話を通して日本の文化を知ろう
英語のリスニング入門︵基礎︶
︵応用︶
科学的な思考のレッスン
Heroes of Fantasy : English Through Film
教養セ ミ ナ ー Ⅲ ・ Ⅳ
教 員 名
川口 高風
「ボンジョルノ!イタリア」文化と会話
Ⅲ 私たちヒトはどこへ向かうのか
Ⅳ オリジナル・ワン︵ONE︶学ぼう!
平成の町村合併から学ぶ新旧の歴史的地名
テ ー マ
Ⅲ ドイツ語で読む『白雪姫』
Ⅳ ドイツ語で読む『いばら姫』
小出 龍郎
糸井川 修
齋藤和佳子
キャリアの実践力を高めよう!
Ⅲ 教育の現代的課題を考えるⅠ
「総合的な学習の時間」を中心に︶
︵
Ⅳ 教育の現代的課題を考えるⅡ︵
「生徒指導」を中心に︶
異文化・自国文化を考えよう!
社会問題の探求
手紙に見るヨーロッパ文化
アニメや時空間を超えた映画の可能性の面白さをドラ
マチックに体感する
Ⅲ 文化の素質は人生を豊かにする
Ⅳ 文化の素質は教養を高める
柴田 哲雄
清水 義和
朱 新建
堀田 敏幸
松浦 國弘
文 嬉眞
八谷 芳樹
表紙絵の思い出
世 界 で 一 番 有 名 な お 城 、
ドイツ、ノイシュヴァンシュタイン城
馬 栄 道
教養部数学教室 久
私は二〇〇一年度にイギリスに在外研究員として行った
のですが、その準備のために一九九九年と二〇〇〇年の夏
休みに、ヨーロッパの研究者に会いに行ってきました。
一九九九年の八月、ドイツのマインツ、ケルン、ハイデ
ルベルグ、ミュンヘンで何人かの人と会い、順調に用事を
すませました。それから世界で一番有名なお城、ノイシュ
ヴァンシュタイン城へ行くために、ミュンヘンの駅で切符
を買いました。
こ の お 城 は、 バ イ エ ル ン 王 国 の ル ー ド ヴ ィ ッ ヒ 二 世 に
よって建てられたのですが、私も妻もルキノ・ヴィスコン
ティ監督の映画「ルードヴィヒ/神々の黄昏」の大ファン
なので、絶対に行きたかったのです。
切符を買うと、乗り換え案内などの詳しい情報を印刷し
てくれるのですが、見ると乗り換え時間が七分ほどしかあ
りません。なにせ時間にルーズなヨーロッパの鉄道、これ
では無理ではないか、と言ってみたのですが、駅員の人は
大丈夫の一点張り。
しょうがないので信用して列車を待っていたのですが、
案の定四〇分遅れで、列車がやってきました。当然乗り換
え に は 間 に 合 わ な か っ た の で、 な ん と か バ ス を 見 つ け、
や っ と の こ と で ノ イ シ ュ ヴ ァ ン シ ュ タ イ ン 城 の ふ も と、
フュッセンの町につきました。
次の日はバスでノイシュヴァンシュタイン城まで行きま
したが、中に入った瞬間、アメリカ人と日本人の観光客で
あふれていました。この表紙絵はそのときにお城の周りを
散策したさいに、描いたものです。
このお城のまわりには、ルードヴィッヒ二世ゆかりのお
城が多数有り、それらのお城も堪能しました。
また野外民族博物館リトル・ワールドのドイツの建物に
は、建物の外壁にフラスコ画が描かれていますが、あれは
ノイシュヴァンシュタイン城の近くのオーバーアマガウの
村をまねたものなのです。そこでその村のフラスコ画も見
に行きました。
その後ミュンヘンに戻り、列車でウィーンへ向かいまし
た。この年は、本学の糸井川先生がウィーンで在外研究員
をされていたのですが、糸井川先生にも会うことができ、
フォルクス・オーパでオペラを一本、ウィーン国立歌劇場
でオペラを二本堪能でき、とても有意義な旅行でした。
138
月
月
日 印 刷
︵非売品︶
日 発 行 19
12
編 集 後 記
年
年
-
平成
平成
愛知学院大学
『知の旅立ち』 教養セミナー学生論集 第 号
発 行 者 教養教育研究会
編 集 委 員 糸井川 修
井 上 知 則
上 原 宏 行
河 合 泰 弘
北 村 伊都子
山 口 均
30 25
発 行 愛知学院大学教養部 教養教育研究会
0195
〒470
愛知県日進市岩崎町阿良池
︿0561﹀
︵73︶1111
電話
12
-
教養セミナー学生論集『知の旅立ち』第十九号をお届けしま
す。 こ の 論 集 に は 平 成 二 十 六 年 度 の 教 養 セ ミ ナ ー 受 講 生 の 論 考
を中心とする四十四編を収録することができました。原稿を寄
せて下さった学生の皆さん、そして入稿にあたって様々な助言
を与え、コメントを寄せて下さったアドバイザーの先生方に、
深く御礼申し上げます。
本学では、新たに名城公園キャンパスが完成し、昨年四月に
始動しました。このキャンパスでは、商学部、経営学部、経済
学部の二年次生以上が学び始め、愛知学院大学に新たな一ペー
ジを刻みました。教養部にとっては、二つのキャンパスにまた
がって授業や学生指導をすることになり、その在り方が問われ
る よ う に な っ て ま い り ま し た。 い ず れ に せ よ、 学 生 の 皆 さ ん
が、 新 し い 環 境 で 充 実 し た キ ャ ン パ ス ラ イ フ を 送 れ る よ う 祈 念
して止みません。
大学での学びは、本来能動的でなければならないと思います
が、最近の学生を見ていると、授業には出席はするけれど、専
ら受動的に授業に参加するだけという者が目につくようになっ
3 3
印刷所 株式会社 あ る む
名古屋市中区千代田3 1
0861
電話︿052﹀332
- -
てきました。教養部では、能動的な学習支援の一環として、昨
年度よりL.A.活動を開始しました。今号には、本年度秋学期
の教養部L.A.活動に関するレポートを掲載することができま
︵河合 記︶
した。この活動の輪が広がっていけば、学生にとって大きな財
産になるに違いありません。
27 27