﹃ 史 記 ﹄ 酷 吏 列 伝 を 読 む

岐阜女子大学紀要
図
式
で
と
ら
え
て
き
た
。
し
か
し
の
ち
に
、
新
た
に
発
見
さ
れ
た
出
土
資
料
な
﹃
史
記
﹄
酷
吏
列
伝
は
漢
代
、
景
帝
・
武
帝
期
に
活
躍
し
た
﹁
酷
吏
﹂
と
い
て
酷
吏
と
循
吏
を
﹁
法
治
的
法
家
的
官
僚
﹂
と
﹁
徳
治
的
儒
家
的
官
僚
﹂
と
の
は
じ
め
に
酷
吏
と
対
に
な
る
循
吏
と
の
相
違
か
ら
考
察
さ
れ
る
こ
と
が
多
か
っ
た
。
そ
し
書
﹄
酷
吏
伝
の
記
述
か
ら
考
察
す
る
場
合
で
あ
る①
。
そ
の
際
、
名
称
の
う
え
で
︿
キ
ー
ワ
ー
ド
﹀
﹃
史
記
﹄
・
酷
吏
列
伝
・
史
伝
文
学
に
作
用
し
つ
つ
ト
ー
タ
ル
と
し
て
﹁
酷
吏
列
伝
﹂
と
し
て
成
り
立
っ
て
い
る
こ
と
を
示
し
た
。
果
、
酷
吏
列
伝
で
は
記
述
さ
れ
る
酷
吏
の
類
型
化
・
個
別
の
伝
を
繋
ぐ
手
段
・
酷
吏
と
酷
吏
の
関
係
を
示
す
記
事
に
よ
っ
て
記
述
さ
れ
る
十
一
人
の
伝
が
相
互
On the “Kuli Liezhuan” in Shiji
う ど
な の
図 分
式 析
の を
み 踏
で ま
割 え
り 、
切 当
れ 時
な の
い 社
も 会
の に
で お
あ け
る る
こ 酷
と 吏
も の
指 実
摘 態
さ と
れ し
て て
い は
る② こ
。 の
も よ
わ
れ
る
官
吏
十
一
人
の
伝
を
載
せ
る
。
要
﹃
史 旨
記
﹄
を
文
学
作
品
と
し
て
読
む
試
み
と
し
て
、
巻
百
二
十
二
﹁
酷
吏
列
伝
﹂
を
取
り
上
げ
、
そ
の
構
成
と
措
辞
の
観
点
か
ら
検
討
を
行
っ
た
。
そ
の
結
︵
︶
―
―
Faculty of Cultural Development, Department of Cultural Development
う
一
つ
は
、
﹃
史
記
﹄
の
列
伝
の
中
で
個
人
名
を
標
題
と
し
な
い
列
伝
の
う
ち
、
こ
れ
ま
で
酷
吏
列
伝
を
取
り
出
し
て
議
論
す
る
場
合
、
主
に
二
つ
の
側
面
か
KAWAI Akino
ら
考
察
が
加
え
ら
れ
て
き
た
。
一
つ
は
﹁
酷
吏
﹂
と
さ
れ
た
官
吏
た
ち
が
当
時
(2015.
1.)
Received September 19, 2014
︵
一
︶
の
社
会
に
お
い
て
い
か
な
る
存
在
で
あ
っ
た
か
を
﹃
史
記
﹄
酷
吏
列
伝
や
﹃
漢
第 44 号
﹃
史
記
﹄
酷
吏
列
伝
を
読
む
︵
二
〇
一
四
年
九
月
一
九
日
受
理
︶
文
化
創
造
学
部
文
化
創
造
学
科
河
井
昭
乃
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
言
え
ば
そ
れ
を
支
え
る
表
現
の
諸
相
を
文
学
的
に
探
る
と
す
る
の
が
本
稿
の
目
一
つ
の
構
造
体
と
し
て
成
り
立
た
せ
て
い
る
し
く
み
は
何
で
あ
る
の
か
、
逆
に
る
。
済
南
で
は
豪
族
䲋
氏
一
族
の
勢
力
に
対
し
太
守
は
統
制
不
能
で
あ
っ
た
。
続
い
て
当
時
の
済
南
の
情
勢
と
䌃
都
が
太
守
に
任
命
さ
れ
た
こ
と
が
記
さ
れ
の
個
々
の
酷
吏
の
実
態
で
は
な
く
、
十
一
人
に
及
ぶ
酷
吏
の
伝
記
を
有
機
的
に
旁
十
餘
郡
守
、
畏
都
如
大
府
。
は
な
く
、
相
互
に
繋
が
っ
て
酷
吏
列
伝
と
し
て
成
立
し
て
い
る
。
事
実
と
し
て
濟
南
太
守
。
至
則
族
滅
䲋
氏
首
惡
、
餘
皆
股
栗
。
居
歳
餘
、
郡
中
不
拾
遺
。
ま
た
そ
れ
以
外
の
要
素
に
よ
っ
て
も
個
々
の
伝
は
バ
ラ
バ
ラ
に
存
在
す
る
の
で
濟
南
䲋
氏
宗
人
三
百
餘
、
豪
猾
、
二
千
石
莫
能
制
。
於
是
景
帝
乃
拜
都
爲
酷
吏
は
個
別
の
存
在
で
あ
り
な
が
ら
共
通
す
る
記
述
形
式
に
よ
っ
て
貫
か
れ
、
人
物
と
し
て
登
場
す
る
。
酷
吏
列
伝
は
十
一
人
の
酷
吏
の
強
烈
な
存
在
を
記
録
す
る
が
、
そ
れ
ぞ
れ
の
が 記
可 述
能 部
で 分
あ を
る も
こ 含
と め
も て
こ 、
れ ﹃
ま 史
で 記
の ﹄
研 が
究 た
成 ぶ
果 ん
に に
よ 文
っ 学
て 的
示 で
さ あ
れ り
て 文
い 学
る⑤ 的
。 解
釈
で
あ
る
。
そ
う
し
た
部
分
の
み
な
ら
ず
、
客
観
的
事
実
を
記
す
よ
う
に
み
え
る
の
記
述
が
歴
史
的
事
実
か
否
か
の
尺
度
だ
け
で
は
測
り
き
れ
な
い
こ
と
も
事
実
下
賜
さ
れ
る
。
䌃
都
は
皇
帝
に
対
し
て
直
諫
す
る
こ
と
も
辞
さ
な
い
、
剛
直
な
廟
を
危
う
く
す
べ
き
で
は
な
い
と
諫
め
、
そ
の
言
動
に
よ
っ
て
太
后
か
ら
金
を
ず
か
ら
救
出
に
向
か
お
う
と
し
た
景
帝
を
、
軽
率
な
行
動
に
よ
っ
て
漢
家
の
宗
い
た
っ
た
経
緯
が
記
さ
れ
る
。
景
帝
の
寵
姫
が
危
機
的
状
況
に
陥
っ
た
際
、
み
ま
ず
䌃
都
の
出
自
、
さ
ら
に
上
林
苑
で
の
エ
ピ
ソ
ー
ド
か
ら
重
用
さ
れ
る
に
の
一
方
で
、
﹃
史
記
﹄
に
は
事
実
認
定
が
困
難
に
み
え
る
記
事
も
存
在
し
、
そ
亦
去
。
太
后
聞
之
、
賜
都
金
百
斤
。
由
此
重
䌃
都
。
―
か
を
追
究
す
る
の
は
﹃
史
記
﹄
研
究
の
第
一
義
的
立
場
と
み
な
さ
れ
よ
う
。
そ
天
下
所
少
、
寧
賈
姫
等
乎
。
陛
下
縱
自
輕
、
柰
宗
太
后
何
。
上
還
、
彘
歴
史
的
事
実
が
ど
う
で
あ
っ
た
か
、
書
き
手
の
意
図
が
ど
う
反
映
さ
れ
て
い
る
都
不
行
。
上
欲
自
持
兵
救
賈
姫
。
都
伏
上
前
曰
、
亡
一
姫
、
復
一
姫
進
。
―
入
り
込
ん
で
い
る
と
す
る
な
ら
ば
、
そ
こ
に
事
実
が
反
映
さ
れ
て
い
る
と
考
え
面
折
大
臣
於
朝
。
嘗
從
入
上
林
。
賈
姫
如
廁
。
野
彘
卒
入
廁
。
上
目
都
、
﹃
史
記
﹄
が
歴
史
的
事
象
を
記
述
対
象
と
し
つ
つ
そ
こ
に
書
き
手
の
思
想
が
䌃
都
者
、
楊
人
也
。
以
郎
事
孝
文
帝
。
孝
景
時
、
都
爲
中
郎
將
、
敢
直
諫
し
た
書
き
手
司
馬
遷
の
思
想
や
意
図
を
探
る
こ
と
に
重
点
が
置
か
れ
て
き
た
。
存
在
の
あ
り
方
を
探
り
、
登
場
す
る
人
物
を
一
括
り
に
し
て
﹁
酷
吏
列
伝
﹂
と
る そ 前 述 を 個
い 。 う の 対 考 人
ず
し 人 象 察 の
れ
た 物 と す 立
の
対 は す る 場
立
比 登 る 場 や
場
に 場 人 合 属
も
司 せ 物 で 性
﹃
馬 ず の あ を
史
遷 、 時 る④ 標
記
の 逆 代 。 題
﹄
同 に に こ と
の
時 循 は れ す
記
代 吏 偏 ら る
述
批 列 り 雑 も
を
判 伝 が 伝 の
に あ の 、
事
の は る う い
実
意 漢 。 ち わ
と
図 代 例 、 ゆ
と
が の え 貨 る
ら
表 人 ば 殖 雑
え
現 物 酷 列 伝③
、
さ は 吏 伝 と
そ
れ 登 列 を 呼
こ
て 場 伝 除 ば
か
い し に い れ
ら
る な は て る
酷
と い 秦 は 諸
吏
す 。 以 記 編
の
の
構
成
を
確
認
し
た
い
。
げ
る
。
そ
の
指
摘
を
踏
ま
え
つ
つ
、
最
初
に
登
場
す
る
䌃
都
伝
を
例
と
し
て
そ
性
格
︵
ニ
︶
窮
治
の
あ
と
︵
ホ
︶
他
の
酷
吏
へ
の
比
擬
・
関
係
の
五
項
目
を
挙
て て
い 共
る⑥ 通
。 す
俣 る
野 部
氏 分
は か
構 ら
成 成
要 立
素 し
と て
し い
て る
︵ こ
イ と
︶ は
出 す
自 で
・ に
閲 俣
歴 野
︵ 太
ロ 郎
︶ 氏
末 が
路 指
︵ 摘
ハ し
︶
酷
吏
列
伝
に
合
伝
さ
れ
る
十
一
人
の
そ
れ
ぞ
れ
の
伝
が
、
そ
の
構
成
か
ら
み
一
的
で
あ
る
。
︵
二
︶
岐阜女子大学紀要
太
守
に
任
命
す
る
。
䌃
都
の
評
判
は
匈
奴
に
ま
で
伝
わ
っ
て
お
り
、
匈
奴
に
さ
︵
三
︶
太
后
か
ら
遠
ざ
け
る
意
図
が
あ
っ
て
か
景
帝
は
䌃
都
を
匈
奴
に
近
い
鴈
門
の
爲
偶
人
象
䌃
都
、
令
騎
馳
射
、
莫
能
中
。
見
憚
如
此
。
匈
奴
患
之
。
匈
奴
素
聴
䌃
都
、
居
邊
爲
引
兵
去
。
竟
䌃
都
死
、
不
近
鴈
門
。
匈
奴
至
え 述
よ の
う⑪ 積
。 み
重
ね
に
よ
っ
て
人
物
の
類
型
を
示
す
の
が
酷
吏
列
伝
の
形
式
だ
と
い
孝
景
帝
乃
使
使
持
拜
都
爲
鴈
門
太
守
、
而
便
道
之
官
、
得
以
便
宜
從
事
。
す
る
。
竇
太
后
は
怒
り
、
強
引
に
法
律
を
適
用
し
て
䌃
都
を
免
官
さ
せ
る
。
が が
付 そ
さ の
れ 能
る⑩ 力
。 を
構 評
成 価
、 し
措 た
辞 と
の い
角 う
度 ﹁
か 上
ら 以
判 為
断 能
す ﹂
る お
と よ
、 び
同 そ
一 れ
パ に
タ 類
ー す
ン る
の 表
記 現
侯
竇
嬰
の
手
配
に
よ
っ
て
筆
記
具
を
得
た
臨
江
王
は
謝
罪
文
を
書
き
上
げ
自
殺
た
際
、
䌃
都
は
臨
江
王
の
希
望
を
無
視
し
て
筆
記
具
を
与
え
な
か
っ
た
。
魏
其
み か
え っ
る⑨ た
。 と
さ い
ら う
に ﹁
い ︵
え 致
ば 行
趙 法
禹 ︶
以 不
降 避
、 貴
武 戚
帝 ﹂
期 の
に 表
登 現
用 は
さ 義
れ 縦
た 伝
人 と
物 尹
に 斉
は 伝
武 に
帝 も
景
帝
の
子
で
あ
る
臨
江
王
が
罪
に
よ
っ
て
召
喚
さ
れ
中
尉
府
で
尋
問
を
受
け
第 44 号
の
適
用
を
は
ば
か
る
こ
と
な
く
、
﹁
蒼
鷹
﹂
と
陰
口
を
た
た
か
れ
た
。
太
后
聞
之
、
怒
以
危
法
中
都
。
都
免
歸
家
。
予
。
魏
其
侯
使
人
以
閒
與
臨
江
王
。
臨
江
王
既
爲
書
謝
上
、
因
自
殺
。
竇
臨
江
王
徴
詣
中
尉
府
對
簿
。
臨
江
王
欲
得
刀
筆
爲
書
謝
上
、
而
都
禁
吏
不
舒 う
伝 者
に は
も な
み く
え⑧ な
、 っ
中 た
尉 と
と い
な う
っ ﹁
︵
て 郡
は 中
法 ︶
律 不
の 拾
適 遺
用 ﹂
に の
高 表
官 現
外 は
戚 義
を 縦
も 伝
避 と
け 王
な 温
済
南
太
守
と
な
り
辣
腕
を
発
揮
し
た
結
果
、
民
衆
は
恐
れ
路
上
の
遺
失
物
を
拾
の 述
十 さ
人 れ
の 末
伝 尾
に に
も 最
共 期
通 ︵
し ロ
て ︶
確 が
認 記
で さ
き れ
る⑦ る
。 。
ま こ
た れ
措 ら
辞 四
に つ
つ の
い 要
て 素
も は
、 䌃
䌃 都
都 以
が 降
―
昇
進
し
て
中
尉
と
な
る
。
厳
格
苛
酷
を
第
一
と
し
、
高
官
や
外
戚
に
も
法
律
︵
ニ
︶
、
そ
れ
と
同
時
に
そ
う
し
た
行
動
を
支
え
る
厳
酷
な
性
格
︵
ハ
︶
が
記
―
(2015.
1.)
而
視
。
號
曰
蒼
鷹
。
ま
た
臨
江
王
の
取
り
調
べ
な
ど
有
力
者
な
い
し
有
力
集
団
の
容
赦
な
い
制
圧
罪
自
重
、
而
都
獨
先
嚴
酷
、
致
行
法
不
避
貴
戚
。
列
侯
宗
室
、
見
都
側
目
䌃
都
遷
爲
中
尉
。
丞
相
條
侯
至
貴
倨
也
、
而
都
揖
丞
相
。
是
時
民
朴
、
畏
ず
、
仕
官
し
た
以
上
は
職
分
を
全
う
す
べ
き
と
し
て
家
族
も
顧
み
な
か
っ
た
。
れ
、
済
南
で
は
豪
族
䲋
氏
に
対
す
る
、
中
尉
と
な
っ
て
は
高
官
外
戚
に
対
す
る
、
の
上
林
苑
で
の
エ
ピ
ソ
ー
ド
で
出
自
と
任
官
に
い
た
っ
た
経
緯
︵
イ
︶
が
示
さ
の
う
ち
︵
ホ
︶
以
外
の
︵
イ
︶
∼
︵
ニ
︶
の
四
つ
が
確
認
で
き
る
。
ま
ず
冒
頭
る ん 滅
。 だ ぼ
。 す
䌃 と
都 一
が 族
最 は
初 震
に え
地 上
方 が
官 り
と 、
し そ
て の
そ 威
の 厳
手 は
腕 郡
を 中
振 の
る み
っ な
た ら
こ ず
と 周
が 辺
示 に
さ も
れ 及
そ
こ
で
景
帝
は
䌃
都
を
済
南
太
守
に
任
命
す
る
。
着
任
す
る
や
䲋
氏
の
ボ
ス
を
そ
の
性
格
は
勇
敢
で
気
力
あ
り
、
賄
賂
や
個
人
的
な
要
請
を
一
切
受
け
付
け
え
る は
恐
こ 。 臨 し
江 か 臨 竇 れ
う
王 し 江 太 ら
し
の 竇 王 后 れ
て
名 太 獨 乃 た
み
前 后 非 竟 。
る
を は 忠 中
と
持 結 臣 都
、
ち 局 邪 以
䌃
出 法 。 漢
都
し 律 於 法
伝
て で 是 。
に
許 䌃 遂 景
お
す 都 斬 帝
い
こ を 䌃 曰
て
と 陥 都 、
は
な れ 。 都
俣
忠
く る
野
臣
、 。
氏
。
䌃 景
の
欲
都 帝
指
釋
は の
摘
之
斬 反
し
。
罪 対
た
竇
に に
五
太
処 も
つ
后
せ 竇
の
曰
ら 太
要
、
れ 后
素
自
稱
曰
、
已
倍
親
而
仕
、
身
固
當
奉
職
死
官
下
。
終
不
顧
妻
子
矣
。
都
爲
人
勇
有
氣
力
、
公
廉
不
發
私
書
。
問
遺
無
所
受
、
請
寄
無
所
聽
。
常
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
が
関
わ
り
を
持
っ
て
い
た
こ
と
が
示
さ
れ
る
。
二
人
に
は
接
点
が
あ
り
、
酷
吏
及
ば
な
か
っ
た
。
䌃
都
伝
で
は
言
及
が
な
か
っ
た
が
、
続
く
寧
成
伝
で
は
両
者
寧
成
を
中
尉
と
し
た
。
そ
の
や
り
方
は
䌃
都
を
手
本
と
し
た
が
、
廉
潔
さ
で
は
を
結
ん
だ
。
䌃
都
の
死
後
、
都
で
横
暴
を
き
わ
め
る
皇
族
対
策
と
し
て
天
子
は
を
凌
い
で
そ
の
上
に
出
る
。
䌃
都
も
そ
の
評
判
を
聞
い
て
お
り
厚
遇
し
て
親
交
尉
が
太
守
を
畏
怖
し
萎
縮
し
て
い
た
の
と
異
な
り
、
寧
成
は
着
任
す
る
や
䌃
都
と
を
意
識
さ
せ
る
。
周
陽
由
ま
で
の
三
人
は
官
吏
と
し
て
の
出
発
が
文
帝
・
景
が
登
場
す
る
こ
と
を
示
唆
し
つ
つ
、
同
時
に
こ
こ
に
一
つ
の
区
切
り
が
あ
る
こ
由
以
降
の
社
会
の
変
化
、
こ
の
あ
と
に
寧
成
や
周
陽
由
を
雛
型
と
す
る
官
吏
達
接
人
物
の
記
述
を
す
る
の
で
は
な
い
地
の
文
が
挿
入
さ
れ
る
。
こ
の
文
は
周
陽
由
之
後
、
事
益
多
、
民
巧
法
、
大
抵
吏
之
治
、
類
多
成
由
等
矣
﹂
と
い
う
、
直
周
陽
由
の
刑
死
を
記
し
た
の
ち
、
趙
禹
の
記
述
に
入
る
前
に
﹁
自
寧
成
周
陽
寧
成
が
済
南
都
尉
と
な
る
と
、
上
役
の
太
守
は
䌃
都
で
あ
っ
た
。
従
来
の
都
る
こ
と
が
で
き
る
。
人
惴
恐
。
是
上
召
寧
成
爲
中
尉
。
其
治
效
䌃
都
、
其
廉
弗
如
。
然
宗
室
豪
桀
、
皆
人
於
是
善
遇
、
與
結
驩
。
久
之
䌃
都
死
、
後
長
安
左
右
宗
室
多
暴
犯
法
。
於
守
如
縣
令
。
其
畏
都
如
此
。
及
成
往
、
直
陵
都
出
其
上
。
都
素
聞
其
聲
。
稍
遷
至
濟
南
都
尉
、
而
䌃
都
爲
守
。
始
前
數
都
尉
、
皆
歩
入
府
、
因
吏
三
人
は
、
酷
吏
と
い
う
存
在
と
し
て
は
特
異
な
も
の
で
あ
っ
た
こ
と
を
読
み
取
以
上
の
こ
と
か
ら
、
酷
吏
列
伝
の
最
初
に
登
場
す
る
䌃
都
・
寧
成
・
周
陽
由
の
場
す
る
周
陽
由
の
伝
に
は
他
の
酷
吏
と
の
関
係
を
表
す
記
事
は
見
ら
れ
な
い
。
は
䌃
都
の
死
後
、
中
央
に
召
喚
さ
れ
て
以
降
の
記
述
で
示
さ
れ
る
。
つ
い
で
登
用
的
に
は
た
ら
い
て
い
な
い
。
具
体
的
に
酷
吏
と
し
て
辣
腕
を
振
る
っ
た
こ
と
―
い
え
る
そ
の
性
格
が
示
さ
れ
た
後
、
再
度
䌃
都
が
登
場
す
る
。
䌃
都
の
斬
罪
を
記
し
た
あ
と
に
続
く
寧
成
伝
で
は
、
冒
頭
で
出
自
と
陰
湿
と
も
し
か
し
、
䌃
都
の
存
在
は
本
伝
内
部
だ
け
で
完
結
し
て
い
る
の
で
は
な
い
。
憚
ら
な
い
、
䌃
都
の
上
を
ゆ
く
寧
成
の
素
質
で
あ
る
。
二
人
の
関
係
は
相
互
作
寧
成
の
働
き
ぶ
り
で
は
な
く
、
先
に
示
さ
れ
た
剛
直
な
性
格
の
太
守
䌃
都
さ
え
つ
と
は
い
え
、
こ
の
部
分
の
記
述
か
ら
読
み
取
れ
る
の
は
済
南
都
尉
と
し
て
の
―
と
し
て
位
置
づ
け
ら
れ
る
の
と
同
時
に
、
こ
の
事
件
に
よ
っ
て
太
后
の
意
に
か
示
さ
れ
た
彼
の
剛
直
な
性
格
は
、
あ
と
に
続
く
そ
の
仕
事
ぶ
り
を
支
え
る
も
の
完
結
し
た
枠
組
み
の
中
で
語
ら
れ
て
い
る
よ
う
な
印
象
を
受
け
る
。
太
后
の
評
価
に
よ
っ
て
登
場
し
太
后
の
怒
り
に
よ
っ
て
身
を
滅
ぼ
す
と
い
う
、
原
因
と
な
っ
て
失
脚
す
る
最
期
に
繋
が
っ
て
い
く
。
官
吏
と
し
て
の
䌃
都
は
、
機
能
し
て
い
る
。
後
者
は
臨
江
王
の
事
件
で
太
后
の
怒
り
を
ま
ね
き
、
そ
れ
が
な
い
官
吏
と
し
て
の
キ
ャ
リ
ア
を
ス
タ
ー
ト
さ
せ
た
こ
と
を
示
す
も
の
と
し
て
存
在
で
あ
っ
た
こ
と
が
示
さ
れ
る
。
寧
成
は
済
南
時
代
に
䌃
都
と
の
接
点
を
持
畏
罪
自
重
、
而
都
獨
先
嚴
酷
、
致
行
法
不
避
貴
戚
﹂
と
䌃
都
ひ
と
り
が
異
質
な
都
は
前
述
の
通
り
他
の
酷
吏
と
の
関
係
は
記
さ
れ
ず
、
む
し
ろ
﹁
是
時
民
朴
、
入
る
前
に
趙
禹
以
前
の
三
人
に
つ
い
て
ど
う
で
あ
る
か
確
認
し
て
お
く
と
、
䌃
で た に き と
こ あ ︵ 対 あ し
の る ホ 比 と て
生
要 。 ︶
﹁ す の
き
素
他 る 中
。 尉 た
は
の 俣 と 時
特
酷 野 し 間
に
吏 氏 て が
趙
へ の の 重
禹
の 挙 在 な
以
比 げ り っ
降
擬 た よ て
に
・ 五 う い
多
関 つ を る
く
係 の ﹁ こ
み
﹂ 指 其 と
ら
を 摘 治 を
れ
読 の 效 表
る
み う 䌃 し
よ
取 ち 都 て
う
る 、
䌃 、 い
に
こ 都 其 る
な
と 伝 廉 。
る
が に 弗 さ
。
で み 如 ら
そ
き え ﹂ に
の
る な と 䌃
議
部 か 䌃 都
論
分 っ 都 亡
に
再
度
䌃
都
伝
に
戻
り
そ
の
枠
組
み
に
注
目
す
る
と
、
冒
頭
の
エ
ピ
ソ
ー
ド
で
二
︵
四
︶
岐阜女子大学紀要
他
の
酷
吏
と
の
関
係
か
ら
み
た
と
き
の
、
趙
禹
以
降
の
記
述
を
ま
と
め
る
と
︵
五
︶
⋮
﹂
南
陽
太
守
に
な
る
と
家
居
し
て
い
た
寧
成
を
つ
ぶ
し
に
か
か
っ
た
こ
と
が
三
義
縦
の
記
述
に
戻
り
﹁
義
縱
自
河
内
遷
爲
南
陽
太
守
、
聞
寧
成
家
居
南
陽
、
に
よ
っ
て
関
都
尉
に
任
命
さ
れ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
的
に
ま
と
め
あ
げ
る
も
の
と
し
て
機
能
し
て
い
る
と
い
え
る
。
方
向
へ
導
く
働
き
を
す
る
の
に
対
し
、
後
者
は
人
物
を
相
互
に
関
連
づ
け
総
合
た
俣
野
氏
の
い
う
︵
イ
︶
∼
︵
ニ
︶
の
要
素
が
示
す
酷
吏
の
共
通
項
に
よ
っ
て
、
構
造
化
さ
れ
て
い
る
と
い
う
こ
と
が
で
き
る
だ
ろ
う
。
一
つ
は
前
節
で
確
認
し
そ
の
よ
う
に
考
え
る
な
ら
ば
、
酷
吏
列
伝
の
内
部
は
二
つ
の
手
段
に
よ
っ
て
た
こ
と
の
記
述
を
承
け
、
公
孫
弘
の
言
葉
を
か
り
て
寧
成
の
厳
酷
ぶ
り
、
そ
れ
寧 義 結
成 縦 ば
れ
﹁
る
寧 武
帝
成 に 。
家 評
居 価
⋮ さ
﹂
再 れ
度 河
寧 内
成 都
に 尉
記 と
述 な
が っ
及 た
ぶ こ
。 と
先 が
に 記
寧 さ
成 れ
が た
故 あ
郷 と
へ 、
戻
っ
壽
卒
于
家
﹂
張
湯
に
遅
れ
る
こ
と
十
年
、
天
寿
を
全
う
し
た
記
事
で
趙
禹
伝
が
王
温
舒
ら
は
趙
禹
よ
り
も
厳
酷
で
あ
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
﹁
後
湯
十
餘
年
、
以
い
ま
一
つ
は
︵
ホ
︶
の
要
素
に
よ
っ
て
。
前
者
は
酷
吏
の
類
型
を
作
り
上
げ
る
第 44 号
(2015.
1.)
す
る
根
拠
は
こ
の
点
に
あ
る
と
す
る
。
篇 じ
文 、
字 記
、 事
奇 が
絶⑭ 錯
﹂ 綜
と す
、 る
酷 。
吏 陳
列 仁
伝 錫
が は
全 ﹁
体 敘
を 酷
通 吏
じ 十
て 人
一 、
篇 錯
の 綜
文 聯
章 絡
と 、
し ⋮
て 總
成 成
立 一
こ
と
に
な
る
。
そ
の
結
果
、
現
実
の
時
間
の
流
れ
と
記
述
の
流
れ
に
ズ
レ
が
生
来
事
が
﹁
○
○
者
、
⋮
﹂
で
分
断
さ
れ
る
個
々
の
伝
に
分
散
し
て
配
置
さ
れ
る
数
の
人
物
が
出
来
事
を
共
有
し
て
進
ん
で
い
く
は
ず
の
も
の
が
、
記
述
上
は
出
が 出 方
分 身 で
断 を 、
さ 表 記
れ す 述
独 記 の
立 事 上
を で で
保 始 は
っ ま 各
て っ 酷
い て 吏
る お の
よ り⑫ 伝
う 、 は
に そ 冒
も れ 頭
み を ﹁
え 指 ○
る⑬ 標 ○
。 と 者
現 す 、
実 る ⋮
の と ﹂
時 そ の
間 れ 形
軸 ぞ 式
で れ で
は の そ
複 伝 の
軟
化
、
﹁
王
温
舒
等
後
起
、
治
酷
於
禹
﹂
そ
れ
に
取
っ
て
代
わ
る
よ
う
な
後
進
趙 さ な
禹 せ り
た 失
再 こ 脚
度 と す
趙 が る
禹 記 顛
の さ 末
記 れ 、
述 た 最
に あ 後
戻 と に
り 、 ﹁
、 張 於
趙 湯 是
禹 の 上
の 自 使
経 殺 趙
年 の 禹
に 記 責
よ 事 湯
る で ﹂
取 張 武
り 湯 帝
締 伝 が
ま が 趙
り 結 禹
態 ば に
度 れ 追
の る 及
。
詐
、
舞
智
以
御
之
⋮
﹂
こ
の
あ
と
両
者
の
性
格
が
対
比
さ
れ
る
。
御
史
大
夫
と
禹
に
兄
事
し
た
こ
と
、
﹁
禹
爲
人
廉
倨
、
爲
吏
以
來
、
舎
毋
食
客
⋮
湯
爲
人
多
趙
禹
遷
爲
中
尉
、
徙
爲
少
府
、
而
張
湯
爲
廷
尉
、
兩
人
交
驩
、
而
兄
事
禹
﹂
趙
―
―
時
間
と
出
来
事
を
共
有
す
る
よ
う
に
な
っ
て
い
く
こ
と
を
意
味
す
る
。
そ
の
一
記
事
が
増
え
る
。
こ
の
こ
と
は
、
武
帝
期
以
降
、
酷
吏
の
間
で
複
数
の
人
物
が
張 湯 張
湯 伝 湯
が と
﹁ は 法
湯 じ 令
給 ま 整
事 る 備
内 。 を
史
し
、
た
爲
こ
寧
と
成
を
掾
記
﹂
し
寧
た
成
あ
の
と
属
、
﹁
官
張
に
湯
な
者
っ
杜
た
人
こ
也
と
⋮
、
﹂
﹁
と
已
張
而
趙
禹
太
中
大
夫
と
な
り
、
﹁
與
張
湯
論
定
諸
律
令
、
作
見
知
吏
傳
得
相
監
司
﹂
の
関
わ
り
の
よ
う
な
、
俣
野
氏
の
言
葉
を
借
り
れ
ば
﹁
相
互
の
接
渉
﹂
を
示
す
関
係
﹂
が
そ
れ
ま
で
以
上
に
記
さ
れ
る
。
特
に
、
寧
成
伝
に
み
ら
れ
た
䌃
都
と
以
外
の
酷
吏
の
記
事
が
挿
入
さ
れ
る
こ
と
を
示
す
。
こ
の
よ
う
に
区
切
ら
れ
た
趙
禹
以
降
の
記
事
に
は
、
﹁
他
の
酷
吏
へ
の
比
擬
・
登
場
す
る
こ
と
を
示
す
。
傍
線
箇
所
は
他
の
酷
吏
の
名
前
で
あ
り
、
当
該
人
物
以
爲
能
﹂
に
類
す
る
表
現
を
伴
っ
て
登
場
す
る
よ
う
に
な
る
の
で
あ
る
。
帝
期
に
あ
る
の
に
対
し
、
趙
禹
以
降
の
人
物
は
武
帝
即
位
後
に
上
述
し
た
﹁
上
述
が
始
ま
る
こ
と
を
示
し
、
以
下
の
通
り
に
な
る
。
は
既
出
の
人
物
が
再
度
中
心
人
物
と
し
て
は
﹁
○
○
者
、
⋮
﹂
の
形
式
で
当
該
人
物
の
記
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
王
温
舒
爲
中
尉
、
而
楊
僕
以
嚴
酷
爲
主
爵
都
尉
﹂
天
子
は
王
温
舒
を
中
尉
と
し
、
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
事
件
の
判
断
ミ
ス
を
重
ね
て
罪
に
問
わ
れ
、
﹁
上
復
徙
尉
、
聲
甚
於
寧
成
﹂
昇
進
し
て
関
内
都
尉
と
な
る
と
評
判
は
寧
成
以
上
で
あ
っ
り
張
湯
の
も
と
で
働
き
そ
の
廉
潔
武
勇
を
評
価
さ
れ
た
こ
と
、
﹁
遷
爲
關
内
都
尹 そ が
齊 の 失
後 脚
﹁ は す
以 引 る
刀 き と
筆 延 、
稍 ば 廷
遷 さ 尉
至 れ と
御 記 な
史 述 り
、 は 、
事 尹 尹
張 斉 斉
湯 に が
、 移 中
張 る 尉
湯 。 と
な
數
っ
稱
た
以
。
爲
こ
廉
こ
武
で
﹂
王
御
温
史
舒
と
の
な
憚
っ
て
存
分
に
辣
腕
を
ふ
る
う
こ
と
が
で
き
な
か
っ
た
が
、
義
縦
が
死
に
張
湯
敗
後
、
徙
爲
廷
尉
、
而
尹
齊
爲
中
尉
﹂
さ
き
に
義
縦
が
内
史
で
あ
っ
た
と
き
は
な
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
﹁
義
縱
爲
内
史
、
憚
未
敢
恣
治
、
及
縱
死
、
張
湯
い
た
こ
と
、
広
平
都
尉
か
ら
河
内
太
守
に
昇
進
し
、
武
帝
に
評
価
さ
れ
中
尉
と
杜 れ 程
周 自 で
殺 大
﹁ し 逆
義 、 罪
縱 杜 に
爲 周 問
南 が わ
陽 任 れ
守 用 ﹁
、 さ 當
以 れ 族
爲 た 、
爪 こ 自
牙 と 殺
﹂ が 、
南 記 而
陽 さ 杜
太 れ 周
守 る 任
の 。 用
﹂
義
族
縦
滅
の
の
手
刑
先
に
と
処
な
せ
っ
ら
て
な
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
最
後
右
扶
風
と
な
る
も
、
部
下
を
追
い
詰
め
る
過
免
中
尉
而
宣
爲
左
内
史
﹂
王
温
舒
が
中
尉
を
免
ぜ
ら
れ
て
減
宣
が
左
内
史
と
の
長
き
に
わ
た
っ
て
御
史
お
よ
び
御
史
中
丞
で
あ
っ
た
記
事
の
あ
と
﹁
王
温
舒
減
宣
蔽
に
必
死
に
な
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
、
減
宣
の
記
事
に
移
る
。
締
ま
り
の
厳
酷
化
、
﹁
沈
命
法
﹂
の
制
定
、
し
か
し
盗
賊
は
増
加
し
官
吏
は
隠
会
情
勢
の
記
事
が
挿
入
さ
れ
る
。
そ
の
後
の
盗
賊
の
増
加
と
そ
れ
に
伴
う
取
り
其
治
大
抵
盡
放
温
舒
而
吏
民
益
輕
犯
法
、
盜
賊
滋
起
⋮
﹂
で
始
ま
る
当
時
の
社
こ
の
あ
と
﹁
自
温
舒
等
以
惡
爲
治
、
自
郡
守
都
尉
諸
侯
二
千
石
、
欲
爲
治
者
、
は
こ
こ
で
結
ば
れ
記
述
は
楊
僕
に
移
る
。
楊
僕
が
厳
格
残
酷
さ
に
よ
っ
て
主
爵
都
尉
と
な
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
、
尹
斉
伝
御
史
中
丞
に
昇
進
し
、
主
父
偃
や
淮
南
王
の
事
件
な
ど
審
理
し
二
十
年
―
王 の の は
温 一 あ 䌃
舒 年 と 都
後 に に
﹁ で ﹁ な
以 あ 後 ら
治 る 一 っ
獄 こ 歳 た
至 と 、 こ
廷 が 張 と
史 示 湯 が
、 さ 亦 記
事 れ 死 さ
張 る ﹂ れ
湯 。 先 る
に 。
﹂
記 そ
廷
述 し
尉
さ て
の
れ 義
史
た 縦
と
張 の
な
湯 最
り
の 期
張
死 、
湯
は 処
の
義 刑
も
縦 の
と
の 記
で
死 事
働
職
中
に
病
死
し
た
記
事
で
尹
斉
伝
も
結
ば
れ
る
。
―
尹
斉
の
記
述
に
戻
る
。
温
舒
の
死
後
数
年
し
て
尹
斉
も
淮
陽
都
尉
と
し
て
在
ば
れ
る
。
の
ぎ
を
削
っ
た
こ
と
、
﹁
縱
廉
、
其
治
放
䌃
都
﹂
義
縦
は
廉
潔
で
、
そ
の
統
治
偽
造
対
策
と
し
て
義
縦
が
内
史
に
な
る
と
王
温
序
が
中
尉
と
な
り
、
両
者
が
し
至
惡
、
其
所
爲
不
先
言
縱
、
縱
必
以
氣
淩
之
、
敗
壞
其
功
﹂
、
民
間
で
の
貨
幣
や
り
方
が
厳
し
か
っ
た
こ
と
、
﹁
乃
以
縱
爲
右
内
史
、
王
温
舒
爲
中
尉
。
温
舒
当
時
苛
酷
な
や
り
方
で
九
卿
に
上
り
詰
め
た
趙
禹
・
張
湯
と
比
べ
て
も
義
縦
の
張
湯
以
深
刻
爲
九
卿
矣
、
然
其
治
尚
寛
、
輔
法
而
行
、
而
縱
以
鷹
擊
毛
摯
爲
治
﹂
爲
縱
牙
爪
之
吏
任
用
﹂
杜
周
ら
を
手
先
と
し
て
任
用
し
た
こ
と
、
﹁
是
時
趙
禹
記
さ
れ
る
。
そ
の
あ
と
﹁
南
陽
吏
民
、
重
足
一
迹
、
而
平
氏
朱
彊
、
杜
衍
杜
周
、
事
が
告
発
さ
れ
、
罪
を
問
わ
れ
自
殺
し
た
こ
と
が
記
さ
れ
、
王
温
舒
の
伝
は
結
ま
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
大
宛
討
伐
の
際
、
徴
兵
に
か
ら
ん
だ
王
温
舒
の
悪
王
温
舒
の
記
述
に
戻
り
、
中
尉
と
な
っ
て
巧
み
な
や
り
方
で
犯
罪
を
取
り
締
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
久
之
、
病
死
、
而
温
舒
復
爲
中
尉
﹂
病
死
し
た
の
ち
王
温
舒
が
再
び
中
尉
と
な
っ
討
伐
で
将
軍
と
し
て
功
績
を
あ
げ
る
も
朝
鮮
出
征
の
際
に
捕
ら
え
ら
れ
、
﹁
居
は
尹
斉
を
手
本
と
し
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
天
子
に
能
力
を
評
価
さ
れ
、
南
越
楊
僕
御
史
と
な
り
﹁
使
督
盜
賊
關
東
、
治
放
尹
齊
﹂
盗
賊
の
取
り
締
ま
り
に
︵
六
︶
岐阜女子大学紀要
︵
七
︶
陽
陵
人
也
﹂
の
形
式
で
本
伝
の
記
述
が
始
ま
る
よ
り
前
の
趙
禹
伝
と
義
縦
伝
に
、
に
事
実
と
し
て
酷
吏
達
は
繋
が
り
を
持
つ
。
ま
た
特
に
王
温
舒
は
﹁
王
温
舒
者
、
温
舒
と
尹
斉
、
さ
ら
に
尹
斉
の
失
脚
と
と
も
に
登
場
す
る
楊
僕
、
と
い
う
よ
う
第 44 号
側
/
さ
れ
る
側
の
関
係
と
な
っ
た
義
縦
と
寧
成
、
張
湯
に
取
り
立
て
ら
れ
た
王
(2015.
1.)
れ
、
家
は
巨
万
の
富
を
蓄
え
た
と
の
記
述
で
伝
が
結
ば
れ
る
。
の
統
治
は
暴
虐
残
酷
で
、
ど
ち
ら
も
王
温
舒
ら
よ
り
ひ
ど
か
っ
た
こ
と
が
記
さ
を
挟
ん
で
二
つ
の
郡
の
太
守
と
な
り
﹁
其
治
暴
酷
、
皆
甚
於
王
温
舒
等
矣
﹂
そ
巧
み
だ
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
自
身
は
御
史
大
夫
に
、
二
人
の
息
子
も
黄
河
善
候
伺
﹂
そ
の
仕
事
は
張
湯
を
み
な
ら
い
、
天
子
の
顔
色
を
う
か
が
う
こ
と
が
年
で
、
そ
の
仕
事
は
減
宣
を
手
本
と
し
た
こ
と
、
ま
た
﹁
其
治
大
放
張
湯
、
而
放
﹂
減
宣
と
か
わ
る
が
わ
る
任
用
さ
れ
、
交
互
に
御
史
中
丞
と
な
る
こ
と
十
余
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
﹁
任
用
與
減
宣
相
編
、
更
爲
中
丞
十
餘
歳
、
其
治
與
宣
相
の
史
に
推
挙
さ
れ
張
湯
の
も
と
で
働
き
、
そ
の
進
言
に
よ
っ
て
御
史
と
な
っ
た
列
伝
は
一
つ
の
構
造
体
と
し
て
成
り
立
っ
て
い
る
と
い
え
よ
う
。
て
の
共
通
項
だ
け
で
な
く
、
複
数
の
人
物
が
接
点
を
持
つ
記
述
に
よ
り
、
酷
吏
る
。
こ
う
し
た
要
因
に
よ
り
記
述
は
前
後
し
錯
綜
す
る
。
酷
吏
の
あ
り
方
と
し
さ
ら
に
王
温
舒
の
最
期
を
記
し
た
後
の
減
宣
伝
と
杜
周
伝
に
も
名
前
が
挙
が
あ
と
に
続
く
官
吏
が
王
温
舒
流
の
や
り
方
を
し
た
こ
と
を
示
す
の
は
、
周
陽
由
伴
う
盗
賊
の
増
加
、
沈
命
法
の
制
定
に
い
た
っ
た
経
過
と
そ
の
影
響
を
記
す
。
へ
の
言
及
を
以
て
始
ま
る
が
人
物
描
写
で
は
な
く
、
統
治
の
厳
酷
化
と
そ
れ
に
侯
二
千
石
、
欲
爲
治
者
、
其
治
大
抵
盡
放
温
舒
⋮
﹂
の
部
分
で
あ
る
。
王
温
舒
あ や 本 義 用 と 減 記 と に と も 杜 構
そ る 酷 と 縦 與 し 宣 事 し 、 の 個 周 成 趙
こ 。 吏 し の 減 て 死 が て 䌃 関 々 の す 禹
は た 手 宣 別 後 挟 の 都 わ の 伝 る か
に
単 こ 先 相 個 に ま 酷 ・ り 伝 は が ら
も
独 と と 編 に は れ 吏 寧 と と 同 、 尹
う
で を な ﹂ 存 杜 る の 成 い し じ そ 斉
一
姿 ・ う て く れ の
存 記 り と 在 周 。
つ
減
在 す 張 記 し が 宣 で 周 観 分 ﹁ を 間
挿
す 。 湯 さ た 登 伝 あ 陽 点 断 そ 挟 は
入
る 趙 の れ わ 場 は っ 由 か さ れ ん 複
さ
も 禹 も る け し 王 た の ら れ ぞ で 数
れ
の か と こ で た 温 。 三 す 成 れ 前 の
る
で ら で と は こ 舒 し 人 る 立 一 の 人
の
は 尹 働 か な と が か の と し 段 䌃 物
が
な 斉 き ら く を 中 し 伝 そ て で 都 の
﹁
く ま 、 も 、 記 尉 減 か の い あ ・ 記
自
な で 官 明 そ す を 宣 ら 事 る る 寧 述
温
っ の 吏 ら の 。 免 ・ 読 情 よ ﹂ 成 が
舒
た 酷 と か こ し 職 杜 み は う と ・ 重
等
こ 吏 し で と か さ 周 取 異 に す 周 な
以
と の て あ は し れ の れ な み る 陽 り
惡
を 輩 は る 杜 減 て 伝 る る え 。 由 合
爲
表 出 減 。 周 宣 左 に の 。 る 確 と っ
治
し を 宣 そ 伝 と 内 は は 前 が か 後 て
、
て 経 や の の 杜 史 他 特 述 、 に ろ ま
郡
い て 張 杜 方 周 と の 異 し 他 、 の と
守
る 、 湯 周 に は な 酷 な た の ど 減 ま
都
の も を 伝 ﹁ 官 り 吏 存 よ 酷 ち 宣 り
尉
で は 手 は 任 吏 、 の 在 う 吏 ら ・ を
諸
宣
各
序
爲
一
截
、
而
楊
僕
附
見
于
王
温
舒
尹
齊
傳
内
、
不
在
十
人
之
數
。
一
傳
、
留
寧
成
未
了
合
序
爲
一
截
、
王
温
舒
尹
齊
合
序
爲
一
截
、
杜
周
減
十
人
、
䌃
都
寧
成
周
陽
由
各
序
爲
一
截
、
趙
禹
張
湯
合
序
爲
一
截
、
義
縱
構
成 個
し 々
て の
い 伝
る が
構 完
造 全
を に
、 分
呉 段
見 さ
思 れ
は ず
次 、
の 複
よ 数
う の
に 人
指 物
摘 が
す 繋
る⑮ が
。 り
合
っ
て
部
分
を
周
陽
由
と
そ
れ
以
降
の
区
切
り
を
と
し
て
機
能
し
て
い
る
こ
と
か
ら
考
え
る
記
事
と
類
似
す
る
。
こ
の
記
事
が
社
会
情
勢
の
新
た
な
局
面
を
示
す
と
と
も
に
成
由
等
矣
﹂
と
寧
成
や
周
陽
由
に
類
す
る
官
吏
が
登
場
す
る
こ
と
を
示
唆
し
た
伝
の
後
に
﹁
自
寧
成
周
陽
由
之
後
、
事
益
多
、
民
巧
法
、
大
抵
吏
之
治
、
類
多
―
実
際
の
官
吏
と
し
て
の
役
割
上
で
接
点
を
持
っ
た
趙
禹
と
張
湯
、
弾
圧
す
る
―
働
い
た
こ
と
、
﹁
擧
爲
廷
尉
史
、
事
張
湯
、
湯
數
言
其
無
害
、
至
御
史
﹂
廷
尉
其
次
序
則
用
年
代
之
前
後
爲
次
。
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
一
つ
は
酷
吏
の
死
亡
に
時
間
表
現
を
伴
う
記
事
で
あ
る
。
趙
禹
伝
・
義
縦
さ
ら
に
楊
可
の
告
緡
令
に
反
対
す
る
行
動
を
と
っ
た
こ
と
が
原
因
で
最
終
的
に
の
点
に
つ
い
て
考
察
す
る
。
最
期
に
至
る
記
述
、
巡
幸
時
の
道
路
不
整
備
に
よ
っ
て
武
帝
の
不
興
を
買
い
、
的
に
成
り
立
た
せ
る
機
能
を
担
っ
て
い
る
と
考
え
ら
れ
る
の
で
あ
る
。
以
下
そ
し
か
し
、
義
縦
伝
の
死
亡
記
事
は
こ
の
二
例
と
状
況
を
異
に
す
る
。
義
縦
の
に
い
う
と
、
そ
の
い
く
つ
か
の
記
事
が
酷
吏
達
の
伝
記
を
相
互
参
照
さ
せ
有
機
と
い
う
観
点
か
ら
み
た
と
き
、
別
の
タ
イ
プ
の
記
事
も
存
在
す
る
。
結
論
を
先
て
記
事
が
重
な
る
こ
と
は
必
然
的
な
も
の
で
あ
ろ
う
。
し
か
し
、
そ
の
必
然
性
き
た
人
間
と
し
て
、
現
実
的
に
接
点
を
持
ち
事
跡
が
重
な
り
あ
い
、
そ
れ
に
よ
っ
よ
う
に
記
さ
れ
る
か
を
確
認
し
て
き
た
。
だ
が
考
え
て
み
れ
ば
、
同
時
代
を
生
こ
こ
ま
で
、
個
々
の
酷
吏
の
伝
内
部
に
お
い
て
他
の
酷
吏
と
の
関
係
が
ど
の
他
の
要
素
の
対
比
を
含
み
な
が
ら
時
間
軸
に
沿
っ
た
記
述
が
な
さ
れ
る
。
い
う
歴
史
的
な
時
間
の
流
れ
と
記
述
の
流
れ
に
齟
齬
は
な
い
。
以
上
二
例
で
は
と
考
え
ら
れ
よ
う
。
た
だ
、
こ
こ
で
も
王
温
舒
の
死
、
数
年
後
の
尹
斉
の
死
と
対
照
的
に
記
さ
れ
、
そ
れ
は
官
吏
と
し
て
の
生
き
方
の
違
い
を
反
映
す
る
も
の
後
の
財
産
が
記
さ
れ
て
お
り
、
両
者
は
﹁
家
直
﹂
家
の
財
産
と
い
う
点
か
ら
も
記
述
の
直
前
に
は
王
温
舒
伝
の
結
び
と
し
て
﹁
温
舒
死
、
家
直
累
千
金
﹂
と
死
四
張
湯
の
場
合
と
同
様
、
二
人
の
末
路
を
対
比
し
て
示
す
。
そ
れ
と
同
時
に
こ
の
齊
亦
以
淮
陽
都
尉
病
死
、
家
直
不
滿
五
十
金
﹂
と
し
て
記
述
を
結
び
、
趙
禹
と
る
の
が
、
人
物
の
伝
に
挟
ま
れ
た
二
つ
の
社
会
背
景
の
記
述
な
の
で
あ
る
。
な
い
減
宣
・
杜
周
。
そ
し
て
こ
の
区
分
を
表
示
す
る
も
の
と
し
て
機
能
し
て
い
斉
、
伝
の
構
造
と
し
て
独
立
し
つ
つ
も
酷
吏
の
存
在
と
し
て
は
他
と
切
り
離
せ
構
造
上
も
酷
吏
の
存
在
と
し
て
も
他
と
の
関
係
の
上
に
成
り
立
つ
趙
禹
か
ら
尹
造
と
し
て
も
酷
吏
の
存
在
と
し
て
も
独
立
し
た
䌃
都
・
寧
成
・
周
陽
由
、
伝
の
五
族
処
刑
と
い
う
悲
劇
を
記
し
た
の
ち
、
再
度
尹
斉
に
つ
い
て
﹁
後
數
歳
、
尹
の
末
尾
、
悪
事
が
告
発
さ
れ
王
温
舒
は
自
殺
、
親
族
も
不
正
に
絡
ん
で
同
時
に
↓
尹
斉
↓
楊
僕
↓
王
温
舒
↓
尹
斉
と
移
っ
て
い
く
。
王
温
舒
の
二
度
目
の
記
述
挟
ん
で
一
段
と
し
て
成
り
立
つ
。
こ
の
一
段
の
内
部
で
記
述
の
中
心
は
王
温
舒
尹
斉
伝
は
王
温
舒
伝
と
互
い
違
い
に
記
述
さ
れ
、
な
お
か
つ
楊
僕
伝
を
間
に
―
―
が
、
他
者
と
の
関
係
性
に
着
目
す
る
と
三
つ
の
段
階
に
分
類
で
き
る
。
伝
の
構
内
容
と
し
て
は
共
通
す
る
部
分
を
持
ち
そ
れ
に
よ
っ
て
人
物
は
類
型
化
さ
れ
る
て
い
る
と
判
断
で
き
よ
う
。
前
節
で
確
認
し
た
よ
う
に
、
各
酷
吏
の
伝
は
記
述
挟
ま
れ
た
二
つ
の
部
分
が
前
後
の
各
酷
吏
の
伝
の
性
質
を
区
分
す
る
働
き
を
し
る
原
理
を
持
つ
に
至
る
の
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
に
考
え
る
と
、
人
物
の
記
述
に
の
酷
吏
と
切
り
離
す
こ
と
が
で
き
な
い
、
䌃
都
・
寧
成
・
周
陽
由
ら
と
は
異
な
杜
周
で
あ
り
、
上
述
し
た
よ
う
に
伝
と
し
て
独
立
し
な
が
ら
存
在
と
し
て
は
他
い
う
歴
史
的
な
時
間
の
流
れ
と
記
述
の
流
れ
は
一
致
す
る
。
比
を
示
す
も
の
で
あ
る
が
、
こ
こ
で
は
張
湯
の
死
、
十
数
年
後
の
趙
禹
の
死
と
于
家
﹂
と
結
ぶ
。
劇
的
な
最
期
を
迎
え
た
張
湯
と
天
寿
を
全
う
し
た
趙
禹
の
対
り
、
趙
禹
の
晩
年
の
様
子
を
記
す
。
そ
し
て
最
期
を
﹁
後
湯
十
餘
年
、
以
壽
卒
る
か
の
よ
う
に
自
死
を
選
ん
だ
こ
と
を
記
し
た
の
ち
、
再
び
趙
禹
に
記
述
が
戻
さ
ま
ざ
ま
な
要
因
が
絡
み
合
っ
た
転
落
へ
の
道
筋
、
最
後
に
趙
禹
に
説
得
さ
れ
趙
禹
伝
は
張
湯
伝
を
内
包
す
る
形
で
成
り
立
つ
。
張
湯
伝
の
末
尾
、
張
湯
の
こ
と
が
で
き
る
の
で
は
な
い
か
。
実
際
、
こ
の
記
事
の
あ
と
に
続
く
の
が
減
宣
・
と
、
﹁
自
温
舒
等
以
惡
爲
治
⋮
﹂
で
始
ま
る
記
事
に
も
一
つ
の
区
切
り
を
見
る
ま
ず
趙
禹
伝
と
尹
斉
伝
に
つ
い
て
確
認
す
る
。
伝
・
尹
斉
伝
に
み
え
る
が
、
そ
の
中
で
重
要
な
の
が
義
縦
伝
の
記
事
で
あ
る
。
︵
八
︶
岐阜女子大学紀要
︵
九
︶
れ
て
い
く
記
述
を
立
体
的
に
構
成
す
る
機
能
を
果
た
し
て
い
る
と
い
え
る
だ
ろ
て
い
る
の
が
﹁
後
一
歳
、
張
湯
亦
死
﹂
の
一
文
で
あ
り
、
そ
れ
が
線
条
的
に
流
張
湯
と
時
間
を
共
有
し
て
生
き
て
い
た
の
で
あ
る
。
こ
の
再
構
成
を
可
能
に
し
の
登
場
が
あ
っ
た
の
で
あ
る
。
義
縦
と
杜
周
・
王
温
舒
は
関
係
を
持
ち
な
が
ら
、
を
再
構
成
す
る
と
、
張
湯
の
存
命
中
に
す
で
に
義
縦
の
活
躍
、
杜
周
・
王
温
舒
て
い
る
。
こ
の
こ
と
を
踏
ま
え
て
時
間
軸
に
よ
っ
て
人
物
の
時
間
的
位
置
関
係
縦
の
生
存
中
で
あ
り
、
こ
こ
に
も
記
述
の
流
れ
と
時
間
の
流
れ
に
齟
齬
が
生
じ
ま
り
、
伝
と
し
て
の
記
述
は
後
に
な
る
杜
周
・
王
温
舒
の
登
場
は
実
際
に
は
義
内
史
と
な
る
と
中
尉
王
温
舒
と
し
の
ぎ
を
削
り
合
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
る
。
つ
手
先
の
臣
と
し
て
杜
周
を
用
い
、
﹁
乃
以
縱
爲
右
内
史
、
王
温
舒
爲
中
尉
﹂
右
南
陽
に
い
た
と
き
に
は
﹁
而
平
氏
朱
彊
、
杜
衍
杜
周
、
爲
縱
牙
爪
之
吏
任
用
﹂
て
い
た
こ
と
と
重
な
る
。
杜
周
は
ま
ず
直
前
に
﹁
任
用
與
減
宣
相
編
﹂
減
宣
と
張
湯
。
張
湯
數
稱
以
爲
廉
武
、
使
督
盗
賊
﹂
御
史
と
し
て
同
様
の
仕
事
を
行
っ
締
ま
っ
た
こ
と
が
示
さ
れ
る
が
、
そ
れ
は
尹
斉
の
﹁
以
刀
筆
稍
遷
爲
御
史
、
事
述
を
思
い
起
こ
す
こ
と
に
な
る
。
楊
僕
は
御
史
と
な
っ
て
関
東
で
盗
賊
を
取
り
に
突
き
当
た
っ
た
と
こ
ろ
で
﹁
廉
﹂
を
キ
ー
ワ
ー
ド
に
䌃
都
伝
ま
で
遡
っ
て
記
て
の
廉
潔
さ
に
あ
ろ
う
。
寧
成
伝
あ
る
い
は
義
縦
伝
を
読
ん
で
こ
の
フ
レ
ー
ズ
の
指
摘
へ
繋
が
っ
て
い
く
と
す
る
な
ら
ば
、
対
比
の
最
大
の
焦
点
は
官
吏
と
し
が
さ
ら
に
論
賛
の
﹁
此
十
人
中
、
其
廉
者
足
以
爲
儀
表
、
其
汚
者
足
以
爲
戒
﹂
の
あ
り
方
の
中
で
も
特
に
そ
の
廉
潔
さ
に
注
目
し
て
い
る
こ
と
に
な
る
。
そ
れ
無
所
受
、
請
寄
無
所
聽
﹂
と
あ
る
の
を
承
け
て
い
る
と
す
る
と
、
酷
吏
と
し
て
の
文
字
を
用
い
る
。
䌃
都
伝
に
﹁
都
爲
人
勇
有
氣
力
、
公
廉
不
發
私
書
。
問
遺
義
縦
伝
の
内
部
を
み
る
と
、
義
縦
よ
り
後
に
登
場
す
る
酷
吏
の
名
が
み
え
る
。
こ
の
う
ち
寧
成
と
義
縦
は
䌃
都
に
な
ぞ
ら
え
る
が
、
そ
こ
に
合
わ
せ
て
﹁
廉
﹂
―
第 44 号
(2015.
1.)
は
義
縦
↓
張
湯
な
の
で
あ
り
、
記
述
の
順
序
と
矛
盾
す
る
の
で
あ
る
。
さ
ら
に
は
義
縦
の
方
が
一
年
早
か
っ
た
こ
と
が
分
か
る
。
実
際
に
死
亡
し
た
順
と
し
て
し
か
し
﹁
縱
棄
市
。
後
一
歳
、
張
湯
亦
死
﹂
の
記
録
に
よ
っ
て
実
際
に
は
死
亡
と
な
る
。
記
述
上
は
張
湯
の
悲
劇
的
な
最
期
を
記
し
た
後
に
義
縦
が
登
場
す
る
。
し
て
お
り
、
そ
れ
に
よ
っ
て
記
述
の
順
と
し
て
は
趙
禹
↓
張
湯
↓
趙
禹
↓
義
縦
杜
周
伝
﹁
其
治
與
宣
相
放
﹂
﹁
其
治
大
放
張
湯
、
而
善
候
伺
﹂
楊
僕
伝
﹁
遷
爲
御
史
、
使
督
盜
賊
關
東
、
治
放
尹
齊
﹂
義
縦
伝
﹁
縱
廉
、
其
治
放
䌃
都
﹂
寧
成
伝
﹁
其
治
效
䌃
都
、
其
廉
弗
如
﹂
繋
ぐ
表
現
で
あ
る
。
―
義
縦
伝
が
置
か
れ
る
の
は
趙
禹
伝
の
後
で
あ
る
。
趙
禹
伝
は
張
湯
伝
を
内
包
と り
い で
え あ
る⑯ る
。 が
、
そ
れ
に
続
け
て
張
湯
の
死
を
記
録
す
る
の
は
、
例
外
的
な
も
の
義
縦
伝
に
つ
い
て
い
え
ば
、
義
縦
の
最
期
を
記
す
と
こ
ろ
ま
で
は
パ
タ
ー
ン
通
こ
で
い
う
﹁
最
期
﹂
は
あ
く
ま
で
記
述
の
中
心
と
な
る
人
物
の
も
の
で
あ
る
。
け 体 行
一 る 的 為 も
方 。 行 行 う
動 動 一
は
で の つ
﹁
は 関 、
放
な 連 酷
・
く を 吏
效
比 記 と
︵
較 す 酷
ま
を の 吏
ね
示 と の
る
す は 関
、
記 別 係
手
事 の を
本
に 種 示
と
つ 類 す
す
い の 記
る
て 記 事
︶
﹂
、 事 の
を
そ に う
用
れ つ ち
い
を い 、
対
さ て そ
比
ら 考 れ
し
に え ぞ
て
二 た れ
酷
つ い の
吏
に 。 事
分 具 跡
を
、
す
る
記
述
要
素
の
一
つ
で
あ
る
こ
と
は
先
に
確
認
し
た
と
お
り
で
あ
る
が
、
そ
一
年
後
の
張
湯
の
死
が
記
さ
れ
る
。
酷
吏
の
最
期
の
記
述
は
、
十
一
人
に
共
通
五
処
刑
さ
れ
る
の
だ
が
、
そ
の
あ
と
﹁
縱
棄
市
。
後
一
歳
、
張
湯
亦
死
﹂
さ
ら
に
う⑰
。
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
を
示
す
表
現
で
あ
る
。
の
軸
と
し
て
﹁
趙
禹
∧
王
温
舒
∧
杜
周
の
息
子
達
﹂
と
い
う
不
等
号
で
示
さ
れ
も
う
一
方
は
﹁
於
︵
∼
よ
り
も
︶
﹂
を
用
い
比
較
に
よ
っ
て
程
度
の
高
ま
り
後
の
部
分
を
担
う
人
物
で
あ
る
。
つ
ま
り
、
こ
こ
に
武
帝
期
は
王
温
舒
を
比
較
を
も
つ
と
い
え
よ
う
。
人
で
は
な
く
そ
の
息
子
達
で
あ
り
、
酷
吏
列
伝
が
記
述
対
象
と
す
る
時
間
の
最
あ
り
方
を
重
ね
、
類
推
に
導
き
、
そ
の
類
型
を
も
つ
人
物
を
重
ね
て
い
く
作
用
以
上
の
こ
と
か
ら
、
﹁
放
﹂
を
用
い
て
対
比
す
る
表
現
は
、
酷
吏
と
し
て
の
の
最
後
に
登
場
す
る
人
物
で
あ
る
。
さ
ら
に
最
期
に
比
較
さ
れ
る
の
は
杜
周
本
も
趙
禹
は
武
帝
期
の
酷
吏
と
し
て
最
初
に
登
場
す
る
人
物
で
あ
り
、
杜
周
は
そ
れ
ほ
ど
の
存
在
で
あ
っ
た
か
類
推
さ
せ
る
こ
と
が
可
能
に
な
る
の
で
あ
る
。
る
こ
と
で
、
こ
の
後
の
地
方
官
の
あ
り
方
を
直
接
表
記
し
な
く
て
も
そ
れ
が
ど
を
恐
怖
に
陥
れ
た
こ
と
が
記
さ
れ
て
い
た
。
﹁
あ
の
﹂
王
温
舒
に
重
ね
合
わ
せ
ら
え
る
。
王
温
舒
伝
に
は
広
平
都
尉
、
河
内
太
守
と
し
て
辣
腕
を
振
る
い
人
々
大
抵
盡
放
温
舒
﹂
と
あ
り
、
以
降
の
地
方
官
の
統
治
の
様
子
を
王
温
舒
に
な
ぞ
の
文
に
﹁
自
温
舒
等
以
惡
爲
治
、
郡
守
都
尉
諸
侯
二
千
石
、
欲
爲
治
者
、
其
治
ま
た
、
特
定
の
酷
吏
に
対
し
て
い
う
も
の
で
は
な
い
が
、
尹
斉
伝
の
後
の
地
に
比
べ
、
杜
周
の
息
子
達
を
王
温
所
に
比
べ
る
と
い
う
図
式
で
あ
る
。
そ
も
そ
温
舒
ら
よ
り
も
激
し
か
っ
た
と
い
う
。
こ
こ
で
重
要
な
の
が
、
王
温
舒
を
趙
禹
の
息
子
も
太
守
と
な
り
、
そ
の
息
子
た
ち
に
つ
い
て
横
暴
苛
酷
で
﹁
あ
の
﹂
王
一
方
杜
周
伝
の
記
事
は
伝
の
終
わ
り
近
く
に
、
杜
周
は
御
史
大
夫
と
な
り
二
人
度
を
更
に
深
め
て
登
場
す
る
こ
と
を
、
王
温
舒
の
登
場
に
先
だ
っ
て
説
明
す
る
。
年
は
穏
や
か
に
な
っ
た
裏
で
、
の
ち
に
台
頭
す
る
王
温
舒
ら
が
そ
の
苛
酷
の
程
し
て
い
っ
た
こ
と
を
記
す
箇
所
に
み
え
、
か
つ
て
は
酷
烈
で
あ
っ
た
趙
禹
も
晩
―
宣
・
張
湯
が
想
起
さ
れ
る
場
合
も
事
情
は
同
様
で
あ
ろ
う
。
禹
伝
の
記
事
は
趙
禹
の
酷
吏
と
し
て
の
仕
事
の
や
り
方
が
時
間
を
追
っ
て
変
化
義
縦
に
重
ね
合
わ
せ
る
こ
と
に
な
る
。
そ
れ
は
楊
僕
・
杜
周
か
ら
尹
斉
・
減
趙
禹
の
記
事
と
杜
周
の
記
事
に
は
い
ず
れ
も
王
温
舒
の
名
前
が
み
え
る
。
趙
―
に
ま
で
響
か
せ
た
人
物
で
あ
る
。
そ
う
し
た
数
々
の
行
動
を
も
含
め
て
寧
成
・
な
存
在
と
し
て
高
官
外
戚
を
も
憚
る
こ
と
な
く
辣
腕
を
振
る
い
、
威
名
を
匈
奴
か 時
ら に
想 そ
起 れ
す 以
る 外
䌃 の
都 行
は 動
、 も
酷 想
吏 起
と す
し る
て こ
最 と
初 に
に な
登 る
場 。
し⑱ 特
、 に
当 寧
時 成
に ・
あ 義
っ 縦
て の
特 記
異 述
ま
っ
て
深
化
し
て
い
る
こ
と
を
表
し
て
い
る
。
の
で
あ
り
、
同
様
の
立
場
に
あ
っ
た
酷
吏
と
し
て
の
厳
酷
さ
が
よ
り
一
層
強
様
子
を
承
け
、
尹
斉
の
仕
事
の
評
判
が
﹁
あ
の
﹂
寧
成
以
上
で
あ
っ
た
と
す
る
体
的
な
対
比
の
ポ
イ
ン
ト
が
あ
る
が
、
そ
れ
を
根
拠
に
記
述
を
遡
る
こ
と
で
同
裁
決
を
し
た
点
に
対
比
の
焦
点
が
あ
る
。
い
ず
れ
の
場
合
も
、
そ
れ
ぞ
れ
に
具
記
述
に
そ
っ
く
り
そ
の
ま
ま
重
な
る
。
天
子
の
意
向
を
観
察
し
そ
れ
に
沿
っ
た
尹 見
斉 乳
は 虎
関 、
内 無
都 値
尉 寧
に 成
任 之
命 怒
さ ﹂
れ⑲ と
、 言
お わ
そ れ
ら る
く ほ
寧 ど
成 恐
が れ
関 ら
都 れ
尉 た
で こ
あ と
っ が
た 記
と さ
き れ
の る
。
免
職
さ
れ
た
の
ち
関
都
尉
に
任
命
さ
れ
、
当
時
関
所
を
往
来
す
る
者
の
間
で
﹁
寧
尹
斉
の
記
事
は
寧
成
と
の
比
較
で
あ
る
。
寧
成
は
二
回
目
の
記
述
で
、
一
度
上
意
所
欲
罪
、
予
監
史
深
者
、
卽
上
意
所
欲
釋
、
與
監
史
輕
平
者
﹂
と
い
う
於
王
温
舒
等
矣
﹂
釋
者
、
久
繫
待
問
、
而
微
見
其
冤
狀
﹂
と
続
き
、
そ
れ
は
張
湯
の
﹁
所
治
、
卽
合
う
こ
と
、
張
湯
に
つ
い
て
は
あ
と
に
﹁
上
所
欲
擠
者
、
因
而
陷
之
、
上
所
欲
と
も
に
任
用
さ
れ
た
と
あ
る
の
を
承
け
て
減
宣
と
は
そ
の
仕
事
ぶ
り
が
重
な
り
杜
周
伝
︵
に
記
載
さ
れ
る
二
人
の
息
子
に
つ
い
て
︶
﹁
尹
斉
伝
﹁
遷
爲
關
内
都
尉
、
聲
甚
於
寧
成
﹂
趙
禹
伝
﹁
王
温
舒
等
後
起
、
治
酷
於
禹
﹂
其
治
暴
酷
、
皆
甚
︵
一
〇
︶
岐阜女子大学紀要
能
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
①
︵
一
一
︶
馬
遷
の
史
観
の
一
側
面
﹂
︵
﹃
古
代
学
﹄
九
︵
四
︶
、
一
九
六
一
︶
俣
野
太
郎
﹁
史
の
ち
﹃
秦
漢
政
治
制
度
の
研
究
﹄
一
九
六
二
︶
伊
藤
徳
男
﹁
循
吏
と
酷
吏
︱
司
鎌
田
重
雄
﹁
漢
代
の
循
吏
と
酷
吏
﹂
︵
﹃
史
学
雑
誌
﹄
五
九
︵
四
︶
、
一
九
五
〇
、
の
で
は
な
く
、
後
に
行
く
ほ
ど
濃
く
な
っ
て
い
く
変
化
を
示
す
記
号
と
し
て
機
り
か
﹁
於
﹂
に
よ
る
比
較
表
現
は
文
字
の
﹁
イ
ン
ク
の
色
﹂
の
濃
さ
は
一
律
な
さ
れ
た
文
字
を
幾
枚
重
ね
﹂
る
こ
と
指
示
す
る
マ
ー
カ
ー
と
し
て
、
そ
れ
ば
か
ら
れ
て
い
る
。
﹁
放
﹂
に
よ
る
対
比
表
現
は
田
中
氏
の
い
う
﹁
透
明
紙
に
印
刷
う
。
さ
ら
に
酷
吏
列
伝
で
は
反
復
さ
れ
る
措
辞
に
よ
っ
て
も
そ
の
効
果
が
高
め
立
し
て
い
る
の
で
あ
り
、
こ
れ
も
一
つ
の
反
復
と
み
な
す
こ
と
が
で
き
る
だ
ろ
酷
吏
列
伝
も
構
成
の
う
え
で
共
通
す
る
記
述
要
素
を
積
み
重
ね
る
こ
と
で
成
ど
。
そ
う
し
た
問
題
は
今
後
の
課
題
と
し
た
い
。
ず
他
者
の
伝
の
中
で
言
及
さ
れ
る
対
象
と
し
て
特
に
多
い
王
温
舒
に
つ
い
て
な
だ
問
題
が
残
さ
れ
て
い
る
。
複
雑
な
構
造
を
持
つ
張
湯
伝
や
、
本
伝
の
み
な
ら
形
式
の
上
か
ら
の
分
析
で
あ
る
が
、
個
々
の
伝
の
内
部
の
記
述
に
つ
い
て
は
ま
が
相
互
に
関
連
し
つ
つ
有
機
的
に
成
り
立
つ
所
以
を
明
ら
か
に
し
た
。
本
稿
は
と
伝
を
繋
ぐ
手
段
・
酷
吏
と
酷
吏
の
関
係
を
示
す
記
事
に
よ
っ
て
十
一
人
の
伝
第 44 号
(2015.
1.)
史
記
述
に
お
け
る
表
現
の
反
復
に
関
し
て
、
樊
酈
滕
灌
列
伝
な
ど
高
祖
の
武
将
の
程
度
が
深
化
し
て
い
く
こ
と
を
確
認
し
た
。
田
中
謙
二
氏
は
﹃
史
記
﹄
の
歴
も
の
で
あ
り
、
﹁
放
﹂
に
よ
っ
て
類
型
人
物
を
積
み
重
ね
、
﹁
於
﹂
に
よ
っ
て
そ
以
上
、
二
つ
の
表
現
は
酷
吏
の
あ
り
方
を
相
互
参
照
さ
せ
繋
が
り
を
つ
け
る
作
酷
吏
列
傳
第
六
十
二
﹂
と
い
う
よ
う
に
、
社
会
変
化
に
伴
う
混
乱
や
犯
罪
に
序
に
﹁
民
倍
本
多
巧
、
姦
軌
弄
法
、
善
人
不
能
化
。
唯
一
切
嚴
削
、
爲
能
齊
之
。
左
と
し
て
秦
か
ら
漢
初
の
変
化
を
述
べ
る
。
し
か
し
現
状
と
し
て
は
太
史
公
自
法
令
は
統
治
の
手
段
に
す
ぎ
ず
善
悪
を
正
す
根
本
で
は
な
い
と
い
い
、
そ
の
証
酷
吏
列
伝
に
は
序
が
あ
り
、
そ
こ
で
は
孔
子
老
子
の
言
葉
を
引
き
な
が
ら
、
る
こ
と
が
で
き
る
。
て
わ
れ
わ
れ
は
、
当
該
人
物
の
特
性
を
ば
、
容
易
に
か
つ
鮮
明
に
把
握
す
化
さ
れ
た
も
の
が
わ
れ
わ
れ
の
脳
裡
に
強
烈
に
焼
き
付
け
ら
れ
る
。
か
く
純
化
さ
れ
て
、
代
わ
り
に
そ
の
イ
ン
ク
の
色
は
い
や
増
す
よ
う
に
、
単
一
れ
た
文
字
を
幾
枚
重
ね
て
も
や
は
り
一
字
で
あ
る
よ
う
に
、
た
ち
ま
ち
単
れ
ら
の
戦
功
の
事
項
が
い
か
に
多
く
て
も
、
た
と
え
ば
透
明
紙
に
印
刷
さ
だ
が
、
ふ
し
ぎ
な
こ
と
に
、
か
よ
う
な
叙
述
形
式
で
提
供
さ
れ
る
と
、
か
と 達
を の
以 列
下 伝
の を
よ 取
う り
に 上
い げ
う⑳ 、
。 彼
ら
の
戦
功
の
記
述
が
同
一
表
現
で
反
復
さ
れ
る
こ
今
回
そ
の
内
部
を
特
に
構
成
と
措
辞
の
面
か
ら
考
察
し
、
類
型
化
・
個
々
の
伝
達
が
十
分
に
応
え
て
い
た
現
実
の
上
に
酷
吏
列
伝
は
記
録
さ
れ
た
の
で
あ
る
。
と
評
価
す
る
。
酷
吏
の
登
場
が
要
請
さ
れ
た
社
会
的
背
景
、
そ
の
要
請
に
酷
吏
て
い
た
彼
ら
は
、
残
酷
で
は
あ
っ
た
が
そ
の
地
位
に
相
応
し
い
も
の
で
あ
っ
た
矣
﹂
術
策
を
用
い
て
教
え
導
き
邪
悪
を
押
し
と
ど
め
、
文
武
の
才
を
兼
ね
備
え
教
導
、
禁
姦
止
邪
、
一
切
亦
皆
彬
彬
、
質
有
其
文
武
矣
。
雖
慘
酷
、
斯
稱
其
位
ば
治
め
ら
れ
な
か
っ
た
の
で
あ
る
。
彼
ら
の
手
法
と
結
果
を
論
賛
で
は
﹁
方
略
は
﹁
一
切
嚴
削
﹂
と
い
う
酷
吏
達
が
取
っ
て
き
た
厳
酷
な
手
法
に
よ
ら
な
け
れ
―
―
の
苛
酷
さ
が
増
幅
し
て
い
る
こ
と
を
示
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
る
図
式
が
成
り
立
っ
て
い
る
の
で
あ
り
、
武
帝
期
を
通
じ
て
酷
吏
に
よ
る
統
治
お
わ
り
に
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
⑦
と
あ
る
。
杜
周
の
栄
達
の
様
子
を
表
す
と
と
も
に
、
張
湯
︵
湯
死
、
家
産
直
不
有
一
馬
、
且
不
全
。
及
身
久
任
事
至
三
公
列
、
子
孫
尊
官
、
家
䣳
累
數
巨
萬
矣
﹂
起
因
す
る
と
考
え
ら
れ
る
。
し
か
し
杜
周
伝
の
末
に
は
﹁
杜
周
初
徴
爲
廷
史
、
が
記
述
対
象
と
す
る
時
間
の
範
囲
に
お
い
て
、
杜
周
が
存
命
で
あ
っ
た
こ
と
に
た
だ
し
、
最
後
に
登
場
す
る
杜
周
伝
の
み
は
そ
の
最
期
が
記
さ
れ
な
い
。
史
記
呉
見
思
﹃
史
記
論
文
﹄
酷
吏
列
伝
。
な
お
呉
見
思
が
十
人
の
数
に
こ
だ
わ
る
の
﹃
補
標
史
記
評
林
﹄
巻
百
二
十
二
酷
吏
列
伝
に
引
く
視
点
よ
り
す
る
︱
﹂
前
掲
俣
野
論
文
﹁
史
記
酷
吏
列
伝
に
つ
い
て
の
一
考
察
︱
基
本
的
な
構
成
上
の
⑤
七
〇
、
二
〇
〇
五
︶
が
あ
る
。
⑬
⑮ ⑭
は
、
論
賛
に
﹁
自
䌃
都
杜
周
十
人
者
、
此
皆
以
酷
烈
爲
聲
﹂
と
あ
る
こ
と
に
よ
⑥
述
の
始
ま
り
と
意
識
し
て
い
る
こ
と
の
表
れ
と
考
え
ら
れ
る
。
本
史
記
な
ど
が
﹁
○
○
者
、
⋮
﹂
で
改
行
す
る
の
は
、
こ
の
形
式
を
新
た
な
記
百
衲
本
二
十
四
史
所
収
の
南
宋
黄
善
夫
本
史
記
は
じ
め
史
記
評
林
や
武
英
殿
刊
星
雲
﹂
と
の
格
闘
︱
文
学
と
し
て
の
﹃
史
記
﹄
研
究
序
説
︱
﹂
︵
﹃
中
国
文
学
報
﹄
り
返
り
、
史
記
を
文
学
と
し
て
読
む
行
為
を
探
る
論
考
に
谷
口
洋
﹁
﹁
悲
劇
の
文
学
研
究
の
立
場
か
ら
史
記
が
ど
の
よ
う
な
視
点
か
ら
読
ま
れ
て
き
た
か
を
振
④
一
九
、
一
九
六
六
・
一
九
六
八
︶
伊
藤
徳
男
﹁
史
記
雑
伝
の
研
究
︵
上
︶
﹂
﹁
同
︵
下
︶
﹂
︵
﹃
集
刊
東
洋
学
﹄
一
七
・
③
龜
策
、
貨
殖
、
雜
傳
也
。
以
類
相
從
、
合
在
後
。
此
説
甚
是
﹂
史
詮
謂
儒
林
、
循
吏
、
酷
吏
、
刺
客
、
游
俠
、
侫
倖
、
滑
稽
、
醫
方
、
日
者
、
⑫
侯
周
陽
、
故
因
周
陽
氏
﹂
と
そ
の
姓
の
来
歴
を
記
す
。
出
身
地
を
記
す
。
周
陽
由
の
み
は
﹁
周
陽
由
者
、
其
父
趙
兼
、
以
淮
南
王
舅
父
周
陽
由
以
外
の
十
人
は
こ
の
形
式
に
よ
っ
て
﹁
䌃
都
者
、
楊
人
也
﹂
の
よ
う
に
﹁
雑
伝
﹂
の
名
称
は
た
と
え
ば
梁
玉
縄
﹃
史
記
志
疑
﹄
巻
三
十
六
に
見
え
る
。
﹁
案
、
②
と
の
図
式
で
規
定
し
き
れ
な
い
と
の
指
摘
が
あ
る
。
⑪
吏
﹂
像
を
導
き
出
す
こ
と
も
難
し
い
。
す
る
。
循
吏
五
人
を
貫
く
記
述
形
式
が
あ
る
わ
け
で
な
く
、
典
型
と
し
て
の
﹁
循
石
奢
伝
や
李
離
伝
は
そ
れ
ぞ
れ
一
つ
の
象
徴
的
な
エ
ピ
ソ
ー
ド
に
よ
っ
て
成
立
産
伝
は
子
産
が
宰
相
と
な
っ
て
か
ら
の
社
会
の
安
定
を
年
代
記
式
に
記
す
が
、
―
子
産
、
公
儀
休
、
石
奢
、
李
離
の
五
人
を
合
伝
す
る
。
そ
の
中
で
た
と
え
ば
子
と
え
ば
﹁
循
吏
列
伝
﹂
の
記
述
と
比
較
し
て
も
わ
か
る
。
循
吏
列
伝
は
孫
叔
敖
、
―
列
伝
で
こ
の
形
式
が
必
ず
し
も
用
い
ら
れ
て
い
る
わ
け
で
は
な
い
こ
と
は
、
た
に
も
吏
治
の
変
容
と
い
う
観
点
か
ら
循
吏
と
酷
吏
を
﹁
儒
家
的
﹂
と
﹁
法
家
的
﹂
羊
春
秋
﹄
の
対
立
と
展
開
︱
﹂
︵
﹃
東
洋
史
研
究
﹄
三
六
︵
四
︶
、
一
九
七
八
︶
を
考
察
し
た
冨
谷
至
﹁
西
漢
後
半
期
の
政
治
と
春
秋
学
︱
﹃
左
氏
春
秋
﹄
と
﹃
公
記
述
対
象
と
す
る
時
代
よ
り
後
に
な
る
が
、
前
漢
後
期
以
降
の
春
秋
学
の
展
開
的
意
義
︱
﹂
︵
﹃
日
本
中
国
学
会
報
﹄
四
七
、
一
九
九
五
︶
ま
た
、
﹃
史
記
﹄
が
今
鷹
眞
﹁
司
馬
遷
の
微
辞
﹂
︵
﹃
山
下
龍
二
教
授
退
官
記
念
中
国
学
論
集
﹄
一
九
﹁
直
法
行
治
、
不
避
貴
戚
﹂
︵
義
縦
伝
︶
﹁
所
斬
伐
不
避
貴
戚
﹂
︵
尹
斉
伝
︶
一
八
・
一
九
二
○
、
一
九
六
八
・
一
九
六
九
︶
記
酷
吏
列
伝
に
つ
い
て
の
一
考
察
︵
上
︶
﹂
﹁
同
︵
下
︶
﹂
︵
﹃
東
洋
文
化
復
刊
﹄
︵
﹃
無
窮
会
東
洋
文
化
研
究
所
紀
要
﹄
七
、
一
九
六
七
︶
俣
野
太
郎
﹁
続
・
史
記
酷
吏
列
伝
に
つ
い
て
の
一
考
察
︱
基
本
的
な
構
成
上
の
視
点
よ
り
す
る
︱
﹂
段
と
し
て
機
能
し
て
い
る
と
み
る
こ
と
が
で
き
よ
う
。
わ
せ
て
記
述
さ
れ
る
の
対
比
す
れ
ば
、
杜
周
伝
の
財
産
の
記
事
が
伝
を
結
ぶ
手
病
死
、
家
直
不
滿
五
十
金
︶
の
伝
で
最
期
を
迎
え
た
こ
と
と
死
後
の
財
産
が
合
過
五
百
金
︶
王
温
舒
︵
温
舒
死
、
家
直
累
千
金
︶
尹
斉
︵
尹
齊
亦
以
淮
陽
都
尉
⑧
⑩ ⑨
九
〇
︶
参
照
。
湯
浅
邦
弘
﹁
秦
帝
国
の
吏
観
念
︱
雲
夢
秦
簡
﹁
語
書
﹂
﹁
為
吏
之
道
﹂
の
思
想
史
〇
三
︶
参
照
。
い
て
は
拙
稿
﹁
﹁
道
不
拾
遺
﹂
考
﹂
︵
﹃
金
城
学
院
大
学
論
集
﹄
二
〇
三
、
二
〇
郊
、
盜
賊
不
敢
近
廣
平
、
廣
平
聲
道
不
拾
遺
﹂
︵
王
温
舒
伝
︶
こ
の
表
現
に
つ
﹁
至
則
族
滅
其
豪
穰
氏
之
屬
、
河
内
道
不
拾
遺
﹂
︵
義
縦
伝
︶
﹁
以
其
故
齊
趙
之
︵
一
二
︶
岐阜女子大学紀要
第 44 号
⑰
⑱
ら
さ
ん
と
す
る
太
子
丹
が
荊
軻
に
依
頼
を
す
る
言
葉
に
﹁
誠
得
劫
秦
王
、
使
悉
語
ら
せ
る
の
は
刺
客
列
伝
に
み
え
る
。
荊
軻
伝
で
、
秦
へ
の
積
年
の
恨
み
を
晴
浮
か
び
上
が
る
。
ま
た
登
場
人
物
の
発
言
を
借
り
て
冒
頭
の
人
物
を
理
想
形
と
い
く
。
そ
れ
に
よ
っ
て
相
対
的
に
朱
家
は
游
俠
と
し
て
理
想
的
な
存
在
と
し
て
鄕
者
朱
家
之
羞
也
﹂
と
い
い
、
い
ず
れ
も
最
初
に
登
場
す
る
朱
家
と
対
比
し
て
と
に
﹁
至
若
北
道
姚
氏
、
⋮
之
徒
、
此
盜
跖
居
民
間
者
耳
。
曷
足
道
哉
。
此
乃
之
戲
﹂
と
い
い
、
最
後
に
各
地
の
任
俠
と
さ
れ
る
人
物
の
名
前
を
列
挙
し
た
あ
弗
及
﹂
と
い
い
、
さ
ら
に
劇
孟
に
は
﹁
劇
孟
行
大
類
朱
家
、
而
好
博
、
多
少
年
記
述
し
、
続
く
田
仲
に
は
﹁
楚
田
仲
以
俠
聞
、
喜
劍
。
父
事
朱
家
、
自
以
爲
行
他
に
游
俠
列
伝
に
も
み
え
る
。
最
初
に
季
布
を
苦
境
か
ら
救
っ
た
人
物
朱
家
を
列
伝
内
の
冒
頭
に
登
場
す
る
人
物
に
後
の
人
物
を
重
ね
合
わ
せ
て
い
く
手
法
は
(2015.
1.)
認
む
べ
く
﹂
と
す
る
が
、
構
造
上
の
具
体
的
な
機
能
に
つ
い
て
は
触
れ
な
い
。
着
せ
し
め
て
全
体
を
合
伝
的
に
構
成
せ
ん
と
す
る
用
意
の
殊
に
明
白
な
発
言
と
上
の
視
点
よ
り
す
る
︱
﹂
は
こ
の
表
現
を
﹁
す
ぐ
前
に
置
か
れ
た
張
湯
伝
と
密
な
お
前
掲
俣
野
論
文
﹁
史
記
酷
吏
列
伝
に
つ
い
て
の
一
考
察
︱
基
本
的
な
構
成
⑯
い
と
こ
ろ
が
例
外
的
と
い
う
所
以
で
あ
る
。
た
記
述
と
な
っ
て
い
る
。
義
縦
伝
に
お
け
る
張
湯
の
死
の
記
録
は
そ
う
で
は
な
て
の
本
領
を
発
揮
し
た
こ
と
を
導
く
機
能
を
果
た
し
て
お
り
、
時
間
軸
に
沿
っ
て
中
心
人
物
の
登
用
が
も
た
ら
さ
れ
た
こ
と
を
示
す
。
そ
れ
に
続
く
酷
吏
と
し
温
舒
が
廷
尉
と
な
っ
た
こ
と
を
記
す
も
の
で
あ
り
、
前
述
の
人
物
の
死
に
よ
っ
⑳
九
五
七
、
の
ち
﹃
こ
と
ば
と
文
学
﹄
一
九
九
三
︶
︵
一
三
︶
―
―
田
中
謙
二
﹁
﹃
史
記
﹄
に
お
け
る
表
現
の
反
復
﹂
︵
﹃
東
方
学
報
京
都
﹄
二
七
、
一
た
こ
と
、
︵
王
温
舒
の
前
に
記
述
さ
れ
た
︶
義
縦
の
死
、
張
湯
の
失
脚
後
に
王
い
ず
れ
も
︵
寧
成
の
前
に
記
述
さ
れ
た
︶
䌃
都
の
死
後
に
寧
成
が
中
尉
と
な
っ
尉
﹂
、
王
温
舒
伝
﹁
及
縱
死
、
張
湯
敗
後
、
徙
爲
廷
尉
﹂
の
二
箇
所
に
見
え
る
。
た
こ
と
で
は
な
い
。
他
に
も
寧
成
伝
﹁
久
之
䌃
都
死
。
⋮
於
是
上
召
寧
成
爲
中
記
述
の
中
心
人
物
以
外
の
人
物
が
死
ん
だ
こ
と
を
記
録
す
る
の
は
こ
こ
に
限
っ
そ
の
数
字
を
挙
げ
た
の
だ
︶
と
す
る
の
に
従
う
。
る
が
、
こ
の
点
は
会
注
考
証
が
﹁
愚
按
蓋
擧
其
大
數
﹂
︵
考
え
る
に
、
お
お
よ
軍
と
し
て
の
理
想
が
反
映
さ
れ
て
い
る
と
の
論
考
が
あ
る
。
軍
と
い
う
地
位
に
あ
る
人
物
群
の
中
で
最
初
に
登
場
す
る
司
馬
穣
苴
列
伝
に
将
列
伝
﹂
︵
﹃
名
古
屋
大
学
中
国
語
学
文
学
論
集
﹄
五
、
一
九
九
二
︶
に
同
じ
く
将
す
る
。
列
伝
の
枠
組
み
を
越
え
て
の
分
析
と
し
て
は
、
今
鷹
眞
﹁
将
軍
た
ち
の
と
あ
り
、
刺
客
列
伝
冒
頭
に
登
場
す
る
曹
沫
の
方
法
を
最
善
の
策
と
し
て
提
示
反
諸
侯
侵
地
、
若
曹
沫
之
與
齊
桓
公
、
則
大
善
矣
。
則
不
可
、
因
而
刺
殺
之
﹂
⑲
確
に
重
ね
合
わ
さ
れ
る
。
を
踏
ま
え
史
記
の
﹁
内
﹂
字
を
衍
字
と
す
る
。
そ
れ
に
従
え
ば
両
者
は
よ
り
明
該
当
箇
所
は
﹁
關
都
尉
﹂
と
寧
成
と
同
じ
に
な
っ
て
い
る
。
会
注
考
証
は
そ
れ
こ
の
と
き
の
尹
斉
の
役
職
を
史
記
は
﹁
關
内
都
尉
﹂
と
す
る
が
漢
書
酷
吏
伝
の
『史記』酷吏列伝を読む
(河井昭乃)
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