限界集落で暮らす Iターン移住者たち

前から田舎暮らしに興味のある人々
は 一 定 割 合 存 在 し て い た が、 こ こ に
きてUターンからJターンさらにI
ターンと形態はさまざまであるもの
の、 田 園 回 帰 と も 言 え る 現 象 が 大 き
く な り つ つ あ り、 全 国 の 自 治 体 で 移
住者を獲得する取り組みが展開され
て い る。 そ の ひ と つ が 国 の 事 業 で
も あ る「 地 域 お こ し 協 力 隊 」 で あ
る。 2 0 0 9 年 に 制 度 化 さ れ た こ の
事業は全国の318自治体で978
人(2013年度)が活動しており、
3年の任期を終えても約6割の人が
任 地 に 住 み 続 け て い る。
熊野市でも2009年から現在ま
で 計 人 の 隊 員 が 着 任 し、 今 年 度 も
数 人 の 採 用 が 計 画 さ れ て い る。 こ
の う ち、 4 家 族 人 が 任 期 終 了 後 も
それぞれの地域で今も暮らしている。
12
熊野市の中心部から車で約1時
間、 熊 野 川 を は さ ん で 和 歌 山 県 と 隣
接する山間の県境に紀和町和気地区
が あ る。 平 成 年 の 合 併 に よ り 熊 野
市 紀 和 町 和 気 と な っ た 地 域 で、 合 併
前から過疎化が進み2014年4月
現 在 で、 人 口 人、 高 齢 化 率 % と
い う い わ ゆ る 限 界 集 落 で あ る。
その集落の山裾の民家に暮らすの
がAさん( 才)、妻Bさん( 才)
夫 婦 と 1 才 の 長 男 の 一 家 3 人。 当 然
こ の 集 落 で は 最 も 若 い 夫 婦 で あ る。
∼AさんBさん夫婦∼
次に紹介する夫婦はその中の二組
で あ る。
13
56
28
17
75
37
∼はじめに∼
な 媒 体 を 通 し て 報 告 さ れ て い る。
し か し、 長 年 の 取 り 組 み に も か か
わらず人口の減少に歯止めをかける
こ と は で き ず、 1 9 9 0 年 代 初 め に
は、 過 疎 が よ り 進 行 し て 集 落 維 持 が
困難な深刻な事態になっているとい
う 「限 界 集 落」 と い う 概 念 が 提 唱 さ
れ た。 さ ら に、 2 0 1 4 年 5 月 に
は、 日 本 創 成 会 議 ・ 人 口 減 少 問 題 検
討 分 科 会 の 報 告、 い わ ゆ る 「増 田 レ
ポ ー ト」 に よ っ て、 全 国 の 8 9 6 自
治体が将来消滅する可能性がある
「消滅可能性都市」に該当するとい
う シ ョ ッ キ ン グ な 報 告 が さ れ、 三 重
県でも6市8町がそれに当たるとさ
れ た。 こ の 報 告 は、 誤 解 を 恐 れ ず に
い え ば、 多 く の 市 町 村 が い ず れ 消 滅
することは避けられない必然なもの
と し て 捉 え、 政 策 的 投 資 の 「選 択 と
集 中」 に よ っ て 地 方 を 再 生 す べ き だ
と 主 張 し て い る。 さ ら に 指 摘 し て お
か ね ば な ら な い こ と は、 増 田 レ ポ ー
ト の 考 え 方 が、 現 在 国 が 進 め る 地 方
対策における基本的な認識や方針と
オーバーラップしていると思われる
点 で あ る。 レ ポ ー ト が 示 す 危 機 意 識
は 当 然 重 要 で あ る が、 地 方 自 治 体 に
勤 務 し た 者 と し て、 自 分 の 住 ん で い
る 「ま ち」 が 消 滅 し て し ま う と い う
将来像を描いてよいのかという疑問
が 強 く 残 る の で あ る。
一 方、 近 年 の 顕 著 な 動 向 と し て、
都会で暮らす人々の中で地方への移
住 希 望 者 が 増 加 し て い る。 東 京 在 住
者の実に約4割が地方への移住を検
討又は今後検討したいと考えている
と の 調 査 結 果 も 報 告 さ れ て い る。 以
10
(一財)
今 は ご く 一 般 的 に 使 わ れ る「 過
疎」 と い う 言 葉 が 公 式 に 登 場 し た の
は 1 9 6 0 年 代 の 半 ば、 高 度 成 長 の
陰で地方における人口流出や経済の
衰退などが大きな問題になっていっ
た こ ろ だ っ た。 私 が 役 所 に 入 っ た の
が約 年前で 数年の勤務を経て定
年 退 職 し た の で あ る が、 時 代 に よ っ
て 変 遷 は あ っ た も の の、「 地 方 」 に
属する自治体の施策の主要テーマ
は、 地 域 活 性 化 を ど の よ う に 進 め る
の か と い う こ と で あ っ た。 い わ ゆ る
「地域活性化」に一義的な定義はな
く、 人 口 の 増 加 又 は 減 少 の 抑 制 と い
う 人 口 的 な 側 面、 雇 用 の 場 の 確 保 や
所 得 向 上 な ど の 経 済 的 な 側 面、 各 種
行 事 (伝 統 文 化 の 継 承 な ど) や 共 同
作 業 な ど の 集 落 維 持 の 側 面、 そ れ ら
を 総 合 し た も の で あ り、 地 方 自 治 体
はこれらの視点から各種施策を展開
し て き た の で あ る。 地 域 活 性 化 を 人
口 増、 中 で も 社 会 増 と い う 一 面 で 捉
え る な ら ば 成 功 し た 事 例 が あ り、 特
産品の開発によって雇用の確保と所
得向上が実現した例などもさまざま
40
30
第274号
月刊「地方自治みえ」
2015年4月24日
(1)
限界集落で暮らす
Iターン移住者たち
三重県地方自治研究センター 特別研究員 森岡 澄生
2 0 0 7 年、 歳 の と き に 帰 国
し、 ツ ア ー の 添 乗 員 ( 海 外 ・ 国 内 )
などを経て友人が千葉県で経営する
有機農業・無農薬の農場を手伝うこ
と に な っ た。 1 年 後 出 身 地 で あ る 関
西 方 面 に 帰 る こ と を 決 め、 自 然 農 法
を謳っている関西地方の農場で働く
こ と を 検 討 し た が、 完 全 な 有 機 ・ 無
農 薬 で は な か っ た こ と で 断 念 し た。
ネットで他の仕事を探していたとこ
ろ、 地 域 お こ し 協 力 隊 の 記 事 を 見 つ
け、 最 初 に 見 た 熊 野 市 に 2 0 1 0 年
8 月 赴 任 し た。 活 動 は 自 由 に さ せ て
く れ た の で 「3 年 間 は 助 走 期 間 の つ
も り」 で 任 務 に 就 き、 地 域 住 民 と 連
携しながら有機農業によるレンコ
ン、 ニ ン ジ ン な ど の 栽 培 や 竹 炭 な ど
の製造を手がけ、
特産品化を試みた。
一 方、 茨 城 県 出 身 の B さ ん は、 民
俗 学 に 興 味 が あ り、 東 京 の 大 学 に
進 学 し た。 人 並 み に 就 活 を 行 っ た
10
ん だ。 集 落 の 一 員 と し て 水 源 地 の 維
持管理などの苦労や荒廃していく森
林整備に関する行政への要望なども
あ る と い い、 一 緒 に や っ て く れ る 仲
間 が ほ し い と も 話 し て く れ た が、 都
会育ちゆえ特に感じるきれいな山や
空 気 に 加 え て 温 か い 人 々 と い う 「空
気感」の中で暮らしていくことに「非
常に満足している」と納得顔だっ
た。
最後に熊野に住み続ける理由を尋
ね る と 「人 間 の 細 胞 が 環 境 に あ っ た
形で身体の各部位になっていくよう
に、 僕 は こ こ に お さ ま っ た」 の だ と
答 え て く れ た。 帰 り 際 に い く つ も 連
な っ た 山 々 を 見 な が ら 「こ の 風 景 が
好 き な ん で す」 と し み じ み 語 っ て い
た の が 印 象 的 だ っ た。
∼CさんDさん夫婦∼
熊野市中心部から海岸沿いに 分
ほど走ったところに熊野市波田須町
の 集 落 が あ る。 秦 の 始 皇 帝 の 命 を 受
け、 不 老 不 死 の 秘 薬 を 求 め て 渡 来 し
た徐福が漂着し、焼物、土木、農耕、
捕鯨などの中国文化を広めたと伝え
ら れ、 今 も 窯 所、 窯 屋 敷 と い う 地 名
が 残 っ て い る こ と な ど か ら、 全 国 に
残る 箇所以上の徐福渡来伝承の中
でも有力とされている伝説の地でも
あ る。
波 田 須 町 は、 紀 和 町 和 気 地 区 と 同
様 人 口 減 少、 少 子 高 齢 化 が 進 む 地 域
で あ り、 2 0 1 4 年 4 月 現 在 で、 人
口 1 8 5 人、 高 齢 化 率 % と い う 限
52
15
AさんBさん夫婦
が、 都 会 で 働 く と い う イ メ ー ジ を 持
て ず、 在 学 中 に 九 州 で 農 業 研 修 な ど
を経験し一人暮らしや食への関心が
高 か っ た こ と か ら、 卒 業 後 専 門 学 校
で 有 機 農 業 を 学 ぶ こ と に な っ た。 そ
の後熊野地方を訪ねたときにAさ
ん と 出 会 い 2 0 1 2 年 6 月 に 結 婚、
2014年2月には長男が誕生し
た。
夫 婦 は、 有 機 農 業 へ の 強 い 思 い か
ら任期終了後も任地に留まって野菜
作 り を 続 け、 現 在 は 畑 数 箇 所 5 反
5 畝 程 度 で、 年 間 約 1 0 0 種 類 の 野
菜 を 有 機 農 法、 完 全 無 農 薬 で 栽 培 し
て い る。 取 引 先 は、 直 接 配 達 ・ 通 販
など 件程度、ほとんどが個人で「当
初の予想よりはずいぶんうまくいっ
て い る」 と の こ と。 地 元 の 新 聞 や 雑
誌などで何度となく紹介されたこと
で 販 路 の 拡 大 が で き て い る と い う。
50
Aさんは一人っ子で大阪在住の両
親 も 「理 解 し て く れ て い る」 と 微 笑
20
紀和町和気地区
大阪生まれのAさんは京都の大学
に 進 み、 ア ル バ イ ト を し て は 流 行 の
服を買うごく一般的な学生だった
が、 4 回 生 の と き に そ れ ま で の 価 値
観が根本から覆される体験をするこ
と に な る。 1 年 間 休 学 し て 友 人 と
バックパッカーとしてアジアに出か
け た が、 各 地 の 雄 大 な 自 然 や 自 分 た
ちとあまりにかけ離れた人々の生活
に 大 き な 衝 撃 を 受 け た の で あ る。 帰
国後自分の中で何かが変わった感覚
を 抱 き な が ら も 卒 業 後 は、 建 築 資 材
の 会 社 に 就 職 し、 東 京 で 3 年 半 勤 め
た が、 仕 事 の 内 容 や 東 京 の 生 活 に 疑
問 を 抱 き 仕 事 を 辞 め た。 退 職 後、 友
人 を 訪 ね て 東 南 ア ジ ア 諸 国 で 1 年、
オ ー ス ト ラ リ ア で 2 年、 ア ル バ イ ト
を し な が ら 生 活 し た。 オ ー ス ト ラ リ
ア で は 農 場 で 有 機 農 法 を 学 ん だ が、
この経験が現在に生かされることに
な る。
紀和町和気地区
第274号 ( 2 )
月刊「地方自治みえ」
2015年4月24日
30
35
熊野市波田須町
界 集 落 で あ る。
その集落全域が南斜面なのである
が そ の 一 角 に C さ ん( 才 )、 妻 の
D さ ん ( 才) と 長 女 (1 才) の 一
家 3 人 が 暮 ら し て い る。
尼崎生まれのCさんは京都の大学
を 卒 業 後、 東 京 の I T 関 連 企 業 に 就
職 し た。 海 外 の 活 動 に 興 味 が あ っ た
の で 会 社 の 夏 休 み を 利 用 し て、 日 本
のODA事業の現場を視察するとい
うODA民間モニター事業でパキス
タ ン を 日 間 視 察 し た。 会 社 で の 業
務 は す こ ぶ る 順 調 だ っ た が、 こ の こ
とを契機に海外への夢がますます高
じて青年海外国際協力隊に応募する
こ と に な り、 会 社 側 の 慰 留 を 振 り 切
り、 退 職 し て ド ミ ニ カ に 赴 任 し た。
2年間ホームステイしながら現地の
市 役 所 の 開 発 室 の 業 務 を 担 当 し、 帰
国 後、 半 年 し て 今 度 は エ ク ア ド ル で
1 年 間 地 域 開 発 に 携 わ っ た。
以前からソーシャルビジネス起業
の 希 望 が あ り、 国 内 を も っ と 知 り た
い と の 思 い か ら、 帰 国 後 の 2 0 1 1
年地域おこし協力隊に応募すること
に な っ た。 他 府 県 の 地 域 も 検 討 し て
い た が、 寒 さ が 苦 手 な 妻 の 要 望 に 加
え て、 波 田 須 町 の 風 景 に 魅 せ ら れ て
熊 野 市 に 応 募 し、 2 0 1 1 年 4 月 に
着 任 し た。 任 期 中 は、 熊 野 古 道 の ガ
イ ド、 前 任 者 が 手 が け た ハ ー ブ の 特
産 品 化、 集 落 の 各 種 活 動 な ど の 日 々
だ っ た。
在任中に中小企業診断士の資格を
取 得 し、 任 期 終 了 後 は 「地 域 振 興 を
通した持続可能な社会構築への貢
献」 を テ ー マ に 独 立 し、 現 在 は 移 住
起業コンサルタントとして活動を続
け て い る。 さ ら に、 任 期 中 か ら 始 め
た都市部の子どもたちの自然体験の
コーディネータなども引き続き行っ
て お り、 将 来 は 外 国 人 を 対 象 に し た
熊野市波田須町
31
10
第274号
月刊「地方自治みえ」
2015年4月24日
(3)
観 光 ビ ジ ネ ス な ど も 検 討 し て い る。
妻のDさんは大阪生まれで名古屋
の 大 学 に 進 ん だ。 陸 上 競 技 の 選 手 と
し て も 活 躍 し、 国 際 大 会 に も 出 場 経
験 が あ る ア ス リ ー ト で も あ る。 卒 業
後はアスレチッククラブのインスト
ラ ク タ ー な ど を 経 て、 青 年 海 外 国 際
協 力 隊 に 応 募 し、 ド ミ ニ カ で C さ ん
と 知 り 合 っ た。 2 0 1 1 年 1 月 に は
結 婚 し 二 人 で 熊 野 市 に 移 住 し た。 夫
の 活 動 と は 別 に、 特 技 を 生 か し た 体
操教室などを通して地域住民とも積
極 的 に 交 流 し た。
夫婦と2014年6月に誕生した
長 女 は、 C さ ん の 仕 事 の 関 係 で 1 年
間東南アジアに行くことになり熊野
を 離 れ る の だ が、 帰 国 後 は 熊 野 に
帰ってきてこの集落を拠点に活動を
続 け た い と の こ と。 コ ン サ ル タ ン ト
の 仕 事 柄、 都 会 に 出 か け る こ と も あ
る が、「 早 く 帰 り た く な り ま し た。
いいところに住んでいるとしみじみ
CさんDさん夫婦
思 い ま し た」 と 話 し 地 元 へ の 愛 着 を
語 っ て く れ た。
∼おわりに∼
こ こ で 紹 介 し た 二 組 の 移 住 者 は、
ともに都会育ちで都会の大学に進み
都会の会社に就職するというコース
を 経 た 後、 田 舎 へ の 移 住 を 選 択 し て
い る。 い わ ゆ る リ タ イ ア 組 で は な
く、 単 に 田 舎 暮 ら し を し た い と い う
の で も な い。 ま さ に 子 育 て 真 っ 最 中
であり、有機農業がしたい、ソーシャ
ルビジネスがしたいというはっきり
し た 目 的 意 識、 夢 を 持 っ て 移 住 し て
い る。 協 力 隊 と し て 熊 野 市 を 選 択 し
た の は あ る 意 味 偶 然 で あ る が、 任 期
終了後も住み続けることを選択した
理 由 は 何 だ っ た の で あ ろ う か。 取 材
を通して素朴に感じたことである
が、 地 域 住 民 の 温 か さ と 支 え、 そ し
て大自然が持つ包容力だったのでは
な い だ ろ う か。 彼 ら が 持 っ て い る 夢
を 実 現 さ せ る に は、 地 方 で な け れ ば
な ら ず、 こ の こ と が 今 後 の 地 方 の 役
割 と も い え る の で は な い か。
絶 対 数 は 大 き く は な い も の の、 こ
のような例が全国的に着実に増加し
て お り、 テ レ ビ や 雑 誌 で 数 多 く 紹 介
さ れ て い る。 少 子 高 齢 化、 過 疎 化、
限 界 集 落、 集 落 消 滅 な ど へ の 特 効 薬
は 見 出 せ な い が、 取 材 を 通 し て、 今
までとは確実に違う流れが現出して
いるという事実を確認できたことと
地方の新しい役割が見えつつあるこ
と を 報 告 し、 結 び と し た い。
月刊「地方自治みえ」
2015年4月24日
13
15
講演会のご案内
18
当 セ ン タ ー で は、 次 の 3 つ の 講 演
会 を 企 画 し て お り ま す。 皆 様 の 参 加
を お 待 ち し て お り ま す。
19
13
1.『 こ れ か ら の 自 治 体 議 会 の 在 り
方』(仮題)
13
16
講師:駒林良則(立命館大学教授)
日 時 : 5 月 日 (月)
時半~ 時
場所:三重地方自治労働文化セ
ンター4F 大会議室
参加対象者:議会関係者
申 込 締 切 : 5 月 日 (水)
29
14
2.『人口減少に立ち向かう』
21
16
(東京大学名誉教授)
講師:大森彌
日 時 : 5 月 日 (火)
時~ 時
詳細は下記を参照してください。
申 込 締 切 : 5 月 日 (水)
15
3.『農村回帰と地方創生』(仮題)
−
講師:首藤勝次(大分県竹田市長)
日 時 : 5 月 日 (金)
時~ 時半
詳細は下記を参照してください。
申 込 締 切 : 5 月 日 (木)
いずれも、①自治体名②所属③氏名
④電話番号⑤人数を、FAX(059
2 2 7 3 1 1 6) 等 で、 当 セ ン
タ ー に お 申 込 み く だ さ い。
−
第274号 ( 4 )
『人口減少に立ち向かう』
地方創生関連講演会
―2040 年には全国の自治体の半数近くが消滅する可能性がある。
日本創成会議は衝撃的なデータを発表し、政府も地方創生を重要政策として掲げています。
到来する人口急減社会に対し、我々はどう向き合い、行動していかなければならないのでしょうか。
おお もり
講 師
わたる
大森 彌氏 東京大学名誉教授
【講師プロフィール】 大森 彌(おおもり わたる)
1940 年東京都生まれ。東京大学名誉教授。専攻は自治体行政学・地方自治論。現在、地域活性化センター「全
国地域リーダー養成塾」塾長、全国町村会「道州制と町村に関する研究会」座長、長野県参与、NPO 地
域ケア政策ネットワーク代表理事など。
著書に『変化に挑戦する自治体』
(第一法規)、
『政権交代と自治の潮流』
(第一法規)、
『実践まちづくり読本』
(共著、公職研)、『官のシステム』(東京大学出版会)など。
と き
ところ
5月 19 日(火)
受付 13:30 講演 14:00 ∼ 16:00
三重県総合文化センター 小ホール
参 加 費 無 料
対 象 者 自治体職員、三重県内各単組、三重県地方自治研究センター会員
参加申込 参加ご希望の方は、①自治体名②所属③氏名④連絡先(電話番号等)⑤人数を
Fax または Tel、E-mail にて三重県地方自治研究センターまでお申込みください。
申込締切 2015年 5 月 13 日(水)
主 催 三重県地方自治研究センター
TEL 059-227-3298 / FAX 059-227-3116
E-mail : [email protected]
三重県総合文化センター 小ホール
三重県津市一身田上津部田 1234
http://www.center-mie.or.jp/
津駅西口から徒歩 24 分(1.8km)
「農村回帰と地方創生」
(仮題)
三重県地方自治研究センター
定期総会記念講演会
講 師
大分県竹田市長
首藤 勝次氏
と き
ところ
【講師プロフィール】 首藤 勝次(しゅとう かつじ)
地域主権の確立をめざし、「農村回帰」を標榜。竹田らしい、竹田にしか出来ない施策の展開「TOP運動」を通じた「温泉療養保健適用」
の制度を確立など、全国初の様々な挑戦に取り組んでいる。
○昭和 28 年 竹田市生まれ
○昭和 47 年 同志社大学入学
○昭和 51 年 直入町役場に就職(企画・広報・国際交流・文化振興等に活躍)
○平成 2 年 広報マン全国表彰受賞
○平成 10 年 温泉館「御前湯」初代館長に就任
○平成 13 年 直入町役場を退職し、(有)大丸旅館社長に就任
○平成 14 年 大分県議会議員に初当選
○平成 15 年 大分県議会議員2期目当選 ( 土木建築委員長、総務企画委員長 )
○平成 16 年 国土交通省第5回「観光カリスマ」に選定される
○平成 19 年 大分県議会議員3期目当選(農林水産副委員長、総務企画委員長)
【会場】
○平成 21 年 竹田市長に初当選
○平成 23 年 日独友好賞受賞
アスト津4F
○平成 25 年 竹田市長2期目当選
アストホール
○平成 26 年 大分日独協会会長就任
2015 年 5 月 29 日(金)
受付 14:45 講演 15:00 ∼ 16:30
アスト津4F アストホール
参 加 費 無 料
参加申込 参加ご希望の方は、①自治体名②所属③氏名④連絡先(電話番号等)⑤人数を
Fax または Tel、E-mail にて三重県地方自治研究センターまでお申込みください。
申込締切 2015年5月21日(木)まで
主 催 三重県地方自治研究センター
TEL 059-227-3298 / FAX 059-227-3116
E-mail : [email protected]
三重地方自治労働
文化センター
※公共交通機関をご利用ください。