児童文学における子ども観の変容

2014 年度卒業研究
児童文学における子ども観の変容
藤女子大学文学部
文化総合学科 0915106 番
氏名 若島みなみ
担当教員 野手修
はじめに
多様化が進む現代では、子どもを取り巻く環境も大きく変化した。母子・父子家庭や共
働き家庭の増加など、従来の画一的な家族形態が崩れ、家族というものの定義も曖昧にな
りつつある。さらに経済的な格差により、幼少の頃から教育・遊びなど、同じ年代の子ど
もでも、多種多様のスタイルが確立されている。
また、インターネット技術の発達や携帯電話(スマートフォン)の普及などにより、一
昔前では考えられないような友人関係やコミュニティの中で現代の子どもは生活している。
現実世界での友人関係と、ネットの中での友人関係と、常に誰かと繋がることのできる生
活は、インターネットや携帯電話(スマートフォン)が一般的に普及されていなかった時
代に子ども時代を過ごした人間には中々想像がつかない。しかし SNS による友人関係の
トラブルから発展したいじめなど、インターネット、携帯電話(スマートフォン)による
被害は年々増加している。
そうして、「ゆとり世代」「さとり世代」など世代別に名前をつけ、最近の子どもはよく
わからない、などと嘆く姿をよく目にするが、それは単純にコミュニケーション不足やお
互いの相性といった問題以外に、自らの子ども時代とは違う世界で育った者と接する際に、
自分の中にある、
「子どもらしい姿」に対する価値観や、かつて自分がその年齢だった時の
記憶がうまく当てはまらないからではないだろうか。
そもそも近代になるまで子どもという概念自体が曖昧であり、そういった子どもという
概念のない時代から今日に至るまでに、純真無垢な子どもや弱い子ども、勇敢な子どもや
悪い子どもなど、様々な子ども観が新たに発見・誕生し、普及されていった。それは家庭
や社会が変わるように、変わっていくものであった。
新たな子ども観を普及するものとして、主に現代ではテレビ・漫画などが活躍している
が、今ほどテレビや漫画文化が発達していなかった頃その普及の一旦を担っていたのは児
童文学であった。児童文学の読者となるのは勿論子どもであり、作家たちはそれぞれの思
う「子ども」に対して、文学を作り続け、時にはその時代における「新しい子どもの姿」
を生み出すこともあった。
「活字離れ」などという言葉が生まれたように、近年は出版会が低迷を続け、特に若者
の活字離れが問題視されている。その原因はテレビゲームや漫画やインターネットである
と指摘されることが多い。そのような状況に直面し、児童文学作家たちは試行錯誤を繰り
返した後に従来の児童文学とは違う形の作品を作りだした。それは扱うテーマの変化や本
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そのものの形や売り出し方に現れることになった。このような児童文学における新しい変
化・傾向から、現代における新しい子ども観を探ることができるのではないだろうか。
そこで、本論では、児童文学をテーマにして、子どもと本の関係、それに対し大人はど
のようにアプローチしているのか。そこに、子どもに対する価値観の変化や、現代の子ど
もと大人の関係を探ることができるのではないだろうかと考え、考察していくことにする。
第一章では主に明治維新後から 90 年代頃までの児童文学の歴史とそれに伴う子ども観
や、その社会的位置づけについて、第二章では 90 年代頃よりおきたタブーの崩壊と、2000
年代以降にみられるライトノベル的な児童文学の姿を、第三章では実際に児童文学作家の
方に現在の児童文学のあり方について尋ねたことをまとめている。第四章では、それまで
の章で述べたことを踏まえたうえで、児童文学における子ども観の変容について考察して
いく。
第一章 児童文学の歴史
子どもの発見
明治維新以前まで、日本では子どもというものは大人から分離された存在であったが、
それはあくまでも封建社会のなかの一員の枠を超えるものではなかった。武家の子どもは
武士になる教育を、農家の子どもは農民になる教育を、というように、それぞれの階級で
親の跡を継ぐための教育を受け、早い時期から親の仕事を手伝い、集団の中で役割を与え
られた。また、男女の違いや長男、次男以下ではその扱いも大きく変わった。
これは中世ヨーロッパと似た姿であった。子どもは「小さな大人」であり、いわゆる「子
ども扱い」というものをされることはなかったのである。
その後ヨーロッパでは長い時間をかけて徐々に発展し近代化した家族と学校制度によっ
て、
「子ども」が誕生するが、日本では明治維新による教育制度、義務教育の確立によって
急速に、半ば強制的に「大人」とは違う存在、あらゆる枠組みを取り除いて存在する「子
ども」という概念を作りだしたのである。
しかし「大人」と「子ども」を制度的にわけたところで、それまで特に意識してこなか
った「子ども」に対する国民全体に一致する概念が形成された訳ではない。日本もまたヨ
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ーロッパのように、長い時間をかけ、あらゆる社会の影響を受けながら、
「子ども」の概念
を形成していったのである。
創作児童文学の誕生
1891 年日本の創作児童文学の第一歩として巌谷小波の「こがね丸」が誕生する。これは
彼自身が編集する博文館発行の雑誌「少年文学」に掲載された。内容は主人公である犬の
黄金丸が親の仇を討つ勧善懲悪の復讐物語である。内容は古いが、子どもたちの人気は高
く、新聞や雑誌も「こがね丸」を高く評価した。
1891 年ごろの小学校就学率は 50%程度であり、男子の割合が高かった。これは未だに
農村部においては子どもが貴重な労働力であったことと、そのような中でも出世のために、
男子には教育を受けさせようという考えから出た結果である。そのため、少年文学に掲載
される話の多くは偉人伝などのノンフィクションの歴史ものであり、封建的で儒教的な内
容のものが多かった。また、作品を通して読者である子どもへ、望ましい生き方の手本を
示そうとする意思がみられ、子どもの感性などはあまり意識されていない。
それでも「少年文学」は多くの国民に好意的に受け入れられた。定期的に雑誌を購読出
来る家庭はあまり多くはなかったが、この頃より確実に、児童文学の購買層の形成はなさ
れていた。
そして「少年文学」が誕生した4年後、1895 年明治 28 年、博聞館はそれまでの雑誌
を統廃合し、巌谷小波を主筆に迎えた「少年世界」を創刊した。この頃日本は日清戦争の
真っ只中で、戦争が国民の強い関心事として注目されていた。少年雑誌にもその影響は現
れ、戦争を題材に扱った作品が数多く掲載されることとなる。
巌谷小波自身は、このころ子どもの読み物のことを「お伽話」と名づけ、オリジナルの
お伽話以外にも、古くから日本にある民話や、海外の作品をまとめ、その普及に力を注い
でいた。巌谷の下で再生されたお伽話の数は膨大であり、これは日本児童文学界に残る大
きな功績である。
しかしこうして、巌谷小波を中心として発展していった「お伽話」時代は、明治の末の
頃から徐々に変化を見せ始める。小川未明などが先駆者となり、新たに芸術的でロマン主
義的な童謡が主流となっていったからである。
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大正期の児童文学
1914 年、大正 3 年に第一次世界大戦が勃発し、日本は連合国側につき大きな利益を
生むことになる。貿易額が4倍に伸び、国内の生産高は飛躍的に増大し、企業や都市の近
代化が進んだ。国民の生活も豊かになり、新興住宅地に住み、両親ともにある程度の教養
を持つ新中間層が形成された。彼らは相応の経済力があり、文化的な生活を送ることが一
種のステータスでもあった。 そうして戦後、国民も西洋の文化に馴染んでいったころに
広まったのがデモクラシーの思想である。
その思想は日本中に広まり、いわゆる大正デモクラシーが起こったのであるが、大正デ
モクラシーで自由や個性の尊重が見直されるようになると、自然とそれまであまり意識さ
れてこなかった女性や子どもへの関心がもたれるようになった。
こうした中で 1918 年大正七年、鈴木三重吉によって発行された「赤い鳥」は、明治末
期の小川未明などにみられたいわゆる芸術的童話を扱っている。創刊号には「赤い鳥の標
榜語(モットー)」として「現在世間に流行している子どもの読み物の最も多くはその俗悪
な表紙が多面的に象徴している如く、種々の意味に於いて、いかにも下劣極まるものであ
る。」などと強烈に今までのお伽話を批判している。そして「赤い鳥は世俗的な下卑た子ど
もの読み物を排除して、子どもの純正を保全開発するため」の「一大区画的運動の先駆で
ある」と宣言している。そしてその宣言通り「赤い鳥」はそれまでの封建的な子ども観を
打ち壊し、「純真で無垢」「純粋な子、弱い子、良い子」などを新しい子ども観として作り
出した。
「赤い鳥」は表紙からしてハイカラな雰囲気を漂わせ、当時の新中間層の好みによく合
っていた。また、大正デモクラシーによって新ヨーロッパから入ってきた新しい教育理念
による子どもの解放を望んでいた若い教育者などにも共感を与え、授業の教材に採用され
るなど、瞬く間に国民から高い人気を得るようになった。
大衆児童文学の登場
ところが、その後 1929 年(昭和4年)になる頃には、
「赤い鳥」や同じく芸術的な童話
を掲載していた「おとぎの世界」(1922 年)や「金の星」(1929 年)などが次々と廃刊に
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なっていく。原因としては文藝春秋社の出した「小学生全集」とアルス社のだした「日本
児童文庫」が大正期に生まれた童話や童謡をほぼ全て収録してしまったことや、関東大震
災の影響をうけ資金繰りがむずかしくなったことが挙げられる。
時代としては 1927年に金融恐慌が、1929 年には世界恐慌が起こり、第一次世界大戦に
よって急成長を遂げていた日本経済が大打撃を受けた頃である。明るい話題の多かった新
聞は一転して、一家心中や強盗身売り、小作争議やストライキのなどの記事が載るように
なった。
そのような不況のなかで子どもたちに支持され、発行部数を伸ばしていたのは大日本雄
弁会講談社刊の「少年倶楽部」(1914)をはじめとする大衆児童文学である。比較的安価
で大量に出版することができ、内容もそれまでの純粋無垢な子ども観を打ち破るように、
力強く少年の理想を書いたような娯楽性の高い作品が多く、それが当時の少年少女の心を
掴んだのである。
「少年倶楽部」は当時の児童文学雑誌と比べると発行期間が長いことが特徴的であるが、
最もその発行部数が伸びたのが、
「赤い鳥」に代表されるような童話的児童文学が廃れ始め
た時期であった。「面白くて為になる」をモットーとし、佐藤紅緑の「犬塚信乃」(1933
年1月~12 月)、山中峯太郎の「敵中横断三百里」(1930 年4月~9月)吉川英治の「神
州天馬侠」
(1925 年 5 月~1928 年 12 月)など長編を中心とした連載小説が人気を博した。
戦時下における児童文学
そうして大衆児童文学が隆盛の時期をむかえるが、1931 年から 1945 年のいわゆる 15
年戦争の時代に突入すると、児童文学界も着実に政府の統治下におかれることとなる。厳
しい言論統制がしかれ、ファシズム的思考や国策に反する要素があるものは出版を抑えら
れた。特に 1937 年の中国に対する侵略戦争以降は、児童文学は少国民文学と呼ばれるよ
うになり、主に子どもたちを戦争に駆り立てるための手段として使われるようになる。特
に 1938 年内務省が発表した「児童読物改善に関する指導要綱」は事実上の文化統制であ
り、それまで「面白くて為になる」がモットーであったはずの「少年倶楽部」も、この時
代は富国強兵や勧善懲悪、立身出世などを全面に押し出した作品を載せるようになる。
また、この「児童読物改善に関する指導要綱」の実施にあたり、内務省は児童文学、児
童心理学、教育学等の分野から9名の学識経験者の意見を尊重して聞き入れ実施し、その
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結果低俗な赤本(漫画)出版物の取締が強化され、出版停止になった分の紙の割り当ては
芸術的児童文学に当てられた。このことにより、低迷していた芸術的・童話的な児童文学
は一転して復興をとげるが、それも戦争が進むにつれて紙もインクもなくなっていくに従
い、出版不可能となる。
童話伝統批判
戦争が終わり自由に出版ができるようになったが、児童文学はまたしても停滞の時期に
突入してしまう。そうした中で、なぜ児童文学が読まれないのか、児童文学の理想とはな
んであるのか、子どもが望む話はどのようなものなのかを、児童文学に関わる者たちは模
索し始める。
1953 年には早稲田大学の学生たちのサークル、早大童話会が「『少年文学』の旗の下に!」
との書き出しで「少年文学宣言」を発表し、従来の小川未明に代表されるような童話の伝
統を批判した。
この「少年文学宣言」をきっかけに古田足日による「象徴童話への疑い」(少年文学、
1954 年)や佐藤忠男の「少年の理想主義について」(『思考の科学』1959 年)など、様々
な論が発表された。
これは日本の児童文学の転機になるできごとであった。結果としては、それまで低俗で
あると考えられてきた大衆児童文学が見直され、逆に「赤い鳥」などにみられる童話的な
思想が批判されるようになったのである。
その後娯楽としての児童文学がクローズアップされるようになり、学年別雑誌や週刊雑
誌がいくつも創刊されるなど、児童文学=教育といったイメージは薄れていった。
第二章 新しい児童文学
タブーの崩壊
そうした童話伝統批判の後、90 年代以降から現れた新しい傾向がある。それまで児童文
学ではタブーとされてきた人の心の闇の部分、具体的に言うと「両親の離婚、極度の貧困、
家出、差別、性、自殺」などを児童文学の題材に取り扱い始めたのだ。
第一章で述べているように、従来の児童文学は明治初期の封建的なものや、
「赤い鳥」に
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みられる純粋で童話的なもの、
「少年倶楽部」にみられる徳育性の高いものなどが挙げられ
る。今までもそれらタブーと呼ばれるようなジャンルをテーマにした作品は存在したが、
あくまでもそれは少数であり、それらを含め教育に重きを置くような従来の児童文学作品
には、どれもはみ出してはいけないタブーとされる領域が存在していた。それは砂田(1998)
によると、大人が教育的な配慮から意識的につくりだすタブーであった。純真無垢にみえ
る子どもが、決して人間の心の闇とは無縁ではないと知りつつも、子どもの成長に必要な
エネルギーの大半は影の部分と対比される光の部分によって補われているという価値観が
存在していたからである。
しかし、90 年代頃より離婚問題や少年犯罪、いじめ問題などが社会でもよく取り上げら
れるようになり、「キレる」「新人類」などの言葉が生まれ、昨今ではよく耳にする「最近
の子どもはよくわからない」という言葉が呟かれはじめたのである。今までは大人の保護
のもとにあった子どもたちがアイデンティティを持ち始めたのである。
こうして社会全般で子ども観が揺らいでいるなかで、童話伝統の批判後、作家たちは新
しいジャンルを求めて試行錯誤を繰り返した結果、あえて今まで避けてきた未知の領域で
あるタブーをテーマにしだしたのである。
とはいえ、児童文学における大きなテーマの一つが「主人公の成長」というものは 90
年代以降の作品でもあまり変わることはなく、タブーと戦いそして成長していく主人公の
姿が描かれることが多くなった。
この傾向は現代まで続いており、結果として児童文学の幅が大きく広がり様々なジャン
ルの児童文学がうまれてる。
児童文学と一般小説の境目の変化
こうして 90 年代以降タブーが崩壊し、児童文学の取り扱うテーマが幅広くなり、児童
文学作品と、一般小説との境目が曖昧な作品が増えて行くことになる。大人の読者も満足
させるような重厚で構成のしっかりとした作品が増え、一般小説家が児童文学を書く事も
多くなった。
大人も読む児童文学作品として有名なものは、海外の作品であるが、J・K・ローリング
の「ハリー・ポッター」シリーズ(1999~2008、静山社)、宮部みゆきの「ブレイブ・ス
トーリー」
(2003、角川書店)、などが挙げられる。いずれも児童書として出版されている
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が、大人の読者も多く、また映像化されたことにより、知名度も高い作品である。特に「ハ
リー・ポッター」シリーズは社会現象を起こすほどのブームになり、児童文学の世界に大
人を呼び込む大きなきっかけとなった。
そもそもハリー・ポッターがブームを起こす前から萩原規子の「空色勾玉」シリーズ
(1988 福武書店)など、良質な長編児童小説はいくつか存在していたのだが、注目を浴び
始めたのは「ハリー・ポッター」シリーズが作ったファンタジーブームの影響が大きいだ
ろう。
こうした大人による児童文学の発見により、子どもと共有して読まれる児童文学作品が
増え、森絵都の「カラフル」
(2007)やあさのあつこの「バッテリー」
(2003)ように一般
小説と児童文学作品の間にあるような、ヤングアダルト小説と呼ばれる作品も現れるよう
になっていく。
ヤングアダルト小説の一例として、特に大人の女性から強い支持を得た梨木香歩の「西
の魔女が死んだ」(1994)では、物語の冒頭で主人公のまいが慕っている祖母の死を知ら
され、そこからまいが回想する形で物語は進んでいく。煩わしい友人関係に疲れ不登校に
なってしまったまいが豊かな自然と自らを魔女と名乗る祖母との暮らしの中で徐々に自分
に自信をつけていく様子が丁寧に書かれている。
「死」をテーマに扱った作品だが、物語全
体は優しく穏やかな雰囲気である。
若干のファンタジー要素を含みつつ、物語を通して「癒し」が感じられる作品は、ヤン
グアダルト小説では珍しくない。このようなヤングアダルト小説が子どものみならず大人
にも共感を得る理由として、野上暁(2009)は、今日的な制度や、管理社会の軋轢や、煩
雑な日常性を突き破り、自由な精神の所在をシュミレーションしてみせているからであり、
それは現代人の心の内奥に多様に作用する力があるからだ、と述べている。
2000 年代以降の児童文学の現状
塾や習い事など、子どもたちの生活が忙しくなる一方で、テレビ、ゲーム、漫画、イン
ターネットなどが普及している環境で、子どもたちの読書に対する興味は薄れている。小
中学生を中心にした朝読書の推進や、表紙や挿絵を流行りのアニメ風なものに変更するな
ど、子どもたちの手にとってもらえるよう努力はしているが、結果はあまり振るわず、児
童書の売れ行きは不調であるのが現状である。
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児童文学のライトノベル化
そのような中で、現在児童書のコーナーで最も勢いがあり、子どもたちの興味を引い
ているのはライトノベル的な児童書である。
ライトノベルとは、若年層をターゲットにした娯楽小説の一種であり、そのほとんどの
作品が文庫型で低価格で購入でき、アニメ風な表紙と多くの挿絵をはさんでいる。またキ
ャラクターに焦点を当てた作品が多いことも特徴であり、近年ではメインターゲットであ
る中高生以外に 20 代、30 代の読者も多い。
ライトノベルは文学的ではない、子どもに読ませるにはあまり向いていないのでは、と
いう批判的な見方があるのは確かであるが、今回は一般的に児童文学とは「大人が、子ど
もに向けて書いた本」と考えていること、そして現在子供たちに積極的に選ばれている本
のジャンルであるという理由から、ライトノベル的な児童書についても考察していく。
ゼロ年代以降、講談社の「青い鳥文庫」岩崎書店、金の星社、童心社、理論社の四社が
協力出版している「フォア文庫」などを筆頭に次々と出版各社がレーベルを開始し始め、
この勢いは未だに止まることはない。
内容は従来の児童書より、エンターテイメント性、キャラクター性を重視したもので、
軽いテンポとコメディ要素の多い明るいストーリーが特徴だ。また、表紙や挿絵に採用さ
れているのはアニメのように今風の可愛らしい絵柄のもので、絵柄の良さが実際の売上に
も影響するため、中には実際に子どもに人気のある漫画家が描いている作品もある。
ソフトカバーで低価格であり、
「大人が子供に読ませたい」というよりも「子どもが読み
やすい本」に焦点を当てて作っている印象を受ける。
また、ライトノベルの特徴としては、上記に述べたものの他に、非常に商業的に活動し
ていることも挙げられる。人気がでたものはシリーズ化し、10 冊以上になることも珍しく
ない。中にはアニメ化、漫画化、グッズの販売などを行っている作品もある。シリーズ化
された作品では、読者の意見を積極的に取り組みストーリーに反映させるなど、読者と作
者の間に交流があることも連載漫画を連想させる特徴である。メインターゲットは小学生
女子であり、有名な作品と言えば「黒魔女さんが通る!!」(2005~)シリーズや「若おか
みは小学生!」(2003~2013)シリーズがある。
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「黒魔女さんが通る!!」は主人公である小学校5年生の黒島千代子が、ひょんなことか
ら召喚してしまったギュービットという黒魔女とともに黒魔女修行をするという内容のも
ので、基本的に千代子の身の回りに起きる事件を中心にした短編集である。
「若おかみは小学生!」は主人公である小学6年生の関織子が突如交通事故で両親を亡
くし、祖母の営む旅館に住むことになるのだが、そこに住み着いていた幽霊のウリ坊によ
って若おかみを目指すことになるという内容で、基本一巻完結型で 2003 年に全 20 刊で完
結している。
この二つの作品はどちらも青い鳥文庫から出版されており、番外編と称して作品同士ク
ロスオーバーさせた作品もあるほどだが、比べてみると類似点が多い。
「主人公は突然非日
常に巻き込まれ、自分にしかみえない特別な存在の友人とともに慌ただしい生活を送る」
「主人公は一見普通の女の子だが、実は周りとは違う力を持っている」
「本人はあまり意識
していないが周りから特別視、または好意を持たれている」など、非現実的で少女漫画的
な要素を多く含んでいる。しかしこれはこの二つのシリーズだけに当てはまるものではな
く、一般向けのライトノベルである谷川流の「涼宮ハルヒ」(2003~、角川書店)シリー
ズなども含む、ライトノベルと呼ばれる作品の多くに当てはまる特徴である。
ジャンルもターゲットも違うのに、似た構図の作品が売れているのは、年代より時代の
影響であろう。忙しい日々や、常にインターネットや携帯電話でつながっている人間関係
のなかで、ライトノベルは気軽に、小説を読むというよりは、漫画やアニメをみる感覚で、
主人公に自分を重ねて非日常感やちやほやされる状況を楽しめるのではないかと思われる。
第三章 書き手としての児童文学
書き手としての児童文学
ここで実際に児童文学に携わっている方の意見を紹介していこうと思う。今回は児童文
学作家の升井純子先生と五十嵐まり先生に話を伺った。その中で特に印象的であった意見
や言葉を完結にまとめようと思う。
子どもの環境の変化について
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真面目で大人びている子どもが多い印象。生まれてからずっと景気が悪い中で育って
きた影響なのかもしれないが、未来に対するポジティブなイメージを持つ子どもが少ない。
また中学生にもなると部活や塾で忙しくなり、人間関係も複雑で悩みも多くなる。さら
に今は携帯電話でいつでも連絡の取れる時代なので、帰宅後のプライベートな時間が少な
くなっているのでは。そのような環境では、自分自身の悩みとリンクするような重たい内
容の小説を読むより、簡単に気分転換が出来るネットやテレビ、ゲームなどに興味が流れ
てしまうのはしょうがないことだろう。
タブーの崩壊について
タブーの崩壊がなぜ起きたかというと、もちろん児童文学が行き詰った末に、という
事も理由の一つだが、それ以外にも 1995 年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事
件の影響も強いと思う。人の暗い側面に世間が注目し始めたのはこの事件がきっかけであ
った。普通にしている人間が、じつは心の内に恐ろしい考えをもっているかもしれないと
いう考えが生まれた。知らない人について行ってはいけない、話しかけてはいけない、な
どの注意を子どもによくするようになった。少年犯罪がメディアの注目を浴びるなど、社
会全体の空気が変わったのはこの頃からであろう。
ライトノベル化する児童書について
文学的ではないが、本と触れ合うことや、そのほかの児童書を読むきっかけになるのな
らば良いと思う。本当ならば、体も心も大きく成長する時期に読んでもらいたい児童書は
たくさんある。しかし、行間を読み、想像を膨らませ、自身とじっくり向き合うという行
為は、今の忙しい子どもには受け入れられづらいのかもしれない。また、何に対してもそ
うだが、たくさんの選択肢と簡単に情報、娯楽の手に入る今の時代では、余暇の過ごし方
が変わってしまうのはしかたがないという思いもある。
児童文学と他の一般小説との大きな違い
やはり読者が子どもであることは大きい。そして、決してそうでなければいけないと
決まっているわけではないが、児童文学ではハッピーエンドとはいかなくとも、どこかに
希望を持たせるような物語の終わり方が望まれる。また多くの児童文学で取り上げるテー
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マとして主人公の成長が挙げられる。タブーが書かれるようになっても、このテーマ自体
は変わらない。
タブーの崩壊したあたりから、児童文学という定義がとても広くなってしまったので、
様々なジャンルの一般小説作家が児童文学に流れ込んできた。やはり「子どもの為に」書
くという意思が感じられるかがポイントになっていると思われる。
児童文学の行方
ライトノベル化が進んでも、文学的な児童書がなくなることは決してない。ただ、従来
の児童書が子どもに読まれなくなっているのは事実であるので、子どもと本が出会うきっ
かけ作りの他に、児童文学の新しい形、ジャンルを切り開く必要はあるかもしれない。
自分たちの子どものころと今の子どもでは育つ環境も価値観も全く違うだろう。特にイ
ンターネットにおける独特の「個」と「つながり」の感覚を持つ子どもたちが、今後どの
ようなこども観をもって大人になるのかが興味深い。この年代の子どもたちが大人になる
頃あたりから、新しい児童文学の形ができるのではないだろうか。
第四章 終わりに
終わりに
巌谷小波に始まり、現在のライトノベル化している児童書まで、大まかな流れを社会背
景とともに論じてきたが、児童文学における子ども観、そして児童文学の社会的位置づけ
というものは時代の波の影響を受け変化していることがわかる。
明治から大正にかけて、子どもたちの意志にかかわらず、大人たちが子どもに自分の考
えや理想を夢見たり、おしつけていた時代から、子どもの目線に合わせて、子どもの求め
ている児童書を作ろうという流れにかわり、その結果児童文学に様々なジャンルがうまれ
た。
現在は児童文学の売れない時代であるが、出版社や作家があらゆる手を模索し、それの
行き着く先に児童文学のライトノベル化、一般小説との境目の曖昧な児童文学作品の誕生
があったのだろう。これは巌谷小波のお伽から赤い鳥に代表される童話へ、戦後の伝統童
話批判を経た後にたどり着いた大衆文学、という明治期からの流れと、似ているような印
象を受ける。社会背景や家庭の形態が変化し、それまでの児童文学作品が息詰まるたびに、
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児童文学に携わる者たちは今の時代の子どもを見つめなおす。子ども目線にたち、子ども
たちがなにを求めているのかに重点を置くことで、従来にないスタイルの児童文学が誕生
するのである。
そうして現在、活字離れが進むなかでのライトノベル化は非常に興味深い傾向である。
ライトノベルはこれまで、その漫画的な特徴から、文学界における立ち位置が曖昧であ
ったが、確かに児童文学においてもそれは同様であり、インタビューおいて升井先生、五
十嵐先生が述べていたように、あくまで娯楽の範囲で、その他の児童文学に触れるきっか
けになればいいのではと感じる。やはり娯楽として楽しむ読書も良いが、それだけではな
く、行間の間を読み、想像し、物語の登場人物のように自己と向き合うことが読書の醍醐
味であり、特にこれから大きく成長する子どもにはそのような読書の経験をしてもらいた
いと強く願うからだ。
ただ、佐藤宗子(1995)は長いシリーズを通して読者が作者の成長を楽しむといった新
しい読書体験を提案しているが、ライトノベルでは特にその傾向が顕著であり、インター
ネットで検索すると、公式ホームページの一部に読者同士で感想を書き込むコーナーが設
けられていたり、中には絵を書いて送るコーナーまである。これは長いシリーズもので、
挿絵のインパクトがある作品であり、なおかつインターネットに抵抗のない若い世代だか
らこそ成り立つのだろう。こういった新しい読書体験が広まることは、今後の児童文学界
に良い影響を与えてくれるだろう。
どうしたら児童文学を手にとってもらえるのか、活字離れの進む今、児童小説に関わる
者が子どもに思っていることである。これについて鳥越(2000)は、子どもの胸にストレ
ートに入っていく作品がつくれたら、不振、停滞は生まれないはずであり、この危機的状
況を打破するには、今の本に関わるすべての人間が議論を重ねることが大事であると述べ
ている。
例えば、装丁を新しく変えただけの十数年前に書かれた、いわゆる名作などと呼ばれる
ものが未だに子どもたちに読まれ続けているのは、子どもと大人の関係や、子ども育つ環
境に変化があっても、子どもそのものの本質は変化していないからだ。時代や環境が変化
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し、子どもが児童文学に求めるものが変化したとしても、作品側から子どもに与える、胸
にストレートに入ってくるものがあれば、その本は子ども読まれるのだ。
そしてやはり、常に子どもが読みたいと思う本を作ることが果たして児童文学として正
しいありかたなのかも疑問である。かつて児童文学が誕生した際に、巌谷小波の「お伽話」
でみられた「大人が子どもを教え導く」といった考えは完全に捨て去るべきものではない
だろう。子どもの目線に合わせることは大事であるが、そもそもなんの為に児童文学を書
くのかという根本的な問題を忘れてはいけないだろう。
巌谷の活躍していた頃の儒教的で封建的な考えは既に薄いものとなり、近年では「友達
親子」(友達のように対等の関係を結んでいる親子のこと)、「毒親」(子どもに対して有害
な影響を与える親を指す言葉)などという言葉がうまれるほど、親子の関係は変化してい
る。さらにインターネットと携帯電話の普及により、友人関係はより密着したものとなり、
プライベートな時間が極端に少なくなった。その一方でネット上の匿名性の高いコミュニ
ティに参加する。今の子どもたちはあと数十年後、一体どのような子ども観をもった大人
になるのだろうか。
そして近年の児童文学の変化をみるに、従来の大人と子どもをはっきりと役割としてわ
ける考える作品よりも、大人と子どもとの境界が曖昧なものが目立つ。かつて「子ども」
が発見され、そこから弱い子どもや純粋な子どもなど、様々な子どもが発見されたように、
今度は弱い大人や狡い大人が発見されているのではないだろうか。だとしたら、今後の児
童文学では子ども観はもとより、大人観も大事になってくるのではないかと考える。
児童文学が誕生してから幾度も試行錯誤を繰り返し、今は低迷の時期であるが、子ども
のもつ普遍的姿を忘れずに現代の子どもの姿をよく見つめていけば、いずれまた子どもが
本を選ぶ時はくるだろう。
謝辞
本論作成にあたり、調査に協力いただきました児童文学作家の升井純子先生、五十嵐まり
先生に心より深く感謝申し上げます。
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参考文献
『現代児童文学のかたるもの』1996 宮川健朗 日本放送出版協会
『日本児童文学の再生』2000 鳥越信 れんが書房新社
『はじめて学日本児童文学氏』2001 鳥越信 ミネルヴァ書房
『現代児童文学をふりかえる』1997 佐藤宗子 久山社
『子どもと大人が出会う場所―本のなかの「子ども性を探る」』2002 ヒーター・ホリン
デイル 柏書房株式会社
『現代児童文学の語るもの』1996 宮川健朗 日本放送出版協会
『読書教育と児童文学』1990 根元正義 双文社出版
『越境する児童文学―世紀末からゼロ年代へ―』2009 野上暁 長崎出版
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