Page 1 Page 2 はじめに 東日本大震災被災地のラジオと 支援者 東日本

4
3
論 説
被災地コミュニティラジオへの支援スキームの変容
一臨時災害 FM放送局への企業・財団のアプローチから
松浦
さと子
Changesi
nSupportf
o
rCommunityRadioi
nD
i
s
a
s
t
e
r
S
t
r
u
c
kAre
a
s
:
ApproachofCompaniesandFoundationstowardsTemporaryD
i
s
a
s
t
e
rBroadcastingRa
d
i
o(TDBR)S
t
a
t
i
o
n
s
要旨
東日本大震災後、自治体の要請によって開設された被災地の臨時災害 FM放送局が誰によって、
どのような支援を受けたのか。
この研究は、小さなラジオ局を支援した財団や企業のヒアリング調査により、ラジオの評価を聴
取率に拠らず、いかに地域貢献を評価し、支援したかを確かめたものである。
支援を受けた臨時災害 FM放送局では、地域社会への貢献、コミュニテイへの役割を認識し、企業、
財団の支援に応えている。
また、彼らはいずれの財団、企業もラジオを支援することよりも、コミュニティを支援すること
を優先させていた。
その結果、コミュニティのラジオを支援することは、コミュニティそのものの支援となると考え
られていることが明らかになった o
「
キ
ー
ワ
ー
ド
被 災 地 臨 時 災 害 F M放 送 局 財 団 企 業 番 組 支 援
ABSTRACT
T
h
i
ss
t
u
d
ye
x
p
l
o
r
e
sp
r
o
v
i
s
i
o
no
fs
u
p
p
o
r
tt
otemporaryd
i
s
a
s
t
e
rb
r
o
a
d
c
a
s
t
i
n
gr
a
d
i
o(TDBR)
s
t
a
t
i
o
n
ss
e
tupa
tt
h
er
e
q
u
e
s
to
fl
o
c
a
lg
o
v
e
r
n
m
e
n
t
si
na
r
e
a
sa
f
f
e
c
t
e
dbyt
h
eGreatE
a
s
tJapan
Earthquakeandt
h
et
y
p
eo
fs
u
p
p
o
r
tp
r
o
v
i
d
e
d
.Basedoni
n
t
e
r
v
i
e
w
swithcompaniesand
f
o
u
n
d
a
t
i
o
n
st
h
a
tp
r
o
v
i
d
e
da
s
s
i
s
t
a
n
c
et
os
m
a
l
lr
a
d
i
os
t
a
t
i
o
n
s,
t
h
i
ss
t
u
d
ye
s
t
a
b
l
i
s
h
e
shows
u
c
h
s
u
p
p
o
r
twasp
r
o
v
i
d
e
danda
s
s
e
s
s
e
st
h
ec
o
n
t
r
i
b
u
t
i
o
n
so
fs
t
a
t
i
o
n
st
ol
o
c
a
lr
e
g
i
o
n
s
"
.Thes
t
u
d
y
a
l
s
or
e
v
e
a
l
e
dt
h
a
ta
u
d
i
e
n
c
er
a
t
i
n
g
so
fr
a
d
i
os
t
a
t
i
o
n
sd
i
dn
o
tn
e
c
e
s
s
a
r
i
l
yi
n
f
l
u
e
n
c
es
t
a
t
i
o
n
e
v
a
l
u
a
t
i
o
n
s
.TDBRs
t
a
t
i
o
n
sweredeemedworthyo
fs
u
p
p
o
r
tp
r
o
v
i
s
i
o
nb
a
s
e
dont
h
e
i
raw
町 e
n
e
s
s
aboutt
h
e
i
rr
o
l
ei
nc
o
n
t
r
i
b
u
t
i
n
gt
ot
h
el
o
c
a
lcommunity.Furthermore,t
h
ef
o
u
n
d
a
t
i
o
n
sand
companiesp
r
i
o
r
i
t
i
z
e
dp
r
o
v
i
d
i
n
gs
u
p
p
o
r
tt
ot
h
ecommunity
,r
a
t
h
e
rthananyp
a
r
t
i
c
u
l
a
rr
a
d
i
o
s
t
a
t
i
o
n
.Th
es
t
u
d
ya
l
s
oc
l
a
r
i
f
i
e
st
h
a
ts
u
p
p
o
r
t
i
n
gacommunityr
a
d
i
os
t
a
t
i
o
nd
i
r
e
c
t
l
yt
r
a
n
s
l
a
t
e
s
a
ss
u
p
p
o
r
tf
o
rt
h
el
o
c
a
lcommunityi
nwhichi
tb
r
o
a
d
c
a
s
t
s
.
Keyword
d
i
s
a
s
t
e
r
s
t
r
u
c
ka
r
e
a
s
,
t
e
m
p
o
r
a
r
yd
i
s
邸 飴r
b
r
o
a
d
c
a
s
t
i
n
gr
a
d
i
oτ
('
D
BR)s
t
a
t
i
o
n
s
,品目l
d
a
t
i
o
n
s
,
∞mpani回, programsupport
4
4
はじめに
4(
1
)
龍谷政策学論集
東日本大震災被災地のラジオと
支援者
東日本大震災後被災地に立ち上がった臨時災
害 FM放送局は被災 4県で 3
0局に達し、過去
最高となった。このなかには、自治体が緊急に
総務省に申請し臨時災害 FM放送局となった局
と、既存のコミュニティ放送局が放送の形態を
変えて臨時災害 FM放送局となったものがある o
被災直後の緊急時における安否情報や余震・避
難情報、救援期・復旧期における避難者の生活
のための支援やボランテイアに関する情報に始
まり、復興期にはコミュニテイの自治機能の回
復のための情報提供から住民相互のコミュニ
ケーション支援に至り、コミュニティ放送への
移行・復帰が目指されるが、未だに臨時災害
FM放送局のままにとどまる局が少なくない))。
その期間延長も総務省の判断によるところで
あったが、延長が決まり 2
0
1
3年度末で終了する
のではないかとの心配は免れた。しかし、持続
可能なものとなるかは不確かな限りだ。
援に入った人々のヒアリング調査をもとに、コ
ミュニテイラジオを通して何が支援され、それ
によって何が目指され、何が期待されていたの
かを振り返り、今後の支援者側のスキームの変
化を読み取る。
なお、日本では国際的にコミュニティラジオ
と定義されているものと異なる形態でもあり、
とくにユネスコや世界コミュニテイラジオ放送
連盟の定義にある「コミュニテイの所有、非営利・
非商業 Jは、強く求められていないため、日本
の既存のコミュニティ F Mと、臨時災害 FM局
とを区別する必要のあるところでは表記をかき
分け、総称するときには「コミュニテイラジオ J
とした。
1.初期支援者のヒアリング調査から
本研究は、主にヒアリングによって調査を実
施した。
東日本大震災時に現地を訪問支援した人々、
コミュニティ放送関係者 (FM長岡、 FMわい
被災地のコミュニテイラジオには、被災直後
わい)、財団関係者(日本財団、日本フイランソ
に神戸や長岡などから現地に入ったコミュニ
ロピー協会)、企業関係者(資生堂)の支援にあ
ティ放送事業者の放送業務への緊急支援と、共
たった方々に 2
0
1
3年 8月- 9月にヒアリング調
同募金や日本財団、複数の企業の財政的支援が
査を行い、当時の救援について伺った詳細から
なされ、地元ボランテイアと緊急雇用のスタッ
支援の背景を伺い、検討した。本報告ではその
フ、域外の雇用に支えられた形態などにより、
うち、経済的支援を行った日本財団、日本フイ
これまで放送が持続されている。
ランソロピー協会、資生堂の方々のヒアリング
しかし、震災後 3年を経てコミュニティ放送
から、論考した o また、そうした支援を受けた
への移行を考える局にとっては、十分な財政基
臨時災害 FM局の反応は、 2
0
1
3年 1
0月 2
7日に
盤を整えるという困難に直面している o 2
0
1
3年
東京国際フォーラムで開催されたシンポジウム
3月の時点で共同通信社は被災 3県の 1
8局中 1
1
「東日本から問いかけるコミュニティの再生とラ
局が移行予定を伝えているが、希望を持ちなが
ジオの役割 Jでの報告から分析した。
0
0
0万円とい
らも、総務省が想定する創設資金 2
う額を聴いて諦めている局や、臨時災害 FM放
送局のままであと数年持続することを期待する
局 も あ っ た ヘ 日 本 で は NHK以外の放送は、
広告(コマーシャル)によって支えられるもの
と思われているし、実際に多くのコミュニテイ
放送局は C Mが主要な財源だ。しかし被災当初、
多くの人々が「臨時災害 FM局は(その公共性
から) C Mは流せない」と思い込まれていた。
そのこともあり、臨時災害 FM局では寄付とい
う財源に強く支えられた。本研究では当初、支
l
l
. コミュニティラジオの支援者たち
試行錯誤から生まれた支援スキーム
s-l 日本財団一一コミュニティラジオへの
資金提供スキーム
東日本大震災直後、死亡弔慰金・見舞金を渡
すため日本財団会長の笹川陽平氏と小津直氏が
石巻に入ったとき、その配布を知らせるための
防災無線をはじめとするライフラインが津波に
より失われていた。住民に周知することができ
2
0
1
4Dec
被災地コミュニテイラジ-オへの支援スキームの変容
ずに途方にくれていたところに石巻災害 FMか
らの放送によって人の声が聞こえてきた。
4
5
日中友好協会などから中国の性能の高い機種
を送ってもらい、被災地で外国のラジオが聴け
日本財団では被災地のコミュニティラジオ局
るかどうか、 F Mながおかの脇屋氏にチェック
に対する助成金を決めた。しかし、これまで被
をお願いした。最初 2万 2千個のラジオを配り
災地のコミュニテイラジオへの助成経験がなく、
ながら状況を調査し、申請の仕方を説明し、 2
かつてのコミュニティ放送研究会メンバーから
日間で必要個数を確認した。寄付のほかに財団
紹介された F Mながおかの脇屋雄介氏にアドバ
が中国のメーカーから 2万個を購入し、計 4万
3日後、
イスを受けながら助成を始めた。震災後 1
2千個のラジオ受信機を準備した。 2
0名の学生
日本財団の小津氏は、宮城県の山元町と亘理町
ボランテイアが局の周波数を書いたシールを一
の臨時災害放送局を立ち上げた脇屋氏の意見を
つ一つ受信機に貼り、小淳氏がそれらをライト
もとに、日本財団の助成金申請書類を作成した。
パンで現地に運んだ。
財団の支援は臨時災害放送局を優先した。自
治体の首長が免許申請したからには、その地域
テレビもなく、情報の伝達手段が全くない状
で必要とされているに違いないという判断から、
況で、高齢者の方たちからは、「ラジオから情報
最終的には既存のコミュニテイ放送局が臨時災
だけじゃなく音楽も聴けたのが有難かった」と
0万円、運
害放送局に移行した局には開設時に 2
いう意見も寄せられている o
0
0万円、自治体申請で新たに
営費として月額 2
日本財団は金銭や物資以外にも助成を行って
0万円、
開局した臨時災害放送局には開設時に 5
いる o 例えば、主婦たちが試行錯誤しながら運
5
0万 円 と し 、 こ れ に 車 両 購 入 費
運営費月額 1
営している宮城県亘理町の亘理臨時災害放送局
1
5
0万円の補助を決めた。
では災害情報が少なくなってきた頃、財団に放
臨時災害放送局のうち、自治体が予算化した
送内容を相談した。これを受けて財団では、現
0
1
2年 3月の助成申請の締切ま
市町村を除き、 2
地のボランテイア学生のインタビュー番組や避
2局全てに応えている。
でに支援を求めてきた 2
難所でできる簡単な体操指導、妊産婦が東京で
これらの局については以下のとおりである。
出産できるプロジ、エクトなどを東京で収録して
CDに焼き、各局に送っている。住民にはラジ
くコミュニティ放送局から移行した 5市 町 村 >
オを聴く習慣も根付きはじめ、こうした財団の
宮城県石巻市、塩竃市、岩沼市、登米市
コンテンツの支援はラジオ局にとっても住民に
福島県いわき市
とっても有難かったのである o
支援に関しては、報告書の提出が義務づけら
7市 町 村 >
<自治体申請による新設された 1
れているが、その書き方の相談にも応じ、締め
岩手県
切りにも柔軟に対応することでラジオ局の負担
大船渡市、釜石市、陸前高田市、大槌町
宮城県気仙沼市、気仙沼市本吉、南三陸町、
名取市、大崎市、亘理町、山元町、女
川町
を軽減するように努めている。
日本財団の支援についてもラジオで伝えるた
め、弔慰金・見舞金の配布のお知らせ、 NPO活
福島県須賀川市、相馬市、南相馬市、富岡町
動の紹介、避難所に医師や看護師を派遣する活
茨城県高萩市
動を原稿に書き、放送の都度アレンジしてもらっ
ている。例えば、学習院大学と早稲田大学の学
また、申請とは関係なく、希望する局に対し
生ボランテイアとで作った CDには、被災地に
てはラジオ受信機を配布した。小淳氏は聞き取
向けての支援プログラムを伝える番組が収めら
りをしながら、そもそもラジオがないこと、そ
れている o
して、臨時災害放送やコミュニティ放送の存在
復旧復興がすすむにつれ、臨時災害放送局の
をまず知ってもらう為の広報車の必要性に気付
放送内容は災害関連の情報が滅り音楽が増え、
いた。
またボランティアも少なくなりトークもかなり
4
6
龍谷政策学論集
4(
1
)
減ってしまったことから、逆に財団が送った
センター」として各地で芽が出ている o 地域の
CDが繰り返し流されることになり、その中で
将来のまちづくりを考え、子どもや若者を中心
リスナーからの地域密着型の地域ラジオが面白
に全世代が集まっている活動のことだ。例えば
いという反応は財団としても心強く感じたそう
だ
。
そのまちの魅力を食で惹きつけ復興させていく
活動、まちにあるさまざまな資源を使いながら
小淳氏は、臨時災害放送局を新たに立ち上げ
観光を進める活動などに注目している o ある支
る場合が、コミュニテイ FM局が転換した場合
援先では、美術館のようなものを作る。その中に、
と大きく異なるのは送信機の有無だと述べてい
ラジオのリスナーたちが来てくれる事が助成条
るo 送信機の価格は高いが、今後のことを考慮
件になるかもしれない。そうしたまちづくりプ
すれば購入したほうが良いとし、最終的に送信
ロジェクトに寄与する番組なら、制作費などが
機のストックが全国にあるようになることが望
募集の対象になるかもしれない。地域の人が地
ましいとする。
域を動かすためにラジオを聴いてくれるといっ
このように、臨時災害放送局が継続できるよ
た形で絡むことが理想だが、日本財団としては
う、さまざまな支援を行ってきた日本財団は、
ラジオの使い方に具体的な案はまだ無いという
コミュニティ放送への移行やコミュニティ放送
のが現状ではある。
のネットワーク化への支援についても相談を受
住民と接する中で、テレビのある仮設住宅に
けることになったが、それに関しては応じない
入り始めた頃からラジオをあまり聴いていない
スタンスを取っている o
と肌で感じ、平常時に戻るとどこまでラジオが
その理由として、コミュニティ放送関連の支
地域に必要とされているかが不明だとも言う。
援要請に対しては、今まで接触してきた経験が
このままコミュニティ放送が自ら存在意義を
臨時災害放送局しかないこと、コミュニテイ放
示さなければ支援の網から漏れてしまう。自分
送を活性化して地元コミュニティに役立たせる
たち自身で実証してほしいと期待する o どこま
ようなノウハウが確立していない、ラジオがコ
でラジオが聴かれているのか、どれだけの効果
ミュニティに与える影響を把握するのが難しい、
を持っているのか、その影響力はまちに何をも
といったことがあげられる o
たらすのか、など明らかにすることは簡単では
臨時災害放送局から「コミュニティ放送に切
り替わった後も何か助成を受けることは可能か」
ないが、だからこそその可能性に期待されてい
るのである。
との問い合わせに対しては、「今は無い」と返答
している o 運営費の支援要請も多く寄せられて
せっかく産みの苦しみを共にされた訳で
いるが、期間を決めて運営費を出しでも、その
すから。自治体としてサポートしていくと
後続けていけるかどうか、また本来広告収入で
か、総務省として何かサポートしていくと
やっている業態ということも財団にとっては不
か、継続的にやっていく為には何らかの支
安材料であり、サステナピリティを担保するこ
援が必要なんじゃないかという気がします。
とが難しいと小津氏は話している。
継続自体を支援するのは日本財団が一番難
財団としては、コミュニティ放送存続の為で
しいところなのです。そこは制度や行政で
はなく、コミュニテイ放送を使って、どのよう
カバーしていく事が重要で、はないかと思い
な事業を地域で展開し、コミュニティをどのよ
ます。
うにしたいという事業ならば、支援の可能性を
検討しようとしている。しかし見込みのある組
日本財団がコミュニティ放送に最も期待する
織なら、自治体が予算を組むなど既に支えられ
のは防災である o 今、東日本大震災の復興支援
ているはずであり、そういう形になるのが望ま
も続けながら、次の災害時に各地で導入できる
しいという。
プロジェクトの研究を始めている。臨時災害放
財団が期待する「事業」とは、「フューチャー
送局の規模で成果を発揮したので、自治体がス
2
0
1
4Dec
被災地コミュニテイラジオへの支援スキームの変容
ムーズに導入できるノウハウを今後に生かした
いと考えている o
4
7
まで資金支援を行なった。
そもそも化粧品の資生堂がなぜ被災地の小さ
財団は、臨時災害放送局の最初の立ち上げを
なラジオを支援するに至ったのだろうか。もと
きっかけに、新しい社会課題の提起に貢献した。
もと資生堂はメセナ活動に熱心な企業であるが、
「我々のやり方は正にこれに限らず全てそうで、
現在同社のウエプサイトで臨時災害 F M放送局
あるきっかけに光をポンと当てて、これは大切
の支援についての記載は「企業文化活動」では
だと見せて、固なり色んな所に動いてもらう、と。
なく「クリエイテイプ活動」の項目に掲載され
今回も実はそうだ、ったのです」と小淳氏は話す。
ている。
財団の支援金が切れたあとラジオの必要性を
今回の支援は同社で企業広告を担当している
認め、国をはじめとする資金援助が行なわれる
コーポレートコミュニケーションチームが牽引
ことを想定しながら支援期間をおよそ 2年と決
力となっており、その貢献は宣伝制作部課長で
めた。最大 4ヵ月の運営期間の支援とし、 4ヵ
チーフクリエイティプディレクターの鐘ケ江哲
月8
0
0万円(新設局は 6
0
0万円)をうまく使っ
郎氏と宣伝制作部プロデユーサーの蔵内健太郎
てもらえればある程度期間はもつだろうと予想
氏の二人によるところが大きい。資生堂の社員
した。
全員が、そして広告業界もそれぞれが「我々ク
日本財団からなされた支援は、額も、使い勝
リエイターとして J何か出来る事はないかと話
手も、支援される側の状況を十分に慮ったもの
していたが、災害時に海沿いで企業 C Mを撮影
だ、った o しかし東日本大震災の被害の克服には
していた二人も、コーポレートコミュニケーショ
予想以上の時間を要しているうえに、 2年(ヒ
ンチームとして何か出来ないかと考えていた。
アリング当時)を過ぎても復興はほど遠い。臨
その頃新聞報道では、物資や義援金に関する
時災害放送局が必要とされている声が地域にあ
情報のチグハグさが目立っていたと感じる一方
るにも関わらず、コミュニティ放送局への移行
で、被災地の人達は情報不足であることを知り、
を積極的に支援するところが現れない。日本財
コミュニケーションの仕事に従事する者にしか
団は支援を通して「コミュニティ放送の力を実
できないことがあると思いついたという。
証すること Jを被災地のみならず全国のコミュ
ニティ放送局に切望している o
資生堂は自社広告のために社内に宣伝制作の
クリエイターをもっ o コピーライタ一、デザイ
ナー、プロデューサー、カメラマン、庖舗の設
ll-2 企業一一専門性を活かす支援
計など現在 1
5
0名ほどいるクリエイターたちが、
(
1
).資生堂一一コミュニケーションスキルで地
専門スキルを活かすことができるとの発想から
域に役立つ
民間企業 3社が総務省と協力し、臨時災害放
送局の運営を支援した。通常であれば、ナショ
支援を考えた。災害情報の発信局である、東北
の臨時災害放送局の番組枠を買い付けるという
方法で支援することを提案した。
ナルスポンサーと呼ばれる大企業が地方の小さ
各地の臨時災害放送局をコミュニケーション
なメディアを支援し、しかも広告を出稿するこ
の点から支援したいという鐘ケ江氏と蔵内氏の
とはほぼないことから、この支援はたいへん注
企画を経営陣が決裁し、当時人事交流で NHK
目された。
から来ていた鎌野瑞穂氏と 3名で 4月 9日にレ
これは、株式会社資生堂の社員が早くから現
ンタカーで、東北に向かった。
地に入って実情を調査し、パナソニック株式会
現地で臨時災害放送局の窮状はコンテンツの
社、キヤノンマーケテイングジャパン株式会社
不足であると知り、一度帰京し、歌と支援メッ
に呼びかけて行った運営支援金の提供である。
セージ、絵本朗読などのコンテンツを準備し、
0
0万円の提供を受け、日本フイラン
各社から 3
また届けた。これには、レンタル CDで凌いで
ソロピー協会が事務局となり、臨時災害放送局
いた局から「皆を元気付けるものが作れないか」
1
5局に対して、 2
0
1
1年 1
2月から 2
0
1
3年 3月
と依頼を受けたという背景がある。 NHKの音
4
8
龍谷政策学論集
4(
1
)
楽ディレクターの鎌野氏から演歌歌手複数名に
が、総務省との支援スキームの実施にあたって
依頼し、演歌の代表曲に加えて被災県への直接
は、公平性を期すべく内陸部にも機会を開き、
のメッセージを NHKの楽屋で録音してもらい、
求めがあれば支援している。結局、閉局を予定
それを CDに収録して配ることを繰り返した。
している局、第三セクターで運営している局、
演歌歌手の小林幸子氏は中越地震で助けても
5局が
自治体予算が確定している局などを除き 1
らった思返しだと、台本なしのトークも録音し
申請した。
てくれた。演歌は港町のソウルミュージックと
日本フイランソロビー協会は、運営形態や予
教えてくれた漁師の声にこたえている o また「子
算をもとに判断した。支援の条件は、月曜日か
どもたちが不安になるので本の読み聞かせの
ら金曜日まで、臨時災害放送局の災害情報・生
CDを作って貰えないか」という声に応えて、
活情報を流す時間帯に「この放送は資生堂(キ
女優の中井貴恵氏に朗読してもらい CDにして
ヤノンマーケテイングジャパン、パナソニック)
配布もした。
の支援で提供しています」と順番に告知すると
当初より各ラジオ局には運営のための支援金
いう事だけだ、った。これは、社名を宣伝したい
を渡した。臨時災害放送局を支援することは地
という意図ではなく、ほかの金業にもこうした
域住民が情報を得る事に繋がる。毎月訪問する
支援の方法があることを認知してもらうことで
たび、資生堂だけの単独での支援ではなく、もっ
さらに支援が集めやすくなるだろうという期待
と迅速に支援できる仕組みをつくれないかと日
からであったという。資生堂としても寄付では
本コミュニティ放送協会を訪ね、そこで出会っ
なく媒体費として拠出することを望んでいたこ
た総務省と組むことを検討した。どこかの団体
ともあり、企業が支援しやすい状況を作る為に
に資金をまとめて渡しでも配分のための負担を
知恵を絞った結果であったといえよう。
強いることになるため、他の民間企業とともに
「資生堂の提供でお送りします Jの一文も市町
ラジオ局に支援金が届くスキームを企画書にま
村によっては「提供 Jが難しいとの声があり、「支
とめた。支援対象を臨時災害放送局に限定する
援Jという言葉に変えた。臨時災害放送局と議
ことで協力を呼びかけ、パナソニッ夕、キヤノ
論し、最終的に広告禁止の誤解が解けたのは総
0
0万円ず
ンマーケテイングジャパンと 3社で 3
務省が言語化したものを配布してからであった。
つを拠出した。
のちにキリンビールとエヌ・テイ・ティ・ドコ
実務は総務省の遠藤稔氏とすすめた。当時「臨
モが加わり、支援企業は 5社に増え「番組枠を
時災害放送局は企業 C Mが禁じられている」と
買って」臨時災害放送局を支援する考え方が次
いう通念がコミュニティ放送業界全般に根強く、
第に理解を得ていった。
支援の申し出をしても断られてしまうケースも
複数の臨時災害放送局では、マイクの横にこ
少なくなかった。そこで、宮古、塩釜、陸前高
れらの企業名を掲示した。これは、大手企業の
固などの臨時災害放送局を総務省職員とともに
名前を読む事を誇りに感じる、あるいは、見捨
訪ね、総務省が認めていることを理解してもら
てられていないと心強く思うという気持ちの表
おうとした。しかし、運営が自治体直営の場合
れでもあったという。こうして徐々に C Mが可
は特に企業から金銭を受け取る方法に問題があ
能だと現場で理解されるようになった。
るという認識が非常に強く、支援の受け入れが
困難であった。
総務省とともに現場に入り企画書をまとめる
という作業を経て、企業側が求めているものと
行政職員の誤解を解くべく努めたが、理解が
政府の想いが一致しているなら一緒にやってい
得られなければ無理に支援しないという立場で
けると感じたそうだ。当時、総務省地域放送推
進め、最終的には申請方式とした。日本フイラ
進室室長の丸山達也氏、課長補佐の遠藤稔氏と
ンソロピー協会に事務局を依頼し、申請があれ
資生堂の二人は順番にレンタカーを運転しなが
ば臨時災害放送局に一律に無条件に支援した。
ら被災地を回った。「役人らしくない役人の方々
支援当初は、被害の大きい沿岸部を対象とした
で良かった。彼らは彼らで目的がきっとあった
2
0
1
4Dec
4
9
被災地コミュニテイラジオへの支援スキームの変容
と思う。レールを敷いていながらその経営がう
と励みになる」という表現が何局かあったそう
まくいかない状況を何とかしないといけないと
思っただろうし、僕らは今までのよう普段通り
である o
それまでマスメディアしか知らなかった桑名
に女性が化粧したくなる様な状況に早く戻って
氏は、エリアが広いか狭いかだけだろうと考え
欲しかった Jと話していた。
ていたが、「コミュニティの会話がそのまま j流
1年間で 2
0回ほど被災地を訪問したが、それ
れているのを聞いて、全く違うものだというこ
ぞれの局の求める方向が時間を追って変わって
とに気づき始めた。住んでいる人の「今日 Jの
きたため、一律支援は難しくなった o 総務省で
活動を直接支援する情報やサポートする情報が
各局にこの資金提供スキームは今後も必要かど
多く、情報を持ってくる人や FAXを送ってくる
うか調査してもらったが、それほど手が上がら
人がいて、双方向で、住民の声を「発信する場」
ず、一定の役割を終えたと判断している o 新聞
になっており、マスメディアとは全く別の種類
協会をはじめ各所でこの支援プロジェクトにつ
のメディアだと今は感じている o その地域の民
いて講演を頼まれ報道されたがそこに意義は感
意形成の核になっていますね。ラジオがちゃん
r
じない。何よりも臨時災害放送局との繋がりが
と活動している所というのは、自分の家を復旧
出来たことに大きな意味があったと考えている。
する事に固執するよりも 1
0年後の町をこうした
いという話が出るとききます。」と桑名氏は言う。
(
2
)
.日本フイランソロピー協会一一企業と臨時
災害放送局をつなぐ
先に述べたように、株式会社では寄付という
性格の資金はなかなか出しにくく、初めに現地
日本フイランソロピー協会(以下、協会)が、
に入った資生堂は支援の終了時期について予め
企業の臨時災害放送局支援の事務局機能を担っ
決めている。目途が立つまでなど、現場が暖昧
たのは資生堂の考えに共鳴したからだと、協会
な期待をしないよう、どんなものでも終わりを
事業開発チームリーダーの桑名隆滋氏は話す。
つくる重要さは理解されるべきだろう。
資生堂が発起人となり 3社がすでに協賛を決め
絶対立ち上げるから 3年間支援して欲しい Jと
0
1
1年
ていた。実際の支援活動が始まったのは 2
提案し、企業の動きやすきを考慮するのが寄付
1
2月で、協賛金は l社あたり年間 3
0
0万円の予
算で、うち 1割を事務局費用と決めた。資生堂
を取り次ぐマナーであることを桑名氏は指摘す
からは臨時災害放送局で実際に放送活動してい
いて不可欠となろう。
r
3年で
るが、支援における期限の約束はその意味にお
る局を対象に支援するという要請だけで、それ
以上の制約は無かった o
(
3
).次なるスキーム「復興 FMJ ネットワーク
桑名氏は元企業経営者であり、ボランテイア
フイランソロビー協会に対して電通の田中直
活動の縁で協会メンバーとなり今回の事務局と
樹氏から次の支援プロジェクト「復興 FMJ の
して声が掛かった。「ラジオ世代」であり、「コミュ
提案があった。この提案は東北被災地の臨時災
ニティの中核の存在であるという予感がした」
害放送やコミュニティ放送局が複数で研究会や
ことが手伝うきっかけであった。
情報交換、交流するつながりに資金を提供する
9局(うち 1
7局自治体)に定
資金を預かり 1
というものである o できればこうした FMネッ
3ヵ月に I回)運転資金を提供すると
期的に (
トワークができることが望ましいとの考えから
いう事で走りだした。各局との約束は各局の放
0
1
3年 4月 2
3日に
だ。協会が事務局となり、 2
送計画に合わせて一日に一回支援企業の名をア
初会合が関かれた。この時は、十分主旨が伝わ
ナウンスすることである。
0
1
1年 1
2月から 2
0
1
3年 3月まで臨時
支援は 2
らなかったこともあり、また交通費支給も不十
分で参加できなかった局もあった o
災害放送局を対象に実施した。支援を受けた局
復興 FMプロジェクトは、被災地のコミュニ
は、報告で「企業の名前をアナウンスすること
ティ放送局が、臨時災害放送局も含めてネット
で著名企業がちゃんとサポートしてくれている
ワークを組織し、連携する活動に企業の支援を
5
0
4(
1
)
龍谷政策学論集
日本フイランソロピー協会の支援(協会ウエブサイトを元に筆者作制)
本支援事業は、下記の企業の協賛で実施しています。 (
5
0音順)
・株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ ・キヤノンマーケテイングジャパン株式会社
.株式会社資生堂
・パナソニック株式会社
本事業の支援先放送局は、次の 1
9局(17自治体)ロ (
2
0
1
2年 7月 1日当時)
県名
放送エリア(注 1
)
臨時災害放送局名
宮古市
7
7.
4
みやこたろうさいがいエフエム
7
7.
4
おおふなとさいがいエフエム
けせんぬまさいがいエフエム
7
8
.
5
7
8
.
5
8
6
.
0
7
7
.
6
7
6.
4
7
8
.
1
7
7
.
5
けせんぬまもとよしさいがいエフエム
7
7
.
5
名取市
なとりさいがいエフエム
岩沼市
いわぬまさいがいエフエム
8
0
.
1
7
7
.
9
7
6
.
7
7
9
.
2
8
0
.
7
7
9
.
3
7
6
.
6
7
9
.
5
7
6
.
9
大船渡市
陸前高田市
りくぜんたかたきいがいエフエム
釜石市
かまいしさいがいエフエム
大槌町
おおっちさいがいエフエム
石巻市
いしのまきさいがいエフエム
塩竃市
しおがまさいがいエフエム
気仙沼市
気仙沼市
(本吉地区)
宮城県
福島県
MHz)
周波数 (
みやこさいがいエフエム
宮古市
(田老地区)
岩手県
・キリンビール株式会社
登米市
とめきいがいエフエム
亘理町
わたりさいがいエフエム
山元町
やまもとさいがいエフエム
女川町
おながわきいがいエフエム
相馬市
そうまさいがいエフエム
みなみそうまさいがいエフエム
南相馬市
郡山市
)
とみおかさいがいエフエム(注 2
ーーー'-----
(
1
主1
) 放送エリアは、各市・町・地区の一部です。
) 放送エリア(郡山市)と放送局名(とみおか)が一致しない理由:
(
注2
福島県双葉郡富岡町(とみおかまち)は、東京電力福島第 l原子力発電所事故の影響で、郡山市に役場機能を移転してい
ます。郡山市に避難している同町住民にきめ細かな災害対策情報や生活関連情報を提供するために、この放送局が開設さ
れました。
呼びかけるというものだ、った。その活動は、各
もしれないと、提案した電通も期待した。
局のネットワーク集会や協同活動の支援、各局
参加局は全部で 1
5局、岩手県はみやこエフエ
の PR活動を中心に、番組作りのノウハウや、
ム・おおっちさいがいエフエム・ FMねまらいん・
臨時災害放送局からコミュニティ放送局に移行
陸前高田災害 F M
、宮城県は登米コミュニテイ
する時に必要な手続き、スポンサー獲得の方法、
エフエム・石巻コミュニティ放送・エフエムい
コンテンツを売る方法、など運営のノウハウを
わぬま・名取災害 F M・エフエム岩沼・亘理町
学ぶ場に使ってもらうことを想定している。
臨時災害放送局 F Mあおぞら、福島県はそうま
第一ステージは資金提供について分かり易い
さいがいエフエム・臨時災害放送局南相馬ひば
ものであった。第二ステージでは、各局が集まっ
りエフエム・富岡臨時災害 F M局・いわき市民
て相互に学ぶ機会を提供することができれば
コミュニティ放送、そして茨城県の特定非営利
ネットワークに各局が価値を見出してくれるか
活動法人たかはぎ FMが集った。
5
1
被災地コミュニテイラジオへの支援スキームの変容
2
0
1
4Dec
これを見ると、東北沿岸部を支援したいとす
ら出ていますが、それ以外は日本財団さん
る主催者の意向を理解しながら、著しい人口減
からのお金をチマチマと使いながら運営し
少などの理由からコミュニティ F Mへの移行が
ている状況です。 C Mが駄目だという話は
困難であることを見越して、田老町・山元町な
遠くから噂のように聞こえていました。そ
ど参加をあきらめた局もあることがわかる。自
の後 C Mを流しても良いという話があり、
発性を重要視するのは、経営を考えるその局で
先日東北地方の臨災局スタッフが集まった
あり、そこが決める以外に道はないからだ。そ
際に、他局の方からスポンサーを 1件紹介
れに期待を持ってもらえるかどうかがこのプロ
して頂きました。契約を済ませ、今後具体
ジェクトの挑戦でもあったのだが、ここに参加
的にどのように流していくかを考える段階
する局も地域によって温度差はあった。
にきています。
震災後、全国区の大手企業が地域、地方の産業、
また郡山の近郊に磐梯熱海温泉という大
そして地方住民のニーズに注目している o 桑名
きな温泉街があるのですが、そこの旅館の
氏は「経済的価値を創造しながら、社会的ニー
1つがスポンサーになっても良いと言って
ズに対応することで社会的価値も創造する j と
くれました。これから契約をしていけるか
いう企業のアプローチに期待している。そういっ
な、と思っています。日本全国に避難して
た企業に対してコミュニティ放送局が働きかけ
いる町民が、何かのきっかけで郡山に来る
る機会となれば、コミュニティ放送局の勉強会
際に泊まる可能性もありますから。
が相互交流のみならずプロモーション活動に結
やはり番組をっくり、放送局を運営して
び付くことになり、結果として持続可能性の追
いくには、多少なりともお金がかかります。
求になっていくだろうとの期待が桑名氏らにあ
る
。
自分達で稼げる部分があれば、それはそれ
0
1
4年 3月には
「復興 FMJ プロジェクトは 2
終了した。 1口 3
0万円の枠はキリンビールとク
で面白い気がします。企業の人達も月に l
万円くらいであれば、半分寄付のような形
で協力して下さるのでは、と思います。
ラシエ、ソフトパンクモバイルの 3社が支援し
た。人口減少地域についても懸念はあるが、可
また南相馬ひばりエフエムの今野聡氏が次の
聴エリアの統合など人数の過多に依存しない方
ように諮った。南相馬市は福島第一原発の水素
法を考えることも提案されると良いのではない
爆発以来、マスメディアが不在となり、桜井市
かと桑名氏は示唆した。
長がインターネットで世界に救援を呼びかけた
ことで知られており、臨時災害放送局も市長の
皿.支援の成果
財団や企業の支援を各臨時災害 F M放送局は
どのように受け止めたのであろう。経済的支援
について 2
0
1
3年 1
0月のシンポジウム却では、
東北のコミュニテイで活動を継続する小さなラ
ジオで活躍する人々が発言した。
富岡町のおだがいきま F Mの吉田恵子氏が次
のように語った。日本財団の支援が有効かつ長
期に役立つていることがわかる。また今後の資
金提供を「半分寄付(半分 CM)J と表現してい
るところが興味深い。
5
0万円と車両代を頂
日本財団さんから 6
きました。スタッフ 2名分の人件費は町か
強い要請で設立された。
私どもの場合、どうやら C Mをやっても
良いらしいと聞き、市に相談しました。市
からは「公平性の問題があるので、放送局
側から働きかけて C Mを取るのはやめて下
さい Jと言われました。日本財団さんとか
日本フイランソロピー協会さんとか、先方
からお話が来たのであれば受けても良いの
では、とのことでした。
結局のところ、地元の
iOO商店 Jがス
ポンサーになった場合、すごく存在が近い
んですね。「何であの所だけ 1週間毎日宣伝
しているの」という苦情が来るのではない
5
2
龍谷政策学論集
4(
1
)
か、と市は心配するんです。例えばもっと
株主や行政、寄付者、会費を収める会員など、
大きいコカ・コーラとかキリンビールた、っ
他の地域でコミュニティ放送の財政を支えてい
たら存在が遠いから良いんです。国は OK
るアクターは、被災地においては脆弱化どころ
を出している訳ですが、私達としては市の
か失われてしまった地域も少なくない。生存者
立場も良く分かります。そのあたり、自治
が避難した地域もあり、コミュニティに備わる
体が新規に開局した臨災局の難しいところ
べきラジオを支える経済的な基盤が失われてい
かな、と思っています。
るなかで、コミュニティ放送への移行に関し、
総務省は 5年の持続可能な経営計画を要請する。
営業で働きかけられることを避けたいとする
行政でさえ、翌年の計画が困難なこの時期、小
臨時災害 FM放送局に理解を示し、遠くの支援
さなラジオ局に今後の存続のための高いハード
者が広く支える意義を受け止めているといえよ
ルが課せられている。
つ
。
並行して、コミュニティ放送の自治的支援の
ネットワークが生まれ、これまで東北では希少
さらに、陸前高田さいがいエフエムの阿部裕
美氏は、
であった自助的な NPOによるコミュニティ放
送運営が各地で始まっている。既に、高萩、大
船渡、大崎では NPOにより、「たかはぎ FMJ (
高
現在は 5件の個人商庖が C Mを出して下
萩市)、「ねまらいん J(大船渡市)、 iFMぴ、っき」
さっています。ほとんどの企業や個人商庖
(大崎市)などが立ち上がり、コミュニティ放送
が被災しているので、営業をかけるという
への移行を構想しつつ、 NPOを立ち上げる名取
のは難しい、というか心情的にできないん
や亘理の動きもみられる。多様な目的・機能を
です。マイナスからやっとの思いで立ち上
もった「広告」のほかに、 iFMび、っき Jでは、
がった人達、仮設で営業している人達に「私
災害に備えたライフラインを住民が支える形を
達を支えて下さい、 C Mを出して下さい j
模索し、町内会で世帯ごとに毎月わずかずつで
とは言えません o
も集めようという動きもある。
現在の C Mは各 1分で、それぞれの商応
おわりに
の社長さんや庖員さんの声で録らして頂い
ています。一人でも多くの市民の声を電波
に乗せたいとの想いからです。
と
、 C Mが商業広告としてではなく、コミュニ
テイの人々のコミュニケーションの支援機能を
果たしていることを報告した o
N. 時限支援と持続可能性追求の狭間で
今回、財団や企業といった支援者はラジオの
運営を支えることへの関心から、ラジオで地域
再生に何ができるのかについての関心に移行し
ている。放送番組内容が地域に与えるインパク
トや、地域復興にラジオが貢献できるプロジェ
クトとは何なのかを、関われているのは被災地
だけではない。全国のコミュニティ放送への要
請でもあり、期待でもある。
当時を振り返っていただいた支援者の目指す
また、本来地域のラジオを支援すべきなのは、
目的は、いずれもラジオ活動そのものの支援で
地域内のアクターであるはずだが、彼らのラジ
はなく、ラジオの情報によって思恵を受ける現
オへの関心もまた「存続すればよい」といった
地コミュニティの支援である。ラジオによって
ものではなくなってきている o 震災や台風など
もたらされる情報により人々が生活を取り戻す
はもちろん南海トラフが想定された地域ではな
ために、ラジオの機能は高く評価され、これま
おのことであろう。
でにない資金がコミュニテイラジオに投入され
全国各地のコミュニティ放送が被災地の臨時
た。しかし支援者の支援期間は時限的なもので
災害 FM放送局を訪れ学ぶのみならず、インド
あり、現地の運営に目処が立つまでには至らない。
ネシアのコミュニテイラジオ局も東北の試みを
5
3
被災地コミュニテイラジオへの支援スキームの変容
2
0
1
4Dec
たずね、励まし、経験を共有しようとしている九
人口、経済、自然環境など、資源に乏しい地域
開発協会開発調査総合研究所発行「開発こうほう
J
2
0
1
4年 1
0月号(通巻 6
1
5号)
にこそ、人々が生きる支えにコミュニテイラジ
オをはじめとする地域固有のメディアが必要と
され、それらは聴取率などではない従来のメディ
参考文献
市村元「東日本大震災後 2
7局誕生した「臨時災害放送局 J
r
アとは異なる評価指標で測られる公共性を持つ
の現状と課題 J 関西大学経済・政治研究所研究双
ことになろう九
書日本の地域社会とメディア j、2
0
1
2年
それらを見越したわけではないにも関わらず、
先駆的なスキームでラジオの支援をした人々が、
今後のコミュニテイメディアの自立に示唆を与
金山智子編『コミュニテイメディアコミュニティ FM
が地域をつなぐj 慶慮義塾大学出版会、
放送機構・東北総合通信局編『今後に備えて
えたことを記憶したい。彼らはラジオを支援し
時災害放送局開設等の手引き
たのではない、コミュニテイを支援したのだ.0
験を生かすために J2
0
1
2年
その声を何度も開いた。
注
2
∞ヴ年
JCBA東北コミュニティ放送協議会・(特)東日本地域
臨
東日本大震災の経
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
s
o
u
m
u
.
g
o
.
j
p
/
s
o
u
t
su/t
o
h
o
k
u/
s
a
i
g
a
i
_
p
o
r
t
a
l
/
pdf/f
m
t
e
b
i
k
i
.
p
d
f
丹羽美之・藤田真文編『メディアが震えた j東京大学出
版会、 2
0日 年
日比野純一・松浦象ー・ショウ・ラジプ『災害コミュニ
1
) 被災直後のメディアの対応における時間経過につい
1
4
ては、①初動期(発災から 3日間)②模索期(3/
-2
1
)③集約期 (
3
1
1
6- 1ヶ月)という区分もある(村
0
1
1
)
上圭子 2
2
) りんごラジオ(山元町)は、早くから臨時災害 FM
放送局免許の延長を訴えていた。コミュニティ放送
局のほかに、イベント FMのような災害時の簡易型
免許が創設されてもいいのではないかと「災害とコ
ミュニテイラジオ研究会j では議論している c
3
) シンポジウム「東日本から問いかけるコミュニテイ
の再生とラジオの役割」は、 2
0日 年 1
0月 2
7日、臨
ティラジオの役割J2
0
1
2年
松浦さと子『英国コミュニテイメディアの現在一一「複
占jに抗う第三の声j書庫クラルテ、 2
0
1
2年
松浦さと子・川島隆編
松浦きと子・小山帥人編『非営利放送とは何か一一市民
が創るメディア j ミネルヴァ書房、 2
∞ 8年
村上圭子「東日本大震災・安否情報システムの展開とそ
放送研究と調査J2
0
1
1
の課題Jr
金山智子・松捕さと子・日比野純一・宗岡勝也・松浦哲
郎「災害とコミュニテイラジオ研究会J
編2
0
1
4r
3
.
1
1
時災害放送局や支援団体などのスタッフをパネリス
からの再生
トとして迎え、
大隅書庖
トヨタ財団の支援により東京国際
f
コミュニテイメディアの未来
0
1
0年
一一新しい声を伝える経路j晃洋書房、 2
小さなラジオ局が起こす社会の変革』
フォーラムにて開催された。
4
) FMわいわいの日比野純一氏は、阪神淡路大震災、
東日本大震災の経験を海外に伝え、とくに火山噴火
や震災等、自然災害の多いインドネシアと交流し、
2
0
1
4年冬にインドネシア・コミュニティラジオ協会
代表 SinamM
i
t
r
・
oSutarno氏
、 L
i
n
t
a
sMerapiFM
代表 Sukiman氏
、 AMARCアジア太平洋地域理事
COMBINEResourceI
n
s
t
i
t
u
t
i
o
n理 事 Imam
Prakoso氏 と 東 北 に 案 内 し 、 共 同 調 査 を 行 っ た 。
(
J
u
n
i
c
h
iH
i
b
i
n
ok
R
e
h
a
b
i
l
i
t
a
t
i
o
nRa
d
i
ocomesi
n
t
o
e
xIs
t
e
n
c
ei
nTohoku"龍谷大学における研究会報告
から 2
0
1
4年 1月 3
0日)
5
) 札幌大谷大学の北郷裕美氏は、コミュニティ放送局
の公共性指標を策定し、各局の公共的な働きを公共
財源で支援することを検討している。北郷裕美「コ
ミュニティメディアの公共性
北海道のコミュニ
ティ放送 J(龍谷大学における研究会報告から 2
0
1
4
参考ウエプサイト(いずれも閲覧は 2
0
1
4年 9月 9日)
日本財団
r
東 日 本 大 震 災 1年 間 の 活 動 記 録 3 第一章
r
自主企画・共同事業② J 臨時災害 FM放送局支援
プロジェクト J h
t
t
p
:
/
/
r
o
a
d
.
n
i
p
p
o
n
f
o
u
n
d
a
t
i
o
n
.
o
r
.
jp
/
伍l
e
s
i
r
o
a
d
_
p
r
o
j
e
c
t
_
0
3
.p
d
f
資生堂「民間企業 3社と総務省による臨時災害 FM放
送 局 へ の 支 援 の 取 り 組 み に つ い て Jh
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
s
h
i
s
e
i
d
o
g
r
o
u
p
.
jp
/
r
e
l
e
i
m
g
/I
9
6
2
j
.
p
d
f
こちら、銀座資生堂、センデン部「鐘ケ江哲郎(つくる
人) x
桑名隆滋(つなぐ人 )
Jの対談
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
l
?r
t
_
b
t
=
2
0
1
4
0O
_
s
h
i
s
e
i
d
o
g
r
o
u
p
.
j
p
/
a
d
v
e
r
t
i
s
i
n
g
m
e
n
u
c
r
e
a
t
i
v
e
m
a
i
l
_
0
0
4#
/
t
a
l
k/
0
5
日本フイランソロピー協会 h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
p
h
i
l
a
n
t
h
r
o
p
y
.
o
r
.
jp
/
同復興 FMネットワーク h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
p
h
i
l
a
nt
h
r
o
p
y
.
o
r
.
j
p
/
ffmn/
∞
年 1月 3
0日)北郷裕美「北海道のコミュニティ放送
一地域活性、防災、災害時および復旧・復興媒体と
なお、本調査は、トヨタ財団の支援「災害とコミュニテイ
しての現状と可能性に閲する研究J(ー財)北海道
ラジオ一地域を越えたコミュニテイメディアの支援シス
5
4
龍谷政策学論集
テム構築をめざして J(研究代表者・金山智子)と、科学
B
))平成 2
4年度科学研究
研究費助成事業(基盤研究 (
費補助金及ぴ学術研究助成基金助成金「日本型コミュニ
4(
1
)
ティ放送の成立条件と持続可能な運営の規定要因 J(課題
番号 2
4
3
3
0
1
6
7
) (代表者・松浦さと子)を活用させてい
ただいた。ここに記し、感謝申し上げる。