「戦後70年終戦前後」説明2

この年 の採鉱 科・ 冶金科 は、市立商業 で の入学試験 だ つ
4.秋 田工 業 に 5年 も 6年 も在 籍 した理 由
たた め 、県 立秋 田工業 で採 用 した機械・ 電気・ 土木・ 建 築
1)調 査の背景
の 4科 と異 な り、高等科 か らの編 入者 は い なか つた。
秋 工 百年 誌掲載 の「秋 田工業 の 学生改革」若 杉威 氏
(S2
v.終 戦 に よ り 8月 31日 航 空機 科 は機械 科 Bと 名 称変 豪
昭 和 19年 度
昭 和 20年 度
備考
1。
5E卒 )の 記事 で、秋 田工業 に 5年 も 6年 間 も在籍 した 人が
1000人 もぃ た ことが述 べ られ てい る。また 、これ まで の
会報 KANASAに は 4年 か ら 6年 の在 学 した 同窓生 の記事が数
件掲載 され てい る。 しか し、なぜ そ うな つたのか理 由が分 か
らず十 分理解 出来 な い ままだ った。そ こで 、終戦 前後 の 出来
事 を整理 し、直感 的 に分か る「学制変遷 図」の作成 に挑戦 し
工 業 2年
工 業 4年
工 業 2年 から工業 4年 に
工 業 1年
工 業 3年
工 業 1年 か ら工業 3年 に
高等2
工 業 2年
工 業 2年 に編入
成績優 秀者
高等 1
工 業 1年
た。
変遷 図 の 作成過程 で制度 変 更 に よ り、新入 生や在校 生 が ど
の よ うな扱 い を受 けた の か 、収集 した 資 料や 、過 去 の 会報
/1ヽ
学6
工 業 2年 に編 入
工 業 1年 に編 入
工 業 1年 に入学
(4)昭 和 22年 度 の 「 学 制 改 革 」
i.小 学 6年 。中学 3年 ,高 校 3年 。大学 4年 とな る。
■.新 制 高等学校 に転 換す る経 i量 処置 と して秋 田中学 "机 陣
KAliASAな どを調査 したが 、が明文 化 され ていない事 柄 が多 く
推 定で 「学制変遷 図」 を作成 した。
これ を若 杉威 氏 (S25E卒 )に 確 認依頼 した ところ同様
な図 を作成 して頂 き、相 互 に意見交換 して lヶ 月 ほ どか けて
度 を廃 上 し、小学 6年 卒業 で入 学 し 5年 間修学 で卒業 す
や つ と完成 した もの で あ る。 そ の結果 が次頁 に掲 載 の 監修
る、 1日 制 中等 学校 の制度 を採用 した。
若杉 威
(S25E)作 成
:カ ロ
賀谷健 治
商業学校・ 秋 田工 業 な どの 中等学校 の修 学年 限 4年 《瑞 I
:
さ らに、新 制 高校 に進 学す ために新 制 の 中学 に相 ■,す
(S36E)「 県 立秋 田工
る併設 中学 2年 と 3年 を秋 IIl工 業学校 内に設 置 した。
業 終戦前後 の学制 変遷 図」 であ る。
2)学 制 改 革 の 変 遷
秋 田 市 立 商 業学 校
学 年
小 6
県立 秋 田工 業学 校
高等科
工 業学校
3年
商 業 学 校 5年
中等学校 5年
(1)戦 前の制度
i.小 学 6年・ 高等科 2年 。ェ業学校 3年
(2)昭 和 19年 度 の 戦 時 臨 時 処 置
i.県 立秋 田中学校・ 秋 田市立商業学校
を 5年 か ら 4年 に短 縮。
五.秋 田市 立 商業学校 は昭和
22年 度 終 了を もつて廃校 の予
定 とな り、生徒募集 停 止 。秋 田市立 工業 学校設 立。
血.県 立秋 田工業学校 に航 空機 科設置 (た だ し、小学 6年 卒
入学修 学年 限 4年 )
(3)昭 和 20年 度 の 「 戦 時 臨 時 処 置 」
1.県 立秋 田工 業学校 は市立工 業 と重 複 してい る採鉱科 、冶
金科 の募集 を停止 。
五.県 立 秋 田工 業学校 は高 等科 2年 卒業 で入 学 し修学 3年 で
卒業 を、小学 6年 卒業 で入 学 し修 学 4年 で卒業 に変 更 した。
これ に ともなって 、高等科 1年
2年 終 了者 を配慮 して次 の
※ =中 等 年 4
=申 等 5年
高 校 2年
昭 和 24年 度
高 校 3年
l
併 設 中 3年
高校 1年
高校 2年
併 設 中 2年
併 設 中 3年
高 校 1年
※昭和 22年 度 工 業 4年 卒 の制度 が廃 止 され 昭和 23年
度 中等 科 5年 卒 に 1年 延 長 され た。 このため秋 田工 業
。県 立秋 田工業学校
(航 空機 科 )。 秋 田市立工業学校 な ど中等学校 の修 学年 限
昭 和 23年 度
工 業 4年
2年
秋 田県立 秋 田中学 校
昭 和 22年 度
には昭和 23年 3月 の事業者 はいない。
(5)昭 和 23年 度
i.校 名 が 「秋 田県 立秋 田工 業 高等学校 」 とな る。
五。 この年 は 中等科 5年修 学 の資格 で昭和 24年 3月 に卒
業す るか、翌年 高校 3年 で 卒業す るか選択 で きた。
(6)昭 和 24年 度
i.昭 和 25年 3月 新制 工 業 高校 1回 生卒業 。
4.秋
田 日満 工 業 学 校 に つ い て
この内容 は秋 田県教育史掲載 の要約 で あ る。
満州 国建 国 に ともない 、昭和 ■ 3年
(1938年 )5月
秋 田 日満技術 工養 成所 と して財 団法人鉄 工 技術員 協会 に よ
って設 立 され た私立 の実業学校。 学校建 築や設備 費 は満 辮
‐
国政府 か ら交付 され 、 1年 次 と 2年 次 に満州語 を履修 ナる
│
取 り扱 い を した。 (こ の扱 いが判 明 し作 図が完成 した。)
昭和
19年 の工業 1年 生 は工業 3年 生 に 、 工業 2年生 は
工業 4年 生 とそれ ぞれ 1年 多 い学年 に進級 した。
さらに、高等科 2年 卒業者 は工業 2年 生 に入学 し、高等
科 1年 終 了者 の一 部 の成績優 秀者 も工 業 2年 生 に入学 を認
め られ た。 しか し、ほ とん どの 高等科 1年 修 了者 は、小 学
校 6年 卒業者 と一緒 に 1年 生 にス、
学 した。 この よ うに高等
科 を修 業 した生 徒 の殆 どは小学 6年 卒業者 よ り 1年 多 く修
学す る ことに な つ た。
五.4月 、廃校 となった歓 田市 立秋 田工業学校採鉱科・ 冶金
科 の 生徒 は県立秋 田工 業学校 に編 入。 工業化学科 は県立秋
田工業学校 に移 管 され た。
こ とが大 きな特徴 だ った。
昭和
19年 (1944年 )4月 秋 田 日満 工業学校 と改称
され た。 3年 FH5の 全寮制 に して、 5民 族 (日 本 満州 朝
鮮 蒙古 自系 ロシヤ)の 俊英 が学 び 、終 了後 は満州 1国 に
お い て技術指 導者 とな り、満州鉱 工業 の発展確 立 と 日満 藤i
国鉱 工 業界 の渾然 一 体化 を図 るこ とな 目的 と した。
昭和 20年
(1945年 )太 平洋戦争 の 終結 と共 に満州
国 も終焉 し、本校 も廃校 とな った。廃校 後 の生徒 の一 部 は
秋 田工業 に編 入 され た。
跡 地 は 、昭和 21年 9月 秋 田市立 商業学校 の校 舎 に使 用
され た。
以
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