地 域 を 守 り 次 代 に 引 き 継 ぐ 14

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地域を守り次代に引き継ぐ
子供たちに伝えたいこと
花泉町の金沢小学校で今年も田植え授業
が行われた。指導するのは 田んぼの先生
になって5年目の佐々木弘さん。農業の大
ベテランとして、歓声を上げる児童を優し
く見守る。
同校では4月の種蒔きに始まり、5月は
田植え、7月は幼穂の観察、 月は稲刈り、
月は縄ないと1年間の農作業の流れにつ
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も知ってもらいたい﹂
。
とで強く印象に残る。農作業の時代の流れ
﹁子供たちは言葉より、実際に体験するこ
教える。
業の違い、効率化が求められてきたことを
作業の両方を体験してもらい、昔と今の作
何度も足を運ぶ。授業では、手作業と機械
りだけでは分からないことがある﹂と考え
年寄りになるわけではない。田植えと稲刈
行う学校は多いが、弘さんは﹁子供が急に
いて学んでいる。田植えと稲刈りの体験を
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KOSHERU こしぇる 2015.6
ターの職員ら。﹁田植え授業では子供たちを
て い る の が、
J A青 年 部 やJ A営 農 経 済 セ ン
弘 さ ん の﹁田 ん ぼ の 授 業﹂を サ ポ ー ト し
地域の仲間に支えられて
弘さんは市谷小の児童も米作りに巻き込み、
新宿区立市谷小学校との交流を続けている。
金沢小学校は1987年から毎年、東京都
東京にも金沢の米を届けたい
﹁5 年 生の 児 童 が 作った 金 沢 の お 米 を、市 谷
﹁こ れ は 最 高 の 消 費 者 交 流﹂と 目 を 輝 か せ
ス ム ー ズ に 誘 導 し て く れ て 助 か っ た。彼 ら
あ り、子 供 た ち だ け で は な く、
J A職 員 も 弘
る弘さん。自分たちでできる根っこの活動で、
の児童にも食べさせたい﹂と考えている。
さんの授業に育てられている。
地元の米が認められ、広がっていく。いつか
の 手 助 け が あ る か ら 授 業 が で き る﹂と 感 謝
弘 さ ん は﹁こ う い う 農 家 の 知 識 は、教 え
﹁このネットワークを 活 かした販 売 ができな
﹁自 分 た ち で 作 っ た お 米 を お に ぎ り に し て
継 が な い と 分 か ら な い こ と だ か ら﹂と 笑 い
いだろうか﹂と夢が膨らむ。地域の農業を引
す る。幼 穂 の 観 察 の と き な ど、
J A職 員 が 実
な が ら、﹁青 年 部 やJ A職 員 と 作 業 の 連 携 を
き継ぐため、子供たちの笑顔のため、田んぼ
食べたら格別だろう﹂
。
作っておけば、後を継ぐ人も負担が少ない。
の先生は今日も田んぼに足を運ぶ。
カメラを始めたのは「50代になったら
何か一つ趣味を持った方が良い」と、い
しむだけではなく、カメラや写真をきっ
かけにした趣味の交流も広がっている。
現在は一眼レフカメラを5台所有。
「こ
れまでは家族の成長記録を撮ってきた。
これからは風景写真にも挑戦したい」
いる。2000∼ 年に磐井農業共済組合理事。現在は行政区長を務めるほか、
代から始めた剣
花泉の金沢小学校の 田んぼの先生 として児童に農業を教えている。家族は
妻のヨシ子さんと娘夫婦、孫3人のにぎやかな7 人家族。
te
vori
My Fa
物を見せながら子供たちに説明する場面も
自分が︵田んぼの先生を︶できなくなっても、
田植え授業を続けることができるのではな
――
子 供 た ち に は 大 き な 夢 を 持 って ほ
しい。それが農業についての夢ならうれし
一眼レフカメラ
歳 か ら 建 設 会 社 勤 務 の 傍 ら 兼 業 で 農 業 に 従 事。
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退職後に専業農家となり、稲作を中心に和牛繁殖との複合経営に取り組んで
1 9 4 6 年 花 泉 町 生 ま れ。
とこに勧められたのがきっかけ。1人で楽
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い か﹂と 地 域 ぐ る み で 取 り 組 み が 続 く こ と
を願っている。
い。無邪気な子供たちの笑顔が弘さんのパ
Hiroshi Sasaki
PROFILE
さん︵ ︶
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道は3段の腕前で、健康づくりのため毎日の素振りを欠かさない。
13 2015.6 KOSHERU こしぇる
ワーとなっている。
佐々木 弘
一関市花泉町
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と意気込んでいる。