念仏は暗闇を照らす光明である ある

題字:融通念佛宗 管長 倍巌良舜
題字:融通念佛
開宗九百年記念・大通上人
三百回御遠忌によせて
発行/融通念佛宗
総本山大念佛寺
発行
総
大阪市平野区平野上町1-7-26
TEL.06-6791-0026
大阪市平
TE
No.72 寺第四十六世となり、当時、宗
︵一六八九︶大通上人は大念佛
ても有名であり、﹁声明業中興
内がいろいろと混乱していたの
しょうみょうごう
の祖﹂と敬称されています。
念仏は暗闇を照ら
念仏は暗闇を照ら
す光明であ
す光明であ
る
る
ば い が ん り ょ う し ゅ ん
良忍上人︵聖應大師︶によ っ て
開かれた伝統仏教であり、 日 本
融通念佛宗開宗九百年記念・
で初めて誕生した国産仏教の宗な ん
大通上人三百回御遠忌とい う 難
派そで
う ぐあ
う ります。良忍上人は 応 徳
遭遇の大法要にお会いする こ と
元年︵一〇八四︶十二歳で 比 叡
ができ、皆様と共にお慶び 申 し
山延暦寺に入り勉学修行され、
上げ
た
ち
ま ます。
忽ち頭角を現し二十一歳で 講 主
融通念佛宗は平安時代の末頃、
中は混乱濁世に陥っていました。
他の大社寺も武力を持ち、世の
た集団が横行するようになり、
他の大社寺も武力を持ち、世の
をつとめられますが、当時の世
中は混乱濁世に陥っていました。
相はまさに末法で、政治的権力
良忍上人は道を求めて二十三歳
も貴族より武士に移りつつあり
の時、比叡山を下り大原に移り
ました。比叡山も真面目に勉学
修行を続けられます。良忍上人
修行する者が減少し、僧
兵や僧
しょう
すぐ
は天性、音楽才能に勝れ﹁声
徒、衆徒と呼ばれる武力を持っ
天仁二年︵一一〇九︶大原に
を治め、宗門再興に尽力される
ぎょうじゃ
ことになります。すでに四十五
らいごういん
世 良観上人を助けて宗門再興
の願書をもって江戸に下り、寺
来迎院を建立され、念仏行者と
開宗九百年記念・大通上人三百回御遠忌 大法要 特集
倍 巌 良 舜
永久五年︵一一一七︶五月十
融通念佛宗管長
をつとめられますが、当時の世
して修行に励まれます。
相はまさに末法で、政治的権力
開かれた伝統仏教であり、 日 本
良忍上人は道を求めて二十三歳
しょうおうだいし
で初めて誕生した国産仏教 の 宗
の時、比叡山を下り大原に移り
盛衰を重ねつ
宗団としては
きましたが、
ひろまってい
げであります。三百回御遠忌に
今日あるは全く大通上人のおか
る功労は誠に偉大であり、本宗
した。大通上人の宗内外に於け
ぜられ、導師となり親修されま
いちにんいっ
融通念佛宗開宗九百年記念・
そうぐう
ば い が ん り ょ う し ゅ ん
徒、衆徒と呼ばれる武力を持っ
貴族より武士に移りつつあり
遭遇の大法要にお会いする こ と
開宗九百年記念まも・
大通上人
した。比叡山も真面目に勉学
ができ、皆様と共にお慶び 申 し
行すよ
る者せ
が減少
し、僧兵や僧
三百回御遠忌修に
て
上げます。
融通念佛宗は平安時代の末頃、
良う に舜
融っ
通て
念佛宗た
管集
長団倍
が 横 行巌
るよ
良忍上人︵聖應大師︶によ
す なり、
派であります。良忍上人は 応 徳
しょうおうだいし
元年︵一〇八四︶十二歳で 比 叡
修行を続けられます。良忍上人
しょう
は天性、音楽才能に勝れ﹁声
すぐ
山延暦寺に入り勉学修行され、
たちま
忽ち頭角を現し二十一歳で 講 主
つ江戸時代に
あたり報恩謝徳の誠を捧げたい
しんしゅう
社奉行に差し出すなど、幕府の
︵一六八九︶大通上人は大念佛
裁許を得るために努力されてい
寺第四十六世となり、当時、宗
ます。当時大阪から江戸へ行く
内がいろいろと混乱していたの
ことは旅程二十日程要する難行
を治め、宗門再興に尽力される
でした。
ことになります。すでに四十五
宗門再興の裁許を受けた後も、
世 良観上人を助けて宗門再興
たび江戸におもむき、元禄
たび
の願書をもって江戸に下り、寺て ん
六年︵一六九三︶江戸城にて天
く に行
ょ らに
い 差し出すなど、幕府の
社と奉
得如来御開帳等 融通念仏弘通
努力されてい
裁許を得るために
に奔走されました。
ます。当時大阪から江戸へ行く
大念佛寺山内に於いては本堂
ことは旅程二十日程要する難行
修造、阿弥陀堂・位牌堂・宝蔵
でした。
の建立、また元禄十四年︵一七
宗門再興の裁許を受けた後も、
〇一︶京都に円満寺を建立し、
たびたび江戸におもむき、元禄
盛んに融通念仏を勧進されまして ん
六年︵一六九三︶江戸城にて天
た。また教学面では﹃融通圓門
と
く
に
ょ
ら
い
ん げ通
し ょ念
う 仏弘通
得如来御開帳等 し融
章﹄﹃融通念佛 信解章﹄等の著
に奔走されました。
述、︵宝永六年、一七〇九︶南
しょう
大念佛寺山内に於いては本堂
都東大寺の大仏殿落慶法要に請
しん
しゅ
う 宝蔵
修造、阿弥陀堂・位牌
堂
・
ぜられ、導師となり親修されま
の建立、また元禄十四年︵一七
した。大通上人の宗内外に於け
〇一︶京都に円満寺を建立し、
る功労は誠に偉大であり、本宗
ん にに
ち 融通念仏を勧進されまし
盛こん
今日あるは全く大通上人のおか
た。また教学面では﹃融通圓門
げであります。三し百
ん げ回
し ょ御
う 遠忌に
章﹄﹃融通念佛信解章﹄等の著
あたり報恩謝徳の誠を捧げたい
述、︵宝永六年、一七〇九︶南
ものであります。
しょう
都東大寺の大仏殿落慶法要に請
入りました。
ものであります。
こんにち
元禄二年
御遠忌御
法遠
要忌
標法
語要標語
なん
大通上人三百回御遠忌とい う 難
五
日
みょ
う 、阿弥陀如来より﹁一人一
い にと
ん い
いっ さい にん いち にん の
いちぎょういっさいぎょう
明さ﹂
う仏教音楽
大家とし 切人 一切人一人 一
行
切
しょ
うみ一
ょうご
う行
さい
ぎょで
ういち
ぎょ
う 、
ぜ﹁
み ょ声
う た明
り き業
お う中
じ ょ興
う
てもいっ 有
名
あ
り
一切行一行 是名他力往生
じ祖
っ か﹂
い いと
ち ね敬
ん 称
ゆう づう ねんぶつ ま
おくひゃくまんべん
の
されてい
す。
十界一念 融通念仏 億百万遍
天仁
〇
く ど二
く え年
ん ま︵
ん 一一ご
も九
ん ︶大原に
功
さ
れ
い ご徳
うい円
ん 満﹂の御文を授与
ぎょ
うじ
ゃ、
ら迎
来
院を建立さてれ
ん と、
く に念
ょ ら仏
い 行者と
更に﹁十一尊天得如来﹂の御姿
して修行に励まれます。
を授与されたのであります。良
永久五年︵一じ一
き じ一
ゅ 七︶五月十
忍上人はこの直授を多くのい人
ち に々
ん い、
っ
五日、阿弥陀如来ふよ
えり
ん ﹁一人一
特さに
べ
大
い に庶
ん 民
いの
っ さ間
い にに
ん い布
ち に演
ん す
いち
ぎょく
うい、
っさい
ぎょう
切人 一切人一人 一行一切行
原をいっ出
て
か
ら
さい
ぎょ京
ういち
ぎょ
う 大
ぜ阪
み ょの
う た地
り きで
お う融
じ ょ通
う
ら の
一切行一行 是名他ひ力
往生 念じ仏
の
地
が
っ かを
い いひ
ち ねろ
ん め
ゆら
う づれ
う ね、
んぶ平
つ 野
おく
ひゃ
くま
んべん
十界一ぐ念
億百万遍
づ う 融通念仏
念仏弘
とも い
く ど通
く え相
ん ま応
ん の地ご
ん う聖徳太
を授与され、
功徳円満﹂の御文
て ん と子
く にの
ょ ら夢
い 告を得
更に﹁十一尊天得如来﹂の御姿
て大念佛寺を
を授与されたのであります。良
じ き じ開
ゅ 創されたの
忍上人はこの直授を多くの人々、
であ
ふ
え
ん ります。
特に庶民の間に布演すべく、大
その後、融
原を出て京から大阪の地で融通
通念ひ仏
はいろ
ら の
念仏をひろめられ、平野の地が
んなルートで
ぐ づう
念仏弘通相応の地という聖徳太
ひろまってい
子の夢告を得
きましたが、
て大念佛寺を
宗団としては
開創されたの
盛衰を重ねつ
であります。
つ江戸時代に
その後、融
入りました。
通念仏はいろ
元禄二年
な
ん
ルートで
京都大原 音無しの滝
京都大原 音無しの滝
平成27年4月
だ い ね ん ぶ つ
だ い ね ん ぶ つ
(1)第72号
(1)
第72号
融通念佛宗宗務総長
念仏は暗闇を照らす光明である
く しゃろん
むことはでません。もちろん何も
見えません。その中ではマッチ一
本の明かりでも、この上なく尊い
ものと感じることができます。い
わんや一条の確かな光明は、どん
なにか有難いことでしょう。
念仏はわが足許をしっかり照ら
たそれによって沢山の煩悩を作り
し、心の闇路に希望と勇気と喜び
出していることも事実です。眼に
を与えてくれるものであります。
むことはでません。もちろん何も
その念仏を持ちつづけて放さな
見えません。その中ではマッ
チ
一
しゅ
うじ
みょう
いことを、阿弥陀経には﹁執持名
本ご の
う 明かりでも、この上なく尊い
号﹂と説かれています。
ものと感じることができます。い
喜びにつけ悲しみにつけ、いつ
わんや一条の確かな光明は、どん
も南無阿弥陀仏と一緒であるとい
なにか有難いことでしょう。
う生き方をいうのです。
念仏はわが足許をしっかり照ら
ところで古えの念仏者は、前述
し、心の闇路に希望と勇気と喜び
の暗闇と光明との関係について興
を与えてくれるものであります。
味ある話を残しています。
その念仏を持ちつづけて放さな
典の一つである倶舎論の説ですが、
境としての色声香味触法を感じる
舌で感じる味覚、身体に感じる触
宗え
務る
総長
む︶、平︵非好非悪のことで融
、通
好念佛宗見
もの、耳にきこえる音声、
とき、好︵このむ︶、悪︵にく
感も、あらゆる現象を受けとめる
けです。
心のはたらきも、人により、また
先の例でいえば、六根のはたら
いことを、阿弥陀経には﹁執持名
ぼんのう
ことば
煩悩の闇路
けが
わず
もう
まど
煩悩という語がよく知られていま
のです。迷いといえば、仏教では
び ぜっ しん に
びょう
ろっこん
ろっこん
お
しきしょうこうみそくほう
び ぜっ しん に
しきしょうこうみそくほう
きは人間が生きていく上でなくて
はならない大切なものですが、ま
め
の暗闇と光明との関係について興
喜びにつけ悲しみにつけ、いつ
舌で感じる味覚、身体に感じる触
味ある話を残しています。
め
まず憎まずのどちらでもない無関
感も、あらゆる現象を受けとめる
げん に
眼耳鼻舌身意の六根が、その対
げん に
ります。
念仏は暗闇を照らす光明である
先の例でいえば、六根のはたら
す。煩悩とは私たちの身体や心を
まず憎まずのどちらでもない無関
きは人間が生きていく上でなくて
号﹂と説かれています。
けです。
悩ませ、かき乱し、煩らわせ、惑
心なこと︶の三種くのし思
ゃ ろい
ん を起こす
典の一つである倶舎論の説ですが、
ので十八となる。この十八にそれ
百八煩悩については、他の説もあ
はならない大切なものですが、ま
も南無阿弥陀仏と一緒であるとい
百八煩悩については、他の説もあ
わし汚す精神作用のことで、一口
ります。
たそれによって沢山の煩悩を作り
人にはおしなべて迷いがつきも
でいえば底なしの迷いの闇のこと
眼耳鼻舌身意の六根が、その対
出していることも事実です。眼に
心なこと︶の三種の思いを起こす
心のはたらきも、人により、また
お
ので十八となる。この十八にそれ
その時によりまちまちです。それ
の眼のおかげと感じます。あるい
にしている眼がはたらかないので
闇では何も見えないのです。頼り
私たちは物が見えるのは、己れ
このように煩悩いっぱいの世界
ぜいじゃく
てみればそれがいかに脆弱である
物ひとつ見ることができるのも、
かがわかります。
明るさ、光明のおかげと受け取っ
たとき、自己をとりまく大きな世
界の存在に気付くので、その光明
が私たちの眼のはたらきを蘇らせ
てくれるのです。
こ の 大 き な 世 界 の はぜた
らく き を
いじゃ
てみればそれがいかに脆弱である
〝仏の力〟といただいたとき、暗
かがわかります。
闇の中の光は仏の光明そのものと
物ひとつ見ることができるのも、
なります。
明るさ、光明のおかげと受け取っ
その仏の光明に浴することがで
たとき、自己をと
り
ま
しゅ
じょ
う く大きな世
きるのは、念仏衆生すなわち念仏
界の存在に気付くので、その光明
を喜び信じて称える人であります。
が私たちの眼のはたらきを蘇らせ
まずこの口に念仏を称える人に
てくれるのです。
なることが第一であります。それ
この大きな世界のはたらきを
ゆえ本宗では﹁日課念仏﹂といっ
〝仏の力〟といただいたとき、暗
て、一日百遍の念仏を誓って称え
闇の中の光は仏
の
光明そのものと
そう
たん
ることと、﹁早旦の念仏﹂といっ
なります。
そうこう
て、朝、洗面漱口のあと西方に向
その仏の光明に浴することがで
かい十遍の念仏を
称
え
しゅ
じょ
う ることが大
きるのは、念仏衆生すなわち念仏
ぎ
ょ
う
切な行となっています。しかもこ
を喜びじ信
じらて
ん み
い さ称
い える人であります。
れは尽未来際といって、後の世を
まずこの口に念仏を称える人に
経ても未来永劫に称え続けること
なることが第一であります。それ
が説かれています。
ゆえ本宗では﹁日課念仏﹂といっ
念仏を称え続けていれば、信心
て、け一
日百遍の念仏を誓って称え
ん ご
が堅固なものと
な
る。そして念仏
そう
たん
るこ
と
あた
た と、﹁早旦の念仏﹂といっ
の温かみが湧くそ。
う こ喜
う びの心となる。
て、朝、洗面漱口のあと西方に向
どんなときでも仏さまの守護をい
かい十遍の念仏を称えることが大
ただけ
る
ぎょ
う 。すなわち執持名号の人
切な行となっています。しかもこ
となっじて
、ら縁
ん み
い さあ
い るすべての人びと
れは尽未来際といって、後の世を
と共に、大いなる救いの中に生き
経ても未来永劫に称え続けること
往くことができるのです。これを
が説かれています。
けん ご
念仏を称え続けていれば、信心
あたた
が堅固なものとなる。そして念仏
けつじょうおうじょう
決定往生といいます。
か せつ
縁あって開宗九百年記念・大通
上人三百回御遠忌の佳節にめぐり
会った私たちは、今こそ声高らか
に念仏唱和の鉦を力強く打鳴らし、
わが足許を、さらには私たちの周
囲を、光り輝く楽土にしたいもの
であります。
けつ
じょ仏
うおは
うじょ
う 闇を照らす光明であ
〝
念
暗
決定往生といいます。
る〟
縁あって開宗九百年記念・大通
私たち一人ひとりがか光せ明
つ を点じ
上人三百回御遠忌の佳節にめぐり
る人であることを心に銘記して、
会った私たちは、今こそ声高らか
御遠忌の報恩行にいそしもうでは
に念仏唱和の鉦を力強く打鳴らし、
ありませんか。
わが足許を、さらには私たちの周
囲を、光り輝く楽土にしたいもの
であります。
〝念仏は暗闇を照らす光明であ
る〟
大通上人遺像
大通上人遺像
煩悩の闇路
です。
境としての色声香味触法を感じる
見えるもの、耳にきこえる音声、
ぞれ染︵けがれた心︶と浄︵清
らはすべて人間の煩悩となります。
は視力があるからと思うでしょう。
ところで古えの念仏者は、前述
い心︶の二つがあるから三十六と
たとえば空腹のときはおいしい、
眼すなわち視力によって物を見る
じょう
なる。これが過去、現在、未来の
おいしいと食した物も、満腹時に
ことができるなら、夜でも見える
せん
三世にわたって活動するから百八
は厭ましいものになります。好き
はずであります。ところが夜の暗
を迷いの世界といいます。それは
その他にも別の数えかたもあり
ますが、要するにそれだけ人間の
は厭ましいものになります。好き
〝暗闇にこそ光は尊い〟といわ
も嫌いもすべて煩悩です。
れますが、暗闇の中では一歩も進
このように煩悩いっぱいの世界
にしている眼がはたらかないので
ぼうだい
迷いが多岐にわたって厖大である
暗闇の世界でもあります。いうな
その時によりまやち
まちです。それ
み じ
れば私たちは闇路をさまよう凡夫
らはすべて人間の煩悩となります。
であります。
たとえば空腹のときはおいしい、
を迷いの世界といいます。それは
す。ここに己れの眼の限界がある
ぼうだい
迷いが多岐にわたって厖大である
暗闇の世界でもあります。いうな
やみ じ
ことを表しているのです。 いと
光の世界へ
おいしいと食した物も、満腹時に
ことをせ表
ん しているのです。 じ ょ う
ぞ れ 染 ︵ け が れ た 心 ︶ と 浄︵清
仏さまの教えが無量であること
い心︶の二つがあるから三十六と
を表現するのに、八万四千の法門
なる。これが過去、現在、未来の
といいますが、それと同じように、
三世にわたって活動するから百八
人間の欲や迷いなどが強大である
となるというわけです。
ことを、八万四千の煩悩といいま
その他にも別の数えかたもあり
す。とても百八どころではないわ
ますが、要するにそれだけ人間の
す。ここに己れの眼の限界がある
私たちは物が見えるのは、己れ
ことに気付きます。つまり自分の
の眼のおかげと感じます。あるい
力の弱さ、ちっぽけな自分の存在
は視力があるからと思うでしょう。
を感じないわけにはいきません。
眼すなわち視力によっじて
り物
き を
ろ る
も見
念仏門ではこれを自力の脆さと
ことができるなら、夜でも見える
受け取ります。すなわち自己の力
はずであります。ところが夜の暗
を過信していても、よくよく考え
闇では何も見えないのです。頼り
いと
となるというわけです。
も嫌いもすべて煩悩です。
びょう
しゅうじみょう
とき、好︵このむ︶、悪︵にく
ごう
む︶、平︵非好非悪のことで、好
う生き方をいうのです。
古来、煩悩の同意語として、妄
ね人
ん にはおしなべて迷いがつきも
念︵迷いの心、迷妄の執念︶、三
のです。迷いといえば、仏教ではわ く 毒ぼ が
が
ん のあ
う ります
こと
ば 、それ以外にも惑、
煩し悩という語がよく知られていま
使︵煩悩は人を駆使して迷いの世
す。煩悩とは私たちの身体
や
心
を
みん
︵め
ん︶
界をさまよわせる意味わ︶
まど
ず 眠︵身心
悩ませ、かき乱し、煩らわずせ
い め、
ん 惑
が させること︶、随眠︵潜
をにぶけく
わし汚す精神作用のことで、一口
在的な煩悩のことで、内心に潜む
でいえば底なしのけ迷
ん いの闇のこと
悪への傾向︶、見︵誤った見解︶、
でてす
ん 。
纏︵まつわりつく意︶などがありも う
古来、煩悩の同意語として、妄
ま
ねす
ん 。
念︵迷いの心、迷妄の執念︶、三
除夜の鐘の数でよく知られていわ く 毒がありますが、それ以外にも惑、
るように、人間の煩悩は百八ある
し
使︵煩悩は人を駆使して迷いの世
というのが通説になっています
み
ん
︵
め
ん。
︶
界をとさ
し身
ん 心
ん まよわせる意味︶眠︵
貪︵貪欲、むさぼり︶、ず嗔
い め︵
ん 腹
をにぶくさせるちこと︶、随眠︵潜
立ち、怒り︶痴︵暗い心︶を三毒
在的な煩悩のことで、内心に潜む
または三惑といっけて
ん 、根本煩悩と
悪への傾向︶、見︵誤った見解︶、
もて い
ん われています。それに加えて
纏ま︵
あ
りじ ゃ
ん まつわりつく意︶ などがぎ
慢︵おごり、たかぶり︶、疑、邪
ま
す。
けん
見︵誤った考え︶、辺見︵かたよ
除夜の鐘の数でよくし知たら
い れてい
った考え︶などが、四諦と名づけ
るように、人間の煩悩は百八ある
る四種の真理すなわちこの世は苦
というのが通説になっています。
であとる
しそ
ん の
ん ということの真理と、
貪︵貪欲、むさぼり︶、嗔︵腹
原因である執着ち心を見極める真理、
立ち、怒り︶痴︵暗い心︶を三毒
それを滅する真理と道筋への真理、
または三惑といって
、
むし
ば 根本煩悩と
この四つの真理を蝕む煩悩に八十
もいわれています。それに加えて
八まを
に
十じ ゃ
ん 数え︵八十八使︶ 、さらぎ
慢︵おごじり
っ て、
ん たかぶり︶、疑、邪
随
眠、十纏という煩悩を加えて百
けん
見︵誤った考え︶、辺見︵かたよ
八とします。これは仏し教たの
い 根本聖
った考え︶などが、四諦と名づけ
る四種の真理すなわちこの世は苦
であるということの真理と、その
大通上人直筆名号
大通上人直筆名号
平成27年4月
平成27年4月
つ
ぶ
ん
ね
い
だ
つ
ぶ
ん
ね
だ い
(2)第72号
間に極楽浄土に往生したいという願望
らい ごう ず
が広まり、来迎図が盛んに描かれるよ
うになりました。その欲求はさらに菩
まん ぶ
おうじょう こう
え
えん
む
む
えん
え
四
五
や
く
げ
じ
ょ
ん
う
ぼ
ぼ
さ
さ
つ
つ
薬 上 菩 薩
ふ
普 賢 菩 薩
ぎょくばん
玉幡
ば ん がい
幡蓋
ど う ばん
ひょ う し ば ん
しょうこ
お うて き
しんこ
く ご
しんこ
太鼓
たいこ
振こ鼓
うろ
香炉
羯く鼓
げ
供華
か っこ
銅ほ鑼
うどう
寶幢
ど ら
鳳け簫
どう
華幢
ほうしょう
琵け琶
まん
華鬘
び わ
箜た篌
いこ
太鼓
振鼓
はち
篳か篥
っこ
羯鼓
ひちり き
横ど笛
ら
銅鑼
笙
ほうしょう
鳳簫
しょう
腰び鼓
わ
琵琶
ようこ
鉦く鼓
ご
箜篌
拍子は板
ち
瑟
ひちり き
篳篥
ひつ
幡お蓋
うて き
横笛
ば ん がい
玉し幡
ょう
笙
ぎょくばん
幢よ幡
うこ
腰鼓
鉦鼓
金剛
合
掌
しょ
うこ
こんごうがっしょう
紫ひ蓮
ょ う台
し ばん
拍子板
し れ ん だい
万部法要二
並つび持物 ひつ
こ 十
ん 五
ぞ菩
う薩
ぼ名さ
六
瑟
一
七
二
八
三
九
四
十
五
十一
六
十二
七
十三
八
十四
九
十五
十
十六
十一
十七
十二
十八
十三
十九
十四
二十
十五
二十一
十六
二十二
金 蔵 菩 薩
か ん ぜ お ん ぼ さ つ
観 世 音 菩 薩
し
し
く
ぼ
さ
つ
獅 子 吼 菩 薩
せ
い
し
ぼ
さ
つ
勢け ご至ん お 菩
う ぼ 薩
さ つ
華 厳 王 菩 薩
や
く
お
う ぼ さ つ
薬こ く王う ぞ 菩
う ぼ 薩
さ つ
虚 空 蔵 菩 薩
や く じ ょ う ぼ さ つ
薬と く上ぞ う菩ぼ さ薩つ
徳 蔵 菩 薩
ふ
げ
ん
ぼ
さ
つ
普ほ う賢ぞ う菩ぼ さ薩つ
寶 蔵 菩 薩
こ ん ぞ
う
ぼ さ つ
金 蔵 菩 薩
ほ
う
じ
ざ
い
ぼ
さ
つ
法 自 在 菩 薩
し
し
く
ぼ
さ
つ
獅こ 子
ん ご 吼
う ぞ 菩
う ぼ薩
さ つ
金 剛 蔵 菩 薩
け ご ん お う ぼ さ つ
華さ 厳
菩ぼ 薩
さ つ
ん か王
い え
山 海 慧 菩 薩
こ く う ぞ う ぼ さ つ
虚こ う空み ょ蔵
う お菩
う ぼ薩
さ つ
光 明 王 菩 薩
と く
ぞ
う ぼ さ つ
徳だ 蔵
ら
に 菩
ぼ
さ薩つ
陀 羅 尼 菩 薩
ほ う
ぞ
う ぼ さ つ
寶し ゅ蔵
菩う ぼ 薩
ほ う お
さ つ
衆 宝 王 菩 薩
ほ う じ ざ い ぼ さ つ
法に っ自し ょ在
う お菩
う ぼ薩
さ つ
日 照 王 菩 薩
こ ん ご う ぞ う ぼ さ つ
金が 剛
っ こ 蔵
う お 菩
う ぼ 薩
さ つ
月 光 王 菩 薩
さ ん か い え ぼ さ つ
山じ ょ海う じ慧
菩う ぼ薩
ざ い お
さ つ
定自在王菩薩
こ う み ょ う お う ぼ さ つ
光ざ 明
ん ま 王
い お 菩
う ぼ薩
さ つ
三 昧 王 菩 薩
だ
ら
に
ぼ
さ
つ
陀だ い羅じ ざ尼
い お菩
う ぼ薩
さ つ
大自在王菩薩
し ゅ ほ う お う ぼ さ つ
衆び ゃ宝く ぞ王う お菩
う ぼ薩
さ つ
白 象 王 菩 薩
に っ し ょ う お う ぼ さ つ
日だ い照い と王
く お菩
う ぼ薩
さ つ
大威徳王菩薩
が っ こ う お う ぼ さ つ
月む 光
へ ん王
し ん菩
ぼ 薩
さ つ
無 辺 身 菩 薩
じ ょ う じ ざ い お う ぼ さ つ
定自在王菩薩
つ
こうろ
け どう
光王菩薩︶太鼓︵定自在王菩薩︶
たい こ
り供養で使用されております菩
華鬘︵三昧王菩薩︶華幢︵大自在
こう ろ
薩の面、持物が開宗九百年記
け まん
念・大通上人三百回御遠忌大法
菩薩面は元禄時代の面の破損
した。
要に合わせて新調、修復されま
菩薩面新調される
十回御遠忌法要︵昭和五十六
避覚
け寺
るた
良 忍良
上人八
菩薩役長 を本
大め に東
弘百 五
お うて き
翌琵
年琶
の
五光
月明
に王
は菩
、薩
実︶
際横
に笛
﹁︵
万寳
部
薩︶
︵
おね
﹁さ
来れ
迎ま
会し
﹂た
を。
蔵
菩り
薩﹂
︶を
な拝
ど見
がし
寄、贈
菩薩面は元禄時代の面の破損
年︶の時に十五面が、当時日本
か の
い かり
ん 、練
大 通 上 人 の 元 禄た時
代ゆよ
最高の能面師、高野唯閑氏によ
り供養で使用されております菩
って新たに制作されました。今
薩の面、持物が開宗九百年記
回高野氏の弟子にあたる能面師
念・大通上人三百回御遠忌大法
寺井一佑氏に残り十面の制作を
要に合わせて新調、修復されま
お願いし、二十五面完成の運び
した。
を避けるために良忍上人八百五
し本
た年
。は
制大
作法
に要
あに
たあ
った
てり
は二
、十
菩五
薩菩
役
目て
のも
当有
り難
にい
でこ
きと
たで
こす
と。
に感動しま
と
ほっとしていた時に、大念佛寺の
でした。あとかたづけを終えて、
くなったのは平成二十五年の四月
一年間の闘病生活を経て妻が亡
とができました。
や彫刻の中にそのありがたみを感じとるこ
一行のお迎えを待つ臨終観について、絵画
おを
願拝
い見
しし
、、
二阿
十弥
五陀
面如
完来
成と
の運
美術︶の展示
そび
の
寺ざ
井な
一い
佑﹂
氏︵
に練
残り 供
十養
面を
のめ
制ぐ
作る
を
﹁極楽へのい
子開
に催
あさ
たれ
るて
能い
面師
﹁ 龍 谷 ミ ュ回
ー高
ジ野
ア氏
ムの﹂弟で
た
って新たに制作されました。今
師 、
高 野 氏 に よ
最高の能面
唯閑
た界
。を体験して下さい。
世
方覧
等頂
、き
工ま
夫す
しと
たとも
こに
ろ極
も楽
あ浄
り土
まの
し
ご
や菩
す薩
く面
す、
る修
為復
にさ
目れ
のま
穴し
やた
口持
の物
開を
け
た
為養
にに
、出
面ら
のれ
寸ま
法す
の。
変新
更調
やさ
、れ
使ま
用し
供
のと
方供
々に
の、
体特
格別
がに
大地
き蔵
く菩
な薩
っが
て練
いり
る
薩
ま
十回御遠忌法要︵昭和五十六
菩薩役の方から﹁万部おねり﹂に
た か の ゆ い かん
使用される菩薩面の新調のお話が
とができました。
や彫刻の中にそのありがたみを感じとるこ
一行のお迎えを待つ臨終観について、絵画
美術︶の展示を拝見し、阿弥陀如来とその
﹁極楽へのいざない﹂︵練り供養をめぐる
﹁龍谷ミュージアム﹂で開催されていた
寺 井 一 祐
てら い い ち ゆ う
菩薩面の制作にあたって
ありました。
たか の ゆいかん
私の師匠である高野唯閑先生が
三十数年前に十五面を制作され、
今回あと十面を私にまかせて頂く
一年間の闘病生活を経て妻が亡
事となりました。檜材の調達や桐
くなったのは平成二十五年の四月
箱への納め具合など、普段にはな
でした。あとかたづけを終えて、
い事なので、慎重に準備をしてい
ほっとしていた時に、大念佛寺の
きました。大念佛寺に伝わる江戸
菩薩役の方から﹁万部おねり﹂に
時代の菩薩面二十五面も拝見する
使用される菩薩面の新調のお話が
機会を得て、身の引き締まる思い
ありました。
でした。その年の十た月
には京都の
か の ゆいかん
私の師匠である高野唯閑先生が
三十数年前に十五面を制作され、
今回あと十面を私にまかせて頂く
事となりました。檜材の調達や桐
箱への納め具合など、普段にはな
い事なので、慎重に準備をしてい
きました。大念佛寺に伝わる江戸
時代の菩薩面二十五面も拝見する
機会を得て、身の引き締まる思い
でした。その年の十月には京都の
ております。
感じて頂けるよう祈っ
皆様に極楽の雰囲気を
﹁おねり﹂に加わり、
これからも末永く
びとなりました。
続け、やっと完成の運
気を落ちつけて仕事を
中の亡き妻を思い出し、
しかし、やはり﹁表情﹂がいち
翌年の五月には、実際に﹁万部
ばん難しく、一気には進められず、
おねり﹂を拝見し、﹁来迎会﹂を
迷まいがおきて度々立ち止まってし
目の当りにできたことに感動しま
まったのですが、心の
した。制作にあたっては、菩薩役
中の亡き妻を思い出し、
の方々の体格が大きくなっている
気を落ちつけて仕事を
為に、面の寸法の変更や、使用し
続け、やっと完成の運
やすくする為に目の穴や口の開け
びとなりました。
方等、工夫したところもありまし
これからも末永く
た。
﹁おねり﹂に加わり、
しかし、やはり﹁表情﹂がいち
皆様に極楽の雰囲気を
ばん難しく、一気には進められず、
感じて頂けるよう祈っ
迷いがおきて度々立ち止まってし
ております。
まったのですが、心の
寺 井 一 祐
ら い ち日
ゆ う本
年 ︶ の 時 に 十て五
面 が
、
時
当
い
菩薩面の制作にあたって
び わ
王菩薩︶香炉︵無辺身菩薩︶が修
となりました。
復され、また
有志の方
々により、
じ もつ
し れ ん だい
ひ ち紫
り き蓮 台 ︵ 観 世
しょ
う 薩様の持物は、
菩
笙 ︵ 徳 蔵 菩 薩 ︶ 篳 篥どう︵
法自在菩
ばん
お薬
うて王
き 菩
音 菩 薩び︶
わ を は じ め 幢 幡 ︵
薩︶琵琶
︵
光
明
王
菩
薩
︶
横
笛
︵
寳
ひょう し ばん
ひつ
薩︶瑟︵金蔵菩薩︶拍子板︵獅子
蔵菩薩︶な
ど が 寄 贈 さ れ ま しよた
。
しょうこ
う こ
吼菩薩︶鉦鼓︵華厳王菩薩︶腰鼓
とても有難いことです。
く ご
︵虚空蔵菩薩︶箜篌︵山海慧菩
本年かは
大法要にあたり二し十
五菩
ん こ
っ こ
薩︶羯鼓︵日照王菩薩︶振鼓︵月
薩と供に、特別に地蔵菩薩が練り
たい こ
光王菩薩︶太鼓︵定自在王菩薩︶
供養に出られます。新け調どさ
れまし
う
け まん
華鬘︵三昧王菩薩︶華幢︵大自在
た菩薩面、こ 修
復されました持物を
う ろ
王菩薩︶香炉︵無辺身菩薩︶が修
ご覧頂きますとともに極楽浄土の
復され、また有志の方々により、
世
界を体験して下さ
い。
ひち り き
しょう
笙︵徳蔵菩薩︶篳篥︵法自在菩
!
!
の面
衣装
をり
身に
つの
けい
、 往わ
生の
﹁薩万
部やお
ね
﹂
れ実 体
むかえこう
えん
しょうじゅ らい ごう え
あ み だ き ょ う ま ん ぶ ど く じ ゅ
ぎょう ぎ
えん
しょうじゅ らい ごう え
おうじょう こう
らい ごう ず
ほうみょうしょうにん
ぼ さつしょう じゅ らい ごう え
むかえこう
う
ぎょう ぎ
まん ぶ え
ほうみょうしょうにん
ぎょうかいしょうにん
だい ほ う
験を試みるところまで発展していきま
平野の﹁万部﹂あるいは﹁万部おね
した。迎講・往生講などといわれるも
り﹂として親しまれているこの大法会
のです。これを﹁聖聚来迎会﹂といい
は、正式には﹁阿弥陀経万部読誦・二
ます。
十五菩薩聖聚来迎会﹂といいます。
大念佛寺における﹁聖聚来迎会﹂の
八世紀頃︵平安時代︶から、人々の
起源は、第七世法明上人︵一二七九∼
間に極楽浄土に往生したいという願望
一三四九︶が臨終の行儀をまのあたり
が広まり、来迎図が盛んに描かれるよ
拝したいと考え、菩薩の面や衣装をし
うになりました。その欲求はさらに菩
つらえ最晩年の貞和五年︵一三四九︶
薩の面や衣装を身につけ、往生の実体
春、自ら行者となって来迎の儀式を執
験を試みるところまで発展していきま
り行ったことに始まります。
した。迎講・往生講などといわれるも
近 世 に 入 り 明 和 六 年︵ 一 七 六 九 ︶第 四
のです。これを﹁聖聚来迎会﹂といい
十九世尭海上人のとき、阿弥陀経一万
ます。
部を読誦して檀信徒と有縁無縁諸霊の
大念佛寺における﹁聖聚来迎会﹂の
追善を祈って万部会が創始されまし
起源は、第七世法明上人︵一二七九∼
た。
一三四九︶が臨終の行儀をまのあたり
この二つの法会が合体して今日に及
拝したいと考え、菩薩の面や衣装をし
んでいるのが﹁万部おねり﹂の儀式です。
つらえ最晩年の貞和五年︵一三四九︶
春、自ら行者となって来迎の儀式を執
り行ったことに始まります。
近 世 に 入 り 明 和 六 年︵ 一 七 六 九 ︶第 四
ぎょうかいしょうにん
ぶ
う
十九世尭海上人のとき、阿弥陀経一万
部を読誦して檀信徒と有縁無縁諸霊の
まん
追善を祈って万部会が創始されまし
た。
この二つの法会が合体して今日に及
んでいるのが﹁万部おねり﹂の儀式です。
十七
二十三
十八
二十四
十九
二十五
二十
華鬘
けまん
三 昧 王 菩 薩
ざ ん ま い お う ぼ さ つ
二十一
華幢
ほうどう
く げ
寶幢
けどう
大自在王菩薩
び ゃ く ぞ う お う ぼ さ つ
白 象 王 菩 薩
だ い じ ざ い お う ぼ さ つ
二十二
二十三
だ い い と く お う ぼ さ つ
さ
供華
ぼ
大威徳王菩薩
ん
二十四
し
香炉
へ ん
無 辺 身 菩 薩
む
二十五
新調された菩薩面
新調された菩薩面
平成27年4月
だ い ね ん ぶ つ
だ い ね ん ぶ つ
(3)第72号
(3)
第72号
স
ܳ
ࡑ
Ʌ
ɢ
ȵ
ɀ
開宗九百年記念・大通上人三百
回御遠忌を迎えるにあたり、宗議
会議長、副議長として参加させて
いただきました。奉修局の記念事
業部会では、建設委員として、延
喜殿であります。それに加えて、
宗務所と南門の間に、参詣の方々
に使用していただく木造のトイレ
も新築いたしました。
これも、仏天の御加護の賜物で
あり、また、一重に檀信徒の方々
いよいよ開宗九百年記念・大通
般寄付の勧募、幾多の努力により、
ています。その為の特別宗費、一
人々が参集されることを目的とし
この御遠忌に際し、倍厳良舜管
おいても大変意義深いものです。
今回の御遠忌法要は、私の人生に
には親しみを持っておりました。
於いて、当局より事業の概要につ
ました。平成二十一年の評議会に
れ
人て
々お
がり
参ま
集し
さた
れ、
る表
こに
とは
を融
目通
的総
と本
し
木札があり、母からもよく聞かさ
わる大通上人がお寄り頂いた折の
私事ですが、我が家に昔から伝
おいても大変意義深いものです。
今回の御遠忌法要は、私の人生に
挨
すっ
。て お り ま し た 。
に拶
はと
親い
した
みし
をま持
益々の発展を御祈念申し上げ、御
長猊下を始め、本山当局担当事務
初期の目的を達成することが出来、
いて説明がありました。その内容
山
ての
い焼
ま印
すと
。再
そ興
の大
為通
の上
特人
別附
宗属
費、 八
一
局、宗議会等関係各位の皆様方に
は開宗された理念を檀信徒はもと
尾
般別
寄時
付良
の明
勧寺
募と
、記
幾さ
多れ
の、
努裏
力面
にに
よは
り、
関係各位の人々に感謝の気持で一
より多くの人々に理解して頂く教
杯です。
宣活動の拡充徹底と、多目的建物
この御遠忌に際し、倍厳良舜管
となく本山へ足を運ばさせて頂き
の新設でした。特に新延喜殿は檀
竹期
との
雀目
を的
あを
し達
ら成っすた
初
る家
こ紋
との
が焼
出印
来、
まには物心両面にわたりお世話に
なり厚く御礼申し上げます。私達
評議会と致しましても、この大法
要を立派に成功する為、一致団結
!!
法い
要よ
委い
員よ
の開
要宗
職九
を命
百ぜ
年ら
記れ
念、
・幾
大度
通
上人三百回御遠忌の大法要が厳修
される運びとなりました。みなさ
まには物心両面にわたりお世話に
と
記す
さ。
れており、私自身大通上人
杯で
局、宗議会等関係各位の皆様方に
長猊下を始め、本山当局担当事務
これを契機として融通念佛宗の
所
、く
僧本
侶山
のへ
研足
修を道
とな
運場
ば等
さ、
せ多
てく
頂の
き
大通上人三百回御遠忌に際し、
厚く御礼申し上げます。
り念佛を奉納している講衆が、大
これを契機として融通念佛宗の
通上人への帰依が深かったことか
益々の発展を御祈念申し上げ、御
ら、布教の根幹である御回在に供
挨拶といたします。
奉するようになったようです。
ました。平成二十一年の評議会に
於いて、当局より事業の概要につ
いて説明がありました。その内容
は開宗された理念を檀信徒はもと
より多くの人々に理解して頂く教
なり厚く御礼申し上げます。私達
評議会と致しましても、この大法
上人なしに大和禅門講の存在はな
いことを、あらためて認識してい
るところです。近年は講員各位の
協力のもとに、供奉員は全て禅門
せ
門し
講と
・な
灯ん
明 講且
・つ
禅両
門祖
尼師
講忌
等の
が節
あ り
踊
ま躍
す念
。佛
私く
どわ
もえ
大ら
和れ
禅け
門る
講と
は伝
﹁ふ
ま﹂
ん
ごす
指る
導よ
をう
賜に
わな
りっ
厚た
くよ
おう
礼で
申す
し。
上げ
奉
ら総
、本
布山
教を
のは
根じ
幹め
で各
あ寺
る院
御御
回住
在職
にに
供
講
り員
念と
佛な
をり
奉万
納部
し法
て要
いお
る練
講り
衆へ
がの
、参
大
備され要所には高速道路もできて、
と
ぶあ
法り
要ま
﹂す
の。
おこ
念の
仏講
おが
ね大
り和
と禅
、門
御講
回
ます
大。
通上人三百回御遠忌に際し、
とま
講員となり万部法要お練りへの参
協力のもとに、供奉員は全て禅門
加
通者
上も
人増
へえ
のて
帰お
依り
がま
深す
か。
ったことか
すべてバスでの移動になり、わず
上人なしに大和禅門講の存在はな
在家入道の輩 むらがり出て 踊
躍
べ念
き佛
講を
と我
しも
てわ
、れ
別も
時と
講 ・け
畳ち
講ゑ
・ん
禅
か
私事ですが、我が家に昔から伝
べき講として、別時講・畳講・禅
わる大通上人がお寄り頂いた折の
門講・灯明講・禅門尼講等があり
木札があり、母からもよく聞かさ
ます。私ども大和禅門講は﹁まん
れておりました、表には融通総本
ぶ法要﹂のお念仏おねりと、御回
山の焼印と再興大通上人附属、八
在の供奉員として、ご奉仕させて
尾別時良明寺と記され、裏面には、
頂いております。
竹と雀をあしらった家紋の焼印、
わ やく
﹃大念佛宗踊躍念佛由来記﹄に
大和国平群郡福貴村藤田又左じヱぶ門
ん
は、﹁大通上人宗門再興の時分に
と記されてお
り、私自身大通上人
や から
宣活動の拡充徹底と、多目的建物
春三月から河内及び近郷を約七
の新設でした。特に新延喜殿は檀
十日、秋は九月から約百日、大和
信徒の方々が参詣頂いた際の休憩
地方をお回り頂いています。昔は
所、僧侶の研修道場等、多くの
全部徒歩で移動し、末寺でお泊り
され、荷物は荷車で引き継いでの
要を立派に成功する為、一致団結
﹁カン!カン!カン!カン!﹂
して参りました。私も評議会議長
巷に高らかに鐘の音がひびきわた
として本山より建設委員副委員長、
ります。﹁アッにょらいさんや﹂
法要委員の要職を命ぜられ、幾度
と、各地域で親しまれ、大切にお
迎えして下さっています。
あ ん ぎゃ
寺から御本尊十一尊天得如来のお
かに残っていた﹁お泊り﹂も、昨
のは
在
のじ
供ま
奉り
員で
とあ
しる
てそ
、う
ごで
奉す
仕。
させて
いことを、あらためて認識してい
行脚でしたが、近ごろは道路が整
絵像が納められた箱を奉持して、
回お
在り
のま
供す
奉。
については、いつ
頂御
いて
るところです。近年は講員各位の
固有の取組みです。総本山大念佛
お﹁
檀カ
家ン
一!
戸カ
一ン
戸!御カ回
ン在
!し
カて
ン頂
!く
﹂、
年か
春ら
三は
月な
かく
らな
河り
内ま
及し
びた
近。
郷を約七
頃﹃
か大
わ念
か佛
り宗
ま踊
せ躍
ん念
が、
佛大
由法
来要
記に
﹄踊
に
大切
巷
にな
高法
ら要
かで
にす
鐘。
の音がひびきわた
わ やく
十総
日本
、山
秋に
はは
九、
月護
か持
ら団
約体
百と
日も
、い
大う
和
は、﹁大通上人宗門再興の時分に
され、荷物は荷車で引き継いでの
じ ぶん
地方をお回り頂いています。昔は
ります。﹁アッにょらいさんや﹂
と、各地域で親しまれ、大切にお
迎えして下さっています。
や から
全部徒歩で移動し、末寺でお泊り
在家入道の輩 むらがり出て 踊
躍念佛を我もわれもと けちゑん
他宗にはみられない融通念佛宗
厚く御礼申し上げます。
して参りました。私も評議会議長
信徒の方々が参詣頂いた際の休憩
される運びとなりました。みなさ
として本山より建設委員副委員長、
大係
和各
国位
平の
群人
郡々
福に
貴感
村謝
藤田
関
の又
気左
持ヱ
で門
一
上人三百回御遠忌の大法要が厳修
ᅂ
ᅂ
ᄰ
ᄰ
喜殿の建設を進めさせていただき、
ဦā
ဦā
ࡊ
ā
ࡊ
ā
と各寺院方の御協力と御支援のお
かげと感謝しております。
๜ā
๜ā
ೲ
ā
ೲ
ā
完成を見る事が出来ました。去る
平成十年の中祖法明上人の御遠忌
本年五月一日∼七日の御遠忌が
喜殿であります。それに加えて、
終わり、次の御遠忌を迎えます時
宗務所と南門の間に、参詣の方々
期には、百年近く経過した本堂の
に使用していただく木造のトイレ
大屋根の葺き替えの時期になりま
も新築いたしました。
す。檀信徒の方々と緊密に相談、
これも、仏天の御加護の賜物で
会議を重ね、皆様に負担の少ない
あり、また、一重に檀信徒の方々
方法、財源に無理の無い長期計画
と各寺院方の御協力と御支援のお
を模索して、次の世代にバトンを
かげと感謝しております。
渡していかねばなりません。
本年五月一日∼七日の御遠忌が
最後に、少子化と経済の低迷と
終わり、次の御遠忌を迎えます時
いう社会現象により、檀家数の減
期には、百年近く経過した本堂の
少という問題を抱えております。
大屋根の葺き替えの時期になりま
本山を中心に檀信徒の皆様方と各
す。檀信徒の方々と緊密に相談、
寺院が一丸となり、教化の拡大に
会議を重ね、皆様に負担の少ない
知恵を出していただき、融通念佛
方法、財源に無理の無い長期計画
宗が一層栄えます様祈念いたしま
を模索して、次の世代にバトンを
す。
渡していかねばなりません。
いう社会現象により、檀家数の減
最後に、少子化と経済の低迷と
では、教区長、勧財会計部会の委
開宗九百年記念・大通上人三百
員として一翼を担いましたが、記
回御遠忌を迎えるにあたり、宗議
念事業には参加出来ず、その時や
会議長、副議長として参加させて
り残した事業を今回、記念事業部
いただきました。奉修局の記念事
会で仕上げる事が出来まし た 。
業部会では、建設委員として、延
建物においては、本宗の今後を
喜殿の建設を進めさせていただき、
担う若い修行僧の夏安居、冬加行
完成を見る事が出来ました。去る
の修行部屋、浴室、洗濯室、そし
平成十年の中祖法明上人の御遠忌
て勉学の場としての勧学林を延喜
では、教区長、勧財会計部会の委
殿一階に、二階には管長猊下が日
員として一翼を担いましたが、記
常生活をしていただく公舎、来賓
念事業には参加出来ず、その時や
の方々をお迎えする応接室、客間、
り残した事業を今回、記念事業部
管長猊下が檀信徒の方々とお会い
会で仕上げる事が出来まし た 。
になる尚光殿、三階には檀信徒の
建物においては、本宗の今後を
方々、約五百三十名が一同に食事
担う若い修行僧の夏安居、冬加行
していただけるホールを造る事が
の修行部屋、浴室、洗濯室、そし
出来ました。これが三階建ての延
て勉学の場としての勧学林を延喜
殿一階に、二階には管長猊下が日
常生活をしていただく公舎、来賓
෨
൥
ā
෨
൥
ā
ల
ల
෨
ဏ
ນāࡦ
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ဏ
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平成27年4月
平成27年4月
だ い ね ん ぶ つ
だ い ね ん ぶ つ
(4)第72号
上人です。大通上人がおられなけ
れば今の融通念佛宗は無かったと
上人が開かれた日本発祥の一番古
い宗派です。それ以前の宗派は中
言っても過言ではありません。本
年は良忍上人が開宗されて九百年
国で生まれ日本に伝来した主に鎮
仏の示現を受け、阿弥陀仏より
ළā င
‫ޏ‬
衰態期を経て大通上人の再興もあ
で信仰され唱えられていましたが、
忍さ
上て
人融
、通
再念
興仏
大は
通上
古人
くの
は願
日い
本に
各叶
地
の輪を広げてゆくことこそ元祖良
人々に周知していただき、お念仏
す。
ねばならないと意を新にしていま
にも私達は融通念仏弘通に精進せ
げ
うま
こす
と。
であり、ご恩に報いるため
事に成満することをお祈り申し上
ただき、盛大に法要が勤修され無
わを
っ進
てめ
いて
ま参
すり
がま
、し
九た
百﹁
年開
の宗
間九
に百
は
備
上こ
人こ
の数
お年
し来
え、
は奉
連綿
修と
局し
をて
中今
心 に伝
準
念仏を弘められました。以来良忍
救うべく日本各地を巡杖され融通
良忍上人は多くの悩める民衆を
分に返ってくる﹂と言う融通念仏
人々の唱える念仏の功徳はまた自
色
がぼ
衰し
え、
た一
時切
期が
の々
人な
々事
に情
功で
徳宗
を勢及
の
わ
直っ
々て
にい
﹁ま
一す
人が
に、
唱九
え百
る年
念の
仏間
はに
一は
切
上
綿阿
と弥
し陀
て仏
今よ
に伝
仏人
のの
示お
現し
をえ
受は
け連、
り
念良
仏忍
を上
弘人
めは
ら念
れ仏
まし
三た
昧。
中以
に来
阿良
弥忍
陀
救国
う家
べの
く仏
日教
本で
各し
地た
を。
巡杖され融通
護
の来
悩し
めた
る主
民に
衆鎮
を
国良
で忍
生上
ま人
れは
日多
本く
に伝
を
い授
宗か
派り
でま
すし
。た
そ。
れ以前の宗派は中
分
上に
人返
がっ
開て
かく
れる
た﹂
日と
本言
発う
祥融
の通
一念
番仏
古
人
前々
のの
平唱
安え
時る
代念
後仏
期の
に功
聖徳
應は
大ま
師た
良自
忍
の我
人が
々融
に通
功念
徳佛
を宗及
はぼ
今し
か、
ら一
九切
百の
年
のお陰をもって、今日私たちのあ
ます
上
人。
の往時のご苦労をしのび、そ
まを
し築
たか
これ
とた
心再
よ興
りの
感祖
謝で
致あ
しり
てま
おす
り。
礎
ま渉
しを
て重
昨ね
年,
一宗
月団
にと
立し
派て
にの
竣存
工立
致の
し
交
並々ならぬご支援、ご協力により
びに檀信徒の皆様の物心両面の
伴いましたが、各寺院のご住職並
りました。建設には種々の困難を
て﹁延喜殿﹂を建立する運びとな
大役を仰せつかり、記念事業とし
ま
もす
私。
が記念事業部の部会長という
まこ
しの
た御
こ遠
と忌
心に
よあ
りた
感り
謝、
致は
しか
てら
おず
り
ま
しす
て。
昨年一月に立派に竣工致し
りま
並
と々
大な
通ら
上ぬ
人ご
の支
三援
百、
回ご
御協
遠力
忌によ
あり
た
びは
に良
檀忍
信上
徒人
のが
皆開様
年
宗の
さ物
れ心
て両
九面
百の
年
伴っ
いて
まも
し過
た言
がで
、は
各あ
寺り
院ま
のせ
ごん
住。
職本
並
言
り
れま
ばし
今た
の。
融建
通設
念に
佛は
宗種
は々
無の
か困
っ難
たを
と
て
上﹁
人延
で喜
す殿
。﹂
大を
通建
上立
人す
がる
お運
らび
れと
なな
け
大
再役
興を
に仰
一せ
生つ
をか
捧り
げ、
ら記
れ念
た事
の業
がと
大し
通
も
有私
りが
ま記
し念
た事
。業
こ部
のの
時部
期会
に長
我と
がい
宗う
の
所属することとなりました。御遠
選ばれた皆様と共に勧財会計部に
区長は当て職として、評議員から
く、御遠忌奉修局が組織され、教
お受けすることにしました。程な
皆様のお役に立つことになればと、
推挙を受け、浅学菲才を省みず、
教区の僧侶皆様から教区長にとの
しておりました所、平成十八年、
忍上人、再興大通上人の願いに叶
の輪を広げてゆくことこそ元祖良
人々に周知していただき、お念仏
をこの御遠忌を機に日本全国の
九百年の伝統を有する融通念仏
ま
ので
ごど
協う
力ぞ
をよ
得ろ
てし
おく
役お
に願
立い
て申
れし
ば上
と
を必要とします。奉修事業の最後
実のためには、あと一息のご助力
すが、器の次に問われる内容の充
昨年から既に供用を開始していま
﹁新延喜殿﹂はめでたく完成し、
や本山を思う温かい浄財を得て、
いう事で就任させて頂きました。
のご協力を得てお役に立てればと
げます。
事に成満することをお祈り申し上
ただき、盛大に法要が勤修され無
大勢の檀信徒の皆様に参詣してい
念佛寺で行われる御遠忌法要には
五月一日より七日まで総本山大
り、現在では主に近畿地方に限定
色記
々念
な・
事大
情通
で上
宗人
勢三
が百
衰回
え御
た遠
時忌
期﹂
が
年
忌
業平
費成
は十
約八
九年
億、
し奉
て修
おの
りた
まめ
しの
た総所事、
げ
いま
うす
事。
で就任させて頂きました。
されたようになっています。
もいよいよこの五月一日から七日
ることに思いを致し、報恩謝徳の
円
教、
区こ
のれ
僧を
侶募
皆る
様こ
かと
らが
教勧
区財
長会
に計
と部
の
を授かりました。
図こ
りこ
、数
宗年
内来
僧、
侶奉
や檀
修信
局徒
をへ
中の
心教
に育
準
十
上年
人間
の教
往職
時に
のあ
ごり
苦ま
労し
をた
し。
の住
び職
、と
そ
っ
て築
くか
れれ
てた
い再
る興
この
と祖
にで
甘あ
えり
てま
、す
四。
礎を
そ渉
れを
ま重
でね
は,
先宗
代団
がと
元し
気て
にの
寺存
務立
をの
執
交
忌奉修のための総事業費は約九億
て
所、
属そ
すの
る任
こに
とは
と値
なし
りな
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た、
。皆
御様
遠
返
選し
ばも
れ出
た来
皆て
様い
とな
共い
にわ
勧が
財身
会を
計省
部み
に
き
区続
長け
はて
当来
てて
職、
と宗
し門
てに
、は
評何
議の
員ご
か恩
ら
育、
界御
と遠
宗忌
門奉
人修
と局
のが
二足
く
組の
織草
さ鞋
れを
、履
教
で受
あけ
りす
まる
すこ
。と
考に
えし
てみ
お
まま
しす
たと
。、
程教
な
の
皆役
様を
の私
おに
役務
にめ
立よ
つと
こ推
と薦
にさ
なれた
ばの
と、
までどうぞよろしくお願い申し上
を必要とします。奉修事業の最後
実のためには、あと一息のご助力
ご
す祈
が念
、申
器し
の上
次げ
にま
問す
わ。
れる内容の充
き
昨、
年勝
か縁
らを
既お
に結
供び
用い
をた
開だ
始き
しま
てす
い様
ま
盛儀
御た
参く
詣完
い成
たし
だ、
﹁
新に
延皆
喜様
殿こ
﹂ぞ
はっ
めてで
き
こ浄
の財
会を
い得
難て
き、
やた
本、
山融
を通
思念
う佛
温宗
かのい
九
お百
陰年
さに
ま亘
でり
、法
有灯
縁を
の守
皆り
様継
のい
宗で
門
お陰さまで、有縁の皆様の宗門
間に亘り勤修されることとなりま
盛儀を、是非成功させねばなりま
やを
、進
布め
教て
の参
たり
めま
大し
和た
、﹁
河開
内宗
を九
度百
々
備
な
のっ
おて
陰暫
をく
もは
っ、
て自
、坊
今の
日護
私持
たに
ち邁
の進
あ
私は平成十五年、先代の遷化に
巡
年錫
記さ
念れ
・た
大の
通み
上な
人ら
三ず
百、
回数
御度
遠に
忌亘
﹂
ることに思いを致し、報恩謝徳の
せん。
り
も、
い江
よ戸
いに
よま
こで
の足
五を
月は
一こ
日び
か幕
ら府
七と
日
ともない住職を拝命したのですが、
間に亘り勤修されることとなりま
佛宗の秩序を整え、教義の統一を
した。誠に誠に誠にご同慶の至り
げます。
図り、宗内僧侶や檀信徒への教育
佛宗の秩序を整え、教義の統一を
ってくれていることに甘えて、四
それまでは先代が元気に寺務を執
ともない住職を拝命したのですが、
私は平成十五年、先代の遷化に
て、その任には値しないが、皆様
返しも出来ていないわが身を省み
き続けて来て、宗門には何のご恩
育界と宗門人との二足の草鞋を履
であります。考えてみますと、教
の役を私に務めよと推薦されたの
ご祈念申し上げます。
き、勝縁をお結びいただきます様
盛儀に皆様こぞって御参詣いただ
きた、融通念佛宗のこの会い難き
せん。
や、布教のため大和、河内を度々
十年間教職にありました。住職と
九百年に亘り法灯を守り継いで
円、これを募ることが勧財会計部
であります。
巡錫されたのみならず、数度に亘
なって暫くは、自坊の護持に邁進
大通上人は近世における融通念
り、江戸にまで足をはこび幕府と
の責務です。しかも、この部会長
盛儀を、是非成功させねばなりま
大通上人は近世における融通念
であります。
ो
‫ۈ‬ā င
င
ூā ‫ޏ‬
ෳ
င
ூā ‫ޏ‬
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ो
င
‫ۈ‬ā
の
、才
こを
の省
部み
会ず
長、
推責
挙務
をで
受す
け。
、し
浅か学も菲
した。誠に誠に誠にご同慶の至り
この御遠忌にあたり、はからず
ります。
と大通上人の三百回御遠忌にあた
ࡥ
ཆā ༄
ૢ
ࣞ
‫ۈ‬ā င
直々に﹁一人に唱える念仏は一切
ෳ
ᅂ
護国家の仏教でした。
ીࡑ
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ಶࣾ
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૧āࢀ
良忍上人は念仏三昧中に阿弥陀
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平成27年4月
だ い ね ん ぶ つ
だ い ね ん ぶ つ
(5)
第72号
(5)
第72号
法要イベント
前行と日課念仏 毎日午前九時三十分から本堂にて勤修
さて、この御遠忌法要でのスロ
緒に本堂にてお念仏を称える機会
を設けております。毎日九時三十
地域物産展
山門左側︵南側︶にあるお
茶所にて毎日実施
東日本大震災復興展や大和を中
心にした地域物産展を実施してい
ます。産地直送の珍しい特産品等
地域物産展
が販売されます。
特別展示
本堂南側 瑞祥閣ベランダ
にて午後十二時四十分頃から
毎日実施
郷土芸能
奉納
御遠忌
山門右側︵北側︶にある宝
物館にて大通上人展及び写真
展を実施
郷土芸能である和太鼓や民謡な
りを
が照
たら
いす
お光
念
ーと
ガこ
ンろ
はで
﹁、
念こ
仏の
はあ
暗闇
す。
さて、この御遠忌法要でのスロ
神の御守護をいただく事ができま
え
を、
設た
けく
てさ
おん
りの
ま功
す徳
。を
毎い
日た
九だ
時き
三ま
十
る
緒だ
にけ
本た
堂く
にさ
てん
おの
念皆
仏様
をと
称一
え緒
るに
機称
会
す。この有り難いお念仏を、出来
勤めをする機会をもうけておりま
称えます。又、午後からのおねり
して、皆様と一緒にお念仏を百遍
毎日午前九時三十分か
ら本堂にて勤修
明である﹂です。お念仏を称える
し
分ょ
のう
前。
行そ
のし
あて
と世
日の
課人
念々
仏み
とん
いな
いが
ま
在家勤行式 では二十五菩薩が本堂に入られて
とは、﹁南無阿弥陀仏﹂と称える
平
し和
てで
、笑
皆っ
様て
と暮
一ら
緒せ
にる
お社
念会
仏をつ
百く
遍
復こ
興の
支度
援、
を融
行通
い念
、そ
佛の
宗ひ
開と
宗つ
九に
百宮
年
ます。現在、﹁東日本大震災﹂の
て頂く事になりました。
に東北復興支援物産展を開催させ
この度、融通念佛宗開宗九百年
が販
売
さ
れ
ま
す
。
記念・大通上人三百回御遠忌 大
法要にて、地域の物産展とご一緒
ます。産地直送の珍しい特産品等
は、﹁水産加工会社の再建が遅れ
時間を要します。現地の方から
害支援を目的として活動し仏
て教
お災
り害支援だ
ネットワーク 石 田
歩
﹁仏教災害支援ネットワーク﹂
は宗派を超えて、寺院とともに災
て
募い
金る
をの
﹁で
石主
巻力
ひ商
が品
しの
保販
育売
園が
﹂苦
のし
運
現地で支援活動を行う非営利団体
づける為の落語会開催費用、また、
通ワ
上ー
人クゆか
りの品︵直筆
心にした地域物産展を実施仏
し教
て災
い害支援ネ大
ット
歩名号
石 田
がたい功徳が生まれます。亡き人
から
お勤
で、皆様と一緒にお
のたまし毎
いを
らぎ
世界
導く
日安午
後の二
時に頃
から午
後の三
時め頃
しみください。
郷土芸能
奉納
本堂南側 瑞祥閣ベランダ
にて午後十二時四十分頃から
毎日実施
郷土芸能である和太鼓や民謡な
DVD﹁ほとけのひかり﹂
もう既にご覧になられた方も多
さい。尚、このDVD﹁ほとけの
す。是非、ご家族揃ってご覧くだ
が楽しめるように構成しておりま
営費支援と、被災者の皆様を元気
いと思いますが、DVD ﹁ほとけ
ひかり﹂は、国立図書館や大阪府
東北復興支援
のひかり﹂は、御遠忌を記念して
立中央図書館、中之島図書館でも
相
え互
るに
時融
間け
があ
持い
て、
な一
い体
等とな
、っ
誰て
もお
聞
徳
生と
活他
での
、人
用が
事称
にえ
追た
わ念
れ仏
おの
念功
仏徳
をが
称
念
仏仏
をで
毎は
日、
称自
え分
ての
い称
まえ
すた
か念
。仏
日の
々功
の
し
とか
こも
ろお
でど
、ろ
こい
のた
あこ
りと
がに
た、
い融
お通
念
堂追
に記
参詣して頂いた方には記念品
ください。又、勤行の最後まで本
げ
すょ
のう
で。
、奮って本堂にご参列
りまし
式
課笑
誦っ
﹂て
を暮
記ら
念せ
品る
と社
し会
てを
差つ
しく
上
平略
和で
て
い。
たそ
けし
るて
方世
にの
は人
、々
﹁み
在ん
家な
勤が
行
し頂
ょう
そ
際く
にさ
、ん
この功
お徳
勤を
めい
にた
ごだ
参き
加ま
し
えの
、た
時に販売させて頂いております。
された工場の商品を、寺院行事の
城県石巻市と女川町沿岸部の被災
復興支援を行い、そのひとつに宮
ます。現在、﹁東日本大震災﹂の
害支援を目的として活動しており
申が
し周
上辺
げの
ま
大何
変卒
﹂、
﹁宜
店し
舗く
をお
開願
店い
した
ば
金幸
の甚
返で
済す
が。
始まったので今からが
忌
もの
、借
皆入
様と
の震
ご災
協後
力の
を補
賜助
れ
い法
﹂要
﹁で
以前
葉
ても
い頂
る戴
の致
でし
主ま
力し
商た
品。
の今
販回
売の
が御
苦遠
し
ら
はえ
、る
﹁の
水は
産大
加変
工有
会難
社い
の﹂
再と
建の
がお
遅言
れ
は
だ無
時く
間継
を続
要 して
ま商
す品
。を
現購
地入
のし
方て
かも
ら
せし
てか
頂し
い、
た復
と興
同に
時つ
にい
﹁て
一は
回ま
限り
だで
ま
が
いた
な。
い﹂等、厳しい状況を聞か
まし
家
へが
の無
資く
金な
援っ
助た
等の
にで
使買
わい
さに
せ来
てる
頂人
き
イラストや絵巻等を用いて誰でも
えや歴史、大念佛寺の年中行事を
制作されました。融通念佛宗の教
のひかり﹂は、御遠忌を記念して
いと思いますが、DVD ﹁ほとけ
もう既にご覧になられた方も多
視聴できるようになりました。
立中央図書館、中之島図書館でも
ひかり﹂は、国立図書館や大阪府
さい。尚、このDVD﹁ほとけの
す。是非、ご家族揃ってご覧くだ
が楽しめるように構成しておりま
︵あくまでも目安の時間です︶
本堂にて勤修
への資金援助等に使わさせて頂き
制作されました。融通念佛宗の教
視聴できるようになりました。
お
いき
てな
い功
な徳
いが
のい
にた
自だ
分け
自ま
身す
に。
言融
い通
訳
とし
尚て
、﹁
前散
述華
の﹂
通も
り差
にし
午上
後げ
のま
御す
渡。
り
す
家。
が無くなったので買いに来る人
とともに、諸仏、諸菩薩、諸天善
ました。
えや歴史、大念佛寺の年中行事を
念
を仏
しと
ては
い、
まこ
せの
ん上
かな
。い
お有
念り
仏難
をい
称お
え
二〇一四年度は、その販売収益と
DVD﹁ほとけのひかり﹂
イラストや絵巻等を用いて誰でも
しかし、復興についてはまだま
物産展について
念
れ仏
ばな
、の
せで
っす
か。
く有り難い功徳をい
のあと本堂に於いて、一般参詣の
い
営﹂
費﹁
支以
援前
との
、借
被入
災と
者震
の災
皆後
様の
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気
はい
、な
皆い
様の
とで
一
たこ
だの
け御
る遠
の忌
に法
、要
もで
った
皆様と一緒にお勤めを行います。
念仏では、自分の称えた念仏の功
しかもおどろいたことに、融通
て頂いたける方には、﹁在家勤行
その際に、このお勤めにご参加し
は無く継続して商品を購入しても
せて頂いたと同時に﹁一回限りで
がいない﹂等、厳しい状況を聞か
はないでしょうか。
どを披露奉納します。是非、お楽
大通上人ゆかりの品︵直筆名号
等︶及び戦前までの本宗ゆかりの
風景写真を展示しております。
御遠忌
特別展示
東北復興支援
山門左側︵南側︶にあるお
茶所にて毎日実施
山門右側︵北側︶にある宝
物館にて大通上人展及び写真
展を実施
物産展について
仏
明を
で毎
あ日
る称
﹂え
でて
すい
。ま
おす
念か
仏。
を日
称々
えの
る
り
称ま
えし
まょ
すう
。。
又、午後からのおねり
東日本大震災復興展や大和を中
生
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はで
、、
﹁用
南事
無に
阿追
弥わ
陀れ
仏お
﹂念
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称を
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金
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始語
ま会
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で用
今、
かま
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が、
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る為
どを披露奉納します。是非、お楽
え
事る
で時
す間
。が
こ持
のて
念な
仏い
を等
称と
え、
る誰
とも
あ聞
り
では二十五菩薩が本堂に入られて
城
記県
念石
・巻
大市
通と
上女
人川
三町
百沿
回岸
御部
遠の
忌被災
大
さ
法れ
要た
に工
て場
、の
地商
域品
のを
物、
産寺
展院
と行
ご事
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大
現変
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支店
援舗
活を
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行し
うた
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利辺
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体
い
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功い
徳の
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生自
ま分
れ自
ま身
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亡い
き訳
人
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ら記
のお勤めで、皆様と一緒にお
時
に北
販復
売興
さ支
せ援
て物頂産い
に東
展て
をお
開り
催ま
さす
せ。
しみください。
を
のし
たて
まい
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いせ
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安か
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世仏
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午け
後て
のお
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渡ま
り
勤尚
め、
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す述
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機通
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をに
もう
等︶及び戦前までの本宗ゆかりの
れ
とば
と、
もせ
にっ
、か
諸く
仏有
、り
諸難
菩い
薩功
、徳
諸を
天い
善
の
との
本有
堂り
に難
於い お
て念
、仏
一を
般、
参出
詣来
の
すあ
。こ
募景
金写
を真
﹁を
石展
巻示
ひし
がて
しお
保り
育ま
園す
﹂。
の運
風
た
神だ
のけ
御る
守の
護に
を、
いも
たっ
だた
くい
事な
がい
での
きで
ま
皆
様け
とた
一く
緒さ
にん
おの勤皆め
るだ
様を
と行
一い
緒ま
にす
称。
事です。この念仏を称えるとあり
は
すな
。いでしょうか。
二
て〇
頂一
く四
事年
に度
なは
り、
まそ
しの
た販
。売 収 益 と
﹁仏教災害支援ネットワーク﹂
は宗派を超えて、寺院とともに災
分の前行のあと日課念仏といいま
前行と日課念仏
ーガンは﹁念仏は暗闇を照らす光
御遠 忌 法 要 行 事 紹 介
︵あくまでも目安の時間です︶
本堂にて勤修
毎日午後二時頃から午後三時頃
家勤イ
行式
法在要
ベ ント
御遠 忌 法 要 行 事 紹 介
平成27年4月
平成27年4月
だ い ね ん ぶ つ
だ い ね ん ぶ つ
(6)
第72号
五月二日、
三日、
七日午前十時三十分∼十一時三十分
五月二日の洋舞とは、ミュージ
楽器サントゥールは、数千年の歴
みやび
史を持ちます。悠久のペルシャを
テヘラン生まれのサントゥールの
のバレエやジャズダンスなどの総
雅でエキゾチックでありながら透
声明と天女の舞を思わせ
る物語風ダンスショー
称です。今回のコラボレーション
明感のある音色を奏でます。今回
声明と歴史あるペルシャ伝統楽器サントゥール
称です。今回のコラボレーション
明とのコラボレーションです。ど
楽器サントゥールは、数千年の歴
うか悠久の時間をお楽しみくださ
史を持ちます。悠久のペルシャを
い
。
みやび
雅でエキゾチックでありながら透
明感のある音色を奏でます。今回
テヘラン生まれのサントゥールの
第一人者を招き、二千年の歴史を
人三百回御遠忌にあたり慶讃歌
今年は開宗九百年記念・大通上
日十時半より奉納致しますのでど
きわたる事と思います。一日と六
のり
るということです。
五月四日 午前十時三十分∼十一時三十分
がくやく がくゆうかい
我々楽役︵楽融会︶は、総本山
円滑な進行を促し、人の死を悼み、
いた
や末寺等の行事に於いて、儀式の
第一部は︻管絃︼平調音取 ・ 鶏徳 ・ 陪臚
今回の演奏曲目は、
好評を博している演奏会ですが、
さて、お陰様で毎回満堂の参詣者に楽しんで頂き、
雅のハーモニー
ご家族やご親族のお心をお慰めし、
第二部は︻舞楽︼迦陵頻・還城楽です。
なぐさ
尚且つ、儀式の荘厳を目的とし、
万部法要のひと時に、雅な平安の調べに浸って頂き、
げんじょうらく
五月四日 午前十時三十分∼十一時三十分
ぶ がく かりょうびん
か ん げ ん ひょうじょうのねとり けいとく ば
い ろ
楽融会
鋭意奏楽させて頂いております。
しょうごん
特筆すべきは、総本山大念佛
寺直
皆様方のお心が少しでも癒されれば幸甚に存じます。
るということです。
さて、お陰様で毎回満堂の参詣者に楽しんで頂き、
属の雅楽が団
体であり、その会員全
くやく がくゆうかい
我々楽役︵楽融会︶は、総本山
員が、融通念佛宗在籍の僧侶であ
や末寺等の行事に於いて、儀式の
好評を博している演奏会ですが、
いた
円滑な進行を促し、人の死を悼み、
ば
い ろ
今回の演奏曲目は、
か ん げ ん ひょうじょうのねとり けいとく
ご家族やご親族のお心をお慰めし、
しょうごん
第一部は︻管絃︼平調音取 ・ 鶏徳 ・ 陪臚
なぐさ
青年会だより
尚且つ、儀式の荘厳を目的とし、
げんじょうらく
万部法要のひと時に、雅な平安の調べに浸って頂き、
ぶ がく かりょうびん
第二
部は
︻舞
楽︼
迦陵頻・還城楽です。
落語会とぬりえ展示の
お
知
ら
せ
鋭意奏楽させて頂いております。
特筆すべきは、総本山大念佛寺直
日 時 五月四日 十八時開場 十八時三十分開演
場
所 瑞祥閣
ことになりました。
属の雅楽団体であ融
り通
、そ
員青
全年会皆会
様方
心が少
も癒さ
念の
佛会宗
長のお吉
村しで明
山れれば幸甚に存じます。
員が、融通念佛宗在籍の僧侶であ
一人一切人 一切人一人 一行
一切行 一切行一行 是名他力往
生、 十界 一 念 融通念佛 億百
青年会だより
落語会とぬりえ展示
出の
演お
者知
桂ら
小枝せ
、笑福亭純瓶、桂坊枝、林家染八
万遍 功徳円満
約九百年前、宗祖良忍上人が阿
弥陀様からお念仏と共に授けられ
又、毎年好評を頂いて
を重ねていく所存で
な活動を通して研鑽
をはじめとする様々
日十時半より奉納致しますのでど
でも多くの人が、共に喜
次の世代へと引き継
ぐために、青年会で
はこれからも研修会
りえ﹂も御遠忌法要期間
おります﹁ぼさつさまぬ
又、毎年好評を頂いて
す。
を重ねていく所存で
な活動を通して研鑽
をはじめとする様々
いたします。
日
時 五月四日 十八時開場 び合える事を心より祈念
十八時三十分開演
た素晴らしい世界になるでしょう。
中、毘沙門堂において展
うぞご参拝下さいませ。
青年会では開宗九百年を迎える
す。
九百年の歴史を、
にあたり、多くの人々が共に笑い、
示を行います。
場
所 瑞祥閣
出 演 者 桂小枝、笑福亭純瓶、桂坊枝、林家染八
︵都合により変更あり︶
入場無料 ︵先着百名︶
九百年の歴史を、
おります﹁ぼさつさまぬ
次の世代へと引き継
落語会を通じて、少し
た御文です。
りえ﹂も御遠忌法要期間
ぐために、青年会で
︵都合により変更あり︶
長
吉
融通念佛宗青年会 会
村 明 山
入場無料 ︵先着百名︶
ングと共に今回はご参詣の皆様と
中、毘沙門堂において展
落語会を通じて、少し
示を行います。
でも多くの人が、共に喜
はこれからも研修会
ことになりました。
び合える事を心より祈念
五月一日 午前十時三十分∼十一時三十分
五月六日 午前十時三十分∼十一時三十分
ご一緒に﹃ふるさと﹄を合唱 させ
私達は世界中の人々と、お互い
一人一切人 一切人一人 一行
生かし生かされています。共々に
一切行 一切行一行 是名他力往
唱える念仏を通じてその事に気付
生、 十界 一 念 融通念佛 億百
き、感謝し、喜べることが出来た
万遍 功徳円満
なら、この世は感謝と喜びに溢れ
約九百年前、宗祖良忍上人が阿
た素晴らしい世界になるでしょう。
弥陀様からお念仏と共に授けられ
青年会では開宗九百年を迎える
た御文です。
にあたり、多くの人々が共に笑い、
私達は世界中の人々と、お互い
楽しめる落語会を開催させて頂く
生かし生かされています。共々に
いたします。
て頂きたいと思いますので、 どう
唱える念仏を通じてその事に気付
きわたる事と思います。一日と六
ぞよろしくお願いいたします。
今年は開宗九百年記念・大通上
次に私達、聖歌隊をご指導頂い
人三百回御遠忌にあたり慶讃歌
ておのり
ます声楽家 河田早紀先生
り
﹃法のよろこび﹄を奉納させて頂
︵ピアノ伴奏
木寿美代先生︶
きます。仏教讃歌、メッセージソ
の独唱がございます。再興大通上
ングと共に今回はご参詣の皆様と
人三百回忌奉讃歌﹃生命燃ゆ﹄他、
ご一緒に﹃ふるさと﹄を合唱させ
堂内の皆様の心の中に語りかけ響
て頂きたいと思いますので、どう
き、感謝し、喜べることが出来た
人三百回忌奉讃歌﹃生命燃ゆ﹄他、
楽しめる落語会を開催させて頂く
次に私達、聖歌隊をご指導頂い
ております声楽家 河田早紀先生
︵ピアノ伴奏
木寿美代先生︶
の独唱がございます。再興大通上
堂内の皆様の心の中に語りかけ響
なら、この世は感謝と喜びに溢れ
ぞよろしくお願いいたします。
きます。仏教讃歌、メッセージソ
融通念佛宗聖歌隊
うぞご参拝下さいませ。
ん
﹃法のよろこび﹄を奉納させて頂
仏教讃歌奉納
に踊ります。
うか悠久の時間をお楽しみくださ
月ル六
日
午前十
五月三日、七日五
のペ
シ
ャ 伝統
い時
。 三十分∼十一時三十分
五月一日 午前十時三十分∼十一時三十分
ーでは四季折々の妖精達が軽やか
ンで綴ります。後半のダンスショ
伝で伝承されて来た仏教音楽声
融通念明口佛
宗聖歌隊
とのコラボレーションです。ど
に出る若者の奮闘記をダンスシー
では、夢のおつげに従い冒険の旅
仏教讃歌奉納
ーでは四季折々の妖精達が軽やか
五月二日の洋舞とは、ミュージ
に踊ります。
カルなどでよく見るダンスで欧米
五月三日、七日のペルシャ伝統
のバレエやジャズダンスなどの総
ンで綴り
ま月
す二
。日
後、
半
の日
ダ、
ン
ス日
シ午
ョ 前十
口時
伝三
で伝
さ∼
れて
た仏
音分
楽声
五
三
七
十承分
十来
一時
三教十
に出る若者の奮闘記をダンスシー
融通第声
究
一人明
者を研
招き、
二千会
年の歴史を
では、夢のおつげに従い冒険の旅
カルなどでよく見るダンスで欧米
融通声明コンサート
平成27年4月
つ
ぶ
ん
ね
い
だ
つ
ぶ
ね
い
だ
(7)
第72号
(7)第72号
(8)第72号
だ
い
ね
ん
ぶ
つ
だ
い
ね
ん
ぶ
つ
平成27年4月
平成27年4月
平成27年 御遠忌法要
平成27年 日程・時間表
御遠忌法要 日程・時間表
日程
日 2日○
月 3日○
日 5日○
火 4日○
月 6日○
水 5日○
火 7日○
水 5月7日○
5月
5月
5月
5月
5月
5月
5月
5月
金 5月2日○
土 1日○
金3日○
土 4日○
木 6日○
木
1日○
5月
5月
5月
憲法記念日
みどりの日
憲法記念日
こどもの日
みどりの日振替休日こどもの日
振替休日
時間
6時30分
半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行 半斎勤行
斎勤行
おつとめ おつとめ つとめ 9時30分
おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ おつとめ 読誦
阿弥陀経 読誦
陀経 読誦
阿弥陀経 読誦
阿弥陀経 阿弥陀経
読誦
読誦
阿弥陀経 阿弥陀経
読誦
読誦
阿弥陀経 阿弥陀経
読誦
読誦
阿弥陀経 阿弥陀経
読誦
阿弥陀経 阿弥陀経
読誦
読誦
課念仏
日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏日課念仏
大念佛寺奉賛会
安堵念仏講祈願法要
10時安堵念仏講八島念仏講
あんど
念仏講
やしま
世界平和祈願
世界平和祈願
融通声明
融通声明 融通声明
融通声明
融通声明
護摩供養
護摩供養
仏教讃歌奉納
雅のハーモニー
雅のハーモニー
仏教讃歌奉納
仏教讃歌奉納
11時コンサート
コンサート
コンサート
コンサート
コンサート
(本堂北側境内地)
(本堂北側境内地)
詠讃歌舞 11時30分
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
魚山流詠讃歌舞
12時 布 教
教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
布 教
1時
稚児
讃歌舞
日課念仏
融通声明
コンサート
魚山流詠讃歌舞
布 教
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
芸能奉納 12時40分
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
郷土芸能奉納
渡り
おつとめ 阿弥陀経 読誦
大念佛寺奉賛会
祈願法要
あんど
10時30分
讃歌奉納
半斎勤行
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お渡り
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
お稚児
布 教
郷土芸能奉納
お渡り
お稚児
詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞 詠讃歌舞
詠讃歌舞
門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
禅門講
講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
諸講元
歌隊
聖歌隊
輿 渡御
菩薩練供養
聖歌隊
聖歌隊
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
万部輿 渡御
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供 菩薩 伝供
菩薩 伝供
薩 伝供
勤め
養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
お勤め
供養楽
勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
在家勤行式
菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
二十五菩薩練供養
3時30分還 御
御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
還御
※各種奉納行事の内容・時間については、変更する場合がございます。
※各種奉納行事の内容・時間については、変更する場合がございます。
○万部中は、駐車場がございません。公共交通機関をご利用下さい。
○万部中は、駐車場がございません。公共交通機関をご利用下さい。
お稚児さん募集
たくさんのお参りの方に身守られ、ほとけさまを身近に感じられ
と ぎょ
るすばらしい渡御となることでしょう。
お稚児さん募集
勧進のご案内
とう ば え こう
ご回向致します。
ご おん き
◎御遠忌 写経納経
納経された写経は、
延喜殿にて永代奉納
させて頂きます。
﹁般若心経﹂または
﹁日課浄業﹂の二種
納経料
ご おん き
一巻
◎
御 遠一
忌千
写円
経納経
受納
付経された写経は、
︵
延本
喜堂
殿売
に店
て・
永寺
代務
奉所
納︶
させて頂きます。
﹁般若心経﹂または
万部輿
﹁菩薩様との記念撮影﹂も大変貴重な経験となります。
是非ご参加ください。
■日程 五月一日∼七日 雨天決行
■費用 お一人 五千円︵一日︶
※白足袋か白靴下を御用意くだ
さい。
申し込み 大念佛寺寺務所まで
たくさ んのお参り︳
の方に身守られ、ほとけさまを身近に感じられ
話〇六︳六七九
電
一
〇〇二六
と ぎ
ょ
るすばらしい渡御となることでしょう。
※当日の申し込みは午前十一時
﹁菩薩様との記念撮影﹂も大変貴重な経験となります。
まで受け付けております。
是非ご参加ください。
■日程 五月一日∼七日 雨天決行
■費用 お一人 五千円︵一日︶
※白足袋か白靴下を御用意くだ
◎さ
塔い
婆。
回向
申し込
本み
堂 に大
て念
受佛
付寺寺務所まで
電話〇六︳六七九一︳〇〇二六︶
︵
十
時
か
ら
十
五
時
ま
で
当
日
の申し込みは午前十一時
※
○万部中常回向
︵七日間︶
五千円
ま
で受け付けております。
※万部終了後であっても七日間
ごし
勧進のご案内
○当日回向 ︵一日︶ 三千円
◎各種勧進
と○
う 巻
ば え
う ︵御本尊用︶ 五百円
線
こ香
◎ 塔婆回向
○本堂正面用ロウソク 二千円
本堂にて受付
○脇壇用ロウソク
一千円
︶
︵
十
時
か
ら
十
五
時
ま
で
○
本堂大屋根 瓦勧進 二千円
○万部中常回向
︵七日間︶
五千円
※万部終了後であっても七日間
まん ぶ けちえん え こう
回
向致します。
ご
万
縁
回向
◎
部 結
○当日回向 ︵一日︶ 三千円
万
部輿に納めた万部経に霊名を
◎各種勧進
記し、管長猊下によって永代に渡
○巻線香︵御本尊用︶ 五百円
って回
○向
本さ
堂れ
正ま
面す
用。
ロウソク 二千円
一ご
千縁
円
○脇壇用ロウソク よき
伝
統あるこの法会に、 ○本堂大屋根 瓦勧進 二千円
を
結
んでいただきたくお勧め申し
まん ぶ けちえん え こう
上げます。
ごし
◎永
万代
部回
結向
縁料
回向 一霊 一〇万円
申込
万
部受
輿付
に︵
納本
め堂
た売
万店
部・
経寺
に務
霊所
名︶
を
記し、管長猊下によって永代に渡
って回向されます。
万部輿