IncurredSampleReanalysis(ISR) の実施状況について

●Incurred Sample Reanalysis(ISR)の実施状況について
Incurred Sample Reanalysis(ISR)
の実施状況について
薬物動態研究部 野口 隆典
FDA Bioanalytical Workshop(Crystal City III)におい
て分析法バリデーションに関する討議がなされ、得られ
たコンセンサスが翌2007年2月にWorkshop/Conference
report(White paper︶2) にまとめられた。White paperに
は、ISR をはじめ、Matrix effectsやCarry-over effectな
どの新たな項目が記載されている。
1.はじめに
医薬品の研究開発においては、被験薬をヒト等に投
表1 基本的な分析法バリデーション項目
与した時に発現する薬効薬理や毒性と体内薬物濃度と
の相関を調べることが重要な要素である。特に、ヒト
に初めて被験薬を投与する前に毒性評価を目的として
実施される安全性試験のトキシコキネティクス(TK)
測定、並びにヒトに投与する臨床試験のファーマコキ
ネティクス(PK)測定においては、その目的上、よ
り信頼性の高い定量値が求められる。そのため、事前
に厳格な分析法バリデーションが実施され、信頼性が
検証された分析法がこれらの薬物濃度測定に適用され
る。しかしながら、実際の検体測定においては、検証
された分析法で測定を行っていても想定外の事態が定
量値の信頼性に影響を及ぼす場合がある。こうしたこ
とから、定量値の信頼性をより確実なものにするため
に、米国食品医薬品局(FDA)の指導を受けて欧米で
はIncurred sample reanalysis(以下、ISR)が広く実施
されている。一方、国内申請においては現状ISRの実
施は求められていないが、海外申請でのデータ活用を
想定して、一部でISRが実施されている。本稿では弊
2.2 Incurred sample reanalysis (ISR)とは
社におけるISR実施状況を紹介する。
ISRとは、被験薬を動物やヒトに投与後に採取した血
漿等の検体を再測定して定量値の再現性を確認すること
である。FDAがISRの実施を求めている背景は、第3回
2.ISR実施の背景
AAPS/FDA Bioanalytical Workshopや2008年の質量分
析総合討論会で調査事例として紹介されている。すなわ
2.1 分析法バリデーションについて
ち、分析法バリデーションで良好な結果が得られた分析
現在、生体試料中における低分子薬物の濃度測定に
法を実際の検体測定に適用したにもかかわらず、初回測
は、高感度かつ高選択的な測定が可能なLC/MS/MSが
定値と再測定値の乖離が20%超を示した試験の調査事例
広く利用されている。分析法バリデーションでは、表1
が多数認められ、また乖離が大きい事例は被験者母集団
に示す基本項目(下線で示した項目を除く)が、HPLC
や被験者により偏りがあったことが示された。弊社にお
が薬物濃度測定に多用されていた1990年代から実施され
いても、ISRにおける事例ではないが、過去に同様な経
ており、FDA Bioanalytical Method validationガイダン
験をしている。すなわち、分析法バリデーションは判定
ス1) にも記載がある。一方で、ガイダンス発行当時、既
基準を満たしていたが、試験Xで臨床検体の測定に適用
に主流になりつつあったLC/MS/MSを用いた薬物濃度
すると問題が生じた。初回測定値が検量線上限を超えた
測定では、マトリックスの違いや併用薬の共存が測定対
ため、ブランク血漿で希釈後再測定を行ったところ、初
象物質のイオン化を抑制又は促進し、定量値に影響を及
回測定値[検量線外挿値(参考値︶]と再測定値の乖離
ぼすことが知られるようになった。また、高感度化され
が大きな検体が多数確認され、被験者によっては全時点
る質量分析計にオートサンプラーの性能が追いつかず、
で20%超の乖離が認められた。詳細は割愛するが、定量
注入機構周りに残留した微量の薬物が次のサンプル測定
値が被験者の個体差の影響を受けた事例といえる。
時に検出されて定量値に影響を及ぼすキャリーオーバー
ISRの具体的な実施方法は2008年2月のAAPS
が問題となった。こうしたことから、表1に下線で示す
Workshopでハーモナイズされ、2009年4月にWorkshop
バリデーション項目が追加的に実施される事例が増加し
report3) が公表されている。
た。2006年5月に開催された第3回AAPS(米国薬学会︶/
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東レリサーチセンター The TRC News No.109(Mar.2010)
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は20検体を原則投与1日目から選択する。臨床試験では
3.定量値の再現性が得られない原因
全検体の5~10%(20検体以上)を選択する。
次に選択方法の一例を述べる。初回測定値がC max
定量値が再現しない原因には様々な理由が考えられ
(最高血中濃度)付近と消失相付近の検体について、
る。表2にLC/MS/MS分析における代表的な原因例を示
雌雄や群間の偏りがなるべく小さくなるように配慮し
す。これらの問題点を事前に十分クリアにして分析法を
て最低10例以上から対象検体を選択する。検体の選択
開発することが望ましいが、未知の代謝物や臓器不全患
に偏りがあると、ISRで定量値の異常を検出する能力
者などの病態マトリックスの影響は通常事前に確認する
が低下するため注意が必要である。
ことは難しい。また、人為的ミスを完全に防ぐことは不
可能であるが、ミスを防止するシステムを構築した上で
担当者に十分な教育を行い、操作ミスの発生を可能な限
り少なくすることが肝要である。
表2 定量値の再現性が得られない原因の一例
判定基準
・2/3以上の対象検体について初回測定値と再測定値の
乖離が±20%以内(参考:Ligand binding assayは、
2/3以上の対象検体について乖離が±30%以内)
乖離(%)=︵再測定値-初回測定値︶/平均値×100
データの取扱いと報告
ISRで得られた定量値は分析法の再現性の有無を確
認することを目的としているため、TK測定やPK測定
の報告値としては使用しない。また、ISRの結果は、
初回測定値とISRで得られた再測定値、及び乖離をま
とめた別表を濃度測定報告書に添付する。
判定基準を満たさない場合の対応
試験委託者と協力して早期に原因究明に努める。原
因が解決されるまでは測定を中止し、必要に応じて分
析法を改良する。
5.おわりに
これまでに当研究部では10試験以上(Ligand binding
assayは3試験)のISRを実施し、結果はいずれも合格で
あった(判定基準を超える乖離を示した検体の割合は対
象検体の5%未満︶。当研究部は、薬物濃度測定の豊富な
4.ISRの実施状況
実績に加え、問題解決型の分析受託施設として分析法開
発や改良を強みとしており、引き続き試験を安心してご
弊社では2009年2月にISRの実施に関するSOPを発行
依頼頂けるよう努力して行きたい。
した。以下に弊社におけるISRの標準的な実施方法に
ついて概略を紹介する。
対象となる試験
動物種、分析法ごとに1試験。最初に行われる安全性
試験や臨床試験の検体で実施することが望ましい。均
質な環境で飼育された動物を対象とするTK測定とは異
なり、ヒトを対象とするPK測定では被験者や被験者母
集団による差を受ける可能性が高いため、First in man
だけでなく、First in patientや生物学的同等性試験な
ど臨床試験の性質に応じて対象試験を設定する。
ISR対象試料の選択方法
ISRのキーポイントになる作業が対象試料の選択で
ある。実薬投与群の個別の検体を対象とし、TK測定で
26・東レリサーチセンター The TRC News No.109(Mar.2010)
6.参考文献
1)Food and Drug Administration, Guidance for Industry:
Bioanalytical Method Validation(2001).
2)Viswanathan CT, et al, Workshop/Conference Report
(White paper), AAPS Journal, 9(1), E30-42(2007).
3)Fast DM, et al, Workshop Report and Follow-Up,
AAPS Journal, 11(2), 238-241(2009).
■野口 隆典(のぐち たかのり)
薬物動態研究部 薬物動態研究室 主任研究員
趣味:旅行