御犬小屋

警察大学校等跡地の歴史
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成
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御犬小屋
将軍綱吉が発した
「生類憐れみの令」
により、
中野村に野犬保護施設
「御犬小屋」
がつくられました。
敷地面積100ha、
4万∼10万頭ものお犬たちが大事に育てられたそうで、
「囲町
【かこいちょう】
」
の由
来ともなっています。
一説によれば、
「御犬小屋」
は幕府による火薬製造事業の隠れ蓑だったそうです。
① 輸入すると代価が高いため、
火薬の国内生産を検討する必要があった。
② 糞は火薬の材料となり得ることが知られている。
③ 中でも犬糞は煙硝反応に適した成分を含む。
④ 犬の飼育法は充分確立済みであるばかりか、
万単位の頭数確保に際しても、
人員や経費の面で
他の追随を許さないほど効率的である。
桃園
御犬小屋は綱吉の死後ただちに取り壊さ、
忌わしい過去を消すためでしょうか、
跡地には桃園がつ
くられました。
桃の木は枯れやすいため、
美しい桃園も残念ながら長続きはしなかったようです。
軍事施設
明治政府により、
この土地に以下のような軍事施設が置かれました。
● 鉄道連隊
日清戦争が終結した翌年の明治29年、
当時の甲武鉄道中野駅北側であったこの場所に鉄道二個
中隊が作られ、
後の義和団事件や京城・奉天の線路敷設に関与しました。
西武新宿線は、
この隊の
演習によって敷かれた線路が買収されてできたようです。
● 電信隊・気球隊
鉄道連隊との併設で、
電信一個中隊が置かれました。
電信のみならず、
軍用鳩
(伝書鳩!)
の研究も
おこなわれていたようです。
また、
日露戦争の戦績を鑑み、
明治38年には電信隊内に気球班が創設されました
(明治40年、
気
球隊に再編)
。
所沢に日本最初の飛行場が完成した明治43年の翌年には早くも廃止されましたが、
日本の航空研究発祥地は中野だったということはあまり知られていないようです。
陸軍中野学校
昭和13年
「広報勤務養成所」
が発足、
予備士官学校卒業生の中から選ばれた者を対象に、
諜報、
謀略、
謀聴、
宣伝、
破壊等を教育。
「陸軍省通信研究所」
「陸軍調査所」
「東部三十三部隊」
とも呼ばれ、
秘密機関
室では、
無線暗号の解読、
有線盗聴、
開鍵盗写、
マイク盗聴、
工作員潜入等の演習をおこなっていたよう
です。
また、
電信隊の跡に憲兵学校が置かれています。
進駐軍MP本部
旧日本軍施設は敗戦と同時に進駐軍に接収され、
中野には米軍720憲兵大隊の一部が駐留しました。
警視庁予備隊
昭和24年、米軍より旧日本軍施設の返還がおこなわれ、囲町の跡地には警視庁予備隊の
施設と、その他警察関係の施設が作られています。同施設は昭和27年5月、下落合に移転
しました。
尚、警視庁予備隊は現在の機動隊の前身です。警察予備隊(昭和27年10月15に保安
隊、昭和29年7月1日に自衛隊)とは異なるので注意。
警視庁警察学校
昭和29年7月1日、警察法の全面改正により、都下の国警、自警が警視庁に統合
されたため、警視庁警察学校(九段本校、芝田村町分校)と中野の国家地方警察東
京都警察学校は合併して、東京都警察学校は中野分校になりました。警察官の教育
訓練をおこなう学校で、主として新たに採用した巡査、皇宮巡査の初任教養と呼ば
れる基礎的教育訓練をおこなっていました。
管区警察学校は、主として巡査部長試験に合格した巡査、警部補試験に合格した
巡査部長の幹部教育訓練をおこなう学校です。元は皇居内の第一連隊内にありまし
たが、武道館の建設に伴って囲町に移動してきたようです。
構内には校舎の他に道場、図書館、グラウンド、プール、自動車教習所等も設置
されています。
警察大学校
進駐軍の接収解除により、警視庁予備隊が囲町にでき、警察学校がこの場所に併
設されたことによって、警察大学校もできたものと考えられます。構内には校舎、
寮、体育館、講堂、図書館、グラウンド、テニスコート、そして「警察大学校特別
捜査幹部研修所」、「警察大学付属通信学校」が建てられていました。教育内容
は、警部試験に合格した警部補の幹部教養を1ヶ年、又は国家公務員試験に合格し
た警察上級幹部の場合は6ヶ月、現在の警察官、皇宮護衛官に対する現任補修教
育、現任教養等の再教育訓練等、更に特定の分野に関する専科教育的な専門教育訓
練もおこなわれていました。
土地払い下げ
警察大学校の場所は駅前にあったばかりでなく、中野の中心として便利なことか
ら、払い下げを求める声が高く、これにより警察大学より払い下げを受けた土地に
は、区役所初め、多くの主要官庁、その他があります。
【参考】中野区役所設置まで
昭和37年 12月
「中野駅北口副々都心建設計画」が東京都都市計画審議会で決定。
昭和38年 9月
「警大跡地利用及び庁舎建設促進などに関する決議」。
昭和42年 2月
建設用地購入と建設予算が決まる。
昭和43年 10月
区役所の新庁舎が落成。