鐵の都誕生:「金の王なる哉(かな)」。戦前の子供たちは鉄の旧字体である「鐵」の字をそう覚えたといいます。明治 20 年代の日本では、鉄道や諸工業の発展で鉄鋼需要が急増しました。 そのほとんどを輸入に頼り、国の財政は圧迫し、いつまでも外国に頼ってはならないと、日清戦争を機に明治政府は製鐵所の建設を決断し、建設地の検討をはじめます。当時の遠賀郡八幡村長・芳 賀種義(はがたねよし)と村民たちは官民一体となって大誘致運動を繰り広げました。深く入り込んだ洞海湾に面し、鉄鉱石の輸入・積出しに便利であり、工業用水に恵まれ、燃料となる石炭を筑 豊炭田でまかなえる八幡村は、国防・原料・輸送・水利の観点から製鐵所の必要条件を満たしていました。明治 30 年(1897)広島県安芸郡阪村(現・呉市)を押さえ、建設地は八幡村に内定し、 明治 34 年(1901)官営製鐵所が創立され、人口わずか 1200 余名の小さな農漁村が「日本の八幡」として、その名を轟かせ、大正 9 年には人口 10 万人を超え、福岡県で最も人口が多くなりました。 ① 東田第一高炉跡 明治維新以降、「富国強兵、殖産興 業」のスローガンのもと鉄鋼業の早急 な確立が望まれました。日清戦争(明 治 27 年~28 年=1894~1895)を契機 として近代洋式製鉄所設立の機運が 高まり、明治 30 年(1897)6 月、八幡村 に「官営製鐵所」が開庁しました。明治 34 年(1901)2 月 5 日には東田第一高 炉への火入れが、同年 11 月 18 日作業 開始式が行われました。なお、現存の 東田第一高炉は第 10 次改修高炉であ り、公称能力 900 トンを誇る日本最初 の高圧高炉として建設され、昭和 37 年 (1962)8 月の火入れから昭和 47 年 1 月の吹き卸しまで操業しました。見学 時間 9 時~17 時、年末年始閉鎖 ② イノベーションギャラリー 産業技術の歴史を追った年表ギャラ リーや体験型の企画展などを通じて、 「イノベーション」を身近に感じることが できます。多目的スペース、産業技術 とデザインに関する図書や映像を収集 したライブラリー、モノづくり体験のでき る工房などもあります。 電話:093-663-5411 開館時間:9 時か ら 19 時(土曜日・日曜日、祝日、休日 は 17 時まで)入館料:無料(企画展示 ギャラリーの入場料は有料)休館日:月 曜日(祝日、休日のときは開館し、翌日 が休館)、年末年始 ③いのちのたび博物館 46 億年前の地球誕生から自然と人間 のいのちのあゆみを壮大なスケールで 展示解説した西日本最大級の自然 史・歴史博物館。一堂に並ぶ恐竜の骨 格標本は大迫力。歴史資料も充実して います。 電話:093-681-1011 開館時間:9 時か ら 17 時(入館は 16 時 30 分まで)常設 展観覧料:一般 500 円、高校・大学生 300 円、小・中学生 200 円 休館日:6 月下旬頃から 7 月上旬の 1 週間程度、年末年始 ④環境ミュージアム 左遷された菅原道真公が太宰府へ向 かう途中に立ち寄り、水面に映った我 が身を見て「海ならずたたへる水の底 までも清き心は月ぞ照らさん」と無念 の心情を詠んだと伝えられ、歌碑と由 緒標記があります。 この建物は大正 4 年(1915)12 月、辰 野金吾が設計したもので、営業室・金 庫室・管理室からなる鉄筋コンクリート の小規模な造りです。内部は銀行店 舗という性格上、意匠に特筆すべきも のはありませんが、外観は赤煉瓦の壁 体に、玄関・柱頭・窓周りを幾何学的 模様で施し、その部分は「洗い出し」 で石造風に拵え、大正期のモダンデ ザインを表現しています。(内部はギャ ラリー開催時 OPEN) 辰野金吾(1854~1919)唐津市出 身、主な作品:東京駅、日本銀行(本 店、大阪支店、京都支店)奈良ホテ ル、武雄温泉楼門、日本生命九州支 店(福岡市)、松本邸(戸畑区)等 ⑤豊山八幡神社 ・影見池 ⑦旧九州鉄道尾倉橋梁跡 明治 24 年(1891)4 月に開通した九州 鉄道大蔵線(小倉~大蔵~黒崎)の 橋梁で、イギリス積の煉瓦で造られた アーチ橋です。これは同区内にある 市指定史跡である茶屋町橋梁と同じ 手法です。大蔵線は、明治 35 年 ⑩竹久夢二モニュメント ⑧大谷会館 ⑥旧百三十銀行 見て、触れて、楽しく学べる環境学習・ 交流施設です。環境学習サポーター による環境実験やエコ工作・ゲーム、 図書の貸し出しや衣服のリユースコー ナーなどもあります。多目的スペース、 実習室などが利用できます。電話: 093-663-6751 開館時間 展示部分:9 時から 17 時(入館は 16 時 30 分まで) 情報ライブラリ・リユース コーナー:9 時から 19 時(土曜日・日曜 日、祝日、休日は 17 時まで) 入館料:大人 100 円、小・中学生 50 円 (情報ライブラリ・リユースコーナー、談 話コーナーは無料) 休館日:月曜日、年末年始 明治 22 年(1889)、市町村制により尾 倉、大蔵、枝光、三村合併の折、氏神 様が『八幡神社』の為、八幡村と称し、 『やはた』地名の発祥と言われていま す。境内の東側下に神社の飲料水に 使われていた影見池があります。 (1902)の戸畑線(現・鹿児島本線)の 開通により、明治 44 年(1911)9 月に廃 線となりました。 八幡製鉄所職工専用のクラブとして、 昭和 2 年(1927)5 月 29 日会館。鉄筋 コンクリート造りの地上 2 階、地下 1 階 建て。建坪約 356 坪、総延面積 1,151 坪。外壁には八幡製鉄製の鉱滓レン ガが使われています。当時流行の最 先端を行く左右対称の建物は、超一流 の従業員クラブとして世間の注目をあ つめました。 平成1年(1989)北九州 市建築文化賞を受賞 ●お食事:ランチ 2,000 円~、2 名様よ り、一週間前要予約 ⑨高炉台公園 八幡市政 40 周年の昭和 32 年(1957) 開園。製鉄所の高炉を模した展望台 からの景色は製鉄の町が一望できま す。桜の木も美しく、ツツジの名所とし ても知られています。展望台の南西側 の一段低い所に製鉄所誘致に尽力さ れた八幡村長芳賀種義翁之碑があり ます。石碑には、日本地図の上に高炉 を模した鉄塊が配され、手前に大隈重 信の感謝状が刻まれています。 大正ロマンあふれる画風により、多 くの人々を魅了している竹久夢二 は、明治 33 年(1900)2 月、岡山から 当時の遠賀郡八幡村大字枝光 931 番 地(現在の八幡東区山王 1 丁目)へ家 族とともに移住し、創業時の八幡製 鐵所で図工として働いていたといわ れていますが、明治 34 年(1901) 夏単身上京しました。なお、家族は その後、大正 13 年頃までこの地に 住んでいました。 竹久 夢二(たけひさゆめじ 1884~ 1934)は日本の画家・詩人。数多くの 美人画を残しており、その抒情的な作 品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマ ンを代表する画家で、「大正の浮世絵 師」などと呼ばれたこともあります。ま た、児童雑誌や詩文の挿絵も描き、文 筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創 作しており、なかでも、詩『宵待草』に は曲が付けられて大衆歌として受け、 全国的な愛唱曲となりました。
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